第4話 暗闇で目が覚めたら裸の女の人がいた

 俺は咄嗟にメガネの青年の家に飛び込んだ。

 眼鏡の彼は綺麗な金髪の好青年に見えた。


 え?


 そして彼は何も告げずに、ボイルの背中を思いっきり蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばされた先には大きな床穴が空いており、少年は倒れ込むための足場さえ失っていた。

 だから、そのまま暗闇に落ちていく。


 そか。やっぱり今の人も兵隊さん…。俺を捕まえる為に


 ドスン‼


 考えを心の中で口にする前に全身に衝撃が走った。

 3mくらいは落ちたような気がする。

 ただ、下が木の床だったので、落下死は避けられたらしい。

 激痛と脳震盪とで、生きた心地はしなかったけれど。


 痛い…。結局、捕まった。逃げるなんてやっぱり…


 14歳という若さだからこそ、骨を折らずに済んだ。

 それほどの衝撃が全身を走ったが、実はまだ序の口である。


 駄目だ。どっちが上か下かも分からない。っていうか——


 全身を強く打ったことよりも、猿轡への衝撃が堪らなかった。

 そこを揺らされると脳みそが脳頭蓋の中でシェイクされてしまう。

 結局、ボイルはそのまま意識を失ってしまった。


「うんうん。死んではいないね」


 メガネの青年は、少年の意識の有無を確認せずそう言った。

 そして落とし穴にしっかりと蓋をして、光を一切通さない闇の中に少年を閉じ込めた。


     □■□


 光が全く差し込まない、完全な闇。

 自分が生きているのかさえ、分からない。

 いや、間違いなく生きているのだろう。


 でなければ、この口の痛みと身体中の痛みの説明がつかない。


 もしくは地獄に堕ちたか。

 あの教誨師の言ってた通りに地獄に落とされたとしたら、この暗闇が地獄ってことになる。


 神様も俺を咎人って認識だったのか…


 少年が思い出すのは、孤児院の兄弟達、その中でも妹。

 それ以上の感情を抱いていた少女の面影。

 でも、すぐに別の感情が彼女の顔を塗りつぶす。

 あの夜の出来事が、お前にはその資格がないと罵倒する。


 違う。俺は…何も。俺は…された…だけで…。でも、アリスを裏切ったんだ


 『嫌悪感と罪悪感、それから背徳』


 俺は地獄に堕ちたんだ。もういいよ。後は煮るなり焼くなり好きにしてくれ。

 アリス、俺はちゃんと地獄で罰を受けるから


 斬首刑からどうにか逃げ出せた。とは言え、ここは王家のお膝元。逃げられるわけがない。

 そして、見事に捕縛。というより罠に嵌り、一筋の光もない闇の中。

 孤児院の反省部屋よりも暗い真の闇。この世とは思えない。

 きっと、転落死。もしくは気を失っている間に殺された。


 何にしても、ボイルにとって死は救済だった。

 辛い生活、生からの救済ではない。

 神があの行為を罰してくれたという、裏切りの罪悪と背徳感からの救済だった。 

 ここにあの子が来る筈もないのだし…


 アリスはきっと…、死んだあと天国に行くんだし…


 その瞬間、今までの恐怖も緊張も消え失せた。

 自暴自棄というより、アリスと顔を合わさなくて良いという安堵で、さっきよりも深い眠りに就く。

 何故か木製の床がある地獄でドロドロに溶けるくらい眠る。


 眠った。眠り続けた。地獄の亡者にたたき起こされるまで、拷問地獄へ案内されるまで、ひたすらに眠り続けた。


 だが


 あ…れ…?


 一体何時間?もしくは数日?

 微睡みの中、ボイルの意識は少しずつ戻っていく。

 因みに、少年はまだ夢だと思っている。

 目を開けているかも分からない暗闇。

 そんな中、えも言われぬ心地よさ、包まれている温もりを感じた。


 アリス…?


