第32話 男爵の娘・4

「死んだ…。やっと悪魔が死んだ…。やったよ、お父さん。私…は頑張れなかったけど、お父さんを殺した悪魔は死んだよ…」


 アダム・グランスロッドは「新しい時代の始まり」と宣言し、会場に一礼した。

 彼の言う通り、二年以上にも渡るキングスレイヤー及びシリアルキラー・ボイルの物語が幕を下ろしたのだ。


「これで新しい王様も即位できるのねぇ」

「お前、滅多なことをいんでねぇよ」


 何も知らない平民の希望だったラマツフが殺された。

 王殺しが生きている世の中だから、新しい王の選出に慎重になっているという噂があったのも事実。

 その一方で


「本当に大丈夫なのか?」

「なーに言ってんのよ。私たちはグレイシール様についていくって決めているじゃない」

「アイツだよ。アイツ。あんなに出張ってんだぞ。グランスロッドは本当に動かないのか?」


 どこの派閥につけばいいか、迷う者だっている。

 キングスレイヤーは死に、国が動き始める。スタートダッシュはやっぱり大事。


 そういう意味での新しい時代の始まり。


 ニースも…


 これから…、私も身の振り方を考えないと


 ここからせーので国がスタートする。


 ニースはそんな風に考えていた。


「では、皆様、お帰りの際は気をつけてください。特に夜道は危ないですからね。」


 そんな中、グランスロッドの倅は鷹揚に両腕を掲げて、そう言った。


 え…?


 その瞬間、教誨師を中心に闇が広がっていく。

 そして、男は見えなくなった。

 グランスロッド公爵家の血はかなり濃い。

 だから、この会場にいる観客のほとんどは彼を視認できない。

 ただ、それが見えている人間がいるのも確かだ。

 例えば公国の人間。それに侯爵の一部の人間。一部の類まれな先祖返りも見えているかもしれない。


 もちろん、ニースには見えないし、兄も見えていない。

 ただ、これも演出。

 打ち合わせ通りだったのか、兵隊の一部がそれぞれの観客席の出口を開けた。


「皆様、お帰りはこちらです。アダム様の仰られる通り、もうすぐ逢魔時です。…早く。出来るだけ急いで、お帰りなさいませ」


 今まではラマカデ広場に処刑台が並べられていたが、今回は態々建物を作っている。

 終わったのなら、退場するべき。

 巨大なギロチン台の組み立て、悪魔ボイルの登場、その悪魔の固定。そして処刑。


「はぁ…、なんか疲れたな」

「そうね。早く帰って、お母さんに話そ!」


 見応えのある舞台だった、悪魔が死ぬという王道の演劇を見たような気分。

 上級貴族の席はとっくの昔に人っ子一人いない。それは王族に未だ固執する多くの妃も同じ。


「ねぇ、早く帰ろうよ?悪魔はいなくなったんでしょ?」

「あ、あぁ。そうだな。もう、…終わったんだし」


 平民も急に暗くなったことと、逢魔が時と言われたことで怖くなって足早に帰っていく。

 空は見えるけれど、逢魔が時。更に中央で闇魔法。

 ドンドン暗くなっていく会場は、闇に引きずり込まれそうな錯覚に陥る。


 私も帰ろ…


 ニースも仕方なく、帰り支度を始める。

 だが、いつの間にか息を切らせた誰かが目の前に立っていて、驚いて両肩を跳ね上げた。


「ビックリした…。…どうしたのよ、兄上。驚かせないでよ」

「ニース、帰るぞ。」

「え?それは分かっ…」

「早く!マジで帰らないとヤバいんだってさ。グランスロッド様がそう仰るんだから、そうなんだ。男爵家の俺たちは帰るしかないだろ」


 上からの命令は絶対命令。だから兄は帰るのだという。

 もちろん、帰るのは賛成だ。とにかく怖い。ここに残っていたら呪われてしまいそう。

 そして何より…

 

