第48話 悪魔は死んでいない・9

 そして夜。


「では、頼みましたよ」


 ついに始まる。

 意気揚々と廃教会から出る、その前にアダムは妙な事を言った。


「もしかしたら私も様子を伺いに行くかもしれません」

「は?お前…」

「いえいえ。貴方の為です。つまり卒業式です。 仕事が済んだら、すぐに手足が戻ってくるのですから」

「…」

「本当です。信じてください。勿論、貴方が殺されなければ、の話ですが」


 この男がそんなに気を使えるとは思えない。

 ただ、後半の言葉でなんとなく察した。

 今日の敵は強い。俺が死ぬかもしれない。その様子をただ見たいだけ。


「死んでたまるか」


 だから彼はコクリと頷いて、義肢に魔力を籠める。

 この作業も今回で終わり。

 救えなかった弟妹達には申し訳ない、そういう思いはさて置き。

 ボイルは嬉しくてたまらなかった。


「じゃ。行ってくる」

「行ってらっしゃい」


 その気味の悪い顔に顔を顰めて、ボイルは真夜中の貴族街に向けて駆け出す。

 アダムが示した場所は上流貴族の邸宅の外れである。


 ここから遠くない。


 ボイルは嬉しさいっぱいで、義足に魔力を注ぎ込みながら走り続けた。


 夜なので、当然薄暗い。

 なのに一軒だけ、一部屋だけ、灯のついた屋敷がある。

 しかも、どういうわけか、周囲から見えなくなる結界も張っていない。

 強いから。他の誰よりも強いと思っているから、そんなことが出来る。


 今日踏み込むのはそれくらいヤバい相手。


「もうすぐだ、もうすぐ俺は…」


 彼は走る。その明かりの示す貴族の邸宅に、煩悩の指し示すまま、灯りのことなんて気にせずに、上流貴族の門扉を飛び越える。

 今日の義足は良い仕事をする。今日の義手は自分の手のようだ。

 欲求の方も申し分ない。もうすぐ天使のようなアリスと一緒になれる。


「行ける…。これなら…、…ん?」


 ボイルが敷地に足を踏み入れた瞬間、彼は猛烈な違和感に襲われた。

 ある筈のものがないのだ。ない方が嬉しいものがない。

 

「敷地内にも結界がない?」


 今までの彼だって、平然と敷地に入っていた。

 でも、それはフレーベの屋敷でリリアんとルーシアが見えていた原理と同じ。

 魔力が高い者は、それでも見える。特に上位者は下位者の魔法を打ち消せる。

 と言っても、多少見えにくくはある。


「魔力を使わなくても見える…」


 練りに練った性欲が魔力に変わり、増幅したから感じない。

 最初はそう思った。けれど、明らかに様子がおかしい。

 そういえば、かなり遠くからでも、二階の窓から光が漏れていることに気が付けるほどだった。


 これは絶対におかしい。


 強者の貫禄。それで片付けてしまってよいのだろうか。


 どれだけ強い貴族でも、あの瞬間だけは無防備になる。

 今までボイルは利用され、そして彼自身もそれを利用してきた。


 これが最後、つまり、これが最期かもしれないってこと?


 猿轡が原因で緩くなった唇が引き締まる。

 最期と言ったアダムは見に来るとも言った。


 これは罠。明らかに罠。


 既に罠に嵌まっているのかもしれない。

 アダムにとって、今までの働きはつまらないものだった。

 だから、最期の日を決めた。特大のエサをぶら下げて。

 そんな後悔がボイルの心の中に渦巻いた。だけど…


 ——これは登竜門


 必ずぶつかる道。アリスと一緒に生きる為に必要なのは貴族の排除。

 その中には、当然アダムも含まれる。


視姦スコープ!」


 ここから戦闘モードに入る。気合を入れる。

 目に魔力を集める。眼球を舐められて興奮する変態になる。

 そして、広い庭を隈なく調べるボイル。


 どこから見られている?

 何が見ている?


