第20話 信じていれば

 サマンサは男たちの死角に入り込むように移動を繰り返していた。


 この日をどれだけ待ち侘びたことか。

 だから、ちゃんと準備もしてきた。

 今更、平民がどうなろうが、知ったことではない。

 それこそ、平民は畑でとれるのではないかと思うほど、気がつけば増えている。

 もしかしたら、彼らにもほんの少しだけ英雄の血が混じっているのかもしれない。

 だとすれば許せない。

 平民は性欲に忠実に生きているではないか。


 だから、ここで少年や男たちがどうなろうと知ったことではない。

 彼らが性交渉を始めた後に心臓を串刺しにすれば全てが終わる。

 二人同時にやる必要はあるが、今は力の入らない人間と力を持つ人間の関係が逆転している。

 寧ろ、彼らは赤子同然だ。


 ——英雄王の血族は身体能力が高い。それに魔力も高い。


 魔力が高いから身体能力が高い。

 魔力が高い者であれば、刃を通すのさえ難しい。

 勿論、そんな貴族様向けに開発されたギロチンであれば話は別だが。

 特別な金属を魔力で錬成したあれならば、王の首さえはねることができる。

 だが、それが可能な金属が採掘できる山は王家が管理している。

 作るのも至難の業だし、アレは使った痕跡が残ってしまうとも聞いた。

 故に、確実にバレる。

 そも、あれを使うにも魔力が必要だ。


 どのみち痕跡が残ってしまう。


 貴族の数をどうしても減らしたい奴らが国の上にいる限り、下手なことは絶対に出来ない。

 だからこそ、昔ゾンビーヌが行ったように魔力に頼らない何かが必要だった。

 でも、彼の王暗殺の一件で、毒見の文化が定着してしまっている。


 そんな時、彼は教えてくれた。

 簡単に殺す方法が今だけ存在すると。


 貴族と庶民の体の構造は実は同じである。

 魔力器官や魔力の伝達経路、——それらは個人差はあれど、ほとんどが同じ。

 違うのは英雄の血をどれほど濃く引いているか。

 体内に取り込まれた魔素は魔力器官でマナに変換される。

 そしてそれを魔力へと昇華させるのが『生殖器官』である。

 だから男女問わず、性行中は子孫を残すべく、全身の魔力が生殖器に集中する。

 全ての魔力があそこに集中するのだから、俊敏な動きが出来なくなる。

 つまり性交中のみ、彼奴らはただの平民に成り下がる。


 ——これが英雄王ラマカデが残した力であり、唯一の弱点でもある。


 伯爵の魔力で侯爵の魔力を上回ることが今ならば可能。

 しかも、魔力を使わずに仕留めることが出来る。


 可哀そうに…


 夫とその家族の男たちが、少年たちの中を出入りするのを目視。

 つまり今は…


 スッと短剣が皮膚を突き破る。


 流石に骨は固いから肋骨の間に差し込む。

 本当に柔らかい。まるで平民の体のようだ。

 心臓一突きで死なないかもしれないから、何度も何度も滅多刺しにする。

 万が一魔力が戻って、回復魔法を使われてはまずい。

 だから、確実な死を彼らにプレゼントする。

 今日は超強力な精力薬をプレゼントしたのだ。


「私はなんて夫想い、なんて家族想いなんでしょうか。ふふ、これでお腹の子は正式にあなた、イゲルの子よ。ねぇ、ゲイリーお父様もそう思うでしょ?ミゲル、アナタも。って、目撃者がいたらやっぱりダメよね。全員をきちんと殺さないといけない」


