第30話 男爵の娘・2

 ニースが書類整理をしていると、


 ドンドンドン!


 突然、家の扉が乱暴に開かれた。

 小さな家で、ボロ屋かもしれない。

 けれど、貴族は貴族らしく行動をして欲しいものだ。


「兄上。はしたないですよ。今ので書類の山が崩れてしまいました。」


 冷静な妹だ。いや、正直言って、兄に興味はないだけだ。

 憑りつかれているんだから仕方がない。


 そして迎えた、兄の顔は紅潮していた。


 それがこんな話とは夢にも思っていなかった。


「ニース。その仕事は後にしろ。今から悪魔・ボイルの処刑が始まるぞ。」


 神出鬼没の悪魔、そこまで飛躍していたから、ニースは目を剥いた。

 だから、ニースもガタッと椅子を倒して立ち上がった。


「兄上、どういうことですか? 彼の行方は未だにわからないと……」

「グランスロッド家が極秘で調査をしていたらしい。あの礼服の男だよ。あの男は王候補の息子だ。確か名前は、……アダム。公爵家の嫡子で、第一王妃の弟だ。いつも飄々としていた男だが、実は誰よりも逃げられたことが悔しかったんだと。——いいから、早く来い。例の広場、ラマカデ広場だ。」


     □■□


 いつぶりだろうか。

 二年と少しぶりに3度目のギロチン刑が、このラマカデ広場にて執行される。

 大きく違うのは、コロシアムのように観覧席が設けられていることだ。

 確かに以前のように高台でやられたのでは、首が落ちる瞬間が見えない、という弊害があった。

 そのせいで、ニースは父の頭が落ちるほんの一瞬しか見ることが出来なかった。

 正直言って、見たくもない光景だったのだが

 でも、声だけで分かった。

 父は立派に責任を果たしたのだと。


 あの件に関して、ジェームズ・ライザー指揮下の兵士達のミスを指摘する声が多かった。

 それは事実だし、言い逃れはできない。

 火災の際に、彼を逃した事実は否定できない。


 でも、それだって上級貴族のせい。


 貴族は火炙りを嫌がる。

 それをされるのが嫌というわけではなく、するのが嫌なのだ。


 死体蒐集家はいくつか存在しているが、グレイシールとガーランドという大きな貴族が関与している為、男爵風情では何も出来ない。

 その時初めて、ニースは父の裏家業を知った。

 父が死体蒐集家と繋がっていたのだ。

 つまり火を消すためにギロチン台まわりの破壊を命令したのは父だった。


 だから悪魔・ボイルを逃した責任は間違いなく父にあった。

 そして、本当はライザー家が連帯責任で全員が処刑されていてもおかしくなかった。

 ニースとライツ、そして母は父に生かされている。

 そのように報告を受けた。

 だが、全てはあの悪魔が逃げたことが原因だ。

 

 ただ、父を責める者は部下にはいなかった。

 それが兄ライツとしては嬉しかったのだろう。

 父は売上を独り占めせず、ちゃんと部下にも公平に分配していたらしい。

 だから、「そんなこともあったな」程度、「惜しい人を亡くした」程度であり、兄のこともちゃんと面倒を見てくれている。


 ……でもでもでも、全部あいつが悪い。


 因みに、今後も死体売りは続けるという話だった。

 ジェームズが公平に分配していた、というところが大きい。

 誰が担当しても分け前が同じなら、ライザー家の後継ぎがやる方が先方も、同僚も納得するかららしい。


「なんでしょう。今までのとは随分異なりますが、入場者制限をするつもりでしょうか?」


 ニースは即席で作ったのだと分かるコロシアムを、怪訝な顔で見渡した。


「入場制限はしていないよ。お前も知っている通り、諸侯は自領の守りを固めている。駆けつけた貴族も一人か二人かもな。ほとんどが確認役を寄越した程度、ここにいる大半は貴族街の住民だ。しかも今の貴族街はゴーストタウン。逆にこの観客席が埋まるかどうかさえ怪しいらしい。」


 「え……」と声が漏れそうになるのを、ニースは堪えた。

 貴族として、気の抜けた発言はできないから、という訳ではない。

 思考の時間が突然やってきてしまったのだ。

 そして、兄に引かれる手を頼りに、彼女は自分の世界に入っていた。


     □■□


 確かに今の貴族街はゴーストタウンだけれど、今から行われるのはこれからも語り継がれる大悪党の公開処刑の筈よね。

 そして少なくとも、貴族は死体蒐集家は来ている筈?

 そういえば、各地で起きている殺人事件のご遺体ってちゃんと埋葬している……のよね?

 まさか、今、蒐集家さんの倉庫が死体の山にやっている、なんてことない……わよね。

 いえ、それとこれとは別の話だわ。

 今回はその犯人の処刑よ。

 歴史的に見ても、彼の死体は価値があるはずなのに……

 考えるよりも行動ね。


 そして彼女は思考の迷宮からすぐに戻り、兄に近づいて耳元で聞いてみた。


「ボイルの死体を売る役目も引き継いだの?」


 すると兄は目を剥いた。


「おま……、なんてことを……。後で教える。それについては色々あって」


 その瞬間、少女の両手が兄の首元に伸びていた。


「…言って」


 凄んだ目で睨みつける。

 やはり、この情報は食いつくらしい。

 でも、今日で終わるのだし、まぁ、いいかと兄は思った。


「売っても価値がないからって理由…で、無しって言う噂があって、俺は死体の取引はないんだと思ってた。…でも、やっぱり蒐集家が食いついたらしい。だから一旦、王家が買い取って競売にかける。だから、結構貰えるらしい。」

