第2話 走馬灯。孤児院の暮らし
北を向く。そこには真っ白な山が聳え立っている。
それではと右を見る。東には真っ黒い山が聳え立っている。
ついでにと右足と左足で土をギュッと穿てば、南の真っ赤な山と、西の青い山が見える。
ここで生まれて、ここで育ったんだから、俺にとっては当たり前の風景だ。
俺たちは人間では越えられない山に囲まれて、それでも生きている。
だって、これが俺たちの世界。アーズデウスという世界。アスモデウス王国という国なんだから。
「私たちは皆、罪を背負っています。あなたも私も。そして神に許しを乞う為に、私たちは日々、神の教えを聞き、己を研鑽するします。私たちは過ちを犯しません。私たちは神の教えを守ります。悪魔には屈しません。贅沢はしません。執着をしません。だからどうか私たちをお導きください。」
古ぼけた部屋に子供達の声が響く。
バラバラだったかもしれない。それでも皆、一言一句間違えずに神様に祈りを捧げた。
「さぁ、それでは頂きましょう。」
孤児院長、初老の男性の声がして、俺を含めた子供たちの顔が緩む。
「頂きます」という合掌を合図に少年、少女は大人たちに見守られながら、礼儀正しく作法も間違えずに食事を始めた。
——これはいつかの時代、どこかの世界の王国の片隅で実際にあった話。
そして、今から語るのは昔の俺の話だ。ってことは今生きているのかって?
あぁ、今のところは生きている。
走馬灯ってやつかもしれないけど。
□■□
少年、っていうか俺の名前はボイル。
ボイルは戦争孤児だった…らしい。
らしいというのは、そう聞かされただけだからだ。
父の顔も母の顔も、両親の名前も覚えていない。
孤児院の管理をしていた院長を父と呼び、修道士長を母と呼んでいた。
俺達を直接的に育ててくれたのは間違いなく彼らで、自分の本当の両親について考える機会さえなかった。
考える間もなく、新たな孤児が入院してくるし
神は弱者を救済する…とか、言っていたような。
実際、子供らを育てていた孤児院は、子供たちが耕す畑では成り立たない。
強者たる大人のお陰で生きることができた。
「ボイルお兄ちゃん。ミカが意地悪するー」
「意地悪じゃないもん‼こないだゲームで掃除当番を賭けたの忘れたのー?」
ラミーという赤毛の少女が、年上のボイルに泣きついた。
一つ年下の赤毛のラミー、三つ年下の栗毛のミカ。更には金色髪の少年までも一番上の男の子について回っている。
「だからボク、言ったじゃん。絶対にラミーは負けるって」
「オレもレイクも前にミカに負けたんだよ。絶対にズルしてるって」
「ネイトォ?アタシ、ズルなんてしてないから‼とにかく…」
「とにかくも何も。神様の前で賭けとかダメだろ、ミカ」
「はぁぁぁぁああ?ボイルだって参加してたじゃん‼」
会話で登場したのは男女5人。ミカ、ラミー、レイク、ネイト。そしてボイル。
この中に一人だけ仲間はずれが居る。と言っても、今になっては大したことじゃない。
ボイルとは11番目の
つまりボイルは本当の両親につけてもらった名前を持たない。
とはいえ、それを気にしたことは一度もない。
名前が分かっているから幸福とは限らない。
ここにいるということは家族がいないか、捨てられたか。
「そうだな。だから、俺達みんなで掃除だ」
だから、今日もまた、少年少女の長男として、彼は率先して畑を耕す。
洗濯をする。料理の手伝いをする。作法を教える。
「ボイルお兄ちゃん、ここ、どういう意味なの?ちゅーせいってなぁに?」
「忠誠ってのは、何でも聞かなきゃらないって意味だ」
「えー。あたし、ボイルお兄ちゃんの言うことを何でも聞かないとなの?」
「ここから卒業した後の話だよ。養ってくれる人、雇ってくれる人の言うことは何でもいくんだ」
言葉も教える。忠誠って言葉の意味が違ってても、そう教える。
俺だって、そう教えてもらったんだし。
一人前の大人になるための教養として、年上から年下に向けて同じことが伝えられていく。
それがこのダンデリオン孤児院の伝統だ。
「そつ…ぎょう…」
「マーガレット、お前まーた同じこと聞いてんじゃん。」
「うるさいわね、バッカス。マーガレットはあんたみたいな馬鹿じゃないの。…不安…なんだよね?」
「…ん。少し…だけ」
誰も俺も、ちゃんと卒業についての理解はしていない。
先生から教わり、既に卒業した先輩から教わり、いろんな人に『そういうもの』を教わっただけだった。
でも、俺は最年長なのだから、今まで教えてもらった分を弟や妹に教えなければならなかった。
「マーガレット。大丈夫だ。多分、俺が先に卒業する。…マジで多分だけど。…じゃなくて、その時にマーガレットに手紙を書く。外がどうなっているか、詳しく書くから」
そう言えば…、俺も。似たような事を先輩に聞いたっけ。
でも、その先輩から手紙は来なかった。
その代わり、他の卒業生から皆に向けて手紙が届いた。
