第36話 機械人間・2

 三年前、ボイルが長い夢から目覚めたあの日、彼の心は鏡面の如く穏やかだった。

 そして何処までも冷静で、先のことまで見通せていた。


 程よく欲望を吐き出された彼は、所謂『賢者タイム』に突入していたのだ。

 

 常人ではうっすらも残らない、記憶のカケラが次々に呼び出されていた。


 どこにどんな貴族がいて、どういう関係であり、なぜ殺し合いをしているのか、自分の体液があとどれくらいで国中に回るのか。

 本来なら分からない。本来なら覚えてもいない。

 今までの彼ならば、そこで人生を諦めていただろう。


 けれど、その前に何があったかを思い出してみるとよい。

 生きるのに有用だけど、その時の不必要だった体の大半を失っていた。

 そんな中で入れられた、過去の英雄のアレの魔力。

 更には血管や神経まで結びなおす治癒魔法。

 未来視ではなく、度を越した聴覚と触覚は灰色脳細胞に変化を齎していた。


 大魔力と大賢者、時間の流れが遅くなったと錯覚するほどのシナプスたちの乱舞。  

 そこから導き出されたのは、最初の1日で彼らが要求する体液を出し切ってしまえば可能性はある、という大胆かつ猥褻な考えだった。


 あの時のバーベラ姉妹の言動を覚えているだろう。

 二人の喋り方が変わっている。

 手も足もないボイルに手も足も出ない状況だった。


 勿論、その行為は魔力を出し切る行為。

 膨大な量の体液を出し切った彼は24時間、深い眠りについた。

 目覚めた後、再び、賢者タイムの「おかわり」をした。


 冴え渡る賢者タイムの「おかわり」でどのように過ごすかを考えた。

 そして、その結論は実にくだらないモノだった。


 この世界では性行為中の暗殺を腹上死と呼ぶ。

 それ以外の時は魔力が全身に満ちているため、弱者では剣が通らない。

 それはどういうことか。


 簡単に導ける問題だった。

 そして、今までの貴族が導けなかったのも頷けること。

 魔力で身を守るのならば、絶対遵守しなければならないことがある。

 当たり前のことだが、下半身の欲望に抗うことだ。

 彼からすれば馬鹿らしいし、生まれ持った巨大な性欲を持つから至れない。

 だから、簡単に導ける。だが実行は非常に難しい。


「だから絶頂禁止オナキンする」

「あ? 俺はやりたいんだが?俺の分身たちが放出したがっているんだが? ほら、前を見てみろよ、あの双子は相当の欲しがりだぞ」


 袋の中から声がするが、それは無視。

 そいつとはただの同居人である。過去の亡霊に過ぎない。

 だが、過酷な精神戦でもあった。修行であった。

 すぐそこに奉仕してくれる美少女がいる。

 いるけど、手を出させない。マーダーライセンスは飽和状態。

 出す意味もない。


「…え、駄目…なんですか?」

「イク…。気持ち良くイクように頑張るのに」

「クル…。オーガズムがクルように頑張るのに」


 だったらやれ‼俺の子を孕め‼っていう自分を抑えつけないといけない。


 因みに賢者モード・ボイルは五日間はアダムが来ないと予測をつけていた。

 これは高度な計算、というより今までの処刑準備から計算しただけだったから、見事に外している。


「んー!」

「ひ…」

「ちょっとも…駄目?」


 ちょっと?全部入れろ。根元まで入れろ‼


「んーん‼」


 誰にも邪魔されずに、目の前の双子美少女を見ながら、ラマトフらしきタマと必死に戦う。


 ラーマ‼黙れ‼


 その欲望に名前を付けた。

 安易だけど、最初に二文字だ。


 そして、これはただの意地。アダムの言う完全体にならない為の意地。

 散々見てきた貴族に向けての意地。

 これだけでも精神がかなり鍛えられた。


 だが、それだけでは足りない。

