第27話 東の侯爵が抱える問題・3

 現状の公爵様の嫡子、教誨師、変人。

 その男の介入により、ボイルの生活は一変した。

 流し込まれる食事は朝と昼の二回。

 後は首輪で動ける範囲をごろごろとするだけ。

 布団も毎日清潔なものへと取り替えられる。


 完成形になることで、初めて平穏な生活を手に入れたのかもしれない。


 ——なんて思うわけがない。


 けれど、それはボイル自身が受け入れられないだけで、事実としては正しかった。

 鏡越しに映るボイルは、日に日に血色がよくなり、肌艶も綺麗になっていく。

 髪の毛までコシとハリが出てきた気がする。


 今までがボロ雑巾過ぎだだけで、これが普通なのかも知れないが。


 そしてボイル少年は今が成長期、ということも忘れてはいけない。

 体は日に日に大きくなる。


 そして二日に一度のハーレムタイム。


 手足を失った彼は、もはや平民でさえ脅威ではない。

 だから、侍女たちも参入しての巨大ハーレム。

 体液を搾り取る為なのだから、、皆とても美しかった。

 それはそう。この家系は女性ばかりが生まれる。

 そして、女子には爵位が与えられないから、血のつながりを持つ庶子が多くなる。


 彼女たちも祖先を辿ればラマカデに行き着くのだ。


「凄い液ね、イク」

「凄い量ね、クル」


 ハーレムタイムでさえ、かなり考えられている。

 消化器官の活動が行われていない時間、少し空腹を感じる時間がハーレムタイムだ。

 全ての血液が集中できるよう、そして欲が満たされないよう。

 例の劇物流動食の消化時間さえ、スケジュールに取り入れられている。

 ただのマーダーライセンス生成機と化した彼には、脳への血液もいらない。

 考えることを辞めた彼は、彼女達のされるがまま。


 生きているのか分からない。

 そして順調に平穏に自我を失う。


 自我を失えば、死を迎えたも同じ。


 安楽死のような安楽屍になる……予定だった。


 勿論、貴族のおもちゃがそんな安らぎを与えられる筈はないのだ。


     □■□


「ちょっとぉ。あんたちゃんと生きてるんでしょうね!」

「全然、立たなくなっちゃったんだけど!」


 そんな言葉はボイルには届かない。

 彼はとっくに生への執着を諦めている。

 だから、慌てふためく双子をへらへらと眺めるだけ。


「何コイツ、狂ってる⁉」

「狂人だよー‼」


 今までの彼なら、お前たちに言われたくないと心で思うだろう。

 だけど、そうならない。

 生への渇望こそが、リビドーである。

 そして、この世界の人間を人間以上の存在にする原動力である。

 だから、彼が15歳を迎えた日に『勃起不全』になったとしても、何ら不思議ではない。

 人間の尊厳を諦めた彼には、自身のリビドーの声さえも聞こえない。


 ——これはボイルの精神的勝利と言えよう。


 だが、彼にその喜びを感じる心はない。

 もう、目覚めることはない。彼に必要なのは局部へ向かう血液だけで、脳は生きる為に必要な血液しか保持しない。

 だから、何も感じない。


 その筈、とさえも思えないボイル。


 その筈…だった。


「んんん‼」

「わ、イク、びっくりした!」

「クルもびっくりした!」


 精神が死んだ男。その精神が奇跡の蘇生を果たしたのだ。

 双子には何が起きたのか分からなかった。

 その十分後に、微かに聞いたことのある特徴的なテンポの足音が聞こえてきた。


 カツ、カツ、カツ


 あの男の歩き方だ。

 彼がどうしてまた・・ここに来たのか。

 生を諦めた少年も、あの男の気配には過敏になってしまう。


 それに得体のしれない何か。


「うう…うう…」


 ただ何故か、彼は部屋に入らず、扉の少し手前で立ち止まっている。

 手足の感覚、そして味覚さえも感じない。

 殆どを別の神経と繋がれてしまった今、ボイルはグランスロッドの小倅こせがれの居場所さえ特定できてしまう。


 あの男、立ち止まって何かしている?でも、きっと俺の顔を見に、……あれ?

