第31話 男爵の娘・3

 ニースは観客席に座って、溜め息を吐いた。

 伸びっぱなしの前髪が、視界の殆どを遮る。兄に言われてもおかしくないくらい、ぼさぼさの髪。

 その髪の毛が少しだけ役にたったらしい。

 目が隠れるほどの前髪の下には、教誨師役を務める男に敵対する瞳が隠れていた。


 心臓が弾け飛ぶかと思った。だって、お父さんの仇だもん。

 だけでなく、脅しなんて…。


 今日で終わるとか関係なく、ただ怖かった。王の弟の息子。普通に考えたら、王にかなり近い位置にいる男。


 そんな男が、コロシアムの競技者用の入り口から姿を現した。

 意味が分からなさ過ぎて、観客もリアクションに困っている。

 彼は入り口付近に立ち、暫くすると彼とは反対側の扉が開いた。

 巨大なモンスターでも出てきそうな大きな扉。


 もしかしてモンスターと戦う…なんてあるわけないか


 剣闘士と巨大モンスターが戦う為のコロシアム、そんなイメージである。

 だが、そこから巨大で光を反射する何かが登場したのだから、会場もどよめく。

 

 え、みんなで押してる?


 動きから下に車輪が付いて、その巨大な構造物が乗っている。

 ギロチン台と言えば、巨大な何かというイメージが、二度もギロチン劇により浸透したから、会場の空気も冷めていった。


 巨大な斜め刃が四角い鉄の板の上に置かれており、鉄の柱や板も纏められている。

 あれを組み立てると巨大なギロチンになると、誰が見ても分かる。

 しかも、大きすぎるからカタチは不完全で、組み立て式。

 王領の兵士たちの何人かは部品の確認を行っている。


 兄上がギロチン装置の設計が大変って言ってた。私、上の空で聞いてなかったけど。


「…兄上だ。なんか偉そうに指揮している。手伝えばいいのに」


 心の声が口から出てしまう。

 兄は兄で必死なのだろうけれど、彼の動きはカチコチで身内としては見ていられない。


 大きく四角い鉄板は、大人10人程度でも移動できる構造らしい。

 兄の指揮の下、兵士たちが巨大な鉄柱を組み立てている。

 ただ、思ったよりも簡単に組み立てられる構造らしく、あっと言う間に形になっていく。


 大きすぎる。人一人の首を落とすのにこんな高くから刃を落とすの?


 しかも全て金属製。

 つまり今回は火災の心配がない。

 それくらいのお金を注ぎ込んでいるということ。

 その割に客の入りがいまいちなのだけれど。


 ガンッ!


