第17話 西の岩山

 空を飛ぶ悪魔。

 その家来ワイバーン。

 ギロチンごと去っていく彼の姿は、ある意味で心奪われるアートだった。

 だから、誰かが言った。


「アイツはやっぱり本物の悪魔だ!」


 それも無理からぬこと。

 不気味な猿轡を嵌めた少年。

 彼はギロチン台を自らの玉座に変えたように見える。

 手下の恐鳥に悪魔の玉座ごと運ばせている。

 王都の西に向かうソレは、人々を嘲笑う魔王の帰還である。

 

 アレは悪魔なのだから、人間の常識など通用しない。


 勿論、ボイルも知ったことではない。

 こんな数奇な運命を辿るなんて、彼は1mmだって考えていなかった。

 ギロチン台があった場所では口論が繰り広げられているが、少年の耳には届かない。


「ボルシャ侯。これはどういうおつもりですか? もしやこれはフレーべ公の策略では?」

「そんなわけないだろう! 俺は親友の復讐を果たしに来ただけだ!」

「では、なぜフレーべの旗を掲げているのですか?」

「当たり前だろう。本来ならば、フランツが次期公爵だった。そして俺はフレンツの兄弟分だ。それにフレーべの新しい後継者の腰抜けモーデスはかたくなに動こうとしなかった。そもそも、あいつが悪んだよ。なんで目の前で兄弟を殺されながら、あの悪魔を王族へ引き渡すんだよ。公国だかなんだか知らなねぇけどよ、フレーベの邸宅で起きた事件ならフレーべ領内だろ?それにフレーべ領と俺の領地にゃ、ワイバーンはいねぇ。そんなことよりどうしてくれるんだよ。責任はお前にあるんじゃないのか?グランロッドの小倅!」


 責任追求の応酬が始まったが、そこにボイルはいない。

 ボルシェ侯の早口は気になるところだが、悪魔は既に立ち去っている。


「なるほど、そう来ましたか。ですが、私は関係ないですよ。私は単に執行役を務めているだけです。現場の責任者ではありません。貴方もかなり疑わしいが……、それ以外にも色々ありますか……。ふふ、今回はしてやられたと引き退るしかないでしょう。それに責任者は私が先に殺していますから、ご安心を。ですが、悪魔もいつか捕まります。次の機会を楽しみにしてください。」


     □■□


 王都のラマカデ広場では口論が繰り広げられている。

 そんな中、ボイルは空中で震えていた。

 寒さからの震えもあるし、落とされたらという不安もある。

 でも1番の不安は振動でギロチンが落ちてきて、首が落ちるというもの。

 死にたいのか、生きたいのか。彼自身も分からなくなっていた。


 寒い。それにさっきから揺れが激しくない?もしもこの振動でギロチンが落ちてきたら


 なんて不安に思う気持ちは痛いほど分かる。


 だが実は、彼の不安は杞憂でしかない。

 先にジェームズを跳ねたギロチン台なのだ。

 彼にその事情を知る術はないが、彼ら貴族は少年の死体が欲しい。


 ジェームズの部下も言っていた筈だ。

 ボイルの体を傷つけたら、そこに居る全員の命に係わる、と。


 王殺し、貴族殺し、稀代の極悪人の死体はとんでもなく価値がある。

 もしもジェームズ・ライザーなる小者の血が混じってしまえば、その価値は半減してしまう。

 だから、首切り刃は持ち上げられた後、取り外されている。

 因って、彼はありもしない首切り刃に怯えて震えている。

 ボイルがあれやこれやと考えている間に、巨大な桶の交換作業さえ行われている。

 リリアンとルーシアを探す前に桶を見るべきだった。

 なんて、死ぬ予定の彼には与り知らぬことだろうけれど。


 そして、とんでもない速さで首切り刃無しのギロチンは飛んでいく。

 何度も話しているが、岩山に囲まれた地がアーズデウスという世界。

 岩山の中にあるのが、アスモデウス王国。

 東西南北、何処に飛んだって岩山だ。


「うううううう!ううううう‼」


 岩山になんかいる!あれ、絶対に巣だよ!俺はきっと美味しい餌だと思われたんだ。ワイバーンのひな、かわいい…、じゃなくて! 俺はもしかしてこのまま食べられちゃう?


