第49話 悪魔は死んでいない・10

 ボイルが固まる。

 つい、立ち上がる。不安になるほど暗い、廊下の真ん中で。

 

「そいつ、どんなやつなんだ?どこに惚れたんだ?」

「ロナウド様とは全然違うんですよ。彼は本当に優しくて、正義感溢れている。とっても、すごい人なんです。」


 あれ…


 女の小さな声に心臓が跳ねる。


「なるほど、なるほど。それは本当に良かったなぁ。庭を貸してやって本当に良かった。……それで、最近はこんなに激しいという訳か」

「そうです、ご主人様。私は愛を知りました。だから……あ…ん!」


 違う‼そんなの良くあることだ。

 幼馴染と愛を誓うなんて、他の弟妹だってやってたし。

 平民は移動が難しいから、そういうのが良くあるって聞くし


「あ…、激し……く突かれると……」

「で、そいつとはヤったのか?」

「そんな……、卑猥な……ことを……ください。レオ…ナルド様。私と……彼…貞操の……誓ったんです。あ…!」


 女の声は小さく、男の声は大きい。

 だけど、その女が意味不明な事を言っていることは分かる。


「ほう。ワシのをこんなに締め付けているのにか?」


 ボイルの義手、義足が重くなる。

 跳ねた心臓が、今度は弱弱しく、そして小さな力しか出せなくなる。


 そして。


「そろそろ魔力戻ったんじゃないかい、お嬢様?ソイツも待ちぼうけ喰らってて…かわいそ」


 軟派な男の声。

 それは扉の近くで聞こえた。


 これは微かな希望でもある。


 そ、そうだよ。これは罠だった。アリスは女従って言ってたし、それに魔法なんて使えない。

 だから、アリスの声さえ聞こえたら——


「良い考えじゃな。この締め付けは癖になる。言ってごらん」

「ご主人様……それは……」

『私は…ボイルを愛して…います。尊敬…しています。でも…、…あん!』


 え…?え?


