第6話 とても良い人たち
暗闇を自らの意志で歩くと決めたボイルの後ろから、眼鏡の青年が声を掛ける。
それはとても穏やかな口調だったけど、内容はとても過激なモノだった。
「大丈夫だよ。きっとうまく行く。ご主人様は君に感謝しているくらいなんだ。考えてごらん。貴族制をいきなり廃止するんだ。そりゃ庶民は大満足……、かもしれないね。わるーい領主様の領民だったら」
「うー?うー、うー?」
青年の言葉に、ボイルは言葉にならない唸りを発した。
「酷いとこだと領民が飢えても何もしない。それって悪い領主様だよね。でも、そんな時に備蓄を分けてくれる領主様だったら?不作の時、一緒に悩んでくれて、なんなら新しい農具を与えてくれる領主様だったら?」
「うー、うー」
「少なくとも、今から会うデーモス様は分け与えてくれる素晴らしい方だよ」
ボイルは何も知らない。ただ、国民が平等になれば、あの子と共に歩めるかもしれないと思っただけ。
自己中心的な願望の為の賛成。でも、世界はもっと複雑だった。
恥ずかしくなるくらい、何も考えていなかった。
それから今の彼の発言だ。いや徹頭徹尾か。ルシアンは王の政策に反対を示しているし、ボイルを突き出そうとはしていない。
それにデーモスという人物が貴族だと分かった。しかも、優しい貴族。
ボイルの声は、声というよりは雑音だったにも関わらず、青年はそれに対してこう言った。
「そっか。君はダンデリオン孤児院出身だし…。その辺は教えてもらえないのか。さ、そろそろ出口だよ。大丈夫。終わったらさっきの部屋に戻れるから」
自分の意志で歩き始めて、三分程度。そこで再びドンと背中を押された。
すると、見たこともない品の良い部屋が目の前に、目の横にも、更には後ろにも現れた。
「確かに王様の言っていることは素晴らしいとは思うよ。人間は皆平等、なんて素晴らしい。でも、それが絶対に正しいかって言われると、どうなんだろうね。少なくとも僕を含めてデーモス様の領民は違うんだ。不安でいっぱいなんだよ。さ、好きなところに座っていいよ。座り方くらいは教わっているよね?」
最後のは皮肉。表面的な事しか教わっていないって思われているし、実際にその通りだったから、おずおずと目に付いた椅子に座った。
すると、隣にルシアンが座って、真面目な顔でさっきの続きを仕上げとばかりに説明した。
「今までうまく行っていた人たちにとっては不安。大きな一つの国に放り出されて、自分たちだけで商いをしないといけない。新しい法律も覚えないといけない。何かが起きた時、誰が守ってくれるの?自分たちで自警団を作るの?…自分たちで全部を考えないといけないって、やっぱり不安なんだ」
もしも自分が孤児院を雇い主のいない状況で卒業させられたら、果たして生きていけるだろうか。
外の世界なんて、数ヶ月に一度見る程度。
外には別の世界があって、全然知らない人たちが暮らしている。
そこでやっていけるか不安に思うのは、全ての孤児が思うところだった。
そして、極めつけの一言がここで炸裂した。
「早く君の猿轡が外れないかな。だってさ。君は王を殺したんだ。その理由をボクたちは聞きたくてたまらない。だって、…殺さなきゃって思ったから、そうしたんだよね。話されたら困るから、猿轡を嵌められたんだよね。…ってことは、君はボクたちの仲間。いや、ボクたちに出来なかったことをやってくれたヒーローだ」
頬を染める好青年に、俺はヒーローだと言われた。
でも、王殺しがヒーローなら、俺はヒーローではない。
単に、そんな考え方もあるのかと思っただけだった。
だって何もしていない。何かをされたのは…事実だけど