 そして巨大な音、コロシアムごと揺れるほどの音が聞こえた。


「も、も、問題ありまん!」


 そして聞こえる兄の声。

 恥ずかしいくらいにガチガチの声。


「恥ずかしい。お父さんみたいに堂々としてよ……」


 兄はちゃんと動くかどうかを、ちゃんと首が切れるかどうかを確認をして、会場にいる全員に報告したらしい。

 だが、声が小さく、後ろの席の客に聞こえたかどうか、疑わしいし、そもそも噛んでいる。

 ただ、その後のイベントに兄は救われた。


「おい、あれ!」

「キャァアアアアアア」


 客入りはいまいちでも、一応、観客はいる。

 その中の誰かが突然、大きな叫び声を上げた。

 絹を裂くような声、金切り声の方かも。


 だからニースも「あ!」と叫んで、皆が見つめている方向を睨んだ。


 彼女は硬直していた。

 硬直してさらに体が震えた。

 何の震えか、——勿論、歓喜の震え、そして武者震いである。


「あの男だ……。間違いない。猿轡のイメージが強すぎるけど、髪の色も同じ黒髪。人相は……、ここからだとまだ……」


 勿論、中央を疑っているわけではない。

 中央がアレを悪魔だと判断したのだから、アレで間違いないだろう。

 そも、アレに王を殺されたのだ、間違えるはずがない。


 ただ、ニースは最初の断頭式の時にかなり近くで顔を見ている。

 だからちゃんと確認をしたい。

 アレが自分の父を死に追いやった死神だと、ちゃんと目に、頭に、脳に、心に焼き付けたい。

 そして、ソイツが死ぬ姿を生涯語り継ぎたい。


     □■□


 悪魔と見做されている青年は金属製椅子に座らされ、拘束衣で体全てを覆っていた。

 拘束衣の腕の部分は交差しており、それぞれが反対側の椅子の留め具に固定されている。

 現時点での逃亡は不可能だろう。

 金属の椅子の床面から木の棒が四本伸びていて、六人の兵士がそれを肩に担いでいる。

 お祭りの神輿のように彼が担がれている。


「この光景だけで異質ね。中央も……」


 何を考えているのか分からない、と言いかけてしまった。

 聞かれれば不敬罪だ。目の届く距離に王妃達がいる。

 先ほど脅迫した男もいるし、アレだって殿上人の一人。

 この断頭式は緊張が絶えない。


「御神輿…、まるで祭事…」


 その神輿は王族の席の前に向かった。

 そして、そこでゆっくりと回転をしている。

 360度、正真正銘、あの悪魔であることを確認させている。

 次は上級貴族の前に神輿が移動していく。

 すでに神事か、悪魔めいた儀式にしか見えないソレ。

 だが、ニースはこの時点で席を立ち、最前方にある手すりに寄りかかっている。

 下流貴族席はそれなりに人がいるから、結構迷惑な行為。

 ただ、ジェームズ・ライザーもある意味で有名になったし、その妹が悪魔に憑りつかれているという噂もそれなりに知られているから、痛々しい目でそれを見守っている。


 もうすぐ、父上の敵の顔が拝める。元は人間でしょ?多分、だけど。

 だ、だから!心の底から恐怖しなさい!


 次は下級貴族の前。

 ついにあの神輿がやってきた。

 ニースは身を乗り出して、彼の顔を凝視する、睨みつける。

 残念ながら拘束衣で頭しか見えないし、奇妙な猿轡は今も嵌められているから、鼻から目元くらいしか分からない。

 猿轡に目がいきがち。これが罠かもしれない。

 だから、見る。瞳の色をしっかり見る。

 そして、ニースは確信した。それはそう。貴族街で彼女より悪魔ボイルに詳しい者はいない。


「間違いない……。このゲス野郎!あんたのせいで、私の父上はぁぁああああ‼」


 我を失い、二階席から彼に飛びかかろうとした。


「コホン!」


 ただ、急に聞こえた咳払いで、彼女は固まってしまう。

 咳払いだけ聞こえたのに、筋肉が委縮した。

 それほどの圧。そして我に返る。

 ここで儀式を妨害するようなことがあれば、男爵位の娘である彼女は、父と同じ道を辿ってしまう。

 兄は丸太で切れることを証明していたが、人間では試していない。

 あの男ならば、「試しに」と、ニースの首を先に飛ばすかもしれない。

 そうなれば父の仇の死に様を見ることができない。


 仕方ないじゃない。本当は私の手で殺したいんだから!平民たちまで雰囲気に気圧されて黙り込んじゃって。あれだけの馬鹿騒ぎはどうしたのよ!父上の時だって騒ぎ立てていたくせに……。それにしても、あの悪魔。あの仏頂面は何?全然反省してないじゃない。怖がってもいないじゃない!いいえ、逃げるんじゃなくて、女を犯す為に潜んでいた男。あいつは反省とは無縁の存在。って、あいつ、私を睨んでなかった? ムカつく……。絶対に、あいつの断末魔を聞いてやる……って、あの猿轡なんとかならない?出来れば、素顔を焼きつけたいのに…