 今までで一番警戒する。

 茂みを探しながら移動を繰り返す。

 立派な庭園なので、身を隠すことは容易かった。

 でも、自分が出来ることは相手も出来る。

 能天気に足を踏み入れたのだから、すでに見つかっている可能性もある。


 不意打ちではない戦い。真正面からの戦い。

 今までも性行為を行っていない貴族を殺してきたが、あれらは皆、直前まで萎えていた。

 もしくは惨たらしく仲間を殺して、萎えさせた。

 でもって、やっぱりリリアンに打ち込んだ記憶が残っている。

 皮一枚、削れる程度。それにアレはワザと傷とつけさせたと見ることも出来る。

 やろうと思えば、無傷で跳ね返せたのかも。


 それほど、あの時の差は絶望的だった。


 こんなことなら、一度くらい真正面で戦うべきだった。


 でも、こんなに早く来るなんて思ってなかったから…


「誰も…いない?既に魔法を掛けられている?」


 巨大な屋敷だ。どれほどの人間がいるか分からない。

 その全員が警戒している。いや、待ち構えている。


「屋内に潜んでいる…の…かも…」


 やっぱりこうなってしまうのか。

 薄々感じていたことだ。こんな順調に行くわけがない。

 こんなに運が良いのなら、最初のギロチンで死んでいる。

 ただ少しの恐怖と痛みで終わっている。

 王殺しは冤罪だから、今頃天国で哀れな下界を見下ろしている。


 でも、ここで…


『ボイル、聞こえる?』


 視界外からの声がした。


「…え」


 『静かに。ボイルには私がついてる…。私が貴方の目になる…から』


 そう。ボイルはもう一人ではない。


「アリス…。もしかして、この為に」

『うん。ボイルだけだと不安だったから』 


 孤児院の時と同じような言葉。

 ボイルは一番年上。いつも責任を取らされる。

 だから、アリスは彼の後ろで、彼が間違えないように一緒に聞いてくれた。


『私はね。ずっと疑っていたの』

「え…」

『ボイルのことじゃない。ボイルの主人のこと。そしてやっぱりそうだった…』

「アダムのことを疑って…」

『喋っちゃ駄目。これからは私の言う通りに動いて。ここからなら良く見えるの。…ううん。誰が何処に居るかも分かる』


 アリスは看破していた。その為の魔法具だった。

 単に少しだけのお喋りではなく、この時の為の実験だった。

 彼女は、アダムの計算の外にいる。

 百人力、千人力。再会して初めての共同作業だ。


『今…かも。玄関を離れた。…あん、駄目‼…ううん、大丈夫。いいわ…』


 どこかから見てくれている。

 見張りが見える何かを使って、神の目、いや天使の目になってくれる。

 少しずつ低木樹の影に潜みながら、アリスの声を頼りに進んでいく。

 すると、彼は信じられない光景に出会した。


『扉が開いているのは待ち伏せしてる。…待って‼今は…。…うん、いって‼…そう、これはボイルを殺すための罠』


 でも、即座に答えがやってくる。

 やっぱり罠だったということ。

 希望を持たせて、どん底に突き落とす。

 今まで何度も経験したこと。でも、今回は違う。


 俺にはアリスがいる。


 アダムの意識の外の存在でもある彼女がいる。

 グレイシールと交渉してたって話も、具体的に何も聞いていない。


 ただ飽きて、あの男は貴族に売り飛ばした。

 だって、最近の俺は幸せそうな顔をしていた。

 それだって面白くなかった筈だ。

 でも、残念だったな。約束は果たしてもらうぞ。

 あの男はここに来ると言っていた。このまま引き返しても挟み撃ちされるだけ。

 俺が嬲られるのを見に来るんだろうけど、待っているのは勝利した俺だ。


『あん…、速すぎ。もうちょっとゆっくり…』


 声を頼りに敵地を歩く。誰にも見つかっていない。

 そして少しずつ漂ってくる匂い。


『待って。そこは…』


 アリスの言う通りに進む。

 不思議なことに、誰とも出会わない。


 家の中の人間まで見えてる…。凄い魔法具…。そんなものまで…


 アリスだって危険を冒している。


『ゴメン。私、ちょっと行くから…。そこで三分、ううん五分待ってて』


 国を動かせる力を持っている貴族に養ってもらっている。 

 この家の近くに住んでいるのかもしれない。

 主人の魔法具を勝手に持ち出して、危なっかしい。


 俺も見られてる。なら、少しは良い所を見せないと


 見えるところに人間はいない。現場が二階なのは分かっている。

 いや、それも罠かもしれない。だけど、俺を誰だと思っている、とボイルは自らに言い聞かせる。


 大きな建物なのに、玄関にまでその魔力と精液と愛液と汗の匂いが漂っている。

 しかも、上から。そして、アダムの言葉。

 これがアダムの罠とは知っているけれど、使えるモノは使う。


 性器同士をこすり合わせること、前後に運動させること。