 そこで少年は漸く、ギロチンを運んでいたのがワイバーンだったと気付く。


 ワイバーンがいること自体は知っていた。

 どこに生息して、何を食べる……なんて聞いたことがない。

 ただ、昔はワイバーンが子供を攫っていたという話くらいは聞いたことがある。

 あうあうと、うめき声をあげて、ワイバーンに安否を伝える。

 俺は生きている、助けてくれと伝える。

 でも、ワイバーンが人の言葉を、いや猿轡のうめき声を理解できる筈がない。

 そして、ボイル付きの頑丈なギロチン台は、ぽいっと巣の中に投げ込まれた。


 ある意味、柔らかな巣がクッションになって助かった。

 でも、どう考えても助かっていない。


 あの場に残っていたら、生きたまま臓物を引き出されていた。

 でも、生きたまま臓物をついばまれるのは似たようなもの


「ふー!ふー!ふー‼」


 どうにか威嚇しようとするが、


 キェェェェェェ!


 という鳴き声がそこら中から聞こえる。

 そしてバキバキと何かを噛み砕く音。

 ボイルは何度も放り上げられ、弄ばれる。

 その衝撃のせいかお陰か、彼の首枷が外れた。

 でも、これだけ頭を揺さぶられているのだ。

 少年は平衡感覚を失って、ワイバーンの雛の群れの中に倒れ込んでしまう。


 そして、そんな中。


「こら、ゲンゴー!妙なもんを食わすなって言ってんだろ。——って、おいおい!人間がくっついてるぞ、それ!」


 人の声が聞こえた。


 ゲンゴ?それに人の言葉を喋った?ワイバーンって人の言葉を話すんだっけ?


 視界がふらふらで、もしも吐けるものがあるならとっくに吐いている。

 そんな酩酊状態のボイルには何が起きたのか確かめる気力さえもない。

 小慣れたもので、猿轡も体の一部みたいに扱えるようになっていたし。

 だから倒れても苦しくはない。


 そして、そのまま意識を失った。


     □■□


「フュイ、今回はリーバスの領主様がいらっしゃる。いつもいつも済まないとは思っているが、こればかりは……」

「大丈夫だよ、お爺ちゃん。ここの痩せた土地じゃ、領主様のお恵みだけが頼りなんでしょ。僕だって分かっているから」


 人の言葉が聞こえてくる。

 それに知らない部屋、知らない壁、知らない管……


 管?これって、お医者さんがしてくれる点滴ってやつ?


 ボイルは慌てて自分の腕を見た。

 そして、そこに掛かっている液体入れを見て仰天した。

 武力になること以外はそれなりに教わっているから分かる。

 かなり優れた医療施設でないと受けられないものだ。

 貴族はあのとんでもない魔法で、病気も治すのかもしれないけれど、力のない庶民は普通のお医者さんにかかる。

 それだってお金持ち、特に商人が受けられる程度で……


「あ、気がついた? えっと君、とんでもなく栄養が足りない状態っぽかったから、お爺ちゃんが点滴で栄養補給した方がいいって。針が抜けるといけないから動いちゃダメだよ!」


 薄いクリーム色の髪の毛の少年。ボイルよりも幼く見える。

 10歳くらいの子供が彼の手首に手を当ててみたり、血圧をとってみたり。

 子供がバイタルサインの確認している。

 こんな子供がなぜ、医者の真似事をしているのか、それにどうして点滴がここにあるのか。

 ボイルの意識はワイバーンの子供に群がられたところで止まっている。

 だから、現状が全く呑み込めない。


「それにしてもその口、どうしたの?悪い魔女に悪戯でもされたの?」

「うー。うー…」


 似たようなもの…、と言うことも出来ない。

 そして、ボイルの心境の変化もある。

 これまでのボイルであれば、少年の言葉に目を爛々と輝かせたかもしれない。

 けれど、今の彼は極度の人間不信だった。

 少年と老父、そして別の部屋から顔を出した少女という組み合わせに、とある公爵家のイメージが重なって仕方ない。

 若い男女、そして大人の組み合わせ、そしてあの礼服の男の言葉。


 もう、何が何だか。ここは一体どこなんだ。今度の俺はどうして生かされている?


「あ、そか。口が動かせないから喋れないのか。えっと——」


 そう言って、少年は石板と石を持ってきた。

 紙の普及はそれなりにあった筈だが、石筆とは珍しい。

 目の前には大量の紙が置かれているのだし。


「えっとね、紙は薬の調合で使うから、ちょっとしたメモはこっちを使うようにしてるんだよ。なんか古臭くてごめんね。おじいちゃんが勿体無い勿体無いっていうもんだから」

「実際に勿体無い。ワシらの商売道具だ。会話するたびに薬包紙を使われたのでは堪らない。点滴で多少動けるようになったら、働いて返してもらうからな。」


 働いて返す?犯罪者にする、ではなくて?