「あ、そだ。最初、悪党なんて言って、本当にゴメンね。ボクも緊張してた…から。リリアだって…、ね?」
「私は緊張してなかったわよ。最初から私のヒーローって思ってたもん」
ここで少し前に聞いた艶やかな声色が、部屋の空気を艶やかに震わせた。
そういえば、彼女はルシアンにリリアと呼ばれていた。
あの時のことを思い出すと、恥ずかしくなってしまうけれど。
「ボイル君、お茶を…。って、ごめんなさい。猿轡が取れないのよね」
服を着たリリアは愛らしさと美しさを併せ持つ、魅力的な女性だった。
今は申し訳なさそうな顔。ルシアンに向ける冷たい視線の時は美しい顔。
そして柔和な笑みの時は可愛い顔。
「そうなんだ。だから、デーモス様がお戻りになられたら…」
「先ほどお戻りになられましたよ。デーモス様!こちらです」
すると、如何にも貴族様な服装で、品のある四十代前半くらいの男が、扉の側に立っていたリリアの後ろから現れた。
流石に見た目だけで貴族だと分かる。
ダンデリオン孤児院は貴族の侍従さえ輩出しているので、時々貴族らしき大人たちが見学に訪れていた。
もしかしたら、その時に顔を見ている人かもしれない。
「おお。君が噂の…。二人とも、彼を家へ連れてきてくれたか。よくやったぞルシアン、リリア。君ももっと寛ぎなさい。外はひどい様子だが、ここならば安全だからね。我らが英雄様をあんな惨たらしい刑罰で処すべきではない。だから、ここに居る限り、私は君を守ると誓うよ」
口髭を生やした優しそうな大人の男の人だった。
しかも彼はボイルのことを英雄と呼んだ。勿論、王殺しはしていないのだけれど。
でも、彼にとっては王殺しとは英雄で、ここに居るのなら守ってくれるとも言ってくれた。
そして、その理由は先程、懇々とルシアンに教えられた。
「デーモス様、彼、ボイルの猿轡を見てやってくれませんか?」
ルシアンが挨拶もなしに、1番の悩みを貴族デーモスに申し出てくれた。
ボイルにとっては死活問題。この世界がどう転んだとしても、言葉は話したい。
愛の言の葉を紡ぎたい。
「まぁ、待て。ルシアン。とりあえず、手枷を外して差し上げなさい。 私の大切な客人なのだ。順序というものを知るように」
「はい!失礼しました。それではボイル様、こちらへどうぞ。」
口髭の男の言葉で部屋の空気が変わった。
ルシアンが変わる。リリアが変わる。
孤児院で先生に怒られた時の雰囲気とはまるで違っていた。
ルシアンの服も、リリアの服も上等な代物。そんなことより、空気が違う。
品ばかりを感じさせる部屋。
「ん…。ん、ううううう」
「どういたしまして。これで猿轡以外は自由に動くよね」
あっという間に自由になる両腕。ギロチンの時のそれとは違うから、手首は傷ついていなかった。
そんな中、リリアが厳かな歩き方で、何かを準備していた。
彼女を見ると、変な気持ちになる。出会いのことを思い出してしまう。
でも、それは駄目。だから心を無にしようとしたが、無駄でしかなかった。
彼女は盆をテーブルに置き、椅子をずらしてボイル少年の真隣りに座ったのだ。
この甘い香りが、14歳の男の子の無の心をかき乱す。
更には
え、リリアさん。一体何を?
「こういう方法しか、思いつかなかったのです。申し訳ありません。」
何を言っているのか、意味が分からない。
少女は真隣りで、薄紫色の液体を飲み始めたのだ。筒状の藁か何かを使って、ゆっくりと吸い上げている。
コクン
美少女の嚥下の音が、何故か少年の胸を打つ。
そして、今のがもう一度繰り返される。
ただ、今度は嚥下音が聞こえない。その代わりに。
リリアは口にくわえたままのストローをコップから抜き取って、くわえていない先端をボイルに向けた。
え?…な、何?