「誰が食いついたの?分配すればいいんじゃないの?」

「知らないよ。王家が絡んでいるからそこまで聞けないって」


 兄を半眼で見つめる少女。

 ただ、兄も頑張っているだけに、「役に立たないな」なんて口が裂けても言えない。


「でも、問題ない。俺は重要な役目を背負わされているんだ。流石に爵位持ちがやるべきってさ。さ、俺は兵士長代理としての仕事があるから、ここからは別行動だ。なるべく女の人たちのグループの近くにいろよ。何も起きないとは思うが、万が一ってこともある。」


 ラマカデ王の呪いの血。

 それは特に女に伝わっている。

 妹だって、自分が未熟なのは分かっている。

 兄に文句を言う資格はない。


「気をつけます、兄上。」


 兄が妹を心配する気持ちは知っている。

 兄は父に追いつこうと、それこそ妹の自分には想像がつかないほど努力をしている。

 そしてそれは間違いなく立派なことだ。

 兄のことは誇りに思う。

 それどころか、いつまでも父の死にしがみついている自分が情けない。

 絶対に彼の体には何かがある。だから、彼に問いただしたいことが山ほどある。


 出来ることならば自分の手で敵を討ちたい。


「でも、王家が関わっているのなら……無理か。だったら、あいつの死に様をこの目に焼き付けるだけ……」


     □■□


 彼女はコロシアムの観客用入り口で門番に身分を明かした。

 すると、下級貴族専用の入り口まで案内をされた。

 下級貴族からの参加者はそれなりにいて、兄が心配するような事態は避けられそうだった。

 上級貴族になればなるほど、魔力が強く、性欲も強い。

 だからそういう意味で心配されているのだとニースも分かっている。

 勿論、上級貴族と下級貴族が同じ空間にいるのは立場的に好ましくない。

 でも、兄は別の意味で区画を分けてくれたのだろう。

 

 ……私も兄上を見習わないと。この日を境に私もちゃんとしよう。


 ちなみに彼女の座った席から上級貴族である伯爵家や侯爵家の席も見える。

 そして、兄の言ったようにほとんど人がいなかった。

 さらには王家や公爵家のための席も見える。

 用意された豪華な席には十人の王妃がズラリとならんでいた。


 そして目を剥く。


 あれ?どうしてフレーべ家が?


 その中に珍しい人間を見つけた。

 彼らはすでにこの国から去った筈だ。

 なのに平気な顔をして列席している。

 無論、彼らが独立したきっかけが、本日処刑される。

 気持ちは分らなくはない。


 グレイシール侯とガーランドの一族がいない?


 死体蒐集家が来ていない。

 王家、公爵家は来ているのに、伯爵家、侯爵家は来ていない。

 遣いの誰かは来ているのだろうが、当人は参加していない。

 そして他にも気がついたことがあった。

 これは外からでは分からなかったことだが、コロシアムの上に金網が張り巡らされている。

 ワイバーンやドラゴンにあれが通用するかは分からないが、一応対策はしておきました、ということなのだろう。


 ニースはずっと引きこもって、あの男の動向だけを探っていた。

 だから、今の現状に疎い。


 どうして、こんなに閑散としているの?一年前は貴族街を埋め尽くすほどの人混みだったのに。


 あの男の犯行はつい最近まで行われていたと彼女は思っている。

 二度も逃げられたから興が覚めたのか、もしくは彼のことを忘れてしまったのか。

 ここ300年では間違いなくトップを飾る大悪党の処刑が、こんな寂しい雰囲気で行われるなんて、彼女には信じられなかった。


 そんな時。


「盛り上がりに欠ける、と思っておいでですか? お嬢さん。」


 後ろからの男の気配にニースは「きゃっ!」と思わず口にしそうになった。

 反射的に口を塞いだから声は漏れなかったが、鳥肌が止まらない。

 この声は聞いたことがある。

 それにこの魔力は尋常じゃない。

 つまりは目上の方なのだから、振り返って跪かなければならない。


 だが、その男は手を鷹揚に上げて、彼女の行動を制した。


「いいんですよ。今日の私は公爵家の嫡子ではなく、ただのエンターテイナーですから。しかも貴女はライザー殿のご息女です。詫びの一つもできない自分の立場が嘆かわしい。とにかく、今度の兵達は万全の対策をしているようです。安心してご覧になってください。」


 実質的にはアダム・グランスロッドが彼女の父を殺した。

 ただ、彼の口添えがあったからこそ、ライザー家は存続している。

 最初はこの男も恨んだが、調べていくうちにその現実を知った。

 あれがなければ、自分は火炙りで死んでいたのだ。


 ……釈然とはしないけれど。この人は私と兄の命の恩人。


 彼は器用に踵を回転させて、くるりと背中を向けた。

 そして、ニースは複雑な顔で一礼した。


「あぁ、そうそう。兄君から聞いていますよ。ボイルの事件に熱を上げているとか。辞めておいた方がいい。あまり関わると兄君の立場が危うくなりますからね。彼は父になれるように励んでいるようですが、父親と全く同じ道を歩ませたくはありませんからね。」


 後ろを向いたまま、男が忠告、いや脅迫と受け取れる発言をした。

 そしてそのまま彼は去っていく。

 彼の気迫に気圧された下級貴族達は皆は何があったのかと呆けている。

 そんな弱小貴族達に対しても彼は軽く会釈をして、下級貴族席から姿を消した。


 ……私、脅迫された。兄上の命が危ないってこと?


 そも、脅迫する意味がない。

 ボイルは国を代表する逆賊であり、彼自身がそう言ったのだ。

 やっぱり何かある。

 だが、兄の命を差し出すことはできない。

 家族の為に父は立派な死を遂げた、兄を差し出すなど、本末転倒もいいところだ。


 ……どのみち死ぬんだし、関係ない。


 私はこれで呪縛から解き放たれるのだから。

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