第5話 浮き足立ってソワソワ


 授業が半日しかないなんて、本当にあっという間だ。


 根津とメガネ選びに行く当日は朝のホームルームからまるで一瞬で、帰りのホームルームにジャンプしたような感覚だった。


 僕は根津と待ち合わせの時間と場所を確認するとすっ飛んで家に帰った。

根津が「お昼は家で食べてくるから」と言っていたので、僕も同じく家で食べてくことにした。


 家に帰ると、今日はお母さんが用意してくれた冷やしたぬきうどんが冷蔵庫に入っていた。めんつゆでうどんをほぐしながらすすっていくけれど、みょうに緊張していて味が分からなかった。


 出かける直前もメリィとリコが並んで「がんばれ!」と応援してくれた。

僕は「いや、がんばらない。普段通りで行くよ」と言いつつ、二人に選んでもらった服に異常がないかを念入りに確認した。




 待ち合わせ場所は中央駅の西口だった。そこはショッピングモールの入り口と直結しているのと、そのショッピングモールにはメガネ屋が三店舗ほど入っているので選ぶのにちょうど良いということになっていたんだ。


 時計を持たない僕は、スマホで何度も時間を確認した。


 待ち合わせ時間より十分も早くに来てしまった。


 これじゃあめっちゃ楽しみにしているみたいじゃないか、と心の中で突っ込んでいると「猪野! お待たせ」と根津の声が聞こえてきた。


 声のした方を見ると、根津が駅の改札口を横切ってこちらに来るのが見えた。


 Tシャツにデニムのショートパンツ。シンプルで動きやすそうなファッションに僕は少しだけ安心した。


 根津の私服を見るのは今日が初めて。でも根津らしい服装だと思った。


「猪野、なんか私服が普通。猪野っぽい」


 根津も同じことを僕に対して思ったらしい。


 僕も「根津こそ。根津らしい服だね」と言い返したら、根津は自分の服装を見返しながら「似合わない?」と不安げにたずねてきた。


「ううん。根津らしくて似合っているよ」


 僕はそう答えてから(なんて恥ずかしいことを言ってるんだ!)と顔が熱くなった。


「とりあえず、メガネメガネ。ほら、行こう」


 僕が先頭に立って歩きだす。


 根津は「うん」とうれしそうにうしろを追いかけてきた。




 ショッピングモール内のメガネ屋は三店舗ある。


 どれもCMなどで名前を聞いたことがあるところだったけれど、僕も根津もメガネを買うのが初めてだから、とりあえず一店舗ずつ見ながら選んでいくことに決めた。


 一店舗目は子どもだけだと分かったとたん「ご自由にご覧ください」のひと言を残して店員さんが消えてしまった。僕と根津はなにも言わず一周だけして店を出た。


 二店舗目と三店舗目はどちらも店員さんの対応が丁寧だった。価格帯もフレームの種類も豊富で、どちらかで買おうというところまでは決まったけれど、そのあとがなかなか決まらなかった。


「お母さんが〈メガネができあがるまで一週間から十日かかるはずだから、受け取る日に支払う〉って言っててね。それで、高すぎなければ好きなのを選んでいいって言ってもらったの」