「おじいちゃんは黙ってて。えっと、もしかして字も書けない?」


 その言葉には慌てて首を振るボイル。

 一応、孤児院で最低限は教わっている。

 それに何を書いて良いのか分からない。

 ボイルと書いて良いかも分からない。


『ゲンゴロ?』


 だから、とりあえずは探りを入れた。


「あ、そうそう。君は岩石ワイバーンの子供たちの餌にされそうだったんだよ。でも、安心して。岩石ワイバーンは木とか岩とかが主食で、人間は食べないから。勿論、牙を持っているし、君の体とか気にせずに齧り付いてたから、体に傷はついちゃったみたいだけどね」


 フュイという少年が心配そうにボイルの体を見ている。

 彼の視線につられて見てみると、いろんなところが包帯でぐるぐるにされていた。

 魔法とかよく分からないもので治されるよりも、包帯ぐるぐるの方が親近感が湧く。

 ただ、どうしても礼服の男の言葉とリリアンとルーシアがチラつく。

 ワイバーンが偶然運んできた可能性はある。

 だが、その可能性はどれくらいだろうか。


『ワイバーン、何故?』


 だから、こんな文字を書いた。


「んー。どうしてかは分からないかなぁ。ねぇ、お爺ちゃん、なんで彼、ワイバーンに捕まっちゃったんだろ。」

「岩石ワイバーンがどこかの家の一部を壊して持ってくるなんて、よくある光景だ。アイツらは勝手に持ち去って、それで巣もこしらえる。そんなことより、フュイ。点滴を交換したら、こっちを手伝ってくれ。」

「はーい!」


 そして、少年はどこかに行ってしまった。


「私たちイワン族はずっとこの山で暮らしてきたの」


 と、今度は彼のお姉さんらしき女性が、ボイルが寝ているベッドの側に来て座った。

 彼女も色素が薄いのか、フューイという少年よりもさらに薄い髪色をしている。


「岩石ワイバーンは水が綺麗なところにしか住まないの。竜岩石の山じゃないと住み着かないから、実は珍しいのよ。王国でもここと南の山脈地帯にしか生息していないし。そして貴方は不運にもワイバーンに連れ去られたのね。それともワイバーンが魔女の手から救ってくれたのかしら。ワイバーンはとっても頭が良いの。だから何か理由があるとは思うのだけれど、今は気にしないでゆっくりと養生なさってください。お爺ちゃんは口が悪いけど、とっても良い人なんですよ。勿論、治ったら何かの手伝いくらいさせられるかもしれませんが」


 魔女の手?不運?いやいや、そんな筈はない。

 あんなタイミングでワイバーンが現れるものか。

 絶対にあれは貴族による仕込みだ。


 首が落ちる手前で、偶然ワイバーンが餌と間違えて連れ去る?

 そんな幸運の星に生まれ落ちてたら、こんなことにはなってない。

 でなければ、孤児になんてなってない。

 あんな大罪人にさせられるのだから、不運しか背負っていない筈だ。


 疑心暗鬼の塊は彼女たちも貴族の端くれとしか思えない。

 だから直球で聞こうとした。


『あなたは』

「カイと申します。貴方のお名前は?」


 そこでボイルは自分がミスをしていることに気がついた。

 まだまだ栄養が足りないのだろう。

 ルシアンとリリアは偽名を使って平民を装っていた。

 彼女が何であるかを聞いたところで意味がない。

 彼は自分の安直さに呆れ返り、ボイルのBを書こうとした。


 って言ってるそばから‼流石にボイルは駄目だろ


 なのでBの綴りをRに変えて、その後は適当に書いた。


「ろ……い?ロイくんね。それじゃあ、年上の女性から命令です。ロイくん?私たちのことを気にせずに、ちゃんと寝ていなさい!」


 彼女はそう言った。

「おじいちゃんも行った、行った!」と言いながら、彼女は本当に出て行った。

 そして個室で一人、点滴が一定のリズムで落ちていくのを見守る。


 フュイくんとカイさん。二人共、すごく肌の色が白い。ここはあまり日が当たらないのかもしれない。

 リリアンとルーシアとは別の魅力がある二人。なんていうか……、ちょっと安心するような。

 でも……、俺の名前は国中に広まっている。それに人相画だって。

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