 ボイルが今までなすり付けられていた殺人行為は、全てこの方法で行われている。

 自分より格上の者を倒すには、この方法が一番なのだ。

 だから、彼らは厳重にヤり場を管理する。

 護衛もしっかりとつける。だが格上になればなるほど、欲望に忠実に行動する。

 だから隙も生まれやすい。


「絶対に言いません…、絶対に」

「そ、ありがと。アナタ、天国に行けるわよ」


 勿体ないと思いながらも、美少年の喉を切り裂く女。

 例えば今回で言うと、すでに半数以上の兵はサマンサに寝返っている。

 家の存続を諦めて青少年に貪りつく男と、この地に価値を見出して存続させようとする妻。

 どちら側につくべきかなど、誰でも分かる。

 それにサマンサの魔力も侯爵に匹敵するほどに強い。


 っていうか、ゲイリーの私兵の殆どが、ある意味で『兄弟』なのだ。

 

「流石、薬師が作った精力増強剤ね。今日は今まで以上に見事な穴掘りだったわね。今度は私が掘ってあげる。勿論、墓穴のことよ、デブクソ豚野郎。」


 彼女が精力増強剤を渡す行為は、今まで何度もあった。

 最初は彼女だって努力をしていた。

 夫が自分と性交渉をしてくれたら、こんなことにならずに済んだ。

 だから彼女は自分を正当化し、目撃した男たちを殺していく。

 平民の身体能力など高が知れている。


「私のあそこに精液を塗りたくろうかと思っていたけれど、やっぱり気持ちが悪いわよね。お腹の子に悪い血が混ざっちゃうとよくないかもだし。報告によれば……、確か外で村の女が待っている筈」


 この狂った世界は違った方法で魔力が増幅するという、奇妙な人間たちが暮らす。

 この国は魔力が高い者が偉い。だから王は偉い。

 そして過去の王殺しの殆どがこの方法で行われている。

 教科書通りの暗殺、性交渉中でふにゃふにゃになった体を狙った殺人。

 殺された者は例外なく、こんな死因がつけられる。


 ——腹上死と。


     □■□


 ボイルは夢心地だった。

 そして、これこそがあの時に似ている。

 朝起きて、恥ずかしい思いをしたソレに、とってもよく似ている。


 物凄く気持ちよかった。本当にお母さんが生きていたら、あんな感じに俺のことを慰めて……、——あれ?お母さんってあんなことまでやってるんだっけ


 乳飲み子の下腹部を?


 その瞬間、ボイルの全身に鳥肌が立った。

 あの感触は『夢精』と同じだった。

 だから彼は咄嗟に自分の下腹部を触る。

 やっぱりおかしい。ズボンがずれている。

 それどころか……


 …全然、汚れていない? 僕は夢精した夢を見た?


 いや、違う。

 あの時と同じ感覚がする。

 全身の精気を抜き取られたような感覚。

 フラついていた足がさらにガクガクと揺れる。


 ——いつから逃げられると錯覚していた?


