第33話 男爵の娘・5
「新しい時代の始まりって、結局なんだったの?」
少女は兄に聞いてみた。
少女と言っても既に18歳になった女。
「分からないよ。王はまだ決まっていない。王位の座でまだまだ揉めてるんだろ。俺としてはただ兵舎にいればお金が貰えるんだ。これが新しい時代って思いたいけど」
結局、何も変わっていない。
強いて言うなら、貴族制廃止が未だに行われていないくらい。
これはとんでもないことだが、男爵家はほぼ平民で彼らの周りで噂になることはない。
ニースは三年間、ほとんど無気力な状態で生活をしていた。
親の仇が死んでしまったことで、魂を使い果たしたのだろう。
そう、彼女自身は思っている。
「じゃあ、俺、行ってくる。母さんの世話、頼んだからな。後、外は危険だから気をつけろよ。」
元々、前向きな兄は三年である程度回復している。
悪夢は時々見るらしいが、ずいぶん頻度が減ったらしい。
それに彼も今や22歳だ。
抜けていた雰囲気の兄はいつの間にかなくなり、自分だけが取り残された気分になる。
「復讐は何も生まないか。兄さんの言ってたことが今更分かるなんて……、ね。」
そう言って彼女はベッドから飛び起きた。
ただ、その顔色は十八歳のソレではない。
「母様の世話…、って言っても…」
母が怪我をしたとか、重い病に伏したという意味ではない。
畑の管理は母と、母の兄弟で間に合っている。
小さいが素敵なライザーの領地に帰りたくない。
でも、間に合っているという理由で帰りたくないんじゃない。
最近、やたらと子供を作れとうるさいのだ。
しかも、母は兄と妹で作れと言う。それが嫌なら母の兄弟と子供を作れと言う。
多分、いや間違いなく、鬼の居ぬ間にというやつ。
上流貴族の真似事。
上級貴族が近親相姦を繰り返している、ということは前から知っている。
でも、心と体と知識が成長した彼女は、それがどれだけ恐ろしいことか理解できる。
「王がいないうちに…」
新聞を広げて、朝食を食べる。
今日、ニースは自領に帰らないといけない。母が呼んでいるから。
母があんなことを言い出すから、兄とチグハグな関係になってしまった。
叔父さんとじゃ、嫌だろ。だったら俺と…
兄は言った。そして、突然のことに拒絶してしまった。
悲しそうな兄に、私は言った。
物理的に距離を置けば、どうにかなるのかもしれない
自分から兄に提案したことだった。
「えっと、持っていくものって、何か……」
兄と兼用で使っていた部屋に置きっぱなしの本がたくさんある。
今はお互いに意識してその部屋には入らない。
ただ、今は兄はいない。だから、ちょうど良い機会だと思った。
「うわ、あの日のまま、資料が山積みになってる。そういえばあの後、兄様はしばらく病んでたものね。そして、私も達成感というか、喪失感というか。この部屋に入りたくなかった。そして、その後から母様が急に子を作れと言い出した。はぁ……、父様。私はどうしたらいいんでしょうか。」
父の恨みを晴らすために、青春の全てを費やした。
その後はただただ、日が昇るのを眺めて、日が沈む頃には眠っていた。
そして、兄の方が重傷だったから言えなかったけれど、彼女も
「ううん。目くらい合うわよ。…だから?だからって何?」
異常な興奮状態に陥ったのを覚えている。
殺人衝動なんて、当たり前だ。
まるで、上流貴族のように感情の制御が出来なくなっていた。
そのせいで、兄ライツは酷いPTSDになった。
でも、それを言ったら…
「ダイジョブ、ダイジョブ!もう、終わったの‼こんな資料は全部燃やしちゃっ」
あの日、兄様はなんて言っていた?
確か、ガーランド領をどうするかを悩んでいた。
どうして悩んでいたんだっけ?
