第6話 切っても切れないものってなぁんだ?


 僕は夜、寝られたんだろうか。


 覚えているのは何度もくり返し寝返りをうっていたことだけ。


 枕元のリコとメリィの寝息も覚えている。


 僕は何を心配しているのだろうか。


 何を恐れているのだろうか。


 ただただ胸がざわついていて、翌朝を迎えるのが怖かった。


 それでも窓の外でカラスが鳴き始めたころ、僕はうすい眠気に包まれるように浅い眠りについていた。




「おはよう、幸喜」

「うん、リコ。おはよう」


 僕は目をこすりながらゆっくりと上体を起こした。


 枕元では起きていたリコとメリィが、向かい合って笑っていた。その笑い声に僕は起こされたんだ。


「そろそろ起こそうと思っていたんだよぉ」


 そういうメリィはつくえの上の時計を指さす。


 いつも起きる時間の十分前だった。


 寝つきが遅かったし早く目が覚めたというのに、眠いということはなかった。


「今日で夏休み前の学校、最後かあ」


 僕は独り言をポツリと言うと、メリィもリコも楽しそうに笑った。


「夏休みってイイよね。遊び放題!」

「夜更かし徹夜、し放題だねぇ」


 そんなことを言う二人が僕にはどこか羨ましく思えた。


「楽観的すぎだよ。宿題がたくさんあるんだから」

「へえ。漢字の練習とか?」

「数学の問題集とかだろぉ?」


 二人は他人事だと思って笑いながら続ける。


「それより、何が楽しくてずっと笑ってたんだ?」


 僕があきれながら着替え始めると、メリィが一冊の小さい本を取り出した。


「じゃじゃーん。なぞなぞぉ」

「メリィとなぞなぞの出し合いっこしてたんだ!」


 へえ、と僕はうなずきながらシャツを羽織った。


 ボタンを留めながら「パンはパンでも食べられないパンは? みたいなやつ?」と尋ねた。するとリコは「そうだよ」と言ってメリィから本を受け取った。


「そうそう、これとか。……おなじ親から生まれた、おなじ生年月日のタロウとジロウは、双子じゃないんだ。さあなんで? みたいな!」

「ああ、それは知ってる。三つ子とか四つ子だった、って答えだろ?」

「幸喜、さすが!」


 リコがニコニコしながら本をメリィに返す。するとメリィはパラパラと本をめくってニヤリと笑った。


「じゃあ、次。〈切っても切れないものってなぁんだ〉。さて、答えは?」


 僕はくつしたを履きながら考える。するとリコが「はいはいっ!」と手をあげて自信満々に答えた。


「水!」


「なるほど」と僕はうなずく。しかしメリィは「うーん、合ってるけどあたしの答えじゃあないねぇ」と首を横に振った。


「じゃあ、空気」


 僕がそう答えるけれど、メリィはまた「ちがうよ」と首を横に振る。


「パス。朝ごはん食べてくる」


 手をひらひらと振って部屋を出ていく僕。リコとメリィは相変わらずワイワイとなぞなぞを楽しんでいた。




 朝ごはんのトーストをかじりながら、テレビをつけていた。


 どこかの情報番組に変えてぼんやりとみていると今日の占いが映った。十二星座の運勢とラッキーアイテムが順番に流れていく。


〈そして、しし座のあなた!〉


 僕の星座だ。


 思わず右手のトーストを皿において、テレビの画面をジッと見つめた。


〈今日は恋愛運がとびきりアップ中! 好きな人に「好き」って言ってあげると距離も一気に縮まるかも?〉


 僕はクスッと笑ってトーストをまた食べはじめた。


 どこかで今の占いをばかばかしいって思っているのに、昨日から塞いでいた気持ちが少しだけ晴れた気がしていた。




「じゃ、行ってくるから」


 僕は部屋にカバンを取りに行きながらメリィとリコに声を掛けた。


 二人はもうなぞなぞをしていなくて、今は天使の世界での上司の悪口で盛り上がっていた。


「放課後、幸喜の良いタイミングで私の石を触ってくれれば、メリィと一緒に現れるから」

「分かってる」

「ならよし。いってこい」


 メリィが手を振っている。