 ワイバーンでここに連れてこられた時から、間違いなく計画通りに動かされていた。

 また、同じ罠にハマってしまった。

 彼はどうしようもなく、自分が許せなかった。


 そして……


 あの屋敷と構造が似ているわけではないが、なんとなく分かる。

 あっちから血の匂いが漂っている。

 だから今回はすぐに凄惨な現場に辿り着くことができた。


「サマンサ……様、痛いよぉ、痛いよぉ……。僕のそれを返してよぉ……」


 至る所に肉の塊があった。

 そして血で染まったドレスの女が、薄クリーム色の少年のソレを手に持って嘲笑っている。


「悪魔様はね、こういう残酷な趣味をお持ちなんだよ。大丈夫、返してやるさ。ほーれ、取ってきな!」


 そう言って女はソレを壁に投げた。

 べちゃりと音がする。

 薄クリーム色の髪の少年はそれを取り返そうと必死に壁に向かう。

 彼の臀部は血だらけだった、何があったのか想像したくない。

 どうにか自分を取り戻そうと壁に向かった子供。女は彼の背中に短刀を投げつけた。

 すると、電池が切れたように少年・フュイは動かなくなった。

 彼の血が床に広がった赤い海の一部になっていく。


 そして、部屋の奥から別の男の声と、女性の声がした。


「サマンサ様、これは一体——」


 男は全てを言い切ることが出来なかった。

 喉に刺さったナイフが気管を潰したのだ。

 そこから大量の血を噴いて倒れてしまった。


「これは……、どういうこと…、フュイ?フュイ⁉ フュイが死んでる……。なんで⁉なんでフュイが死んでいるの⁉あなたが噂の悪魔だったの⁉」


 どうしてカイがここにいるのか分からない。

 それに倒れた男が何者かも分からない。

 でも、目の前でフュイが殺されて、男も殺された。

 他に生きている者はいないだろう。

 これだけ臓物をぶちまけて生きていられる人間を、ボイルは知らない。


「あら。私は悪魔じゃありませんよ。悪魔ならお前達が助けていたと聞いているわ。全く、失礼な平民ね。私はただの人間。勿論、貴女とは違う種類の人間だけれどね。」


 その言葉でボイルは固まった。

 あの女は貴族だ。だから平民とは違う生き物。

 血まみれの彼女の姿は、あの時の彼と重なる。

 そして、どうしても目が泳いでしまう、視界に映り込んでしまう。

 肉の塊、血の海になってしまった人間たちの残骸が。


 フュイが今死んだ?彼の足元……、あれはフュイのお爺さん。他にもこんなにいっぱいの死体、いや血の袋…


「悪魔!私たちにいつもいつも怪我をさせて、それでも食べ物をわけてくれるから、弟は頑張ってたのよ!フュイを返してよ!貴族様なら生き返らせる魔法とか知っているんでしょ!」


 その瞬間、カイは視界から女が消えたと錯覚した。

 遠目で見ていたボイルでさえ目で追えていない。


「う?」


 更にはカイの姿も消えた。

 そして気がつくと女はボイルの目の前に立っていた。

 隣には、同じく何が起きたのか分からないという目のカイ。


 夢の中に出てきたお母さん…?いや、あれは夢じゃない。こいつが!


「これはね。大切なことなのよ。侯爵家を存続させるために必要だったの。男にしか欲情しないポンコツ貴族は死なないといけないでしょ。そしてこれは絶対にバレちゃいけないこと。確かに悪魔の所業ね。あら、悪魔さん。ちょうど良いところにいらっしゃいましたね。貴方の要望通りにしておきましたよ。それに彼女って、とっても綺麗ですね。羨ましくなるくらい若くて、食べ頃って感じ……。さぁ、いつものように少女を犯し殺してはくれませんか?私、楽しみにしていたのですよ」


 名前も知らない女。

 血が滴る短剣を持った狂った女。その右手をだらりと垂らした淑女が、怪しい目つきでゆっくりと追い込む。

 あの時のリリアンとルーシアと同じ、ボイルは蛇に睨まれたカエルの状態。

 ボイルの足は地面と一体化しあように動かなくなった。

 それはカイも同じらしく、彼女も壁に張り付いたまま動けなくなっていた。


「あぁ、そうですね。申し遅れました。私の名前はサマンサ。サマンサ・ロドリゲスです。私のお乳で少しは元気になったかしら。——さぁ、この哀れな子羊に救いを与えてやってくださいませ」


 サマンサは文字通り、カイの身ぐるみを剥ぎ取り、ぽいとボイルの前に差し出した。

 ビリっと音がして、カイの実り始めた胸が露わになる。


 育ち始めた少女はあの女とまさに対照的。

 まだ穢れを知らない少女の恐怖に満ちた顔。

 ボイルに直視できるはずも無い。


 だが。


「貴方のせい…なの? 貴方が指示したの?貴方が門番さん……死んでしまった門番さんが言っていた悪魔だったの? あんたのせいでフュイもおじいちゃんも死んじゃったの?」

「ふふ!ふふふふふ‼」

「あんたが私たちの前に現れて全てがなくなった‼私たちはあんたを必死で助けたのに‼点滴だって安くないのに‼それなのに‼あんたはフュイのことをずっとそんな目で見ていたの?私のこともそんな目で見ていたの?あんたなんか……」