 先ほどイクとクルが出迎えに行った。

 キル・ノワール様は姉妹の父親が受けた屈辱の復讐を実行してくれる大切な方だ。


 ただ、何故か足音が遠のいていく。

 帰るフリではなく、本当に帰っている。


 そんなの…在り得ない。


 あの男が現れると碌でもないことが起きる。

 想定外の行動に、失ったはずの心が蘇っていく。

 そして、大した時間もかからず、碌でもない話がやってくる。


「喜べ、少年! 君に特効薬の差し入れがあった。キル様の御厚意で、あの方からすっごいモノを譲って頂けたのだ‼」


     □■□


 やけにテンションの高いクル。

 文法もへったくれもない。

 クルとイクは元々壊れているのか、壊されたからそうなのか。

 

 キル様の御厚意で、が先ず怪しい。

 あの方というのは誰なのかも怪しい。

 そして、すっごいモノがとっても怪しい。


 彼女が嬉しそうに瓶を見せつけるが、皆目見当がつかない。

 瓶の中身は、梅干しの種みたいな干からびた何か。

 何かの種としか思えない。


「なるほど、このためにキル様は、もう一つの手段はもう少し後で、と仰っていたのね!」


 と、イク。

 まだ、これでも拷問し足りないとか、頭が沸いている。

 彼女達には失礼だが、二人からは単純な恐怖しか感じない。

 だが、他の誰かが介入するなら話が変わってくる。

 これ以上失う何かがあることが、確信できてしまう。

 男にとって最も怖いのは性器の切断だが、それだけはあり得ない。

 流石に本末転倒すぎるし、彼らの理屈では切断=死である。

 首を飛ばされるのと変わらない。

 だから少年は必死に考える。これ以上、何があるのかと。


 キルが来たのは知っている。

 そして、あの男に恩を売った覚えはない。

 あのお方とは誰。キルのことを指しているのか、それとも…


 だが、ボイルはそこで思考を止めた。

 今までのどの貴族がまともだったと言うのだ。

 深掘りしたところで、今更どうしようもない。

 

 ただ、ここに来て、あらゆるものが動き始める。


 ……この音?どうしてあいつが?


 きゃーきゃーと騒ぐ姉妹がいる中で、ボイルの耳は更に別の足音を拾っていた。

 男の中で印象が強い代表が教誨師。女の中では…、間違いなく。

 

「バーベラ姉妹、お待ちになってくださいまし。それの扱いはあたしくらいの魔力がないとダメですのよ」


 肩は残っている、その両肩が跳ねる。

 キル・ノワール。いや、グランスロッドの倅と同様に意味不明な変人。


「あの…。マリア様がどうして…?」


 その言葉に俺は耳を疑った。

 マリア・ガーランドがあの方ではなかったのだ。

 キル様とあの方を同時に使ったから、きっと違う人間。

 一番可能性が高いと思ったのが、マリア。だが、彼女ではなかった。


「それが本物で、そして無駄にしてしまったら、バーベラ家の財産が吹っ飛ぶわよ。勿論、偽物の可能性もある。流石に眉唾すぎる代物だけどね。」

「えっと…」

「だーかーらー、あんたたちは滅ぼされかけてんのよ?こいつの出してる量とあんたたちが殺したい人数、割りに合わないって気付かないの? こいつに注入してる栄養剤がどこから来ているのかも知らないんでしょ? 今の世の中がどうなっているかも考えていない能無しには、その役目は任せていられないの!」


 彼女の魔力圧か、イクとクルがへたりこむのが鏡越しに見える。

 そして自分に向かって歩いてくる、懐かしの少女。少魔女。

 半年ぶりくらいの紫のマリアだ。

 何の躊躇のなく首輪を掴み、数センチほどの距離まで顔を近づける。


 ——そして彼女はこう言った。


「喜びなさい。あんたの玉の摘出手術。あたしがやって……あ・げ・る♡ あんたの玉がどんな色なのか、本当に楽しみだわ」

「へ…」


 タマの……摘出?