 心のニースが捲し立てる。だけど、口には出来ない。

 自分の復讐心という我が儘でライザー家を巻き込んじゃダメだ。

 椅子に戻ってからも、ずーーっとムカムカしていた。

 兄のぎこちない動きにさえ、ムカついてしまう。


 だが、再び咳払い。

 あの男の一挙手一投足で会場が静まり返る。


「さて、皆様。大変お待たせしました。まずはこの悪魔を捉えた王宮兵団に盛大な拍手を送って頂けますか?」


 すると会場からパラパラくらいの拍手が送られた。

 これでも全員が拍手している。

 ニースも拍手をするが、ライツが彼を捕まえていないことは知っている。

 もしもそれが本当なら、彼は有頂天になって報告に来る筈だ。

 守秘義務……、もしかして兄が嘘を吐いた?そんなの関係ない。見抜く自信がある。

 おそらく、いや間違いなく、彼はどこかの貴族を殺し損ねたのだ。

 だって平民。腹上死を狙う以外に、あの男は貴族を殺す術は持たない。


 それは間違いない…


「兄上たちの顔を立ててくださっている。感謝はしないと…ね」


 各地から送られる彼の体液の成分分析からも証明されている。

 ニースの予想は恐ろしく鼻が利く奴、という結論だった。

 貴族の乱交が文化である。淫らな匂いが充満するらしい。

 それを数キロ先でも嗅ぎ分けられるから、今までピンポイントに強姦殺人を犯した。と考えるに至っている。

 他の方法があるのかもしれないが、結局本人に問いただすことはできなかった。


 で、ボイルの遺体は王家が引き取る。そこから上流貴族だけで競売。

 もう、私には追えない。男爵家には追えない。


 上級貴族だって馬鹿じゃない。その行為に関しては知性を失うとは聞いたことがあるけれど、それでも今回はしてやったのだ。誰かが彼を罠に嵌めた。

 冷静な時のニースならば、それ以外の可能性を考えることもできた。

 でも、本人を目の前にした今、彼女の思考能力は停止している。

 なにより先ほど脅されたことで脳が考えることを拒絶している。


「さて皆様、このように私たちは見事、悪魔を再び捕まえました。これであの日の続きができます。前置きは抜きにして、早速彼の首を跳ねましょう。せっかくお集まりになった皆様には恐縮ですが、今日は前座抜きにいたします。……いえ、前座になりたい方がいらっしゃいましたら、私としても嬉しいのですが……。はて、そういえば。フレーべの方々とガーランドの使者辺りは、国家反逆罪として、ギロチンの資格ありですが……」


 男の言葉にコロシアムは沈黙に包まれた。

 言われてみればその通り。どうして国を裏切ると宣言したものがここにいるのか。

 それはそれでありかもしれない、そんなムードになってもおかしくはない。


 ただ……


「冗談ですよ。貴方たちは彼に兄弟を家族を殺されていますからね。当然、見る権利はあるでしょう。さぁ、懺悔など必要ありません。兵士諸君、さきほど労ったばかりで恐縮ですが、準備をよろしくお願いします。さて、今日の主役は実は彼なのです。若き男爵、ライツ・ライザー。二年と少し経っていますが、覚えていますか?そうです。彼の父はジェームズ・ライザー。悪魔に不覚をとってしまった、優秀な兵隊長です。その息子が二年前の続きをします。父の復讐を果たすのです!」


 その言葉に会場がどよめく。

 あの時、ジェームズ・ライザーを殺したのはボイルではなく、進行役の男。

 でも、ジェームズ・ライザーが逃したせいで、国は乱れた。


 ただ、父の復讐という言葉は甘露な言葉だったようで、先の拍手よりも力強い拍手と歓声が上がる。


「は、はい!が、がんばります!」


 裏返った兄の声。

 アダム・グランスロッドはいつも以上に優しく微笑んだ。


 彼はこの場で敢えてライツを『男爵』と呼んだことに意味がある。

 今までは男爵代理だったが、その一言が彼を本当の男爵に変えた。

 誰も不服を言わないのは、男爵位だからだろうけれど、今ので皆は彼が男爵だと思ったに違いない。


 それを受けての兄の裏返った声。


「何よ、それ」


 ただ、妹は不服だった。

 彼はほとんど何もしていない。勿論、普通には働いているし、頑張っている。

 だが、、『悪魔ボイル事件』に関しては何もしていない。

 資料を纏め、追い続けていたのは自分である。

 ニースだって、捕まえたわけではないのだが、それでも

 