 ——助けるんじゃなかった。


 怯えながら、彼女がそう言った時、彼女の下腹部から刃物の先が突き出ていた。

 そしてその突き出た刃物は今度は彼女の実り始めた胸から生え、その後は華麗な赤い噴水へと変わった。


「煩い…」


 ボイルは立ち尽くして何もできなかった。

 動いたとて、リリアンの時と同じ。貴族と平民は違う生き物なのだ。

 そんな様子に辟易としたサマンサは、少年ボイルに向かって悪態をつく。


「全く……。噂通り、悪魔は腑抜けのようね。あんなに美味しそうな青い果実を前に、ぴくりともしないなんて。これなら美少年を見るだけでナニを『おったてる』私の旦那の方がまだマシじゃないかしら。——ふふふ、ちゃんと話を聞いておいて正解だったわ。巷の噂、平民から生まれた悪魔なんて噂だけを信じていたら、私の計画は大失敗に終わっていたわよね」


 あの時、慈愛に満ちた母の顔をした女はもういない。

 醜く歪んだ顔の女、どちらが悪魔なのか。

 本当に憎らしい。でも、足がすくんで動けない。


「そうそう。この子の中に、貴方の精液をいれておかなくちゃね。ま、この際だから、この可愛らしい子のお尻にもいれておこうかしら」


 慈愛に満ちた顔の出来る悪魔。悪魔だからどんな顔も出来るのだろう。

 そいつは、丁寧に死体損壊を始めた。

 フュイの局部も彼女の夫の局部も彼女の義理の弟の局部も、一番偉そうな初老男の局部も、…次々に壁に貼り付けられていく。


 ルーシアは本気で恨みを持っていて、それを行っていた。

 その模倣なんだから、彼女は淡々とその再現を行う。


 臓物も適度に露出させて、シリアルキラーがここに来たという演出をしていく。


 いや、この女の趣味も反映されている?コイツは平民が大嫌いなんだ…


 ダン‼


 そしてカイだった肉の塊を壁に打ち付ける。


 彼女だった肉塊から垂れてくる白濁の液体は、紛れもなくボイルのソレだ。

 あの事件と同じような光景が目の前で作られていく。


「これでロドリゲス侯爵家は安泰。そして全て私のモノ。感謝しますわ、我らが救世主様。これからはお腹の子と共に、末代まで貴方の伝説を語り継ぎましょう。」


 サマンサの声はボイルには届かない。

 彼は今、自分の心を壊す作業で手一杯なのだ。


 ……俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺はあの人たちに助けてもらったのに、俺のせいでみんな死んじゃった。あの人たちはフュイはカイは……お爺さんも、みんな良い人だった。俺がここに来たせいで。本当に良い人が、善意で俺を助けた人たちが…死んでしまった。


 張り付けられたフュイがこっちを見ている。

 命を失っていたとしても、魂はあると孤児院で教わった。

 だったら彼の魂は、こんな奴を助けなければと悔やんでいるに違いない。

 ゾーフも目を見開いている。

 やっぱり余所者に関わるべきではなかったと、孫たちを哀れに思って死んだに違いない。

 ボイルを恨んで死んだのだろう。

 そしてカイも恨めしそうに見ている。


 全部、全部、全部‼俺のせい‼

 フュイたちを最初から信用していれば、ちゃんと打ち明けていれば、彼らを救えたかもしれないのに‼


 ここにこれだけの死体があるのだから、彼らがいなくても大量殺人は成立していた。

 ボイルがあの心優しき三人を信じていれば、三人はここに来るのを止めていたに違いない。

 ボイルだけが必要だったのだ。三人の死は要らないのだ。


 格好良く、「次は騙されないぞ」なんて思ってしまったばかりに、悪魔とは真逆の人間が死んでしまった。


 見ず知らずの他人を助けることのできる、素晴らしい人間を俺が殺してしまった。

 ルシアンとリリアとは全然違う。

 あの二人は最初からどこかおかしかった。

 フュイやカイ、それにゾーフは普通の人たちだった。


 普通に考えれば、全然違うじゃないか。俺が殺した。俺は本当に悪魔なんだ。

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