第21話 醜く爛れた世界の南

 放心状態のボイル。


 ただ、事実は全く違う。

 全てサマンサと、とある侯爵の書いた筋書き通りに進んでいる。

 そもそも、フュイはサマンサの夫のお気に入りである。

 だからボイルが彼らに自分の正体を告げても、逃げるように言っても、結局は貴族と平民の関係が働いて、同じ結果になっていた。

 そも、最初からボイルの動向は監視されていた。

 彼があの家に留まったところで、無理やり連れて来られていた。

 彼個人に向けられた闇の魔法、それに睡眠魔法によって。


 でも、今の彼にそんな想像はできない。

 孤児院から出て、初めて出会った心優しき家族を、自分が殺してしまったと思い込んでいる。

 カイの断末魔の叫びが耳にこびりついている。


 もう嫌だ。早く、僕をギロチンにかけてくれ。こんな人間、こんな不幸しか呼ばない人間は生かしておいちゃだめだ。


 そんな彼の怠惰な姿にサマンサは呆れていた。

 やはり噂通り、この男には何の力もない。

 ならば、おそらく今が最高値さいたかねである。

 だから彼女はプランBへと移行することにした。


「魔獣使役魔法・言語牢」


 彼女は天に向かって喋った。

 げんごろーと聞こえたが、逃げる気も周囲を警戒する気も失った少年の耳には届かない。

 彼が聞いているのは死人の声だけだ。


『あんたなんか、助けなければ良かった』


 本当にその通りで、あの時食い殺されていれば良かった。

 ワイバーンが間違えて、食い殺してくれたら、彼らは死なずに済んだ……かもしれない。


 そんなことを考えている少年は床の感覚がなくなったことにも気付けない。

 ただ、両肩からやってくるちぎれそうな痛みでやっと状況に気が付いた。


「ロドリゲス家は代々、商売上手なのよ。貴方をギロチンになんて送ってあげない。高値で買ってくれるところがあるのよ」


 それじゃあね、私と私の赤ちゃんの救世主様————


     □■□


 ワイバーンの爪が肩に食い込む痛みに耐えながら、ボイルは空を飛んでいた。

 今からどこに飛ばされるのか。

 なんなら、今ここで離して欲しい。

 稀代の悪魔が落下死するなんて、乙ではなかろうか。


 ……こんな人間はいない方が良い。


 少年の心は自己嫌悪と罪悪感に蝕まれていた。

 一番最初からそうなのだ。ギロチンにかけられた時、孤児院の院長先生が殺された。

 残りの二人も何の罪もなかっただろう。


 俺はきっと悪魔か死神だ


 そしてフレーべの独立に加担したあの事件。

 今頃になって、あの事件でも若い平民の男女が犠牲になったことを思い出す。

 頭のおかしい貴族のことは知らない。

 でも、平民の彼らは何の罪もなかったはずだ。

 さらに言えば、ジェームズとかいう兵士長。

 彼も計略によって殺された無実の人間。

 貴族だったようだが、それでも良き父親だったように思う。


 そして先ほど殺されたのも罪もない家族だ。

 あの三人に目が行きがちだが、他にも犠牲者はたくさんいた。

 カイの隣で朽ち果てた兵士。

 彼も現場を目撃したという理由で殺された。


 俺を助けなければ良かった、…いや、俺が死のうと思えば


 だが、両腕の感覚がなくなるほどに岩石ワイバーンの爪が食い込んでいて、何もできない。


 殺してほしい。今すぐに。

 生きているだけで、罪のない人間が死んでいく。


 冷静に考えれば、防ぐ手立てなどないと分かる。

 キングスレイヤーの肩書きを擦りつけられた彼は、今や引っ張り凧である。


『誰だって殺したい奴がいる』


 だから貴族は彼が欲しくて堪らない。

 所詮、ボイルは平民で貴族は英雄の系譜。

 今回の件だって、ボイルだけを狙った闇魔法と睡眠魔法で、彼の意志とは関係なく、簡単に操られてしまった。

 まだまだ子供で世間知らずの彼に防げるものではない。


 そして猿轡。

 このせいで彼の体は次第に弱っていく。

 人間は欲求・リビドーで動いている。

 その中のいくつかを常に塞がれている。

 だから性欲だけが、種を残そうとする本能だけが、覚醒している状態。


 だが、彼はもう限界だった。

 早々に彼を売り飛ばしたサマンサの判断は正しい。


 彼女の見立て通り、今やこの男に何の価値もない。

 貴族が死体を欲しがるのは、その死体から精力活性剤が作れるからだ。