 僕も笑顔を浮かべながら家をでた。


 玄関を出て数分。


「よ、幸喜。おはよ」


 うしろから善次郎が駆け寄ってきた。


「おはよ」

「どう? 縁切り。うまくいきそう?」


 善次郎には縁切りの天使がいたことをすでに報告していた。だから二人きりになるたび僕の進捗を気にしてたずねに来ていた。


「うん。今日の放課後にも、切ってくれるってさ」


 僕が何気なく答えた――つもりだった。けれど善次郎は「うん?」と首を傾げた。


「お前さ、根津と縁が切れるの、うれしくないの?」

「う、うれしい……」


 ……はずだ。


 僕は、本来、宇佐美先輩と付き合いたかったんだ。それが、リコの手違いで根津と赤い糸がつながってしまった。


 迷惑で、こんな縁は早く切りたい……そう、思っている、はず。


 でも……。


「でも?」

「あ、いや。なんでもない」

「そう?」


 善次郎は鼻歌を鳴らしながら横を歩いていた。


 僕は、根津のことを知ってしまった。


 良いところとか、かわいいところとか。それでも赤い糸を切るべきだ、と思っている。


 でもやっぱり〈赤い糸を切るのが正しいのか〉という思いも少なからずあった。


(僕は根津のことをどう思っているんだ?)


「なあ、幸喜。お前、根津のことどう思ってるの?」

「え!」


 僕の内心と同じことを同時に善次郎から尋ねられてしまって、僕は思わず挙動不審になってしまう。返答も声が裏返ってしまった。


 善次郎がプッと笑う。


「別に他意はないけどさ。根津って案外イイヤツそうだから、ムリに赤い糸っていうか縁を切る必要はないんじゃないかなって思っただけ。幸喜が今でも根津のこと好きじゃないんなら、良いんだけど」

「いや、好きじゃないってことはないよ」


 僕の即答に善次郎は「え!」と極端に反応した。


「じゃあ好きなの?」

「ち、ちがう!」


 僕は反射的にそう答えた。けれど――。


「…………。……と思う」


 とあいまいな返事をしていた。


 善次郎は僕の答えを聞いても、笑ったりはしなかった。


「まあ、赤い糸が偶然でも結ばれてさ。相手のこと好きになっても、悪いことじゃないだろうさ」


 慰めともとれる言葉をかけられて、僕はまた悩んだ。


(本当に根津との縁を切って良いんだろうか)


 縁を切ったあとでも、また根津と仲良く話せたり、学校の外でも会えたりするんだろうか。


 少なくとも、僕は根津ともう友だちだと思っているし、この関係より悪化はしてほしくない。


「おいおい、しっかりしろよ? もう学校に着くぞ」


 善次郎が僕の背中を強めに叩いた。気づかないうちに猫背になって考え込んでいたらしい。


「うん、気を付ける」

「別に根津にバレるってことはないと思うけどさ。なんていうのかな、ちゃんとした方が良いぞ、幸喜」


 僕には善次郎の言いたいことが伝わっていた。


 僕は「うん」と笑顔でうなずく。


「放課後、話をするんだけど、それまでに気持ちをかためておくよ」

「そうしろ。どう転んでも俺は幸喜の味方だ」

「たよりになるよ」


 僕らはうなずきあうと、校門をくぐった。




 今日は授業がない。


 夏休み前の長い長い集会があるぐらいだ。


 集会は熱中症対策で各教室で放送室からのテレビ中継で行われていた。


 当然、私語は厳禁。授業だったら何気なくとなりの根津やうしろの善次郎とおしゃべりができるけど、集会の中継は担任の岸先生の見張りの中、シンとした教室で進行していく。


 僕はどこにも集中できないまま「放課後にならないでほしい」と思いながらまんじりと座っていた。




 放課後、僕は一度トイレに行って顔を洗った。


 緊張してしまって汗をひどくかいていた。


 それから教室へ戻れば、やっぱりというべきか、教室を掃除している根津だけが残っていた。今日は教室のそうじもなく解散となったからか、根津はつくえの整頓だけじゃなくほうきですみからすみへと掃いている。