 ——兄は男というだけで、父親の復讐が出来る


 自分が男で、兄が女なら、あそこに居るのは自分で、刑を執行するのも自分。


 なんか、ムカつく。それにしても…


 どうしてコロシアムの形を取ったのかを理解した。

 見上げるではなく、見下ろすカタチを取りたかったから。


 歴史上最大級の悪魔ボイルは、金属の床の上に仰向けに寝かされた。

 床には予めいくつもネジ穴があったらしい、ありとあらゆる方法で鉄の床に悪魔ボイルを固定できる。

 額に革製のバンドがつけられ、その端が金属床にボルトで固定される。

 拘束衣にも実は細工があり、金属の床にネジで固定される。

 彼の体は大の字になり、二枚ひと組の金属板が彼の首と両腕部分に嵌められる。

 真ん中の半円に彼の首がピッタリと嵌り、左右の小さな半円に彼の拘束衣の腕の部分が嵌る。


「床材の鉄板は何トンあるのかしら。流石にワイバーンでも持ちあげられないわね。手足、頭、胴、腰、全部を床に固定。しかもボルトでしっかりと。これで絶対に逃げられないってことね」


 莫大な資金が投入されているのは、誰が見ても明らか。絶対に逃がさない台がここにある。


「これって…。ふふふ、そういうことね。流石に悪魔も怯えているわ」


 通常のギロチンはうつ伏せで頭を固定する。

 つまり落ちてくる刃は見えない。

 その点でも、人道的な死刑の方法と言える。

 でも仰向けだから、落ちてくる刃が見えてしまう。

 落下してしまえば一瞬だが、落下する前の刃はずっとそこにある。


「兄上、何をやっているのよ……」


 そんな準備万端な中、兄がなにやらもぞもぞしている。

 慣れないから仕方ないこと。だが、相変わらず心臓に悪い。

 彼は一人で頑張り過ぎなのだ。


 ほら、やっぱりベテランさんが来てやって貰ってる。あぁ、私だったらもっと完璧にこなせるのに‼


 イライラマックス。だが、ここでニースは歓喜に打ち震えた。


開瞼器かいけんき‼ 素晴らしい発想。目を瞑られたら終わりだもん。がんばれ、兄上」


 ニースの兄は先輩の指導を受けながら、ボイルの瞼を強制的に開かせるように頑張っている。

 でも、やはり兄が羨ましい。あんな近くに居るのだから、罵声を浴びせ放題だ。

 何なら目に指を入れても良い。


 因みに、兄ライツは開瞼器なんて使ったことがないから、実際にボイルの目に何度も指を入れいる。実は彼は妹の思いに応えている。

 不慣れで緊張している若造に目の周りを弄られる、それこそ拷問だろう。

 ちゃんと地味に復讐しているが、ライツにはそれに気付く余裕はない。

 必死で作業をしている。そして、逃げるように舞台の壁側に戻っていく。


 本当に…、逃げるように


「感謝いたします。王宮兵団の皆様。——さて、お待たせしました。悪魔退治のお時間です。あのギロチンの刃はゾンビーヌ公爵の首を刎ねたモノ、そして、さらに鋭さと魔力を増しています。さぁ、目を背けないよう気をつけてください。今から、あの日の続きが再現されます。」


 そしてアダム・グランスロッドは躊躇いもなくレバーを引いた。


 カチッと何かが作動したのか、留め具が外されたのか。


 今まで二度、ギロチン刑を見たニースだが、いつも父は険しい顔でそれを行っていた。

 父が首を刎ねられた時の兵士も、ガタガタと震えていた。

 あの男だって、やっぱりおかしい。

 でも、貴族はそんなもの。肌で感じている。


 そして、このままアダムがギロチンを落とすのかと思いきや、ここで…


「では、ライツ・ライザー男爵。父の敵、世界の敵です。始めましょう。」


 え?そういうこと?羨ましい‼ああああああ、なんで私は女なの?なんで私がライツじゃないの⁉


 はい…


 と、小さな声の兄。マジ、ムカつく‼と、ギシギシと妹が歯ぎしりをする中、それは行われた。


 ギロチンはもう一度ガチッと音を立てて、その重さを支えていた留め金が外れた。


 シャァァアアアアアアアアアア


 悍ましい刃がいつもよりも高い場所、30mほどの高さから落ち始める。

 だが、ニースが刃に目を奪われることはない。それはチラリと見ただけ。

 彼女が見たいのは、あの男が死ぬところ。

 

 そして刃は一度もブレることなく、引っかかることもなく真っ直ぐに落下した。


 何度も予行演習をしたのだろう、正確に、確実に悪魔ボイルの喉元に向かう。


 そして


 ガガンッ!ガガンッ‼キィィィィィィィィィン!


