第3話 完璧玉砕、完封負け
僕のいら立ちは土日を挟むことで落ち着いた。でも困ったことに善次郎ともリコとも音信不通のまま月曜日をむかえてしまった。
善次郎はともかく、リコに至っては、彼女の宿る天使の石を投げ捨ててしまったのがまずかった。土曜と日曜、二回あの公園にもどってみたけれど、どれだけ探しても透明の天使の石は見つからなかった。
僕はどこか楽観視していたんだ。
善次郎ともリコともなんとなく仲直りができる、と。
でもそうじゃないことを月曜日の朝から知らしめられてしまった。
「善次郎、おはよう」
登校すると先に教室にいた善次郎に最初に声を掛けた。
「…………」
ぷい、と顔を反らされてしまった。明らかに無視をされたのだ。顔を反らしたまま、善次郎は教室を出て行ってしまった。
「え……ええー」
僕は落ち込みながら席につく。善次郎と話せないと、教室の誰とも絡もうと思えなかった。
クラスメートも遠巻きに僕と善次郎を見ていたけれど、僕と違ってコミュニケーション能力が高い善次郎は普通に過ごしているようだった。僕を避けていることを除いて、だけど。
午前中はそれでも授業があったからなんとかなったけれど、昼休みになると僕は逃げるように図書室へ向かった。
いつもなら善次郎と話しながら図書室に向かい、図書委員の仕事を終えたらまた善次郎と教室に戻っていた。それぐらいいつも一緒にいたのに、ひとりでいると何をしていても不安定で、まるで自分がヤジロベエになったような気持ちだった。
昼休み開始後一分ぐらいで図書室に来たら、ちょうど宇佐美先輩が図書室を開けたところだった。
「あ、こんにちは、宇佐美先輩」
「猪野くん。こんにちは」
宇佐美先輩はほほ笑みながら図書室のとびらを抑えて僕を先に入れてくれた。「ありがとうございます」と会釈しながら中に入る。そして図書委員専用の貸し出しカウンターに滑り込むと、僕は日誌を書きはじめた。
「ねえ、猪野くん」
「はい!」
宇佐美先輩が図書室の窓を全部開けて回ってからカウンターにやってくると、スカートのポケットから何かを取り出した。それは水色のハンカチに包まれた透明な石――天使の石だった。
「これ、猪野くんのだよね? はい」
そう言って宇佐美先輩は僕の前に差し出した。
僕は戸惑いながら天使の石を受け取ると「あの……これ、どうして……これを……」とたずねた。
「金曜日の放課後、公園で拾ったの。ちょうど猪野くんが走っていくのが見えたし、この石を先週、教室でも落としていたでしょう? 大事なのか捨てたのか分からなかったけれど……」
宇佐美先輩はハンカチをたたんでスカートに仕舞う。そしてめずらしく戸惑うようなしぐさを見せてから続きを話してくれた。
「こんなにきれいな石を捨てるなんて、もったいないというか、悲しいの。だから、もし捨てるなら私の目の届かないところで捨てて欲しいなって思って」
僕は震える右の手で天使の石をにぎりしめた。そしてその右手を包み込むように自分の左手でさらににぎった。
「あ、ありがとうございます」
僕は深く頭を下げた。
「勢いで投げちゃったんです。でも、後悔して……。探したけど、見つからなくて。もう、ダメかなって思ってたんで……」
震える声で「うれしいです、ありがとうございます」と宇佐美先輩へもう一度頭を下げた。
「顔を上げてよ、猪野くん」
宇佐美先輩は優しく言った。
