第35話 機械人間・1

 真っ暗な独房、といっても空気の入れ替えの為か、上の方に鉄格子付きの窓がある。

 今日はそこから月明かりが差し込んでいる。


 月明かりに照らされた独房って風情もないもないな


 なんて彼は考えていた。


 いや、月がここまで明るいとなると。はぁ……、また一ヶ月が過ぎたのか。


 気の抜けた顔の少年は、瞬時に表情を険しくした。


 ——カツ、カツ、カツ


 あの男の足音がして、鍵をカチャカチャと開ける音がする。

 あの男が来るのは月に一度くらい。決まって満月の夜に来る。


「今日は満月…か」


 毎日、全身ローブ姿の誰かが夜だけ食事を持ってくる。

 その時は鍵は開かない、扉の下から差し込まれる。


 だから、今日も彼は体をゴロゴロと移動させて、ガツガツをそれを食した。

 はっきり言って、それが非常に美味い。

 下手しなくても、孤児院の食事より全然美味い。


 なんてことを考えていると、扉が開いた。


「こんばんは。今日もひどい食べっぷりですね。」


 そんな酷いことを言う男。

 プレゼントに手袋か靴下を送りつけそうな男。


「うるさい。お前のせいってのは分かってんだぞ。この体がこうなったのも、俺が今も生き永らえているのも!」

「いえいえ。生き永らえてたのは偶然です。そもそも私の計画では、君はあそこで死ぬ予定でしたから。勿論、生き残ることを期待していた私もいますがね。……と、その前に、残念なお知らせがあります。先日、君が伯爵の嫡子だと言って持ってきた首は、密かに隠し育てられていた伯爵の四男でした」


 その言葉を聞いて、青年はプッと牛の骨を吐きだした。


「それ…、俺のせいじゃないじゃん。服で見分けがつくって言ったのお前じゃん。なら、嘘つき。お前が嘘つきってことは、やっぱあの話も嘘なのか。グレイシールの交渉の話も——」


 彼は牛肉の筋をガムのように何度も噛みながら、ごろごろと不満そうにしている。

 滑稽な姿だが、恐ろしくもある存在が彼である。

 が、とにかくアダムは今のところは、肩を竦めて誤魔化した。


「後から王宮兵団が見に行ったところ、指紋も含めて違うと判断されたんです。確かに服だけでは難しいですね。そもそも、君も悪い。今回、君は即死させたみたいですからね。尋問してから殺せば良かったのでは?急いで殺したみたいですが、何かあったのですか?……因みに、グレイシール侯との交渉は流石に嘘ではありません。理由を言っても意味がないと思いますので、言いませんけど。」

「骨折り損かよ。つーか、仕方なかったんだよ。あいつら、女を襲ってたからな。」


 彼の言葉にアダムはふぅ、とため息を吐く。


「君は未だに血に抗っているのですね。……まぁ、いいでしょう。1ポイントくらいは稼げたと思いますしね。それに、君が貴族を殺す気になってくれて、私は大満足です。何より、君は3年間も引きこもっていましたからね。」


 その瞬間、プッと音がしてアダムの頬に切り傷が出来た。

 実際にはアダムが少しだけ動いたからその程度で済んだが正しい。

 抗議の為、口の中で作った骨の針を吹き矢としてアダムに浴びせていた。

 避けられることも想定している。

 避けないなら避けないで、ラッキーでもある。


「どこの誰が、3年間も俺を引きこもりにさせたんだよ。」

「君は死者です。それに顔も知られていた。だから成人して顔が変わるまでは、誰にも見せたくなかったんですよ。君もその方が色々と都合が良いから引きこもっていたのでは?」