 それが魔力を高まらせる。イってしまえば暫くは動けないけど、それまでは強大な力を発生できる。

 あと、単にヤりたいだけ。


 二階で間違いない。その部屋かは分からないけど、間違いなく上でやっている。

 アダムから、俺が今まで殺した人間の情報は手に入っている筈。

 伯爵家クラスも殺している。ならば、備えるに決まっている。

 完璧な状態で迎えうつ準備をしている。


「アリスの言葉に従った方がいいんだろうけど、…どちらにしても、前に進むしかない」


 まさか、敵陣の中で彼女の声が聴けるとは。

 それにアリスも危険を冒しているからか、興奮気味。

 声が艶っぽいから、ボイルの魔力はビンビン状態。

 その魔力で義足に音を出すなと指示をする。

 もはや自分の手足の如く動かせるそれで、一歩、また一歩と屋敷の中を移動する。


 とは言え、慎重に。ゆっくりと階段を上る。

 明かりがついていた部屋は多分罠。だから、最終的にはアリスの言葉が頼り。


 だから階段の中ほどで少しだけ待つ。ただ、人の気配がないので一段、また一段と義足を進める。


 すると。


『はぁ…、はぁ…はぁ…、ボイル…お待たせ…』


 二階に到達する直前に彼女の声。


『ゆっくり中に…。今、階段には誰もいないから…』


 ちょっとだけ気まずい。そこは既にクリアしている。


『あん。もう、そこ?…もっとゆっくり…、相変わらずせっかちなんだから…』


 そして怒られた。

 それはそう。一歩間違えば、魔力ビンビンの貴族に見つかる。

 だから返事をすることが出来ない。


『あ…、そこは…待って…大きい…。大きな音を出しちゃダメよ…ボイル。ゴメンね。きつくて…またいく…、行かなきゃ…。』


 え…。また待機?頑張って、無理して魔力を使って…


 彼女に思いを馳せる。そんな時、二階のとある一室から微かに声が聞こえた。


「…かよ」


 男の声。

 右と左に分かれる廊下。間違いなく左側からだ。

 そっちは外から見ると、灯りがついていた方。

 それに、そっちの方から、独特の匂いがする。

 それからそれから、廊下に人の気配がない。


 毛足の長い絨毯のお陰で、歩く音もほとんどしない。

 だから、容易に近づける。罠であることは確定している。


 今までの全てがそう思わせる。

 罠に嵌められることも、散々している。

 そして何より、彼女であるアリスがそう言った。


「俺はまだ全然何だが…。ったく」


 ここでまた声。流石にどの部屋か特定できる。

 妙なことに灯りの部屋と声の部屋と淫欲な臭いの部屋が一致する。


 罠…じゃないのか?いや、こんなあからさまなの罠に決まってる


「結構な事じゃないか…」


 別の男の声。雰囲気は中年から壮年。


「ひ…」

「おお‼いいぞいいぞ。流石はワシが選んだ子じゃ」


 女の声もする。間違いなくこの部屋。灯りの部屋。

 この声は罠かも。結局、誰にも会わなかった。扉の向こうで構えているのかもしれない。


 アリス…、まだかな。中の状況を知りたいんだけど


 上流貴族が住む大きな屋敷。見張りを一人も殺せていない。

 もしかすると、背後から現れるかも。

 身を低くして、月明かりに照らされないようにして、次の指示を待つ。


 すると、堰を切ったように会話が始まった。


「今日は本当に機嫌が良いのだな。」

「親父、こいつは最近ずっとこんなだぜ。」

「あぁ、マジマジ。コイツ、最近彼氏が出来たんだよ?」


 少なくとも三人。良くある組み合わせだ。

 父親と、息子二人。だとすると、ターゲットの可能性が高い。

 そして…


「はぁ…はぁ…。少し…お待ち…ぉ…わたし…はまだ」


 女の声。因みに複数人の女の喘ぎ声も聞こえる。腹が立つくらい煩い。

 男は少なくとも三人いるし、これだけの大きな屋敷。超乱交会が開かれていてもおかしくない。 


 何なんだ、こいつら‼罠?後ろ?他の部屋に潜んでいる?


 会話の内容も気になるが、媚薬の匂いも、喘ぎ声も気になる。

 だが、これは罠。男の声は大きく、女の声は小さい。

 わざと部屋の外に聞こえるように喋っている。

 それだって、罠だと言っているようなもの。


 やっぱり後ろか?それとも扉のすぐそこか?アリス‼


「舌を出せ」


 誰かが言った。どうせ卑しいことだろう。

 アレら外道が複数人で行うのも、もしもの為。

 全員が同時に達せば意味がないが、流石にその可能性に賭けるのは無謀。


 一人が力を失ったところで…


 そして聞こえてくる。同じく卑しい返し。喘ぎ声の中聞こえてくる、小さな声。


「…レオナルド様、おいしゅうございます。…そうなんです。ご主人様。私、幼馴染の彼と愛を誓いあったんです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る