「見つかって良かったなら、私も良かった。私もうれしいわ」
やっぱり、宇佐美先輩は優しい。ステキな先輩で、好きだなあ――と僕は思った。と同時に、僕は「宇佐美先輩」と顔を上げてまっすぐ先輩の顔を見た。
「なあに?」
キョトンとしている顔もかわいい。僕は今すぐ告白して彼女になってほしいという気持ちを必死に抑えて「放課後、二人で話がしたいんですが、大丈夫ですか」と噛みしめるように言った。
「話……?」
宇佐美先輩は目をパチクリとさせたけれど、すぐに「良いわよ」と笑顔でうなずいてくれた。
「そうね……今日は放課後、図書室は開けないことになっているから、帰りのホームルームが終わったら一年一組の教室に行くから待っててもらえるかな?」
僕は「はい、お願いします」とうなずいた。
「本の貸し出しをお願いします」
二年生らしい男子生徒が二冊の本を持って来た。
宇佐美先輩が「はい、どうぞ。クラスと名前を教えてください」と対応する。
僕は動悸を抑えながら本を受け取って本のバーコードを読みこんだ。パソコンで貸し出しの作業をする。その手がまだ震えていることに気づかないフリをした。
天使の石はキーボードのそばでキラリと光った気がした。
帰りのホームルームが終わり、クラスメートはさっさと帰っていく。
根津は教室の整頓をしたそうにしていたけれど、僕が教室に残っているのを見て右往左往していた。そのうち担任の岸先生に「根津、ちょっと良いか?」と呼び出されて駆けて行った。
ナイスタイミング、と内心ガッツポーズをしていると「失礼します。猪野くん、いる?」と宇佐美先輩が長い黒髪を垂らして教室の入り口からひょこっと顔をのぞき込ませていた。かわいい。
「はい!」
僕は宇佐美先輩を教室に入るよう勧めると、そっと入り口のとびらを半分しめた。全部閉めるとなんだかいやらしい気がしたから半分。
「それで、話ってなあに?」
宇佐美先輩の手元にカバンがない。この後、教室にもどるのだろうか。話が長引かない方が良いんだろうな、と思いながら僕は手を差し出した。
「あの――」
深呼吸をする。
一回、二回。
ゆっくり息をしないと過呼吸になっちゃいそうだった。
「――僕と、付き合ってくれませんか」
差し出す手は震えている。
緊張で宇佐美先輩の顔が見れない。首から下の宇佐美先輩は、少しだけたじろいだように感じた。
「猪野くん、ありがとう」
宇佐美先輩の落ち着いた言葉に、僕は頭のてっぺんからサラサラと崩れていくような感覚に陥った。このふた言だけで僕はすべてを理解した。
それでも宇佐美先輩の続く言葉が遠くに聞こえた。
「ごめんなさい」と。
僕の心臓が大きく跳ねて、それからしずかになった。
「猪野くんのまっすぐなところ、良いなって思う。でも、でもね。今は、誰かと付き合おうって思えないんだ」
――そうですか――と、僕は答えたような気がする。
「お付き合いはできないんだけど、それでもこれからも同じ図書委員として仲良くしてくれたら、私はうれしいな」
僕は無理やり息を吸い込んで「わかりました」とうなずいた。宇佐美先輩はしばらく僕のことを見ていたようだけど、それ以上なにも言わないのを見て「じゃあ、またね」ときびすを返して教室を出て行ってしまった。
「あ、乾くん。こんにちは」
「どうも」
もう一度、僕の心臓は大きく跳ねた。
(乾くん?)