「帰るって。…それに何か怖いし。本当に今から厄災が始まる…ってかんじ」

「冗談でもそんなこと言うなよ‼俺、めちゃくちゃ怖かったんだからな。ボイルってやつ……。マジで怖かった…。金も貰ったんだ。な、早く帰ろうぜ!」


 羨ましい、羨ましいと思っていた。

 でも、そんなこと言えないくらい、真っ青な顔の兄がいた。


「そう…なの?ただの平民じゃなかったの?」

「そんなの知るかよ‼俺がギロチン落とすなんて聞いてなかった。…俺はアイツと目があった。アイツに顔を覚えられた。名前も憶えられた…。だから…」


 兄が恐怖し、ブルブルと震えている。

 そこで漸く、ニースは気付くのだ。復讐心のせいで肝心なことを見過ごしていた。

 父・ジェームズが時々青い顔をしていたことを。

 今までの処刑だってそう。父が顔を出したのは命令されたから。

 処刑人は覆面をして処刑を行う。顔も名前も明かさない。


 だから、今回のイレギュラーは、兄が処刑人に選ばれたことだったのだ。 

 相手が悪魔で、全国民の敵だからどうだというのだ。

 ライツ・ライザーは今日、人を殺した。全員がそれを目撃している。


「もう…、考えたくない。ニース、お前も忘れろ…」

 

 アダム・グランスロッドの言葉、脅し。

 関係ないと言えるだろうか。


「…うん。お疲れ様…お兄ちゃん」


 そして兄と妹は貴族街のハズレにあるライザー家へ急いで帰った。


     □■□


 悪魔ボイル退治、あれから一ヶ月が経っただろうか。

 兄のライツはあれ以来、ずっと悪夢を見続けている。

 生きていた時の悪魔に最後に触れた人間で、首切り刃を落としたのも兄。


「兄上、そろそろ起きてください。」


 仕事には行ってもらわないといけない。

 兄上が眠れていないのは知っているけど。


「…もう、そんな時間……か」


 顔色が悪い。まるでもうすぐ死んでしまいそう。

 そんなことを言ったら、父だって顔色が悪かった。

 サプライズのせいで、兄は大きな十字架を背負った。


 私のせい…で


 いや、そんなわけない。ちゃんと調べたんだから。


「気にしすぎです。資料を何度見返しても、彼奴はただの平民です。悪魔ではありません。」

「まだ調べてるのか‼…頼むからやめてくれよ。そういうんじゃないんだよ!ずっと頭の中に響いてるんだ。殺すって声がずーーっと聞こえる。あいつと目を合わすんじゃなかった。アイツを殺す役目がなんで俺なんだよ‼…俺は呪われた。地獄に引きずり落される……」


 魔法の類は存在しても、怨霊とか幽霊の話は聞いたことはあっても、存在が確認できたことはない。

 でも、無理からぬことだ。

 死んだ男の大罪はゾンビーヌ公爵を超えたと言われている。

 あのゾンビーヌ公爵の時でさえ、数年間、不作続きで呪いだの、怨念だのと言われていた。


「苦しんで死ぬんだ…。俺はもう…」


 ただ、ボイルは平民だ。魔力は殆ど持っていない。

 孤児院に資料が無かったのが痛い。でも、聞き取り調査によれば、間違いなく平民だった。

 だから、彼自身によるものではない。これは人々が勝手に思っているだけだ。

 実際、ニースも友人や街の人から、最近怖いという話を聞いている。

 何が怖いか聞いても、何が怖いのか分からないと、皆、口を揃えて答える。


「お父さんに負けないくらい強い男になるんでしょ? 今日は? 仕事に行かないの?」

「行くよ。行かないといけない。なぁ……、新しい時代って何が始まるってことなんだろう」

「それは…、私も分からないけど…」

「…だよ…な」


 そしてライツはおぼつかない足で仕事に出かけた。

 兄の心を治してくれるのは時間だけ。多分、そう。呪いなんかあるわけない。


 私がしっかりしないと…


 ただ……


「えっと。私は何をすればいいんだっけ……」


 そう。


 彼女はもっと前から、違う意味で悪魔に取り憑かれていた。

 だから、彼女も兄と変わらないのかもしれない。

 兄よりPTSDがマシなだけ。父を失ったあの日のことはやっぱり忘れない。


 でも、それは時間が多少は治してくれた。

 最近は悪夢は見ない。そして、その復讐は終わった。

 これから何をしたら良いのか分らない。


 だからただ、家の掃除をする。

 そして、15歳の少女は青春時代を無意味に過ごす。


「お母さんに連絡しなきゃ…、お手伝いと花嫁修業をしますって…」


 世の中が不穏な空気のまま、時が流れていく。

 ただ、実は不穏な空気なのに何も起きていない。


 そして三年が経った。

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