「手伝おうか?」


 僕がいたことに気づかなかったらしい根津は、一瞬おどろいたように肩をびくつかせたけど、すぐに「大丈夫だよ、いつも一人でやってるから」と笑顔で答えた。


「なら、これからは僕が手伝うよ」


 そういうと僕は清掃道具一式の入った細いロッカーからほうきとちり取りを取って根津とは反対側から掃きはじめた。


「なんか、猪野って最近かわったよね」


 僕はドキリとした。けれどさとられないように後ろ向きのままほうきを動かす。みるみるうちにほこりや砂が集まっていく。


「根津こそ。なんか、よく笑うようになったよな」


 背中を向けたままそんなことを言う。根津の表情は分かんないけど「そ、そうかな?」と答えた声は、まんざらではなさそうだった。


 僕は、こうして根津と過ごす時間がこの数日でギュッと増えた。その間に、根津のいろんな表情を知った。


 怒ってばかりだと思っていた同級生だったけれど、たまたま赤い糸が根津と結ばれたことで、僕は彼女のことを考えるようになったし、席替えじゃあとなりの席になり、一緒に根津のメガネを選んだりもした。


 根津が放課後になれば、教室をキレイにしていることも、部活の友人から〈ねづっち〉なんて呼ばれていることも、赤い糸で結ばれなかったら知らないままだったかもしれない。それに夏休みにも家庭科の宿題を一緒にやろう、なんてことにはならなかったかもしれない。


 それでも僕は、赤い糸を切ってしまって、良いのだろうか?


 根津のことをぜんぜん知らなかった頃のように、いつかまた彼女のことを「怖い子」って思うようになるのだろうか? 


 僕は分からなくなり、ズボンをギュッとにぎっていた。


「あ」


 そこにはズボンのポケット越しで天使の石が入っている。僕は無意識にリコを呼んでしまった。


「やっほ、幸喜」

「きたよぉ」


 リコとメリィが瞬間移動したかのようにパッとあらわれた。その瞬間、視えなかった僕と根津とを繋ぐ赤いいとも可視化された。それはメリィが言っていたように、リコがエンジェルアローでつないだときより明らかに太く濃いものだった。


(これが、僕と根津をつなぐ赤い糸……)


「うん? 猪野、どうした?」


 僕のようすに疑問を覚えたらしい根津が少しずつ近づく。赤い糸もたゆむことなくぴんと張られたまま短くなっていった。


「いや、あの……」


 僕は宙に浮くメリィたちと根津を交互に見ては困り果てていた。善次郎にはかっこつけて「気持ちを固める」と言っていたくせに、僕というやつは土壇場になっても答えが出せずにいた。


 僕は。


 僕は根津のことを。


 僕は、根津が。


「じゃ、さっさとやっちゃおうか」


 メリィが自分の体サイズに大きいバリカンを取り出すと、躊躇なく赤い糸に歯を当て始めた。


「い、いや……だ……」


 ささやくような言葉に、バリカンの歯の音は負けない。


 ドゥドゥドゥとモーターと歯の動く音に僕の声はかき消されていた。根津は不安げに立ち止まっている。


 赤い糸は縄のように太かった。少しずつ削り取っていくバリカン。でも僕はメリィの手を止めることができなかった。


「だ、ダメ……ダメだ!」


 僕がようやく大きな声で一歩を踏み出した瞬間にメリィは「完了だよん」と言ってバリカンを止めた。


 僕と根津を繋いでいた赤い糸は、切れたその一点から少しずつ落ちていき、地面に着く前に霞となって消えていった。


 霞が消えゆくのを見届けないうちにメリィとリコはまたパッと消えていった。

 黙ってしまった僕をしばらくぼう然とみていた根津が、急にハッとなった。


「えっと、なにがダメ、なんだっけ? 家庭科の宿題のこと?」


 根津は首をかしげて問いかけた。


 僕は根津のそばに駆け寄った。


「根津。根津は僕のこと、どう思ってる?」

「え? なに、いきなり」


 根津は僕の問いかけの明らかに動揺した。


「いきなりで、ごめん。でも、知りたい」


 僕の勢いは強く、前のめりになっていた。根津とは三十センチも満たない距離で近づいた。


 けれど彼女は顔を赤らめなかった。


「えっと、クラスメート……」

「クラスメート?」

「……よりは仲の良い男子、かな」


 根津の答えには、ウソがないと思った。


 いつもの学級委員の顔だ。


 僕はたしかに赤い糸が切られてしまったんだと実感する。


「僕は、根津ともっと仲良くなりたい」

「……えっと、それはどういう意味かな?」


 根津の困惑気味な顔に、僕も慌てた。


「それは……だから……」


 目が右往左往する。それからしばらくして「たとえば、夏休みも会うとか」と答えると、根津はクスッと笑った。


「会うじゃん。家庭科の宿題を一緒にするんでしょ?」

「そうだけど……そうじゃなくて!」


 僕はほうきをギュッとにぎって何を言うべきか悩んだ。


 つまり、僕は、根津と仲良くなりたいんだ。


 根津のことを知りたいんだ。


 もっともっと、根津のいろんな表情を知りたいんだ!