突然の行動に、うめき声も出せない。そしてそのままストローの先端はボイルの口と猿轡の間に差し込まれた。
その瞬間、口の中にブドウの甘さが広がった。
…ちょっと待って‼これって……
色んな顔を持つリリア。この時の彼女は少しだけ頬を染めていた。
ボイルの常識の男女の機微は、子供レベルで止まっているが、本能は別。
乾ききった喉は一瞬でそれを飲み込んだけれど、そこには彼女が生み出した液体も混ざっている。
そして彼女は言う。
「もう一口、飲まれます?」
ボイルの顔の毛細血管が我先にと拡張する。
せっかく取り込んだ水分も、体温調整の為に汗となって流れ出る。
『間接キッス…だよ?』
という昔、とある少女から聞いた言葉が脳頭蓋の中で反響する。
ただ、乾いた喉が「もっと欲しい」と騒ぎ始めたのも事実。
コクン…
ボイルは喉の渇きを言い訳に、あの子ではない美少女の間接キッスを受け入れた。
しかも、何度も何度も。その度に喉はうるおい、胸の奥の何かも満たされていく。
そして、コップに注がれたジュースがなくなった時、紳士が口を開いた。
「さて、大切なお客様の喉も潤っただろう。そろそろ猿轡を見させてもらおうか。」
ひとしきり待たされていたデーモスが腰を上げる。
すると、リリアはスマした顔でスッと立ち上がった。
勿論、これは仕方のないこと。貴族様と席を変わるため。
だから今度はデーモスがボイルの隣に座った。
名残惜しい…。じゃなくて、ここからが本番だから‼
本当にそう。本来の目的はこっちで、猿轡が外れたらさっきのは必要なくなる。
それを名残惜しいなんて思ってはいけない。
「うーん。ここがこうで、そこは……。なるほど……。ちょっと失礼、中は……、これは……」
中年男は独り言を呟きながら何度も頷いている。
こめかみに指を当てたり、眉間に皺を寄せたり、ため息を吐いてみたり。
その行動の一つ一つが言外に告げていた。
なんとなく、理解した。でも、一縷の望みがあるかもしれない、と少年はただ待つ。
そして、「これならどうにかなる」という言葉を祈るように待った。
だけど、やはり……
「すまないが、私にも無理だ。魔法が複雑すぎる。融合術式を使用して、こんな残酷なことを考えるとは。流石は王族…と言いたいところだが、非人道的なことに使うとは…」
予想通りの診断が下された。
貴族様でも難しい魔法?相手が悪かったってこと…
王殺しの濡れ衣を着せるためだ。魔法に詳しくなくても納得できてしまった。
つまり王族でなければ外せない。だけど王族に掴まれてば、外れるのは猿轡ではなく首と胴。
こういうものとして隠れ住むしかない。どれだけ不便かは、まだよく分かっていないけど。
但し、ちゃーんと救済は用意されていた。
「だが、しかし」
ボイルが絶望色に染まった中、デーモスが自身の顎を摩りながら呟いた。
「私の伝手を使えば、その呪いのような猿轡を外せるかもしれない。だが……」
そう話す彼の声はとても低く、しかもか細く、自信がないと言っているように見える。
そこに食いついたのは、当人ではなく眼鏡の青年だった。
「デーモス様。ボクからもお願いします! 彼はボクの英雄なんです! ボクたち領民は心優しきデーモス様なしでは生きていられません。そして今の王族のやり方は間違っています。このままでは第二のラマツフが現れるかも。…その前に、彼に英雄として壇上に立って欲しいんです!」
熱い男。若いのにちゃんと考えている彼。
「私からもお願いします。叛逆の狼煙には看板が必要です。ボイルは今や『
ルシアンとリリアが頭を下げる。
色んなことが間違っている。けれど、少年は胸を打たれた。
…俺が英雄…に?
俺は何もやっていないけど。それでもこの猿轡を外せるのなら。
反応が遅れてしまったとはいえ、少年もデーモスに頭を下げることにした。
「ううう……ううう」
声にならない。
でも、意味を察したのか、貴族の男は眉間に皺を寄せて、しばらく黙考した。
そして絞り出すような声で、静かに言った。
「……少なくとも一週間は待って欲しい。下調べと根回しが必要だ。流石に高位の魔法使いは監視されているだろう。となれば、どこで誰が見ているか分からない。どうにか隙を作るしかあるまいな。その間、私はこの家から離れる。彼を匿い続けられるか?ルシアン、リリア。」
静かな声、落ち着いた声には希望があり、
「勿論ですよ!」
「はい!お任せください!」
そこには、当人よりも嬉しそうな二人がいた。
ボイルが喋れない代わりに、ボイルの気持ちの代弁をしてくれる二人。
だから、少年も真面目な顔で、悲壮な顔で、深々と頭を下げた。
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