体が勝手に動く。どうして…
彼女の細腕が自然と積み上げられた資料に伸びる。
昔の自分、悪魔に憑りつかれていたニースが積み上げたまま、残した資料。
そこには犯人の殺害方法やら、体液に込められた魔力の特徴やらが書かれていて……
「複数人が同時に殺されたようにしか思えない殺され方だった。しかも、複数の部屋に跨って、悪魔ボイルは貴族も平民も殺害した。ううん、ここはこう考えたの。全てが暗殺だったって。だからそこじゃなくて……」
自分でも何をやっているんだろうと思う。
これは全て終わった話なのに。犯人は目の前で死んだのに。
めでたしめでたし…なの…に
「ここ。ここが問題だったの。ローランド伯爵家の主要人物の死後、悪魔ボイルは何故か、戦った後なのにかなりの出血をしていた。戦っている最中ではなく、戦った後だった。それが謎だったのよ。査察に行った兵士の記録では、貴族の血糊の上にボイルの大量の血が乗っていたって。これってもしかして、自分で自分を傷つけたってことになるけど。どうして……」
考えるな、私!何をやっているの!ただの自傷行為よ。
もう一人の自分、何人かの自分がいる。
今日は今から母の家、というより故郷に戻るのに
「ウィズロー子爵家でも同様の行動が見られる。しかも今度は致命傷になりかねない出血……。問題はどちらも貴族を殺した後に出血したということ。ただこっちは被害者の女性と血が混じって。自分を傷つけながら女を犯していた?」
……ダメよ、ニース! 早く、母様のところに!
「バーベラ侯爵家の周辺の諸侯たちは、ほとんど瞬殺されている為、彼の殺人能力の向上が見られる。それに……。いや、待って。さっきのローランドの方にも同じ記述が」
その瞬間、彼女は固まった。
やっぱり呪われている。
あの時、目が合って…それで…
「彼の本来の目的は女性の強姦殺人だった筈。…なのに、ただ殺されただけの女性の遺体もあった。そんなことを言ったら、男児を犯したあの領地だっておかしい。いや、そもそも、どうしてあの時ボルシャ侯は」
彼女は故郷に帰るつもりだ。
それは間違いない。
「貴族街は今、ゴーストタウンって噂。もしかしたらボルシャ侯爵の邸宅も……。ボルシャ侯とフレーべ公の繋がりさえ見つけたら、私は安心して帰れるの……」
ちょっとだけ寄り道しても問題ない。
は?何を考えているか、分かってるの?
これは単純な答え合わせだし、別に、大丈夫よ。
もう、世界は平和になった。
だからって、不法侵入なんて…
「こ、これっきりだから‼」
好奇心?それとも他の何か?やっぱり憑りつかれている?
結局、ニースは自領への帰り道にボルシェ侯爵別邸に立ち寄った。
帰り道の途中なんかじゃない。侯爵家の家と田舎へ帰る道は反対方向だ。
「外はまだ明るいし、ちょっとした探検みたいな……もの……だし?」
□■□
ニースは既に気付いていた。
山のように積み重ねられた資料の山には意味がないと。
資料は途中から、意味のないものに変わる。
どんな状況であっても、彼の体液が見つかれば、それは悪魔の罪。
刀の切り口が違う、挫滅の仕方が違う。
残酷な芸術作品というテーマが、同じだけの殺害現場についても。
グロテスクなアートは多数残っている。それを描いたアートまで流出しているという話。
だが、間違いなく別の作者。絵画の方ではなく、元となったグロテスク人肉アートの方が。
「悪魔ボイルの体液が独り歩きしている」
つまりマーダーライセンスは、着実に世の中を蝕み始めていた。
自分より魔力の劣る者相手なら、いつでも犯せて、いつでも殺せた。
欲望を垂れ流しても良い時代が一年間続いたことになる。
それは今まで抑え込まれていたラマカデの血を覚醒させるには十分な時間だった。
『ボイルの死』はマーダーライセンスの効果を失わせた。
でも、一度火がついた欲望は抑えられない。
