第16話 悪魔の玉座

 礼服の男は兵士に合図を送った。

 そして金属の擦れる音がして、その後ギロチンの音が鳴った。

 ボイルの立っている場所からは音しか分らない。

 鉄板には種も仕掛けもないのだろうから、何が起きたかは分かる。

 直後、大歓声が起きたのだから、彼の首は地面に落ちたのだろう。


 家族の為に…。潔い人、立派な人、絶対に悪魔じゃない人間が…、俺のせいで死んだ


 失禁しながらも彼は「守ってみせる」と言った。

 死の恐怖に抗って、彼は前向きに死んでみせた。

 彼の家族もこの群衆のどこかにいるのだろうか。

 彼はそれを知っていたから、強い父でいられたのかもしれない。


「うう…。うう…」


 怖さに打ち勝った彼を、ボイルはある意味で羨ましいと思った。

 こんなことなら自分が先に死ねば良かったと思ってしまったから。


 彼は何も悪いことはしていない。

 もちろん、それは自分自身もだけれど。


 あの時…、死ねば良かったんだよ…。どうして…


 ギィィと何かがきしむ音、カチャカチャと金具が外れる音。

 スゥゥゥウと鉄板が上に戻っていく音。

 首が無くなって、ほんの少し軽くなった男の体が運ばれる。


 もしかしたら、アレもそれなりの値段が付くかもしれない。


 その全てが二度目の恐怖を煽る。

 一歩、また一歩とギロチンの前に連れ出される。

 ギロチンに付随された手枷、足枷に固定されるではなく、彼はフレーベ家でつけられた手枷足枷のままでギロチンの横に立たせられる。


 このまま…、飛び降りたら…


「ヒューー!!」

「来たぞー!」


 すると、彼が風圧で倒れそうになるほどの大歓声が起きた。

 ここまでは石も届かない、なんて無意味な考えをしてみたが、今日は誰も石を投げないらしい。

 ジェームズの家族がいたならば、ボイルに対して殺したいほどの怒りを持っているだろう。

 ただ、ボイルの視界を埋め尽くすほどに人間がいるし、そもそも顔を知らないから分からない。


「殺せー!」

「悪魔を殺せ‼」


 ただその言葉は変わらないらしい。

 このギロチン台が倒れてしまうほどの轟音と地鳴り。

 無論、150年前は無事に執行できたのだろうから、この程度では倒れない。

 ただ、ボイルは気圧されてヨロめいてしまった。


「おっと…」


 でも、ものすごい力で立たされる。

 やはり同系統の血筋、色濃く受け継がれる英雄の血筋なのだろう。

 そして何より、先ほど一人の正義感あふれる父親を殺しておきながら、正義ヅラを崩していない。

 しかも近くでしか分からないが、礼服の男は少しだけ笑っている。


「皆様、神の御前ですよ。ご静粛に。勿論、気持ちはわかります。ですが、今暫く辛抱を。私からこの悪魔の所業を報告をさせてください。」


 彼の持つ魔力のせいか、それともそういうしきたりか、その一言で群衆は押し黙る。

 そしてご丁寧に説明をしてくれた。


「この悪魔は先日、強姦殺人目的で我らが王の座す宮中に侵入し、賢王ラマツフ様の第五妃に対して、強姦殺害という恐ろしい所業を行いました。そしてその際、ただ邪魔だったという理由で、賢王をも歯牙にかけました。そこまでは皆さんもご存知かと思います。——が、ここから先は知る者は少ない筈です。」


 数十m以上離れている筈なのに、人々の唾を飲む音が聞こえるようだった。

 そして、誰しもが瞳を輝かせている。

 この最恐の悪魔の所業を聞き逃すまいと、息をすることさえ忘れているらしい。

 それくらい物音が一つも聞こえない。


「彼はあの宮中に忍び込んだ男です。その巧みな技術でギロチンからまんまと抜け出しました。常人ならば何処かへ逃走するでしょう。だから私たちは見つけられませんでした。悪魔を褒めることは出来ませんが、まさに悪魔的な驚くべき行動を取ったのです。」


 フレーべの貴族リリアンとルーシア。

 彼らの言葉に踊らされた少年と同じく、民衆も彼の話に引き込まれる。

 恐怖に怯えていなければ、嘘だと知っている少年さえも信じたかもしれない。 


「我らが王国兵士団は、数日かけても居所を掴めなかった。ですが、それは仕方がなかったのかもしれません。人間の思考と悪魔の考えは別物だったのです。この悪魔の目的は逃亡ではなかったのです。」