 彼女の不気味な笑み、禄でもない言葉にボイルは気を失いかけた。

 でも首輪を離された衝撃で、ベッドの角に頭をぶつけて正気に戻る。

 やっぱり、この女は何処かがぶっ飛んでいる。ぶっ飛びすぎて安心感さえ…、在る訳ない‼恐怖しかない‼


 そしてまだ失うものが残されていたことを知る。

 性器そのものではなく、その中身。

 その発想はなかった。

 彼が考えから排除していた、一番怖いこと。


 正直どうでもいい。どうでもいいと思いたい。


 そも、それを取られたら、殺人免許証が出せない。

 だから、選択肢から排除した。冷静に考えれば分かることだ。

 だのに、教誨師と紫の小娘魔女が絡んだことで、恐怖心が蘇ったのだ。

 この二人は目的が分からないから、何を言い出すか分からない。

 単に遊び半分の可能性も捨てきれないから、最大級に怖い。


 諦めた命の筈なのに、体が拒絶反応を起こすほどに寒い。


 ……怖い。助けてほしい。


 腕を切り落とされるより、足を切り落とされるより、歯を砕かれるよりも怖い。

 だが、そこしか残されていない人間に抵抗などできようか。


「じゃ、始めるわよ。さてさてー、どんな色をしているのかしら♪」


 こいつがサイコパスなのは知っている。

 そして今回も目を見開かなければならないらしい。

 イクとクルが嬉々として上瞼と下瞼を開く方向に縫い付ける。


 本来ならば、まぐわっている自分たちを見て興奮する為の鏡が、自分の大切なものが入った大切な袋の開封を見る鏡に変わっている。

 彼女の一挙手一投足で体が震える。

 その度に彼女が鳩尾に拳を入れる。

 今回ばかりは股間殴りも蹴りもしない。


 ……タマを抜かれてしまうとどうなる?


 恐怖でボイルは何も考えられない。

 宦官がいる以上、これで死ぬことはない。

 彼らはこの恐怖をどう乗り越えたのかを、宦官たちに教えてもらいたい。

 カストラートの少年たちは、声変り前だから違う感情を持っているかもしれない。

 もしかしたら、お金を払って眠らせてもらえているのかもしれない。


「ちょっと。怖がり過ぎよ。縮こまってるから全部切っちゃいそうじゃない」


 笑えないマリアギャグ。

 だが、この小女の魔力は本物だ。

 悍ましいことを言われて、瞬間的に萎えてもあっという間に元通り。


「見てなさい。麻酔はしないから…、ね」

「うう‼」


 こんなにしっかりと自分のアソコにメスが向かう様を見る者がいるだろうか。

 やはりこの女に躊躇はない。

 今、何かを突き抜けた感触がした。

 そこを切り開いているのが分かる。

 僅かでも器具が当たるだけで、意識が飛びそうになるほど痛い。


「ふーん、やっぱ普通の平民ね。あんたたちも見ていなさい。ここに————。それで————」


 悶絶するような痛みがする。

 マリアが直接、玉を摘んでいる。

 そして…、最後に強烈な痛みが走った。

 完全に失ったと分かる痛み。


 ふー、ふー、ふー、ふー、ふー、ふー


 すでに血圧低下、すでに過呼吸、すでに錯乱状態のボイルには判断がつかない。

 猛烈な痛みと喪失感を感じながら、ただ、ただ見ている。


「ここの管とこれが繋がっちゃ不味いの。だからここは滅却するの。そして……、はい。例の骨董品を入れて出来上がり。あとは適当に縫っといて。中は開けちゃダメよ」


 どうやら終わったらしい。

 少年の目には大量の涙。

 血液がすべて涙に代わったのではないかと言うほどの大号泣だった。

 勿論、感動の涙ではなく、痛みと悲しみの涙だ。

 天井の鏡が憎い。神経改造で無駄に視力を良くした教誨師が憎い。

 そして、ニタニタと天を見上げ、態々鏡越しに目を合わせる小さな魔女が憎い。

 ずーっと目を合わせ、そして管の付いた何かを見せつける。


 ボイルの顔のすぐ隣にからっぽの瓶をおき、そこにぽとりと落とした。


 ——白玉にいちごジャムをたっぷりとつけた何か。


 今度こそ、ボイルは意識を失った。

 ここまで意識を保った彼に拍手を送りたい。


 なんて、マリア・ガーランドが言う筈もないのだけれど。

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