 アダムの半分正解の言葉に彼は膨れっ面になる。


「違うよ。俺は自分と向き合わなきゃいけなかったんだ。生まれた時から貴族のお前には分かんねぇだろうがな。」


 アダムは少し考え事をして、とりあえず再び肩を竦めた。


「まぁ、いいでしょう。私の目的はほとんど達成したようなものでしたが、未だ完成には至りませんでした。だから私は君とビジネスパートナーであり続けたいのですよ。」

「人のことを殺しかけといてよく言う。ここまでもお前の計算なのかよ。」


 アダムは静かに首を振った。そしてあの日の出来事を思い浮かべる。


     □■□


 5年前のボイルにとって最初のギロチン刑の日。


 彼の役目は彼の姉である第一王妃が王殺しを行なった時点で終わる予定だった。

 それは当時のアダムが世界を諦めていたから。

 だが、姉の言った通り、世界の方はまだ諦めていなかった。

 その一つがボイルの生存ルート、モーデス・フレーベの乱だろう。

 あれこそが正しく、アスモデウスの国民の行動である。


 そして、その後も彼の生存ルートは続いた。

 国中を生きたまま連れ回されたのだから、彼という存在は奇跡に近い。

 

 いや、それを作り出した姉が凄いと認めるべきだろう。


 皆が牙を取り戻す為に必要だったのは、何の力もない少年の体液だった。

 野望心を駆り立てるのが、男児の精液。なんとも、この国らしい


 そして少年がいつか生を諦めた時に、あの男が動いた。

 世界に辟易し、怠惰な生活を送っていたあの男、父が動いた。


 あれも姉の計算だったのだろう。

 

 少年の体は限界に近づいており、必要量の体液を供給できないほどに衰弱していた。

 やはりバーベラ家では彼をコントロール出来なかった。

 だからこそ、王候補の男は王たる証を何の変哲もない子供に与えた。


 ただ、父も姉も最終的には最後のギロチン刑を見据えての行動。

 それはおそらく間違いない。

 