 根津がすこしウキウキとしながらそう言って、片っ端のフレームから順番にあれこれ見ていた。


「お母さん、私がメガネを買うって言ったら〈ようやくかけてくれるのね〉だって。小学生のころより視力が下がってて、不安だったんだって」


 そういいながら根津はいろんなフレームを手にとっては戻し、手にとっては戻し、としていた。


「試しにかけてみないの?」


 僕がおずおずとたずねると、根津は「うん……」とうなずいたきり、うでを組んで悩みだしてしまった。


「やっぱりメガネ、似合わないんじゃないかなって思い始めて」


 根津のその言葉に、僕は「かけてみないと分かんないよ」と言って、ズラッと並ぶフレームからひとつ、細く赤い縁のメガネを選んで渡した。


「これとか、どう? かけてみてよ」

「う、うん」


 根津は震える手で僕からメガネを受け取った。恐る恐るかけると――。


「え、めっちゃいいじゃん」


 僕は考える前にぽろっと感想を言ってしまった。


「本当? ウソじゃない?」

「じゃあ鏡みてみなよ。似合ってるから!」


 僕が根津の背中を押して店の中の柱にかかっている姿見の鏡の前に立たせた。それでも根津は自分自身ではなく僕の方を見ている。


「ねえ、ヘンじゃない?」

「ヘンじゃないよ、似あってるって」


 すると近くにいた店員さんも気づいて近寄ってきた。


「わあ、お客さま! お似合いですよ! とても可愛らしい色合いと目の色や肌の色と合っています!」


 その言葉で根津もようやく鏡の自分自身をジッと見つめた。


「これが、メガネの私……。ヘンじゃ、ない?」

「うん、ヘンじゃない」

「ヘンじゃないどころか、すっごくお似合いです!」


 僕と店員さんが力強く言うと、根津ははにかんでうなずいた。


「これで、お願いします」




 メガネのフレームが決まれば、あとは視力検査をしたりオプションを決めていけば良いので、僕の肩の荷も降りた。


 僕と一緒に根津の新しいメガネを褒めた店員さんが、根津の視力検査も担当することになった。


「この視力で裸眼は厳しかったんじゃないですか?」


 店員のお姉さんは憐れむような表情で黙々と検査を続けていく。


「いきなり強い矯正では目にも負担ですし、見えすぎないぐらいの矯正にしますね」

「見えすぎない、とは?」


 根津が首をかしげると、店員さんは「強すぎないってことです。でもちゃんと見えるようになるから安心してくださいね」とほほ笑んでうなずいた。


 それからオプションを選び、いろいろと記入していく。


「それでは、十日後の土曜日に受け取りと支払いでよろしいですね」

「はい!」


 根津は目の前に置かれたフレームを嬉しそうに眺めている。


「十日後には私のメガネですね」

「はい。楽しみですね」


 僕と根津はその店員さんに何度も「ありがとうございました」と頭を下げながらお店を離れた。そばのエスカレーターを降りる時まで、そのお姉さんは僕たちを見送ってくれていた。


「オプションって何を付けたの?」


 エスカレーターに乗りながら僕は根津に聞いた。


「えっと……ブルーライトカットとか、傷つきにくい加工とか。オプションって言っても最初から付いているものもあるとか……」

「そっか。大事に使ってても毎日使うものだから、丈夫じゃないと困るもんな」


 僕がそういうと、根津は「そうだね」とはにかんだ。


「でも、メガネデビューは夏休み明けからだな」

「うん。夏休みのうちに慣れておくつもり」

「それがいいよ」


 話しているうちに僕たちは一階にたどり着いた。


「えっと、この後どうする?」


 僕が根津にたずねると、根津は「クレープが食べたいんだけど、良いかな?」と出入り口を指さした。ショッピングモールの出入り口付近にはたい焼き屋さんやアイスクリーム屋さんが軒を連ねている。


 僕は「良いよ」と言って、お店のそばに立って待っていることにした。間もなく根津が二個のクレープを持って近づいてくる。


「根津、そんなにお腹が空いてたの?」

「ちがう。これ、あげる。一緒に食べよう?」


 そう言って根津はひとつを僕に差し出した。


 僕は慌てて「お金払うよ!」と言ったけれど、根津は眉をつりあげて「ダメ!」と強く言った。


「今日のお礼なの。だから受け取って」


 僕は押しつけられるようにひとつのクレープを両手で持った。カスタードクリームとホイップクリームにサクサクのミルフィーユ生地がのっていて、さらに上からカラフルなチョコスプレーが掛かっていた。