僕はハッと顔を上げると、そこには悔しそうで悲しそうでそれでいてとても優しく笑う善次郎が立っていた。
「ちゃんと告白したんだな。偉いじゃん」
「――善次郎……」
「よくやったよ、お前は。俺よりずっと〈男〉だ」
僕はくしゃくしゃになる顔で善次郎を見つめた。そしてようやく出た言葉は「ごめん」じゃなくて「ありがとう」だった。
「なんのお礼だよ」
「……いろいろだよ」
そう、いろいろ。善次郎がいない時間を過ごして感じた、友だちのありがたみ。それに対するお礼だった。
「献杯」
善次郎がそう言って缶ジュースをかかげる。
僕は「いや、献杯じゃあ僕、死んでるぞ。そこは冗談でも〈乾杯〉だろ」と苦笑しながら同じ缶ジュースをかかげた。コツンと当たる二つの缶。同じ炭酸飲料で、この間公園で善次郎が飲んでいたものだった。
正々堂々とフラれた僕は校門を出るまではガマンできたけれど、校門を出た瞬間に堰を切ったように泣いてしまった。
それだけ宇佐美先輩のことが好きだったのか、それともフラれたことがよほどショックだったのか。
どちらなのか今となってはもう分からないけれど、最近の僕がため込んだ気持ちが涙となってあふれ出した。それを善次郎は根気よく慰めてくれて、そのまま彼の家に上がり込んで残念会を開くことになった。
ジュースは仲直りのしるしに善次郎がおごってくれた。だから僕は善次郎へのお詫びに彼の好きなイチゴジャムパンを二つ買った。そして二人で折半してポテトチップスやビスケットなどを買ってきていた。
「ま、食って寝れば大抵の悩みつらみは治るって」
「善次郎、すごいな」
「いや、これはアニキの受け売り」
「お前の兄さんに弟子入りしたい」
そんなことを言いあいながら、僕の涙も少しずつ引いていく。
「じゃあ、ま、次に進めるな」
しばらくして善次郎はそう言った。僕は首をかしげて「次?」とつぶやく。次の恋に向けってことか?
「だから、根津のこと。もう忘れたの?」
「…………ああああ」
僕は頭を抱えた。
思いっきり泣いた後のせいか、今は本当に頭が痛い。その痛みに追い打ちをかけるような悩みだ。
「なんも考えてなかった」
「だろうな。だから俺はこの土日で考えてたんだ」
「え、考えていてくれたの……?」
僕は顔を上げて善次郎を見つめた。
この親友はケンカをしても僕のことを思っていてくれていたのか。なんて良いヤツだろう。
「褒めてもポテチしか出ないからな」
善次郎は照れ隠しにそう言うと、ポテチを一枚、僕の口に突っ込んだ。僕はパリポリと咀嚼した。
「それで、だ。考えたんだよ。神社に縁結びってあるだろ? で、縁切りのところもあるってことを思いだしたわけだ」
それは寝耳に水だった。縁結びはよく聞くし、それこそ神社ごとに縁結びのお守りを置いてあったりする。
従姉がカレシ欲しさに毎年いろんな恋愛のパワースポットを巡っては縁結びのお守りを授与してもらっているとか、親せきから教えてもらった。
「でも、そうか。縁を結んでばかりじゃ、大変だよな」
「なんか、幸喜が深くて浅いこと言ってる」
善次郎は笑いをこらえながらイチゴジャムパンの袋を開けて食べ始めた。
「だからさ。縁切りの神社かお寺に行くのが良いんじゃないかって思うんだ」
「なるほど」
「あるいは――」
イチゴジャムパンをモグモグと食べながら善次郎は指をたてた。
「もう一つ。これは俺の予測だけど、縁結びの天使がいたってことは、縁切りの天使もいるんじゃね?」
「う、うわー!」
寝耳に水どころか目からウロコだ。
「善次郎、お前ってすごいな! 頭いいんだな」
「まあ、幸喜よりは成績良いからな」
「成績じゃなくて、地頭の良さだよ。すごい、尊敬する」
「褒めたってポテチしか出ないって言ったろ」
そう言って善次郎はまたポテチを一枚、僕の口に押し込んだ。僕はまた素直にポリポリと咀嚼する。
「ま、縁切りの天使がいるかどうかは、俺には分からないけどな」
「そうなると有力なのは縁切りの神社かお寺か……調べてみるかな」