 ラマトフを殺したゾンビーヌの首を刎ねたギロチン。

 あの男は必ずギロチンを使う。

 でなければ、世界中の貴族が望む、群雄割拠の時代は訪れない。


 この体でどうして意地を張るのか。

 そんなの決まっている。


 全ての女に俺の子種を残…、違う‼アリスの為に世界を正しくするためだ‼


 だから次の手を考える必要があった。

 あのギロチンは特別な何かだ。じゃなければ、貴族の首を斬ることは出来ない。

 ただの重力落下で殺せるなら、俺はリリアンに傷をつけることが出来た。


 坊主、本当にそう思うか?…なんだよ、お前。いきなり。

 ラーマの力はこんなもんじゃあねぇ。俺達はこんなもんじゃあねぇ。

 黙れ、全身男性器‼…あ‼


 たまの声に気付かされるとは情けない。


 全身男性タマに気付かされることがあるなんて、自分を殴りたくなる。


 貴族の理屈は間違ってはいないが、ある意味で完全に誤解をしていたのだ。


 その先に、唯一の生存ルートがある。


 むちゃくちゃな発想だが、そのむちゃくちゃな理屈が成立するからこそ、どんなに強い魔力を持つ者も腹上死をしてしまう。


 俺は——

 

 残された時間がどれくらいか分からない。

 イクとクルにバーベラ侯爵家に関わる者を全員連れてこさせた。

 女ばかり。そして初老の男が一人。

 本当に女しか生まれない家。

 

 この生殺し感。たまらなく辛い日々。


 虚ろな目のイクが言う。


「うん。舐めさせてください」


 蕩けた目のクルが言う。


「私も全身全霊をかけて…」


 辛い修行。周りから見れば、ハーレム。

 そんな中で、ラーマと戦う。煩悩と戦う。


 心が折れそうにもなる。


「え?…ギロチンの日ってそんなに先…?」


 絶対に嫌がらせだ。

 あの男の嫌がらせだ。

 バーベラ夫妻は、あの男と接触している。

 だって、殺し屋だと思い込んでいるのだ。信頼しきっている。

 だったら…


「え?そんな…、まさか…こんなことが…。貴方様は一体…」


 小僧‼ワシの力を無駄にしおって‼

 黙れラーマ。お前はとっくに死んでんだよ。


「ありがとうございます‼ありがとうございます‼」


 侯爵様が腰を振りながら、そのリズムに合わせて感謝を述べる。

 これで、バーベラ侯爵家も安泰。

 そして、苦行が追加される。ラーマが怒るのも無理はない。


 夫妻は喜び、同じ部屋で性行為を始めた。


 蛇の生殺し。生殖器の生殺し。

 あれは元・王様ラーマも激おこ。


 これも、至って真面目な作戦である。


 そして当日。


 ボイルは王族の貴族も皆を騙して、力のない平民のフリをした。

 それがニースの見た、仏頂面の正体だった。

 ニースの美しい顔など、絶対に見てはならない代物だった。


 ただ、その時。


 ——『お嬢様』を久しぶりに見た


 あの時と変わらない美しさを持つお嬢様は、俺に微笑みかけた。

 間違いなく彼女が罠に嵌めたのに、それを許しそうになってしまう自分に腹が立つ。


 そして、あの瞬間が訪れた。


 直上から首を落とす為だけに作られた刃が落ちる瞬間。


 俺はミスを犯した。


 先に猿轡をかみ砕いてしまったのだ。お嬢様を見て、お嬢様のことを考えてしまって、猿轡に意識を奪われてしまったんだ。


 間違いなく、お嬢様に見られただろう。


 そのせいで、今後の展開が読めなくなったんだ。


 え?ギロチンはどうしたって?


 今更、そんなこと聞く?


 サマンサ・ロドリゲスの一件を考えれば分かることだ。


 絶対に生殖器ではないとダメって訳じゃあない。


 俺はただ、バーベラ姉妹に首筋という性感帯を開発させただけだ。

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