第26話 東の侯爵が抱える問題・2

 暗室に両腕を失った男と、緑の髪の美少女二人が残された。

 彼女達は部屋の隅で何やら打ち合わせをしている。


「ふーふふー」


 教誨師が現れたことが一番不安。あの男が狂っているのは間違いない。


 二人はどうせ、精力を抜く方法を話し合っているだけだろう。

 けれど、どうやらその作戦は失敗である。


 腹部の重度の火傷でボイルは今にも気を失いかけている。

 思わぬ知人……いや、知っている男の登場に一度は目を覚ましかけたものの、化け物のような力を持つ貴族ではあるまいし、平民の彼はそれだけで死ねる。

 死を目前にすると、人間は種を残したくなるという。

 だが、既に精神が死んでいるのだから、その理屈も通用しない。


 もう、あの子の顔も思い出せない。


 あの子との約束を果たすと言うことは、生き残らなければならないということ。

 生き残らないと考えると苦、死ねば助かると考えるのは楽。

 しかも前者はノープラン。だから、あの子のことは思い出さない。


 それに思い出そうとすると、彼女の顔よりも早く自分に命乞いをした者たちや、恨みを込めて睨みつけた者たちの顔が浮かんでくる。


 もう、何も考えない。

 俺はとっくの昔に地獄に落とされていたんだから

 俺と関わると、みんな地獄に落ちるんだ。俺は地獄の亡者なんだ。


 その瞬間頬に、顎に激痛が走った。

 その激痛の意味が分らない。

 いや、何かをされたのだから痛みの意味は分かる。

 本来痛みとは、自分の体を防衛するために存在している。

 だから生への執着を失っても残る痛みに、彼は疑問を覚えた。


 この後に及んで、俺はまだ生きようとしている。いや、これは精神と肉体が別物ってだけだ。


 とは言え、肉体の防衛反応だから反射的に目は開ける。


 すると、双子は恐ろしく残酷な顔で、巨大な杭を俺の左右の頬に打ち込んでいた。

 最初はストローでの水分、養分補給。

 次は点滴……、あれは本当に善意からのものだったけれど。

 その次は母乳、夢の中だと思っていたけれど。

 前は鼻から直接食道へ養分を流された。


 次は一周回って口から。

 しかも頬に大穴を開けて、大臼歯を無理やり砕いての横穴作り。

 手や足の痛みは一度脊髄を通り、延髄へと渡り、脳へと伝わる。


「っあああああああああああああああああああ!!!」


 顔周辺、特に痛覚の強い歯は今までの痛みとは比べ物にならない。

 脳から直接出る十二の神経。

 その中でも最も太い三叉神経から伝わる痛みは、現実逃避不可能な痛みである。


 見なかったことに、無かったことにできない激痛に、ボイルは思わず泣き叫んだ。

 ちょうど大きな穴が空いている。だから口から、左右の頬から、彼の嗚咽が漏れ出る。


「うるさいなぁ。」

「うるさいわよね。キル様の御命令なのよ。とにかく栄養を流し込むべしって。」


 狂った姉妹はそう言いながら、鼻から通せないほどの太さのパイプを両頬から入れていく。

 その度に砕けた歯に激痛が走る。

 脳髄が溶けてしまいそうな痛みが走る。


「私たちだって同じような思いをしたもん。ね、クル!」

「うん。イル!何度も何度も犯されて堕胎を繰り返してきたの。そんな悪い奴らを殺す為に、あんたが頑張りなさいよ」


 結局、彼女たちの原動力はフレーべの二人と同じだった。

 やはり一周回っている。つまり、この国は東西南北の全てが腐っている。

 快楽と憎悪が混じり合ったこの世界、アスモデウス。

 ここは地獄。地獄へと至る煉獄。もしかしなくても煉国れんごく


 彼女たちは大きなタンクを設置して、満足したらしい。


「あははははははは、これで死なないね!」

「あははははははは、これでマーダーライセンスが噴き出るね!」


 そして狂った笑い方をしながら姉妹はいなくなった。


 何なんだ、あの双子。狂ってる。いや、今までの辛さに狂ってしまった…のか


 どういう構造なのか。

 あの二人の挿管技術が高度だったのか、ちゃんと呼吸ができる。

 ちゃんと胃に流動物が流れ込んでいる。

 痛みで何度も失禁をしているけれど、不思議と悪臭は漂ってこない。


 理由はボイルには分からない。

 排泄物が垂れ流されても大丈夫なように作られている。


 敢えて説明するなら、今の彼にとっての天敵が感染症だからだ。

 この部屋には潔癖の結界が張られており、傷口から侵入する菌は存在しない。

 そして含まれる栄養素にも魔力が込められている為、彼は栄養補給と同時に抗生剤を飲んでいる。


 ガーランドのお姫様所有の拷問室と違って、優しさで出来た部屋なのだ。

 