「ありがとう。クレープ好きなんだ」

「なんでも好きなんじゃないの?」


 根津がからかうように言うから僕は「でも、クレープは特別好きなんだよ」と言って大きくかぶりついた。


 甘いクリームが口の中で溶けていく。


 まだあたたかいクレープ生地がとてもおいしかった。


「明日で夏休み前最後だね」


 先に食べ終えた根津は、宙を見ながらポツンとつぶやいた。


「そうだね」


 僕はそう答えてから必死になって続きの答えを探した。


「あ、でもさでもさ。家庭科の宿題を一緒にやったりするから、夏休みでもふつうに会えるな!」


 僕がそう言うと、根津は「そうだね」とうれしそうにはにかんだ。


「じゃあ、猪野も食べ終えたみたいだし、帰るね」

「うん。ありがとう」


 根津は歩きだしながら「こちらこそ、ありがとう」とふり返った。


 広い改札前の通り。北と南で僕たちの道は分かれた。それが僕にはなぜか寂しくて、なんどもふり返ってしまった。


「根津は、楽しかったかな」


 そうつぶやいてもう一度ふりむいたとき、根津もこちらを振り向いていた。


「またね!」


 根津は大きな声で言うと、手を振って駆けて行った。ようやく僕も家に向かってまっすぐ歩きだせた。




 帰宅すると、お母さんがもう帰ってきていた。


「夕食までまだ時間があるから、夏休みの宿題、少しでもやっておきなさい」

「はぁい」


 僕は素直にうなずくと、自分の部屋に戻って着替えた。


 脱衣所に服を持って行って「今日は一日、ありがとさん」と言って洗濯機に放り込んでから、部屋にまたもどった。


 部屋着に着替えた僕は、つくえに向かって夏休みの宿題用の数学ドリルを開いていた。けれど一問を解くのに十五分ぐらいかかった。むずかしかったとかじゃなくて、都度都度意識が飛んでいってしまったのだ。


「クレープ、おいしかったなあ」


 僕がつぶやくと「クレープ? 何の話?」とリコがあらわれた。続けてメリィもパッと現れる。


「ずいぶん楽しかったみたいだねえ」


 メリィはニヤニヤと僕のことを見ている。そして僕の手を見ると「おっ」と声をもらした。


「しっかり赤い糸が浮かび上がってるじゃないかあ。これならもういつでもぶった切れるよ」

「え、そ、そうか」


 僕は慌てて自分の両手を見てみた。けれど、どんなに目を凝らしても今の僕にはなぜか赤い糸がみえなかった。


「んじゃ、明日の放課後にでも、相手の子と二人っきりになってくれ。そしたら糸を切るからさぁ」


 メリィはそう言ってバリカンを掛ける仕草を見せた。


「わ、わかったよ……」


 語尾が小さくなっていくのを怪訝そうにメリィが見ていた。


「明日を逃したら夏休みで会えなくなるだろぉ? わかってるのか?」

「わかってるって。うん、放課後な。二人っきりになるから」


 僕はあいまいに笑って見せると、数学ドリルに集中した。


「ま、分かってるなら良いんだよ」


 メリィはそう言ってまくらもとへ飛んでいくと、僕の布団の上でクウクウと寝始めてしまった。


「ねえ、幸喜」


 リコがドリルの紙面をさえぎるように立つと、僕を不安そうに見上げていた。その顔が何を言いたいのか、僕にはなんとなく分かる気がした。


「……なにが言いたいの、リコ」

「幸喜。本当に、良いの?」

「なにが?」

「根津ちゃんと縁が切れて、良いの?」


 僕はすぐ「良いんだよ」と答えた。


「それは、本心?」

「そう……だよ」


 僕はリコのまっすぐな瞳から視線を反らす。


「私が言うのもなんだけどさ。根津ちゃんと縁を切るの、後悔しないの? 幸喜は、本当に根津ちゃんと縁を切りたいの?」

「――後悔しない」


 僕は掠れる声でそう答えると「トイレ」と言って自分の部屋から出て行った。そのまま自分の部屋には戻らず、リビングでテレビを見ていた。何を見ていたかなんて、覚えてなかったけど。

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