後編 醜く歪んだ世界を壊す話

第29話 男爵の娘・1

 ニース・ライザーはあの男を恨んでいる。

 兄のライツは父の死後、仮の男爵位を与えられた。

 因みに、小さな領地を管理しているのは母・ミレイだった。


 そして今日も兄ライツが彼女に小言を言う。


「ニース、そろそろ前を向いてくれないか。俺はいきなり勉強させられる羽目になったんだ。父さんを死に追いやったアイツは憎いけど、俺は父さんがやっていたことを引き継がないといけない。そもそも引き継ぎなんてまだ無理だ。でも、俺がもっとしっかり出来ないとダメなんだ。毎日、鍛錬でヘトヘトなんだ。せめて、書類仕事はお前にやってもらいたいんだけど。」


 兄は書類が山積みになった妹の部屋に、顔だけ出して半眼を見せる。


 はぁ、またその話。今日も兵舎で色々言われたのね。


 兄の気持ちもよく分かる。

 今や王族の直属軍は各地で引っ張りだこ状態だ。

 書類整理も兵士の仕事だったらしく、とにかく書き物が多い。

 逃げ出した悪魔・ボイルの行く先々で連続強姦殺人が起きている。

 そして彼はその度に逃亡に成功している。

 その事後処理を王族の兵隊がやっており、その記録を一つずつ管理している。

 上の貴族に言われているのだから、仮免男爵位のライツは断れない。

 だから兄は精神的だけじゃなく、物理的にも血反吐を吐いている。


「なぁ、ニース。聞いているか?さっきからずっと顔を伏せたままだけど。」


 因みに最初の事件から二年以上経っているのだが、未だに王位の継承は行われていない。

 ラマツフの息子を推すグレイシール侯と、ラマツフの弟、グランスロッド公を推すボルシェ侯爵家とロドリゲス侯爵家。

 因みにロドリゲス侯爵家も今は侯爵位持ちが不在である。

 理由は勿論、悪魔・ボイルの歯牙にかけられたから。

 ただ、最近、亡きロドリゲス侯の息子が生まれたらしい。

 その子供が成人して、騎士の称号を手にすれば、ロドリゲス侯爵位は慣習に基づいて世襲される。

 今は母親であり、ロドリゲス侯の妻であるサマンサが領地の管理を行なっている。


「兄上、書類仕事はやってます!頼まれた仕事は全部済みました!だから、今は休憩時間です。休憩中だから、私に話しかけないでください!」


 青い髪の妹ニースと茶色の髪の兄ライツ。

 男爵位にもなると、英雄の血はかなり薄い。

 だから普通に平民と思われることも多い。

 僅かな魔力の差でどうにかこうにか、戦闘訓練をこなしているライツだが、実践という意味では、平民の兵士に冷ややかな目を向けられている。

 そんな未熟者がなんとかやっていけるのは、父親が男としての生き様を見せたからだ。

 そして自分の力では何もできないと、ライツはいつも嘆いている。


「そか。それなら……いいんだけど。その……、もっと未来思考に物事を考えてもいいんじゃないか?……もう、俺たちはアイツを追わなくていいって言われているんだし……」


 家で書類と睨めっこをしている妹が気になって仕方ない。

 彼女は文字通り、悪魔・・に取り憑かれている。

 普通、彼女の年齢だと、交友関係を広めて、嫁ぎ先を見つける努力をするものだ。

 ニースは器量良し、スタイル良しだから、子爵以上の嫁ぎを望めると目されている。

 ライバルは余りに多いから、魔力量で弾かれる可能性は高い。

 だけど、上級貴族は下半身貴族。もしかするともしかする。


 確かに父を間接的に殺したあいつは許せないが、父の最期の言葉を忘れてはいけない。


 ライザー家を任された。それはジェームズ・ライザーの復習をするって意味じゃない。

 後を継ぐという意味なら、それは長男の役目。

 だから、ニースは下流貴族なりの強かさを磨くべきなのだ。

 今は復讐と睨めっこしている暇はない。

 父の息子、娘として恥じない生き方をしなければならない。


「私の勝手です。私も兄上はよく頑張っていると思います。だからこれで良いではないですか。」


 そして妹ニースはこんな感じ。

 ニースは一度も兄の目を見ていない。

 流石にそれにライツはカチンと来た。

 妹が引きこもっていることは、実は内外から色々言われている。

 ただ、妹はあの事件にいつまでも拘っている。

 あの男を自分が捕まるつもりらしい。


「今はどこの領地も緊迫しているんだ。だから王族付きの兵士として、俺は立派な働きをしないといけない。そしてお前は……」

「そこなんですよ、兄上。いいですか? あの男は宦官のフリをして宮中に忍び込み、上流貴族の唯一の弱点である腹上死殺を行いました。王を殺害、しかも第五王妃に至っては強姦しての殺害です。そして彼は運悪く護衛の宦官兵に見つかってしまい、ギロチン台に送られました。」