 勿論、コレクターズアイテムとして集めるものもいるが、ギロチンで殺される大悪党は基本的に性欲の権化である。

 その体からは豊富な魔素を内包した薬が作れる。

 でも、この男にはそれが期待できない。

 アレの本性がバレる前に、他の貴族に売り飛ばした方が良い。

 だから彼は南へと飛ばされる。

 ワイバーンが行き来するもう一つの山へ、ガーランド伯爵領へと飛んでいく。


     □■□


 ガーランド領の岩山はワイバ岩山よりも険しく、頭上にいる岩石ワイバーンよりも凶暴なドラゴンも住み着いているらしい。

 そのドラゴンさえも貴族は使役しているのだろう。

 彼らはナワバリを守るように周回しているが、ヘンテコな人間を連れたワイバーンを見ても、何の反応も見せない。


「ううううう…うーううう」


 南…、世界の南端の山?…俺はどこに連れて行かれてるんだ?


 相変わらず猿轡のせいで碌に喋ることも出来ない。

 彼女の母乳が栄養補給になったとは思えない。

 だから、今も生き永らえているのは死んでしまった、殺してしまった医療師の家族のおかげだ。


 ワイバーンの飛行能力は凄まじく、たったの三日で世界の南端に辿り着いた。

 寒さも痛さも感じるけれど、未だに彼の心は闇の中だ。


 『どうして俺がこんな目に』


 この言葉を何度思い浮かべたか分からない。

 それに死んでしまった人間の最後の言葉が、彼の心をいつまでも蝕み続けた。


『早く死ねばいいのに』


 ただ、夜明けと共に見えた景色には、彼も目を奪われた。


 でも、それは良い意味ではない。


 ……まるで、悪魔の城だ。


 岩山に聳え立つそれは、どう見ても悪役が住んでいる城だった。

 周りを飛ぶ見たこともない生物も、その演出に一役買っている。

 もしも自分が本当に悪魔なら、ここが「我が居城である」と言っても通用する不気味な城。


 ワイバーンはその城の一角でホバリングをした後、石畳にボイルを放り投げた。

 以前、高いところから落とされたことがあるが、あの時は床が程よく弾力を持つ木製だった。

 でも、今回は完全に石。

 落とされた衝撃で、体の至る所に激痛が走った。皮膚が破けて出血もする。

 さらに何かが折れる音がした。

 流石にこれでは彼の価値が下がってしまう。


 それにも拘わらず、紫の髪の少女は楽しそうにそれを眺めていた。

 のたうち回る少年を嬉々として見守っていた。

 ただ、徐々に少女の目が半眼に変わっていく。


「パパ、あれが巷で有名な悪魔なの? なんか弱っちくない?」

「弱いんだよ、マリア。グレイシール侯爵様の話ではあの男の価値は殆どないらしい。だから、あの守銭奴と名高いサマンサがあの程度の黄金でこちらに寄越したのだ。二つの侯爵家があの悪魔には価値がないと言っているのだ。」


 同じく紫の髪、そして紫の口髭を生やした男が少女の頭を撫でながら、ボイルに冷徹な視線を向ける。


「あたしがアレで遊ぶんだよねぇ? どこまでやっていいの?」

「グレイシール様には殺すな、としか言われていない。アレを定期的に搾取できれば、何をしても問題ないだろうな」

「それは大丈夫よ。だってあの子、平民でしょう? 誘惑の魔法を使えば、どんな状態でもオッ立つわよ。そしてあたし達は過去の栄光を取り戻す……でしょう?パパ」


 少年は今にも死にそうなほど、ブクブクと口から血を垂れ流している。

 肋骨が折れて肺に刺さったのだろう。

 その様子を見て、ため息を吐きながらベルギール・ガーランドが彼の元に向かった。

 流石に黄金分は吐き出してもらわねば、と


上級回復魔法ハイポーション。——やれやれ、言っている側から死ぬところだったな。マリア、その通りだよ。我々の祖先はゾンビーヌと似たような岩山を所有していた。それだけで、公爵位から伯爵位に落とされた。そして未だに王殺しを画策している諸侯のブラックリストに載せられている。だが今、まさに汚名を返上できる。マリア、ケントとバルクにも伝えて来てくれ。勿論ママにもな。」


 ガーランド家は転封された歴史を持つ。

 因みに、チンギロ山の所有という罪。チンギロ山は別名、王殺山。つまりサマンサが言っていた、現在は王家が管理している山を元々持っていたのが、ガーランド。


 そして、ここでボイルは人生の分岐点を迎えることになる。

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