 ただ、歯の痛みだけはどうしようもない。


 その神経が死んでくれるまで、硬いベッドでうずくまるしかなかった。

 ただ幸運なのか、不運なのか、その痛みも1週間程度で消えた。


 両腕の幻覚痛も収まって、腹部の火傷の痛みもマシになった。

 すると今度は、この部屋の奇妙さが気になり始めた。

 薄灯りの中、ずっと蹲っていたから気付かなかったが、この部屋は天井が鏡張りなのだ。

 だから、いやでも自分の状態が見えてしまう。

 右腕欠損、左手欠損、さらには奇妙な形の猿轡にその奥から伸びる二本のパイプ。

 動いていなければ、死体と思うか、人形と見間違えるかだ。


「あー、起きてるー!」

「ほんとだ。起きてるー!」


 彼女たちは逐一、様子を見にきていた。

 でも彼女たちに構う余裕はなかった。

 ただ、痛みが引いた今なら分かる。

 彼女たちが来たことで、この部屋の本来の使われ方が、理解できてしまった。


 拷問部屋じゃなかったってことか


 天井に映る二人の女性は何も身に付けていない。

 つまり天井は猥褻な行為を俯瞰するため。

 恐らくは性的興奮を煽るための部屋。

 性交が大好きな貴族の考えそうなことだった。


 今まさに、いままでされたことを、再びされそうになる自分が映っている。

 自分の体を覆う二人の裸婦。

 そこにもう一人、裸婦が追加された。


「お母さん、なんで来たのー!」

「私たちだけで出来るもん!」

「二人だけじゃダメよ。まだ、ちゃんと教えていないでしょう? それに……、あんなやり方は正しい『まぐわい』じゃないの。」


 母親、やはり美しい。

 貴族は総じて美しい。

 それはラマカデが完璧な容姿を持っていたからだろうか。

 そしてさまざまな髪色があるのは、ラマカデ王が百人の女を連れてきたからだろうか。

 女達の髪色が様々だったと考えるのが一番納得がいく。

 本当にあらゆる種族の人間とまぐわったのだろう。


 ——そしてこのアスモデウスという色欲の国が出来上がったのだ。


 そんな感傷に浸っているのは、彼が現実逃避をしているから。

 あんなサイコパスの言いなりになんてなりたくない。

 それにもう貴族の顔は見飽きた。

 人によれば、この状況はとても羨ましく思えるだろう。

 けど……


 言いなりになんてなりたくない。特に今回はあいつが関わっている。アリス、俺、今回は頑張るから!


 美しい裸婦三人に体を弄られている時に、違う女のことを考える。

 なんと羨ましい状況なのだろうか。


 ダメだ。余計なことを考えるな。


 けれど平民の意志など、貴族の持つ魔力は簡単に打ち砕ける。

 そして結局、彼は彼女達の言う、『マーダーライセンス』を吹き出してしまう。

 でも、一応褒めて欲しい。

 二人分の愛液には耐えたのだ。

 そして、マリアの魔力は相当強かったということだ。


「えっと…」


 実は一つだけ希望があった。あの男もたまには良いことを言う。無論、人によっては余計なことと言うかも知れないけれど。


「イク、入れてはだめよ。キラ様にそう言われているでしょう? 彼は一応、大罪人として処罰される。その時に彼の子を宿していたら、私たちまで殺されちゃうのよ」


 そんな理由で貞操だけは守られる。

 これは本当にありがたいが、生殺しだと訴える者もいるかもしれない。


「ママ。でもでもぉ、全然、液の量が足りないわよ。キラ様が要求した瓶の本数、やばいんだからね!」

「イク。それ私たちせいじゃなくない? こいつのここがお粗末なだけでしょ!」

「うーん。確かにそうよね。これくらいの歳の男の子なら、いくらでも出来そうなのに……」


 うるさい。うるさい、うるさいうるさい!お前たちが何度も何度も蹴り続けてるから、俺はお前の父親みたいになりかけてんだ。もう、いいだろ。今日の分は終わりだ。早く一人にさせてくれ。


 喋れないを逆に利用して「あうあう」と、その手の趣旨の言葉を叫ぶ。

 男性機能が落ちていることは悲しいが、そのおかげであの男の殺人を止められる。

 一体、何人殺したことになっているのだろうか。

 これ以上犠牲者を増やしたくない。

 あいつも体液切れで、同じく殺人罪、ギロチンにかかれば良い。


 などと、少年が思っていると、彼女達はとんでもない話を始めた。


「クルぅ、最初からそうじゃないかって言ってたでしょ? だから、ほら。ちゃんと用意してきたのよ。私は、貴女たちがアレを忘れてたから、一緒に来たんだから。」


 ……なん……だと?