僕がそう言うと、善次郎はスッと立ち上がってつくえの上のノートパソコンの電源を入れた。僕の代わりに調べてくれるらしい。
「やっぱある。縁切りの神社。でも強力なところはどれも県外だし、友だちと行くとその縁も切れるってあるぞ」
「じゃあ一人で行くってことだよな。親が許してくれるかなあ」
「縁切りに行きたいので電車賃くださいって? ふざけてるって思われそう。俺だったら笑われて終わりだな」
僕もふと両親を前にした自分を想像してみた。
「お父さん、お母さん。お小遣いがほしいです」
「なぜ?」
「縁切りの神社に行きたいからです!」
コントに思えた。
僕は頭を振ってその想像をかき消した。
「縁切りの天使を探すのとどっこいどっこいに思えてきた」
「ま、急がないよな。なつやすみ挟むし」
善次郎の言葉に、僕はうなずく。
「夏休みで進展するような接点もないからな、僕らには」
「交流がなければくっつきようがないしな。それで夏休みに運良く旅行とか遠出ができたら、そのときにこっそり縁切りの神社でも行って来いよ」
「そう言われたら、そうできそうな気がしてきた」
僕はうなずくと、立ち上がる。
「そろそろ門限だし、帰るよ」
「わかった。まあ、夏休みまであと三日。なんとかなるだろ」
玄関まで善次郎がついてきてくれた。
僕はガラにもなく頭を下げる。
「本当に、善次郎。ありがとう。仲直りできて、僕はうれしい」
「そうだな。俺も幸喜の居心地の良さを再認識したよ」
善次郎はそう言って僕の肩を叩く。
「ま、気を落とすなよ」
「うん。じゃ」
「またな」
僕は善次郎の家を後にした。
まだ日暮れが遠い茜色の空に向かって歩きだす。
「なんだろう。フラれたのに、もう全然悔しくないや」
そんなことはないかもしれない。
でも、そう口に出すだけで、本当に宇佐美先輩のことを吹っ切れそうな気持ちになっていた。
「あとは根津の方、か」
僕は立ち止まって天使の石をポケットから取り出した。透明になった石に呼びかけて、果たしてリコと話せるのか――。
でも僕は「リコ」と声を掛けた。
「この間は悪かった。仲直りがしたい。また話したいよ」
「私もだよーっ! 幸喜!」
頭上から声が聞こえた。パッと頭を上げると、夕空に二つの点が浮かんだ――と思ったら、それは少しずつ大きくなっていった。
一つはリコだった。
「やっほー! 土日ぶり! 元気だった?」
「り、リコ!」
リコは勢い余って僕の顔に突撃する。
そのままリコは僕のひたいをヨシヨシとなでた。
「ちょっと、くすぐったいよ」
「もう、あんたが石を失くすから、迷子になっちゃったじゃない!」
「ごめん。ごめんって」
「もう良いけどね。で! 私は連れてきたわよ!」
そう言って遅れてくるもう一つの影――それはリコと同じぐらいのサイズの女の子――天使だった。
「て、天使?」
「そう!」
リコはもう一人の天使のうでを引っぱると、僕の前で胸を張った。
「聞いて驚きなさい! この子は天界きっての、縁切りの天使ちゃんなのよ!」
「え、縁切りの天使!」
その子はとても眠たそうな目で僕を見ていた。
「ふふふ、縁切りの天使のメリィでーす」
リコと正反対にやる気が感じられないようすだが、なぜだかその雰囲気にこそ縁切りの天使の由来がありそうな気がした。
「頼りにしてます、メリィさん!」
「あいよー」
リコが「ちょっと! 私の手柄でしょ?」と騒いでいる。しかし僕はそれを無視してメリィに人差し指を差し出した。メリィはその指を両手でにぎる。
「ちょっとー! 勝手に握手とかしないでよー」
あたふたするリコを横目に、僕はほほ笑んだ。
善次郎とリコ。二人と仲直りができた。そして縁切り神社はむずかしいと思っていた最中に、縁切りの天使の登場。
宇佐美先輩にフラれたのはショックだったけれど、これで根津との縁が切れる――そう思うと、僕はニコニコと笑顔が止まらなくなってしまった。
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