 固唾を飲む人々、喉仏の動きがシンクロしている。

 誰も疑うことをしない、——疑うなんてとんでもない。

 これは歴史に残る出来事、もしかしたら末代まで語られるかもしれない事件。

 最恐の悪魔『ボイル』の伽話、神話の一部である。


「先の兵士長はこの者が悪魔ということを失念していたのです。悪魔が逃げる?そんなことある筈がないのに。悪魔はただ殺したい、ただ犯したいだけ。悪魔は虎視眈々と狙っていたのです。そして狙われたのはフレーべ様のご家族です。犠牲になったのは、公爵様の御子。嫡男フランツ様、次男スレイン様、長女ズマイネ様、そして平民の男女が合わせて六名。詳しくは言えませんが、死なずに済んだ者もいます。ですが、その方も悪魔に犯されていました。分かりますか⁉この悪魔は逃げる為にギロチンを抜け出したのではありません。快楽だけの為に抜け出したのです。」


 礼服の男の口調が激しくなる。

 つまりはクライマックスが来た。

 少年も目を剥いている。

 とんでもない悪魔がいたものだ。

 その悪魔が今から処刑されるのだ。


 もう安心だ。平和を乱す悪魔、人権を奪う不届きな悪魔はもうすぐ死ぬ。


 礼服の男の言葉で、少年の心は砕けていた。

 茫然自失を通り越して、死という救済を求めてしまっていた。


 そんな意気消沈の悪魔を横目に礼服の男が合図を送る。

 そして悪魔ボイルは何人もの大男に担がれて、無理やりギロチン台に乗せられた。


 カシャカシャ


 金属音がして、あっという間にボイル専用首切り機が完成する。

 前回は、頚椎を痛めるほどに髪を引っ張られた。

 それでもよく見えなかった群衆が、今はそのまま見下ろすことができる。


 俺が死ねばいいんだ。そうすればみんな、幸せなんだ?俺も……もういい。早く殺してくれ。死ねば…助かるんだ…。猿轡ごと俺の首を落としてくれ…


 高さは30mくらいだろうか。

 中々に目が眩みそうな高さだ。

 頭部着地予想地点に大きめの桶が置かれている。

 そこを中心に5m離れているところに民衆がいる。

 だから40m以上は離れているのだけれど、それでもはっきりと分かる。


 眉目秀麗の男女カップル、金髪のカップルだ。

 一人は眼鏡に指をかけ、もう一人は真っ白な帽子が飛ばされないように片手でソレを支えている。

 似たようなカップルはいるけど、間違いない。あの二人。


 リリアン、ルーシア。なんで、そんな目で俺を見てるんだ?そんなに無様な僕の死に様を見たいのか?いや、見たいんだろうな。ちゃんと死なないと、今度はあの二人が危ない。俺が真実を話し、そしてこの男が乗っかれば、きっと髭のおじさんと同じ運命を辿る。


 ボイルには白眼で睨みつけるしかない。

 ジェームズのように、ここにいる人たちに届ける口を持っていない。


 俺だって喋れるもんなら、とっくに喋ってるよ!

 クソ…、今度はアイツらに殺されるのか!


 すると、彼らはボイルの心の声が聞こえたのか急に視線を逸らした。


 いや、逸らしたというより、ある一点を見つめて固まっていた。


 あ?どこ見てんだよ!俺を見にきたんじゃ——


 少年の唸り声を他所に、二人は民衆を掻き分けてどこかへ行ってしまった。

 それはそれで腹立たしい。

 院長先生のように意識がある限り、睨みつけてやろうと思っていたのに。

 落下の間、睨み続けてやろうと思ったのに。


 だが、動きがあったのは二人だけではなかった。


「な! あれは……、ペガサス部隊? どこの隊……。いや、まさか!あれ、フレーべだよな!フレーべがどうして⁉」


 後ろからそんな声が聞こえてきた。


 ペガサス? フレーベ?…それって、もしかして!


 ボイルは胸が一瞬で熱くなった。

 絶対にないと言い切れるだろうか。本当に彼らは切り捨てただけだったのだろうか。

 そう、少年は密かにこの展開を待っていた。ただ、考えないようにしていただけ。

 裏切られるのは嫌だったから。


 でも、やってくれた。

 彼らは本当に約束を果たしてくれるのだ。


 だから二人は助けるタイミングを測っていたのだ。


「その処刑、ちょっと待ってもらいたい!」


 助けてくれるんだ!