「クラスメートよりは仲の良い男子、から、ちゃんとしたもっと仲が良い友だちになりたい」


(本当に友だちで良いのかは、さておき!)


 僕は内心を隠しつつ、手を差し出した。それは友だちになりたい、という意思表明だった。


 根津はそのことを気づいてくれて、ほうきを左手に持ちかえると、僕の右手をにぎってくれた。


「なんか、はずかしいね」


 根津がポツリというものだから、僕もはずかしくなってしまってすぐに手を離してしまった。根津の右手が宙ぶらりんになってしまった。


「そ、そうだ! 指切りげんまんにしよう」


 そう言って宙に浮いていた根津の右手の小指に、僕の小指をからませた。


「指切りげんまんって、猪野は意外と子どもっぽいんだね」


 僕は顔が熱くなるのを感じながら「指切りげんまん、ケンカしたら針千本」というと、根津が「怖い怖い」とまた笑った。


「……ゆびきった」


 僕はそう言ってからふと今朝のメリィのなぞなぞを思いだした。


〈切っても切れないものってなぁんだ〉


「指切りげんまん。切っても切れないもんだよね」

「なぁに? それって、なぞなぞ?」


 根津は小首をかしげる。


 僕は「ううん、気にしないで」と笑った。




 根津と別れて校門を出ると、リコとメリィが近づいてきた。


「なあ、メリィ。今朝の答え、指切りげんまんでしょ!」


 僕が自信満々に言うと、メリィはニッと笑った。


「おしいねぇ」

「え、ちがうの?」

「ま、それが答えでも良いと思うけどぉ」


 メリィはもったいぶるように笑っている。


 リコがメリィのわき腹を指でツンと押した。


「なぁにもったいぶってんのよ。答えを教えてあげればいいじゃん」

「わかったよぉ。答えはね」


 メリィはやはりもったいぶるようにひと呼吸おいた。


「縁、だよ。幸喜、じゃあねぇ」


 そう言ってメリィはパチンとシャボン玉が割れるような音を残して姿を消した。


「あらら、はずかしくなっちゃったのかなあ」


 リコはクスクスと笑いながらメリィのいたところを指さす。


「縁切りの天使って、ラクじゃないんだよね。むしろ、めっちゃシビア」

「シビア?」


 リコはうん、とうなずくと、困ったように眉をさげて笑う。


「縁を切るって、ドロドロでグチャグチャなことに巻き込まれることが多いんだよ。でも、今回の幸喜の件はめずらしかったんじゃないかな。だからいつもと違って付きっきりだったんだよね」

「メリィがずっとリコと一緒にいたのは、めずらしいことだったんだ」

「そ。それに、幸喜にとっても……今朝のなぞなぞは、さぞ身につまされたんじゃないかな?」

「切っても切れないものは縁……」


 僕は見えなくなった赤い糸を拾い上げるように両手を広げた。


「ま、そういうことだからさ。赤い糸が切れても、縁が切れたわけじゃないんだから、根津ちゃんと仲良くやんなさいよ」


 リコはそういうと僕と少し距離を取った。その動きに僕は不安を覚えた。


「リコ……?」


 リコは眉尻を下げながら「幸喜」と優しく僕の名前を呼んだ。


「長居しちゃったけど、これで私も天使としての役目を終えた。というか、見届けた。だから、帰るね」


 僕は目を丸くした。


 そうか、リコだっていつまでも僕のそばにいるわけじゃない。


 それでも、僕はすがるように言った。


「また、会えるかな」

「会えるんじゃないかな?」


 リコは即答した。


「だって私たちにも縁があるわけだし」


 リコはニコニコと笑うと「じゃあね」と言ってパチンと消えた。


「リコ……また会おうね。待ってるから」


 ほほ笑む僕のほほに流れた水滴は、汗だったのかそれとも……。


 それでも僕はうつむかずに前を向いて歩きだした。




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