 だが。


 ここまで来たら、アダム自身が少年に執着をしてしまう。


 これは悪魔が死んだギロチンの日の少し前の話。


 アダムは一つの賭けに出たのだ。

 ギロチン刑を大規模なものにした。

 それこそ、私財を投げ売ってまであんな演出をした。

 だから刑の執行の準備にかなりの時間をかけさせた。


 流石にあの巨大なギロチンを作るのには時間がかかる。

 しかもギロチンの形状を変更したことでコロシアム型の客席を作らなければならなくなった。


 実は本来予定されていた執行日より、三ヶ月も遅れてギロチン刑は執行された。


 彼は弱者の希望の光であった。

 弱者の筈の彼が強者と渡り合ったのは、下流貴族や平民にとって痛快であった。

 そして、それだけではない。


 もっと大きな意味があった。


「…アスモデウスの民を目覚めさせた存在」


 そんな彼の首が落とされるからこそ、この国は再び暗黒時代を迎えられる。

 彼の首が落とされてからの始まるのは暗黒の時代。

 それこそが、父と姉の企みだった。


 でも、そこにもう一人の思惑が入り込む。


 父は王位継承権で言えば二位。姉の子は継承権一位。アダムは父が継承して初めて、継承権を有する。

 だから、自由に行動で来た。だから、ボイルの近くにいた。

 そんな彼にとって、ボイルという存在は大きくなっていった。


 アダムにとっても、彼は希望になっていたのだ。


 だから、賭けに出た。


 二人と家臣たちが監視する以上、ギロチンに細工はできない。

 そのために三ヶ月の猶予を彼に与えた。

 けれど、それは砂漠から砂金を見つけるほどの小さな小さな可能性。

 奇跡が起きない限りは、消えてしまう希望。


 ——そして、運命のあの日を迎えた。


     □■□


 開瞼器をつけられたボイル、拘束具で身動きが出来なかった彼は、予定通りギロチン台に固定された。

 ちなみに拘束具は彼の四肢欠損を隠すための応急処置だった。

 上級貴族にはほとんど気付かれていたとはいえ、彼は五体満足の体で死ななければ絵にならない。

 芸術性にも興奮する貴族を出し抜くのは簡単だった。

 弱者側も気付かない。希望は強く美しくなければならない。

 だから、四肢がないなんて疑う者はいなかった。


 そして、30mの高さから落ちたギロチンの刃は、彼の首を切り離すのに十分な強度と重さを持っていた。


 ラマトフ王を殺したゾンビーヌ公爵の首を切った、王殺アスモデ鉱石を十分に錬成した刃だ。


 仰向けを受け入れてくれたのは、幸いだったのですが…


 顔が見れた方が、皆も納得する。そういう理由だろうと思った者は多いだろう。

 だが、一部の貴族はそれだけでは納得しない。

 貴族は項からの方が首が斬れやすい。だから、それを知っている彼らも納得できる刃を用意した。


 ボイルにとってはどうでもよい話。

 だけど、アダムはボイルという人間を信じた。

 勿論、首が飛んだ時は、それが天命だったとアダムは笑ったに違いないが。


 だが。現実はアダムの希望を選び取った。


 ガンッ!という鼓膜がやぶれそうなほどの音を立て、床の金属と刃は何度か跳ね返り、その度に刃は悪魔ボイルの喉元を抉った。

 そうなんだろうと誰もが思った筈だ。


 勿論、その様子を近くで見ることが出来たのは、アダムただ一人。

 どこかの男爵の子供たちが恐れていた呪い。

 実は、このアーズデウスという世界には実在する。

 特に男はそれを恐れる。恐怖で縮こまるのは心だけではないからだ。

 彼らの象徴さえも、稚児の如く縮こまらせる。


 ボイルは平民で何の力もない。

 だが、万が一呪いが発生してしまったら、力を失う。

 それが上流貴族の出席率の低さだった。

 勿論、ガーランド家やロドリゲス家は違う理由での不参加だろうが。


「…私も自分が何を期待しているのか。実は分かっていません」


 アダムが期待したのは、ボイルの生存ルート。

 刃が見えた方が、そして性の象徴の一つでもある喉ぼとけがある正面の方が、生存確率は上がる。

 だが、それでも大丈夫だろうと思わせる刃も用意した。


 でも、期待してしまう。


 あの状態でも生き残るんじゃないかと思ってしまう。


 いつものごとく横槍が入るのか。


 それとも、いえ。もう間に合わない…


 ガキン!!


 だが。


「な…」


 流石に助けは来ないかと諦めかけたアダムが、普段の彼らしからぬ声をあげた。

 役目を終えたのはボイルの命ではなく、ギロチンの刃の方だった。


 ——今回の生存ルートを作ったのは、ボイル自身であった。


 ラマツフ王が生きていたとして、その王を含めた貴族全員の首を刈れるモノなのに。

 ラマトフ王クラスの首は刎ねられるかもしれない。


「流石…です…ね」


 王の首を刈れるギロチンの刃が欠けた。

 最初の一撃が、皮一枚を切っただけ。


 あの時点のボイルは歴代の王に勝る魔力を宿していた?

 そんな筈はない。三か月の間に何かが起きたのは分かる。


 だが、まさか正面で受け止めようだなんて、アダムでさえも考えていなかった。


 刃が落ちる瞬間、先ずは猿轡が砕け散った。


 勢いで壊れたようにも見えるソレ。猿轡も王殺鉱石で出来ている。

 ただ、今回のギロチンより質は劣る。だからそう思った者は多いだろう。

 だが、ソレを外したのは彼自身だった。

 そして予定よりもずっと早く、闇魔法を使うことになった。


「食い込んで息が出来ない。今回は窒息させるつもりだったのか?」


 驚くことにボイルの最初の一言は、息が出来ないことへの不満だった。

 刃はボイルの首に負けた。とは言え、その重さで食い込むと気道が閉塞される。

 だから、結局。ボイルは刃に勝っても首を絞められた状態だったらしい。

 それが見事に、彼の死に顔の演出となった。


 本当にいつも楽しませてくれる…


 彼が起こした奇跡に、アダムはオーガズムを感じた。

 何度も何度も絶頂を迎えたいほどの快感が、そこにはあった。

 だが、彼はグッと我慢をして、首切り刃を引き上げて、アダムはこう言った。


「弱者ボイルは死んだ。そしてようこそ、こちら側へ。生まれたての英雄よ」

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