 少年は目を剥いた。

 彼が推測したように、ここは寝屋である。

 貴族が子作りをする部屋である——、さらにラバーズルームである。

 だから物騒なモノは何もない。


 ——無い筈なのに、視界の端に既視感のあるモノ、場違いにも程があるモノが見える。


 彼女たちが来る前にはなかったので、本当に彼女の母親が来た時に持ち込まれたのだろう。


「ね!私がやりたい!」

「えー、イマリもやりたい!」

「大丈夫よ。私も含めてちゃんと人数分あるでしょう?二人で回復魔法を唱えながら、一人がレバーを引く、いいわね。」


 嘘だ!嘘だ!嘘だ!嘘だ!嘘だ!嘘だ!嘘だ!嘘だ!嘘だ!

 なんで、ここにある?なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで?

 やめてやめてやめてやめてやめてやえてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやえてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやえてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやえてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやえてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやえてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやえてやめて…


 レバーを引くと、何かが取れる装置が鏡に映っている。

 いつかガーランド領で見た極悪なマシーンと同じもの。

 もう、嫌だ。アレは見たくないんだ。


「じゃじゃーん。クルはちゃんとこれを持ってきましたー!」

「あらあら、切断機は忘れていたのに、そっちは持ってきていたの?」


 鏡越しに悍ましいものが見える。あれはなんだ? 針と糸?

 何度もいうが、平民と貴族では生き物としての土台が違う。

 そんな女性が三人もいれば、平民の男が両足をバタバタさせても無駄である。

 いや、既に骨折くらいはしているので、そんなに力も入らない。


 針と糸で何をするつもりだよ…。切った後、縫ってくれる…わけ…ない


 そう。彼女は何の躊躇いもなく、ボイルの瞼に針を通した。

 頭を押さえつけられて、瞼に針の先端が通る。そしてしばらくの間、痛みが続く。

 何製かも分らない糸が、太い糸とが瞼を通過する。

 つるんとしていないから、ソレが通るだけで目を閉じてしまう痛みが走る。


 そこから。


 下瞼も同様に引っ張られて、目を閉じることを封印される。

 二人の目的は、強制的に瞼を開かせること。

 歯の痛みよりは幾分マシだが、これだって痛い。

 開瞼器と同じ。これなら開瞼器を使ってほしい。

 これもやっぱり、現実逃避不可能の痛みである。


「イクは英雄様想い!」

「クルも英雄様想い!」

「そうね。せっかくだからみんなで楽しみたいものね!」


 ちょっとでも同情した俺が馬鹿だった。こんな奴ら、滅べばいいんだよ‼


 首の固定位置まで固定して、絶対に見えてしまう角度になる。

 そして鏡の中で動く、女三人。

 今から行われるギロチンショーを特等席で見れるらしい。


「君も安心した? これでビンビンになるよ。なんかねー」

「生きるのに必要のない部分に血液はいらないんだってー」

「あー、それイクが言おうとしてたのにー」


 とち狂っている‼末端の血液惜しさに四肢を切断する…⁉


「えい!」という言葉とともに、まずは左腕を斜め刃が通り過ぎた。


 本当にあっさりと腕が無くなった。

 って、嘘…だろ。これ以上何するつもりだ!


「クルちょっと下手ー。右とおんなじにしなきゃカッコ悪いでしょ?」

「えー。じゃあもうちょっと上?」


 バカ……なのか。そんなもんのためにもう一回同じ場所を?


