第8話 英雄は色を好む
「ん‼」
悶々とした気持ちが続いた八日目の朝。
ボイルのお世話係の夜担当はルシアン。
ただ、ボイルが目を覚ます頃にはリリアと入れ替わっている。
朝食の為にルシアンが買い物に行く。そしてリリアが朝食を運んでくる。
予定が確定するまで、ボイルを外に出すわけにはいかない。そんな理由。
「どうかされました?」
ベッド周りにはカーテンが無いから、起きて直ぐの声も彼女の耳に届く。
いつもは彼女が発する生活音で目が覚める。
ただ、今日は別の理由で目が覚めた。
「あらあらボイル様!おズボンが濡れてしまって…」
リリアが目を丸くして少年の下腹部を見つめている。
その声に、いや感触に彼自身も気がついてしまう。
心臓が大きく跳ねる。ひんやりする下半身に関係なく熱くなっていく耳、そして顔。
「ルシアンがいつまでたってもおまるを買ってこないから…、本当に申し訳ございません‼」
少年は震えた。だって、これはおねしょではない。
この感覚は知っている。
卒業が決まる少し前、弟や妹たちがおねしょだと
そして、すぐ後にウィリアム院長先生に教えてもらった言葉。
『夢精』
「ボイル様、直ぐにお着換えを‼」
「うー!うー!うー!」
咄嗟に両手で下半身を隠すも、すぐにリリアに手をどかされて、あっという間にすっぽんぽんになる少年。
そしてズボンを近くで凝視した年上の女は、少しだけ目を剥いた。
だけど、元の笑顔に戻るのに時間は掛からなかった。
「…お姉さんの私に任せなさい。ボイル様もやっぱり男の子ですものね。私、着替えを取って来ますから、ちょっとだけお待ちください」
十八歳の大人の女の余裕だった。
でも、一つも頭に入ってくれない。何かを言ってリリアは出て行った。
余りの恥ずかしさに、久しぶりの一人の時間を堪能できない。
それどころか羞恥心で悶絶していた。
こんなことなら、ルシアンさんに正直に言うんだった。
それに…、あの時の夢を見るなんて…
羞恥心で心が破裂しそうになった少年は、部屋の隅で下半身丸出しで座り込んだ。
すると…
「ほい!」
と、明るいルシアンの声が聞こえて、バサッと頭からズボンをかぶせられた。
□■□
十三歳で職業ギルドに入ることが出来る世界。
二十歳のルシアンから見れば、十四歳の少年の夢精なんて大したことではない。
「キングスレイヤー殿はやっと元気になってきたのですね。君はボクたちの希望の星なんです。文字通り、隅に置けない存在なんだから、そんな隅にいないでもっと堂々として下さい。」
金髪のメガネの大人は明るく話しかける。
全員とまではいかなくとも、かなりの男性が経験することだ。
でもボイルにとっては、とてもとても恥ずかしいことだった。
爽やかな笑顔を向けられても、恥ずかしいものは恥ずかしい。
「…と言っても、まだ外は兵隊だらけです。一度、デーモス様の領地に戻っても良かったのですが。ボクもデーモス様も君に演説をしてもらいって思ってしまって…」
演…説…って?
一週間も一緒に居れば、二人が考えていることが分かる。
と言っても、会話の殆どは一方通行なのだけれど。
理由は前の通り。二人はボイルを英雄に仕立てようとしている。
ルシアンとリリアは平民で、デーモスは貴族。二人はデーモスの領地の領民で、多分侍従のような仕事をしている。
王領の大教会が運営するダンデリオン孤児院が世界一恵まれてると思ってたけど、デーモス様の領地では、教育もしっかりと受けられる。平民だからって道具扱いしないんだって。
ほとんどの領地で平民は道具のように扱われるとも言ってたっけ。
だからこそ、今の体制を壊したくない領民の代表であるルシアンとリリア。
知らないことを知っているルシアンとリリア。
「貴族制を廃しても、本当に国が変わるか分からないのですし」
俺たちは目上の人に逆らっちゃダメと教わった。
真面目にコツコツと働きなさいと。殴られたりもしたけれど、それも外の生活でびっくりしない為とか言われたけど。
「ボイル君。君は気付いていたんだよね。だから、死を覚悟してジャイアントキリングを成し遂げた」
孤児院で教わった外の世界では、ボイル達は雇い主の言う通りに生きなければならなかった。
あの子との甘い約束も結局は夢物語、でも身分が無くなるのであれば話は変わる。
っていうか、それしか考えていなかった。
そんな時、ルシアンがお伽噺に登場する人物の名前を言った。
「ラマカデ大王、大英雄。彼の偉業、英雄譚は当然知っているよね?」
「んーん。んん?」