 意味が分からなかった。突然、女の声が大きくなった気がした。

 だけど、その声はボイルと紡いだ。


「ひ…いく…。…え?…めないでご主人…。はい…」

『ボイル…。私…アリスはボイルのことが好き。貴方のことを……本当に……愛している』


 小さな声と大きな声が交互に…、いや大きい声の時は同時に。別の場所から。


「え…?そんな…、そんなの…」


 嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ——


 義手が重い。義足が動かない。

 でも…、——外れない。


「親父よぉ。そろそろ交代してくれねぇか。あの男のことを考える時が、一番気持ちいいんだぜ。それにこいつらは全然駄目だ。絶対にはずれだぜ。」


 更にダメ押し。新たな発見。


『や……、やめて、ください。そ……そういうんじゃあ、な、ないんです。だって、関係ないんです…。私はボイルが好き。…でも、平民』

「この立派な…ご主人様の…が、…ん!……なってしまった……だけです。」

「本当に嘘つきの悪い子だなぁ、アリス。ワシの可愛いアリスや」


 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ——


 自らをアリスと名乗る女の声と、男たちの声は同じ大きさ。

 即ち——


「なん…で…、アリスがつけた魔法具から…男の声も聞こえる…?」

『嘘つき……では……、あり、ません。だって…私は…ボイルの心が好き…。そして、…体は』


 ついには切り替えを間違える女。

 その名は、アリス。声も同じ。息遣いも…


 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ——


 え…、アリスの方が…嘘…つき。アリスが罠を…


 これ以上ない証拠だ。どんなに嘘だと嘆いても、物的証拠がここにある。


「ちっ、親父は代わる気なしかよ。まぁ、いいや。同じような女も出てきそうだしなぁ。で、アリス。親父に頼むことがあるんじゃあねぇのかぁ?」

『一番…奥で…、私の中で…私に元気な——』


 ドン‼


 ボイルは立ち眩みを覚えて、いやそれ以上に魔力の極度な減退を受けて、遂には膝から崩れ落ちる。

 両腕も重いから、そのまま床に倒れ込む。


 ドサッ‼


「ん?」


 パチン‼


 その瞬間、扉の近くで指を鳴らす音。


 次男のロナウド・グレイシールが指をぱちんと鳴らした。


 ギギギギギギ…


 そして、重厚な扉がゆっくりと開く。


 ボイルの体が部屋の明かりに照らされる。


「だ、そうだ。彼氏君。いや、ボイルくんだっけ?良い彼女さんを持ってて羨ましいぜ。」


 レオナルド・グレイシールがボイルの別の妹を弄びながら、そう言った。


「アリ…ス…」


 一応、かなりの防音扉だったらしい。

 開いた瞬間、いくつも並べられたベッドたちのギシギシという悲鳴が流れ出た。

 嫌な粘液の鬱陶しい音が沢山聞こえ、その声もいっぱい聞こえていた。


 ——これらすべてが罠だった


 ずっと前から仕組まれていた罠だった。

 既にボイルの全身からは、殆どの魔力が抜け落ちている。


 扉の前で待っている間、アリスがつけた魔法具から会話が聞こえていた。

 侯爵様の魔力だ。そう聞こえるくらいの調整はやってのける。

 因みに、ボイル自身がこれに気付く日が来るかはさておき、伝達魔法を使っていたのはアリス本人。

 だから、声が途切れていたのは、その時は魔力が抜け落ちていたから。

 毎夜毎夜のお喋りの時もそう。

 生殖器同士が擦れると、魔力が発生する。つまり同じ。

 だから、グランスロッドの結界を突き抜ける力があった。


 吐き気を催すほどの爛れた女、それがアリスである。


 扉の向こうにボイルがいると悟ったアリスは、卑猥な行為を続けながらこう言った。


「ボイル、見ないで!貴方が平民じゃなかったら、こうじゃなかったんだから…。ご主人様の虜になんかならなかった。全部、貴方のせい…」

「おおお、これはすごい。ワシはもう……!」


 アリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリス…


「うっ」と声と共に壮年の男が、グレイシール侯爵が脱力する。


 アリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリス…


「ああああああ‼」と言って、金色髪の女も脱力する。

 そして壮年の男と共に、アリスは満足そうにベッドに横たわった。 

 今こそ、腹上死させるチャンス。

 最も魔力が高いだろう侯爵にはさっくりと剣が刺さるだろう。


 受け止めてくれるんじゃ…


 いや、今。アリスが受け止めて…


 俺…のじゃないのに…


 今しかない。

 今、ボイルは動くべきだ。

 これで……


 ——それで自由が手に入る?


 ——俺はアリスと一緒に自由に?


 でも………………


「さいっこうだなぁ。こういう顔見ると興奮が収まらねぇ! さぁ、マチルダぁ、お前も孕め!俺もイキそうだ!やっぱなぁ。アダムの野郎が考えそうなことだったんだよ。あのギロチンはどう考えてもイカサマだ。あんな雑な手品、誰が騙されるかっつうんだよ」

「レオナルド様ぁぁぁぁ」

 

 マチルダ?

 あの女は…、確か…

 レオナルドという男も魔力を失った。

 そして、今こそ貴族の息子を殺すチャンスだ。


 他にも男はいるが、いつものようにやればいいだけ。


 惨たらしく殺して、心を凍り付かせればいいだけ。


 ボイルは肉体を切り刻まれる恐怖なら、誰にも負けない。


 …でも、ボイルは動けない。


 いや、動く意味がない。


 もう、コレは動く理由を失った。


 ——生きる意味を失った。


 ——だって、アリスは嘘をついていた。


 ——アリスには元々自分は必要なかった。


 全部が嘘ってわけじゃない。

 とても優しくしてくれる主人に出会えたと。

 自分はとても運が良いのだと


 自分は潔癖で貞操な女、って部分だけが致命的な嘘だったってだけ。


 そして、それにもちゃんと理由がある。


「そろそろ僕も。アリス様、僕も王の血と交わりたいです。勝手に入れさせてもらってもよろしいですか?」


 完全に脱力をした、さもしい男。ソレを嬉しそうに見ながら次男まで加わる。

 おそらくはグレイシールの一族の男たちの殆どが始める。

 ミカとラミーとマーガレットも嬉しそう。


 ここには魔力が一杯あるから、妙な事をしなくても、みんなが楽しめる。

 

 だって、ダンデリオン孤児院はそういう場所。

 ロナウドも襲うチャンス。でも、そんなことは…、どうだっていい。


 アダムの話をちゃんと分析すれば分かること。


「私…、綺麗な体でしょ?…ボイル」

「そうだよ。君も興奮してるでしょ?寝取られて興奮してるんじゃない?だったら、…って、その手じゃ無理か」


 王宮にいる十を超える妃。

 今の法律では男しか王になれない。

 ただし、授かりものが男児とは限らない。

 男児であれば、孤児院に居れやしない。

 少なくとも、当時の法ではそうなのだ。


 だから、孤児院に居る女児と男児とでは意味が全然違う。

 大人にならなければ、卒業できない。だって魔力が分からないから。


 それ故、ボイルの目には全員が平民に見えていた。

 ただ、それだけ。

 

 もう、何もかもどうでもいい。


 生きていたって意味がない。


 だって、ボイル青年の命を繋いでいたのは、ボイルが悪魔と呼ぶ貴族の血の女だったから。


「ロナウド。少し待て」

「えー、また?」

「腹上死狙いの亡霊…。グランスロッドの小倅がやりそうなことだ。どうせ、その義手に細工があるのだろう。アリス、今、お前の体には王家の力とワシの…、侯爵家随一の魔力が満ち溢れておる。大切な男だったのだろう。ちゃんと責任を取りなさい」


 侯爵はアイザック・グレイシールという名前。

 もはや、どうでも良いけれど。


 男はアリスに短剣を渡した。

 そしてアリスはその短剣を受け取り、ゆっくりとベッドの上から降りる。

 金色の髪…、ルーシアと少し見間違える。

 良い血筋なのだ。十分にあり得る。

 あの時、ルーシアはボイルの体液を下腹部に塗り、それが内ももを伝っていた。

 だが、目の前の少女の内ももを伝うのは、偽物でも何でもない。行為の証明。


「どうして…。どうして貴族を殺すの? 貴方がそんな野望を企てなければ、私は幸せだったのに!貴方は愛情だけをくれたら良かったの……。私の体に平民のが入るわけないでしょ?」

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