「でも、そんなに狂った世界…なわけ…。お父さんが守ろうとした世界がそんな…」
強者に打ち勝つ者は、強者である。
だが、今の世界に圧倒的な強者はいない。
大丈夫。ボイルが悪魔的な力を持っていただけ。
だったら説明がつく。彼が平民の魔力しか持たないと知っているのに。
知っているからこそ、彼女は足を踏み入れる。
「お邪魔します……」
酷く歪んだ醜い世界に、その穢れなき足を踏み入れる。
ニースはヒョイっと門扉から家を覗いてみた。
「やっぱり…、返事がない」
と、思った。だって上流貴族は皆、自領に戻っている。
だが、ボルシェ邸を覗き込んだ時には既に始まっていた。
だって、殆ど平民と魔力が変わらない男爵家の人間。
つまり、どう足掻いても——
どん、と背中を押されて敷地内に押し込まれてしまう。
「ひ…」
「おやぁ?」
「これは一体どういうことだぁ?」
そして、男二人に出口を塞がれた。
え…?もう夜…?そんなこと在り得ない‼
理由は分からない、昼間なのに暗い。理由が分からないってことは上流貴族が使う魔法だ。
「す、済みません。私、間違えて…」
「お前、誰だよ。俺はボルシェの旦那の右腕だよ。」
「あ…、えっと。すみません。私はニースと申します。その…」
「おい。俺が先だろ」
「は?俺の方が早かったろ」
少しずつ目が慣れてくる。そして二人の男の顔を知っていることに気が付いた。
そもそも二人は、紋章つきのマントをつけている。
ボルシェ領の近隣に小さな領地を持つイグナー伯爵とサリダリ子爵の紋章だ。
年齢的にその息子か孫だろう。
「すみません。私は通りかかっただけです。声をお掛けしたのですが…」
底辺貴族令嬢として、最低限の教養は頭に入れている。
彼女はただ門扉からチラッと覗いただけ。
何も悪いことはしていない。
「ニースちゃん。俺様に声をかけてくれたんだよな?」
「え…、いえ。そういうわけではなくて」
「いやいや。俺に決まってるだろ。だって、俺の方が近くに居たんだ。分かってるよ、ニースちゃん。強い男を探してたんだろ?」
「ち、違います‼た、確かにボルシェ候はとても強い魔…」
そういえば、兄様に言われていた。
外は危ない。でも、それって——
「やっぱ俺様じゃねぇか。分かってるよ。んじゃあ、こっちだ」
違う。この二人はボルシェ侯爵家の人間ではない。
そも、外から声を掛けただけだし、誰も居ないと思っていたのだ。
ひ…。逃げないと…
「ほら、こっちだ」
「痛っ!」
けれど、もう遅い。
襟首を掴まれて、乱暴に地面に転がされてしまう。
「へぇ…。お前、いい女だな。ま、いい女じゃなくても連れてこいって言われてんだけどよ」
「でも、お前もヤる相手を探してたんだろ?だったら、俺が味見してもいいだろ? お前、弱そうだしなぁ。奉仕ってやつを教育しなきゃな。」
「違いま…」
パン‼
痛い…‼嘘…、私は敷地にも入っていなかったのに…
ここは貴族街でもそれなりに人通りがあって……
だがそう思っているのは、ニースただ一人。
既に世界は変わってしまっている。
彼女の母の言葉の方が正しい世界だ。
母親は子作りをしろと言い始めたのは、少しでも高い魔力を得る為。
でも、ニースの感性は平民に近い。
そんな彼女だから簡単に服を剥ぎ取られる。
「いつから、この国が安全で平和に再スタートしたと勘違いしていた?」と、誰かに言われた気がした。
いや、自分で言ったのかもしれない。
「やめてください!人を呼びますよ?」
「呼べるわけないだろ! ここはもう俺たちのテリトリーなんだよぉ! ひょっとしてお前、ひょっとする?」
「あぁ。間違いねぇ。こいつ初物だ!」
そうだ。既に始まっている。秩序なんてとっくに崩壊している。
そして、ニースはここで身を以て味わうことになる。
——新時代の到来を
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