 朝令暮改?喜怒哀楽?四捨五入?原点回帰?なんでもいい。

 手首なんていくらでも捻ってやる。


 民衆がパニックになって逃げ出している様が、今はよく見える。

 歓喜という脳内麻薬物質で輝いて見える。

 

 やっぱりリリアンとルーシアは俺を捨てていなかったんだ。公国として独立、そこから俺を救う。完璧じゃないか…


 問題視されている公国の独立。

 なら、この男もパニックに違いない。

 どんな反応をするんだ、見せてみろ。


「これはこれは、ボルシャ侯殿。貴方も悪魔の処刑の見物ですか?」


 そして礼服の男の声。

 今度は侯爵様が登場したらしい。


「ん?お前は……。グランスロッド公のせがれか。どうしてお前がここにいる?」


 礼服の男はグランスロッド公の嫡子だったらしい。

 だが、今から助けられる少年には全く関係のない話である。

 侯爵と公爵の身分の違いさえ、彼には分からないが、今は何もしない方が良いに決まっている。

 あれだけの殺人計画を考えられる二人なのだから、大船に乗った気分で良い。

 我が儘を言えば、フレーべ公爵と次期公爵であるモーデスに来て欲しかったのだが、戦争が始まるかもしれないから我慢だ。


 だがしかし——


「まぁ、いい。俺はなぁ、昔フランツと兄弟の盃を交わしたことがある。つまりはあいつと俺は兄弟分だ。俺はいつもアイツと共に国の未来を語っていた。……それなのに」


 あれ?何を言って…


 雲行きがおかしい?

 でも、少年はただ救いを待つだけである。


「ほう……。それは初耳ですね。そして誠に残念でしたね。」


 少年にはこの後の筋書きが読めない。

 貴族と平民は違う。だから色んな作戦があって、リリアンとルーシアが助けに来てくれる。

 そうに決まっている。


「フランツはその男に八つ裂きにされた。ひでぇ死に方だったって話だ。大切な勲章も壁に貼り付けられちまってよぉ……。俺は……、俺は許せねぇ。だから、その死体は俺が買う!いくらでも出す。だから俺の好きに殺させてくれ。商品が傷つかないように丁寧に臓物を引き出すことも約束してやる。もちろん、生きたままでな。」


 ここで少年は目を剥いた。

 

 今、なんて言った?フレーベの長男がフランツって、さっき言ってなかった?そしてこの人はフランツって人を殺されて俺を憎んでいるって言った?リリアン、ルーシア!俺はこの後どうしたら!今、生きたままって言った⁉生きて助けられるってこと?


 ボイルは混乱する。

 何がどうなっているのか分からない。

 リリアンとルーシアが居たことは間違いないのだ。


「それは困ります。神聖なる儀式ということをお忘れですか?」

「どのみち死体を売り捌くんだろ?だったら、俺が執行人でもいいじゃねぇか。なぁ、立派な兵士諸君?」


 ジャラジャラと何かがばら撒かれる音がした。

 そしてその一枚がコロコロと転がって、ボイルの目の前を通り過ぎる。


 ……金貨って?まさか、この男、本当に俺を?


 そして漸く、何も知らないボイルは疑った。

 リリアンとルーシアは助けになど来ていない。

 だから、彼は必死にもがき始める。


 拷問なんて聞いてない‼


 衝撃でギロチンが作動するかもしれない。

 フランツという男があの場で死んだのならば、ひどい死に様だった筈だし、それは全て記録されている。

 死なないように殺されるくらいなら、死ぬほどの死が欲しい。


 早く落ちろ!俺の首を飛ばしてくれ!


 慌てふためく少年は気が付かなかった。

 少年はあまりに世の中を知らなすぎる。


「おい、あれはなんだ⁉」


 そんな声も聞こえないほどに、少年はもがいていた。

 リリアンとルーシアはただ彼の死を見に来ただけ。理由は少年の憶測通り。


「落ちてくるぞ!それにあれは!」


 そして、彼は忘れている。

 この国には30の貴族がいることを。


 バサァァァァアア


 その瞬間、ボイルの視界が一気に暗くなった。

 そして彼がやろうとしたように、ギロチン台がガタガタと動き始める。


 バキッッ


 何かが折れる音、メキメキと引きちぎられる音。

 何故か視界が高くなっていく。


「うう?ううううう?」


 え。ギロチンが落ちてくるどころか、ギロチンが空を飛んでない?


「おい!待ちやがれ!グランスロッドのガキ、あれはどういうことだ!」

「ほう…。グリフォン、いやワイバーンですか。なるほど、彼は本当に人気者ですね」


 ボイルは呆然としていた。

 だが、街の人はもっともっと呆然としている。

 ワイバーンという生き物は遥か遠くの岩山に住んでいる。

 それは知っていても、実物を見た者はほとんどいない。

 そして、彼らの目には悪魔の手下ワイバーンがギロチンごと悪魔を運んでいるように見える。


 つまり、悪魔はワイバーンをも手懐けていたのだ。


「悪魔……じゃん。やっぱり悪魔だよ、お母さん!」

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