「ルシアン。ボイル様はダンデリオン孤児院出身よ。多分、王族に都合が良い話しか教わっていないわ」
「あ、そか。神様がどうとかって方ね。そっちはつまらないのにね。いいかい、ボイル──」
そして語られる別の物語。
とは言え、王家に不利な内容かと言えばそうでもない。男の子ならむしろ…
ラマカデ大王。
数百年前、この国は50もの部族に分かれていた。
いわゆる戦国時代にあたり、街という街は戦乱でほとんどが燃やされたという。
言い伝えでは国一帯が腐った死体の臭いと燃やされた瓦礫の臭いで地獄のようだったという。
ただ、その中で一人の英雄が現れた。
たった一人で世界平和の為の戦いを始めた男の物語。
ある者は死闘の末に彼の前に倒れ、ある者は彼の家来になる為に膝をついた。
そして瞬く間に、この小さな世界を一つの国にまとめ上げた。
長きにわたる戦争を終わらせた大英雄である。
これが英雄物語の方で登場するラマカデ王。
因みに聖書で登場するラマカデ王はこうだ。
神は乱れた世を滅ぼそうとした。
まさに世界を地獄へと変えた。そこで神とラマカデの討論が始まる。
そして神を説得した男が神に導かれて、女たちを引きつれてこの地に辿り着いた。
つまり聖書と英雄譚の違いは、神と地獄が登場するかしないか。
神に祈りを捧げても、声を聴いたことはない。
地獄って言われても、死んだあとに行くから、想像がつかない。
だから、人間として戦った英雄だと言われた方が、イメージが湧くし、自分に置きかえやすいから、ボイル好みだった。
でも…
「そして君は…、一番血が濃いって理由だけでラマカデだと思い込んだ、矮小で狡賢い王を見事に討ち取ったんだ。もっと胸を張っていいんだよ」
そういうことになる。
御伽噺にも聖書にも登場する英雄の子孫を殺したという罪が、ボイルの罪なのだ。
国をひっくり返す大事件、世界を地獄に帰るかもしれない悪行である。
ただここで、聖書の内容の片鱗が明かされる。
「因みに大英雄にはもう一つの顔があったんだよ。流石に孤児院出身の君は知らないと思うけどね。」
ルシアンはそこですぅっと息を吐き、呼吸を止めた。
今から怪談でもしようかという雰囲気に、ボイルは身構えた。
でも彼は、そんなボイルを見て吹き出してしまった。
「ごめんごめん。笑うつもりはなかったんだ。だって別に大した話をするわけではないんだから。よく言うよね?英雄は色を好むってさ。ラマカデ大王も同じ、——いや、なんだったらその五十の部族を統一する時に、その地の女を孕ませまくってたって話なんだ。もしかすると、それが彼の戦いの目的だったりする…とか、しないとか…」
怖くはなかった。だけど、ボイルが目を剥くには十分な話だった。
純潔が尊ばれる世界だと教わった。乱れた世で神に選ばれた高貴な男がラマカデ王でなければならない。
「で、今いる30の貴族。実は全員が大英雄の子孫って言われているんだよ。因みにこれは、魔法学的にも遺伝学的に証明されている」
ただ、その言葉には首を傾げてしまう。
英雄が色を好んで子孫をたくさん作るのは分かる。
しかも子供が子供を産んで繁殖していくことくらい、動物を見ていれば分かる。
だったらやっぱりおかしい。聖書に倣うなら、全員がラマカデの子孫となる。
英雄譚にしてもそう。
とてもじゃないが、今の理屈では、ラマカデ王の子孫が30家族で収まるとは思えない。
「うーん。不満顔?それはそうか。だったら線引きの話が必要かな。つまり血の濃さ。遺伝子の比率で平民と貴族が線引きが行われたんだ」
「ふーふふ?」
「そうなの‼」
そしてここからリリアも会話に加わって、ついに本題に入る。
王を殺した極悪人を、彼らが匿っている理由に繋がる話。
「詳しい比率を私は知らないのですが、平民はどうやっても貴族には勝てないと教わりました。それは血の濃さが理由なの。英雄の血が濃いほど、魔法も体力も優れている。だから、天地がひっくり返っても敵わない。…でも」
「そう。でも、なんだ。一週間見てきたけど、君はやっぱり平民だ。それなのに王を殺せた…。ってことは、ボク達が知らない何かがあるのかもしれない」
「神様に選ばれた…。きっとそうなんです!神に選ばれた新たな英雄。それがボイル様なんです‼」
ルシアンが英雄譚を語ると、リリアはソレを聖書の話に置き換えた。
「神様は見たことないけど、確かにこう言える。神に選ばれたラマカデになろうとしたラマツフ。神の怒りを買った結果、君が現れた。やっぱり君は特別だ」
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