 青く美しい髪がくしゃくしゃにして、彼女は語る。

 大量の書類に囲まれているから、何枚かは静電気で頭にくっついている。


 ダメだ。やっぱり取り憑かれている。


「今はガーランド領をどうするかって話だぞ。それに最近はバーベラ諸侯連盟の動きも怪しい。それなのに一番最初の犯行って……、それはもう終わった筈だし、王族が」

「うるさいー。ガーランド領、それから近年のバーベラ領の資料は纏めてそっちに積んでるから!——で、続き!民衆が投げた投石が運悪く、台座の後ろにあった松明を転倒させて、後ろの飼い葉が炎上。そしてその炎が死刑囚に引火させないように、兵士たちがギロチン台の台座を破壊。その隙に乗じてボイルは逃走、そして八日間雲隠れした後、貴族街フレーべの別邸で連続強姦殺人。」


 全く、とライツは彼女が言った資料に目を通す。

 確かにちゃんと仕事はしているらしい、——でも、その分、妹は顔色が悪く、更に髪の毛もボサボサ、ギシギシ。肌の状態も宜しくない。

 つまり、仕事はしているかもしれないが、ソレ以外の時間を全て悪魔に費やしている。

 美しさを磨くのも忘れて。

 そもそも、上流貴族に死人が出ているってことは下流貴族にとってチャンスなのだ。

 そして、こんなことは言いたくないが、女はやっぱり若さなのだ。

 父の為を思うなら…


 ただ、最後の連続強姦殺人事件に関しては、ライツもかなり詳しい。その時は妹と一緒に血眼になって資料を読み漁っていた。


「フレーべは俺たちのせいだと訴えて独立宣言をした。法律だったり、外交関係だったり、政治だったりと問題は多いけど、息子と娘を殺されて頭に来たフレーベ公は独立に踏み切った。んで、その罪を着せられて、俺たちの親父は責任を取った。別邸には前に連れてったろ?フレーべの持っている土地は、独立を宣言後に王族に没収されたから王族軍なら入れるからな」

「ええ。既に死体はフレーべ領に引き渡された後だったけれど、当時の記録と照らし合わせることが出来たのよ。あの・・公爵家を平民が一瞬で抹殺できたことから、私たちは彼が悪魔返りだと考えた。」

「あぁ。それはそうだろう。突然、ワイバーンが死刑台に現れた。あれは、まるで……」

「大英雄ラマカデの所業…と同じ。尾鰭がついている筈の英雄王誕生の伽話とほとんど同じ。」

「国が乱れ、大地には血の川ができていたと言われている600年前、ラマカデは当時殺人と強姦の罪でギロチン刑に処されるところだった。でも、後一歩のところで、彼は使役したドラゴンを使い、ギロチンごと飛んで……そして消えた。」


 今まで登場したどの話とも違う。

 下流貴族の中では三番目くらいに有名な御伽噺。

 そもそも、何が創作で何が本当か分からないのが正直なところだ。

 だからライツとニースの気持ちなど、置いてけぼりにされて、あの時は国民全員が熱狂した。


「そして戻ってきたラマカデは、当時の暗黒時代を終わらせて英雄となった。でも、もう一つ別の神話がある。ラマカデは100人の女を引き連れてアスモデウスを作った。そしてその神話は————」

「ガフカの悲劇神話の話はご法度だ。遥か遠くの地の出来事とはいえ、ラマカデは今の王族の祖先だ。幻の都市、ガフカの人間を皆殺しにしたというガフカの悲劇。そして100人の女だけを連れて、この地を作った。流石にこっちの方が眉唾だろ。」