 先の練習では数mの高さで試しただけだった。

 でも、今回は本番であり、30m上からの落下。

 もの凄い音と、金属が振動する音に、聞いていられない金属の音とスキール音が鳴り響く。


 う…。耳が…でもぉぉぉおおお‼


 劈く音にも負けない復讐心の女は、凝視を続ける。

 彼の拘束具の腕の部分が弾け飛び、体がビクンと跳ねあがった。


「終わった…」


 ただ、頭が落ちることはない。

 足元も胴体も頭も拘束されているため、悪魔ボイルの体は腕以外、そのままそこにある。

 異なる点を挙げるなら、衝撃で猿轡が砕けたこと。

 頭部を固定していなかったら、勢いで頭だけ何処かへ飛んでいただろう。

 そういう意味で、兄上は良い仕事をしたと言える。

 遠目にしか分からないが、目を見開いた男の顔が見えたから。


「やっと外れたじゃない。十分…、怖かったでしょ…。お父さんもそうだったのよ」


 凄い形相だ。彼はちゃんと恐怖を感じたのだろう。

 でも、数秒間も経たないうちに刃が彼の首に食い込んだから、恐怖は一瞬だったかもしれない。


「頭が飛ばないのは少しだけ気持ち悪いけど…」


 本来は逆だけど、彼女にとってはそう。


 ニースは組み立て前、斜め刃が埋まる溝を見ている。

 その部分も、王国軍が説明をしていたから、ここにいる全員が分かっていること。


「でも、死に顔が見れただけ良かった。あの生首が晒されるのが楽しみね。…でも、その予定はないんだっけ。本当に憎らしい。死んでも憎らしいなんて…」


 間違いなく彼の首は切れている。首を固定する鉄板に隙間があって良かった。

 その隙間から、チラリと見える。鉄板が喉に食い込んでいるのが見える。


「でも死んだ。ここにいる全員で殺した…。地獄の苦しみは味わってない。事情は知ってるけど、やっぱりなんか虚しい」


 ギロチンを乗せた鉄の台座が回る。

 兵士たちの手で回される。下にタイヤが付いていたのは、こうする為だったのだろう。

 円形闘技場のような形の、観客席だから、平民の中にはちゃんと見えなかった者がいるかもしれない。

 下流貴族の席だって同じだ。ニースの執念がなければ、見えない位置で見物していたかもしれない。


 悪魔が間違いなく死んだと全員に伝えるために、台座は何度も何度も回る。

 

 その度に、会場からどよめきが湧く。

 ただ、思っていたどよめきではなかった。


「え…?もう、帰っちゃうの?」


 いくつかの客は慌ただしく帰っていく。

 一目見ただけで、荷物を纏めて席を立っている。


「なんか、急いでる?」


 そして、その意味をニースは知らない。


 ——アスモデウス王国にとってとんでもない意味を持っているのだ。


 マーダーライセンスの使用期限が終わったのだ。

 彼の体液を使った殺人は二度とできない。


 子爵以上の全ての貴族が持っているソレ、お互いに持ち合わせることで、牽制に使っていたソレ、平民を犯し殺したくなったら使えていたソレが、ただの汚物に変わった瞬間である。


 王宮がどうするか、それを見に来ていたのだ。

 彼が死んだことを主人に伝えなければならない。


 上級貴族の半数以上は、彼が死なずに逃げ延びることを期待していた。

 だが、結局死んでしまったのだから、次の方法を考えなければならない。


 その意味を間違いなく知っている教誨師は言う。


「さぁ、これで悪魔はいなくなりました。新しい世界の始まりですよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る