 まだ夢の中。性懲りもなく俺は…、あの子との夢を見てる。


 アリスとの思い出。夫婦ごっこをした記憶。陽だまりの中、二人寄り添ってお昼寝をした記憶。

 おままごとが好きだったアリス。彼女が作る料理『泥団子』を食べることは出来なかったけど。

 それでも、とっても幸せで、暖かくて…


 そんな妄想の中、少年の耳朶を心地よい声色が震わせた。あの子とは違う空気の振動音、擦過音で。


「あら、起きました?ふふふ、ようやくお目覚めですか?それとも、もう少しこのまま抱いていましょうか?」

「へ…」


 耳元で聞こえた声に、少年は目を剥いた。真っ暗だから剥いたってしょうがないけど。

 そして心臓が跳ね上がる。血圧が上がる。体温が急激に上がる。

 知らない女性の声だった。

 つまり、この温かさは彼女の体温なのだ。

 それだけで少年は硬直してしまう。


 色んな意味での硬直…、地獄に落とされた理由そのもの…


「ルシアン。大悪党様のお目覚めよ」


 そして知らない女は暗闇の何処かに向けて、ルシアンという誰かを呼んだ。

 すると、今度は無機質な音が聞こえた。


 ギギギギギギギギ…


 ひどく鈍い金属音と共に、縦に一筋の光の線が現れる。

 というより、あれは扉だった。一切の光を通さない重厚な扉だった。

 どうしてあんなに分厚い扉がここにあるのか、ボイルには意味がわからない。

 眩しすぎて、扉の向こうの人物の顔を見ることが出来ない。

 だが、それも刹那の時間。

 扉を開ける誰かの奥には光があるから、直ぐにルシアンが誰かを言っているのかを理解した。


 …あいつだ。俺はあいつに蹴られてここに落ちた。ってことはあの続き?もしくはアイツは死神?いや、王様の兵隊…か


 だからボイルは、即座に反抗的な半眼で睨みつけた。

 ソレを見るや否や、ルシアンという名の青年はこう言った。


「ちょっと待ってよ。そんな目で見ないでって。ああでもしなきゃ、君の臭いやら魔力やらで、すぐに見つかっちゃうんだよ?街を彷徨く兵士から見たら、君はこの辺で姿を消したことになっているんだよ?ボクは君の味方。ボクは治安部隊の質問攻めを誤魔化しきったんだ。感謝してほしいくらいだよ。」


 感謝だって?俺は落とされて、体中痛くて…。アレ?痛みが消えてる?

 でも、…そっか。俺は追われて、城下町を彷徨って、それでも見つかって…


 彼らの行動理由は分からないし、掘り下げるほどの知識も気力もない。

 ただ、鵜呑みにするしかなかった。

 助けてくれたらしい。だから一応感謝の言葉を言おうとした。

 だが、口はずっと塞がれていて、目と頭の角度でしか相手に気持ちを伝えられない。

 そして、ボイルはこの後の二人の行動に目を剥いてしまった。


「ルシアンは貴方のために頑張ってたのよ。反抗的な態度はしないでね。それにしても君からは、なんか良い匂いがするわね。普通じゃ嗅げないような……」

「リリア、そりゃそうだよ。だって彼、王様を殺したんだよ? 良い匂いがついていて当たり前じゃないか。アスモデウス王国の敵、庶民の敵、そして悪魔なんだよ、彼。……それより、早く服着てきなよ。もうすぐデーモス様がお帰りになられるよ。」


 ——ボイルは目の前での会話風景に目を疑った、わけではない。


 彼の視界の横から麗しい女性が現れたから、でもない。


 少年が混乱したのは、麗しの女性が全裸だったこと。


 逆光の中、彼女の体の輪郭ははっきりと分かった。

 少年はすぐに目を逸らしたものの、「それではあの温かさは?」と思考が切り替わる。

 下腹部に血液が集まってくるのを感じて、彼は慌てて下半身を隠した。


「う…」


 猿轡をしていても呻き声は出せた。

 両の手を股間に持っていった時、大切な突起物に痛みが走った。

 外れていた筈の手枷が復活していることに気が付いた。

 以前のとは形が違うのだから、彼らが新たな手枷を嵌めたことになる。


 やはり味方というわけではない。

 ルシアンという男だって、俺を罪人と呼んでいた。やっぱり、俺は捕らえられたんだ。


「あ、ごめんね!怪我をちゃんと治すために全部脱がしちゃったの。私はまだ魔力が低いから、地肌を密着させないと、うまく回復が出来なくて。えっと、君は君で私を見過ぎ……かな?恥ずかしいからあんまり見ないで。ルシアンもよ。私、服着てくるから!」

「見てないし。んじゃ、ボクも準備があるから、悪いけどもうちょっとここにいてくれる?えっと、叫んだりとかはしないでね?また追っ払うの、大変だから。」


 そして重々しい扉が再び閉ざされた。

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