「眉唾かは分らないわ。でも、今は英雄様の話じゃない。ボイルの体液からの魔力は本当に平民のソレだから、全く関係ないわ。でも、それを再現させたのも事実。」


 そこでライツはいつの間にか妹の話に参加している自分に気付いた。

 しかも結構長く話してしまった。


「その辺にしとけ、ニース。俺は明日の朝早いから先に寝るぞ。お前、ちゃんと体洗っとけよ。髪の手入れもちゃんとしろ。」


 父の遺言を守るなら、ニースは領地に戻って、母の手伝いをしながら花嫁修行をするべきだ。

 勿論、母はまだ引退するには早すぎる歳だ。それくらい父の死が突然過ぎた。


 ……でも、父は頼むと言ったのだ。ならばそうするしかないじゃないか。


 彼は話を聞いてくれない妹を一瞥して、寝室へと向かった。

 父の子だからといつまでも甘やかしてくれるとは限らない。

 兄は兄で相当のプレッシャーの中で戦っているのだ。


     □■□


 ニースは兄が姿を消すまで待って、ぽつりと呟いた。


「兄上、もしもその伝承を真似する誰かの仕業だとすれば、貴方もきっと殺されるんですよ。」


 そして再び書類に目を通す。

 問題はロドリゲス領だった。

 あそこでは男児まで犯されていた。


 ——どうして男児まで犯されているのか。


 伝承に準えるならば、それは絶対にない。

 もしくは男爵には伝わらない、英雄の男色伽話でも残されているのか。

 彼が育った孤児院にも行ったが、それらしき伽話の本は置かれていなかった。

 因みに彼に関する記録は抹消されていた。全く残されていなかった。

 第一王妃が出資しているのは知っているが、彼女は王候補者の母であり、王候補の娘にあたる。

 男爵家の娘風情が簡単に会える筈がない。


 それに現実問題として、王の庶子が何人いるのか分からない。

 宦官に守らせる王の裏宮殿は立ち入ることが許されない。

 庶子が順番待ちしている可能性だって、否定は出来ない。

 だから、一つ目の王殺しは全ての可能性を追うのは不可能だった。


「そうそう……、アリスちゃん、だったかしら。彼女だけは頑なに、あの男のことを喋らなかったんだっけ。元々、外の世界をほとんど知らない子供たちしかいない、というのもあるのだけれど、あの孤児院はまるで……」


 敢えて無学の子供を養成することで、主人に絶対服従をさせる奴隷を作っている。

 流石に王家直属の騎士家系だから、口にすることは出来ない。

 今、国政を行っているのは、第一王妃とグレイシール侯だ。

 他の大臣共は自領を固めていると聞く。

 そして、今回の諸侯が準備を進めている戦の目的は、伽話のガフカの状況とは全然違う。

 ただの支配欲、性欲。

 英雄王が残した負の遺産が原因に決まっている。

 男爵位の血の濃さではあまり実感がないが、それでも推測くらいは出来る。


「ふぅ。私も寝よっかな。あ、お母さんにお手紙を、うん、明日でいっか。」


      □■□


 あれから数週間、結局ニースは書類整理の片手間に、憎きボイルの情報収集に励んでいる。

 ただ残念ながら、情報収集は行き詰まりを見せていた。

 各地で事件が頻発し過ぎている。その点と点を線で結ぶのが余りにも難しい。

 東の地で惨劇が繰り広げられているのは知ってる。

 でも、公国を宣言したガーランド領周辺でも、ボイルの犯行が起きている。


 と思ったら、西?


 ロドリゲス、ボルシャ同盟領でも同様の事件が起きている。

 因みに、怪しい殺人事件も多数報告されている。

 つまり模倣犯まで生まれている。

 それにしたってだ。

 どうして、彼は神出鬼没で国中で強姦殺人を繰り返せるのか。

 ワイバーンに乗って移動しているのかとも思ったが、それらしき報告は上がっていない。

 導線を追おうにも、伽話の大魔法使いよろしく、瞬間移動が挟まれる。


 悪魔だから出来た、と諦めることは出来るのだけれど。


 流石に皆、悪魔返りボイルのことは知っている。

 ワイバーンが飛んでいたら、誰か一人くらいは見ている筈だ。


「王都から西、そして南と渡ったんだから、次は東。普通に考えたら彼は東にいる。でも、西と南でも事件が起きているし……。英雄王の魔力以外の魔力が存在していて、あいつは本当に悪魔ってこと!?そんな筈ない。何か種か仕掛けがあるに決まってる。ここまで来たら、あの男の悪事を徹底的に暴いてやるんだから。そして今度こそ、ギロチンに……。いや、拷問もあり……よね。これだけの重罪人だもの。はぁ……。でも、死体蒐集家のグレイシール侯とガーランドのマリア嬢が黙っていないわよね。」


 今日も今日とて、父の仇を追う彼女。


 ——だが、今日で彼女の裏仕事はもうすぐ終わりを迎えることになる。

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