「えい!ほら、これで完璧!」


 完璧に狂ってるよ、お前ら…。…って、待てよ。待ってくれよ。それって絶対にダメだって‼


 ボイルは二度も左腕を切断された。

 そして切断機が下の方に移動する。ゆっくりと足がその中に入っていく。


「ううううううううう!」

「わぁ。英雄様が喜んでるよ、イク‼」

「クルも一緒にちょんぎろー‼」


 右足から。一回で終わってくれとさえ思ってしまう。

 無論、それは一回で終わる。

 だが。


「イク、左足。失敗しちゃった。もうちょっと右足を切ろうよ」


 右足の腿がもう一度切られる。

 その様子を強制的に見させられるのだから、猿轡で恐怖を口にできないのだから、苦痛も数倍以上に膨れ上がる。


 首を斬れば助かる。残酷な話だが、男性器を切られてもお役御免で助かる。

 つまりそれ以外を全て取られた。こんな狂った双子姉妹に切り取られた。


 もう、いいよ。俺はこのまま——


 激しい痛みと出血でショック死、失血死が普通は待っている。

 だが、即座に止血されているのだから、そこまで至れない。

 彼はこの日のために、毎日毎日、抗生剤入りの流動食を飲まされていた。

 この日のためにラバーズルームを結界で無菌室に変えていた。

 だから、これで死ぬことはない。


 でも…。これでフュイやカイ、ゾーフさんも許してくれる…かな。

 ジェームズさんもきっと。あと、名前も知らない人達も…。

 ここまでのことをされたら、拳を下ろしてくれる…よね?


 ある意味でこれは救済だった。

 ある意味で見させられて良かった。


 慈悲を求める顔も、怨念に満ちた顔も、すでに死んでしまった後の顔たちも全てが浄化される気分だった。


 理由?


 そんなの決まっている。


 申し訳ないと思っている死人に対しての懺悔、彼らも死ぬ時痛かった筈だ。

 それを自分にも与えることが出来た。


 ——でも、本当はそれ以上の救いがある。


 流石にこれ以上、生きることができない。

 つまりは絶望しか残されていない。

 だから、一切の希望を捨てることが出来た。

 地獄の門の書かれているという、一切の希望を捨てよという言葉。


 自信を持って、地獄に行くことが出来る。



 ただ痛みの中、そんな自虐に耽っていると。


愚者の為の回復フーリッシュヒール


 幻覚痛も歯の痛みも、全てが消えた。

 勿論、天井の鏡越しに両腕両足が再生していないことは分かっている。

 勿論、覆面の男の魔法だったと鏡越しで分かっている。

 そんな彼は魔法は唱えただけで満足したのか、興味を切断された手足に移し、嬉しそうにとある瓶に入れ始めた。


 覆面をしているのに、何故かにやけていると分かる。


「いやいや、お見事ですね。彼はついに最終形態に到達しましたか。これで私も仕事に取り掛かれそうです。あ、そうそう。お父上にすでに話は通してあるのですが、この三本の彼の手足が今回の私の派遣料です。このままグレイシール侯に送っておきますね。彼は無類・・の死体蒐集家ですからね。」


 死体蒐集家、狂ったマニアが居ると、狂ったマリアが言っていた。

 彼女達に言っているのか、自分に向けて言っているのか。


「あとは手筈通り、彼に健康的な生活を送らせてください。二日おきに体液の回収ですよ。なぁに、一ヶ月もあれば必要な本数が集まりますよ。」


 という彼の言葉。

 それが何故かボイルには届いていない。

 グレイシールのところに持っていく、という部分までは聞こえた。

 ただ、彼の唱えた回復魔法はまだ終わっていなかったらしい。

 

 ……体が、熱い?


 今までの切断後の回復魔法は単に血管を塞ぐだけ、単に皮膚細胞を増殖させるだけ。

 単に断面を塞ぐだけだった。

 でも、今回は違う。

 この体に合わせて血管が動き、神経が動いているのが分かる。


 現役の公爵嫡子が持つ魔力は、一味も二味も違う。


 幻痛が消えたのは、神経の走行が変わったからだ。

 目眩が治ったのは、急速に血液が再生されているから。

 本来手足へ行く筈だった神経が、情報の受け取り先を探して蠢いている。

 失ったシナプスが、少年の体に何が残されているかを探っている。


「完成…。いえいえ。私程度がそこまで出来ませんよ」


 誰に言ってるんだよ。

 脳から延髄、脊髄から伝う神経はその情報を下方へ、下方へと求めていく。

 これこそがあの男、公爵嫡子の言った『完成形』なのだろう。


「では、私はこれで。」


 ガラガラと台車を押す音。

 なるほど、聴覚も鋭敏になっているらしい。

 大脳までも手足がないことを受け入れたようだ。


 こんな経緯で、俺は外道専用のおもちゃになった。

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