「メアリちゃん、言葉遣い。それにー。ボイルは私に手紙書いてくれるんじゃなかったっけ?メアリちゃんも」
「わ、分かってるわよ」
「俺も分かってる。み、みんなに書くから」
同じ感じでその先輩も、みんなに書いてくれたんだろう。
そして手紙を書いてくれなかった先輩は…、多分忙しいんだろう。
当たり外れがあるのは知ってる。
「あ、そういえばメアリちゃん‼バッカスとベルガが居ない‼今日の片づけ当番なのに」
「ほんとだ!またアイツら…」
親に捨てられた。親が死んだ。名前がある。名前がない。
スタートは皆、マイナス。そして、そこから同じ環境で育ってきたのに、十人が十の色を持つ。
だったら、外の世界は十人が百の色を持っていてもおかしくない。
「アリス、マーガレット‼二人はどこ行った?」
「えっと、わたしは…」
「私、分かるかも。メアリちゃん、一緒にいこ。ボイルはマーガレットちゃんを見ててあげて」
「あ…、うん。アリス、俺は…」
「大丈夫。さっきのは半分冗談だから」
一つ下の妹、アリスはしっかり者。それに——
俺は首を横に振りながら、何でもないと無音で呟いた。
そして、悪ガキを追いかける二人の妹分の背中を見つめて溜め息を一つ。
アスモデウス王の領地にある孤児院だから、他領の孤児院よりも随分と恵まれているらしい。
実際、ここでの暮らしは悪いものではなかった。
だから、俺はマーガレットの頭を撫でながら、自分にも向けて「大丈夫だよ」と何度も囁いた。
□■□
ボイルが最年長。
最も長く孤児院で生活をしている。
年上の子供たちが居た時でさえ、それは変わらなかった。
この孤児院が設立して以来、11人目の名前を持たない少年だし。
「この世界は一人の英雄が作りました。英雄の名をラマカジと言います!」
「ジョン、ラマカジじゃなくて、ラマカデ王よ。間違えたら首が飛ぶらしいから、ちゃんと覚えなきゃダメ」
「アリス姉ちゃん、大袈裟だよ。だって、その王様がすごい数の女の人を連れて、この国を作ったんでしょう?そんなことしちゃ駄目って神様が仰られてるし」
「こら、マーヤ。それとこれとは違う話って前に話したでしょ」
ダンデリオン孤児院の教育システムは、ボイルが預けられる前から完成していた。
年長組が年少組の面倒を看る。年長組がどうにもならない時に、やっと大人たちが顔を出す。
「んー、でも。アタシもそれは確かに疑問。ボイル、ウィリアムお父様はなんて言ってたの?」
「遥か昔の話。創世記の話を聞かされたよ。男はみんな愚かで怠けてて、女も怠惰で淫らで。だから本当は全員が滅びる予定だった。そんな中、ラマカデに神に訴えたんだ。勤勉で貞節で心優しい人間もいる。全員を滅ぼすつもりかって、ね」
「そこで神様は言ったの。ラマカデよ、神の目には皆同じに見える。お前にはどの人間が敬虔か分かるのか?…って」
「あれ?アリスも一緒に聞いたの?」
「うん。ボイルだけだとちゃんと覚えられるか不安だったから」
と言っても、図書室にある聖書にも書いてある物語だった。
ただ、聖書の数は子供にとっては膨大だし、言葉も難しい。だから、アリスが一緒に聞いてくれるって話になった。
「ほんと、二人は仲良いわね」
「えー‼アリスお姉ちゃんとボイルお兄ちゃんって仲良しなの?」
「結婚するの?ボイル、駄目だよ。アリスお姉ちゃんと結婚するは…」
「マケイン。そういうのじゃないから。ね、ボイル?」
「う、うん…」
「ったく。当たり前だろ。俺達は卒業後にバラバラになんだから」
「バラバラ…。ふ、ふぇ…」
「バッカス‼だから、そういうのは——」
血は繋がっていなくとも、ここに居る全員は家族。
いや。古代に遡れば、本当の家族に違いない。
だって聖書に因れば、皆ラマカデの子孫だ。
聖書に因れば、ラマカデは穢れていない人間をこうやって選んだとされる。
——性交をしたことがあるかどうか
そして、ラマカデは神に言った。
処女であれば、穢れていない証拠になる、と。
更には、下腹部に突起物がついている以上、証明することは出来ないとして、老若関係なく、男は生贄にした。
これが国の成り立ち。世界の成り立ち。
この話を聞いたのは、もっと後のことだけれど。
「今の国王はその英雄の血を引いているから、そこは本当に大事なの!」
だからこの時は俺も意味が分からないまま、年下の子供に胸糞悪い国の成り立ちを教えている。
でも、勉強とはそういうものだろう。大人に言われたことをそのままスポンジのような脳みそが吸収する。
ただ、それだけ。
平穏な毎日が続けば、偉いとか偉くないとか関係ない。
卒業するまでは、それでいい。
「メアリ、ローズ、マーガレット、それにリサとマーヤ。それから…」
少女は小さな庭を見ながら、子供達の数を数えていた。
そろそろ就寝の時間なので、男女はそれぞれ別の建物に移動となる。
年上の少女は人数を数えている。
年上の少年も同じく人数を数えている。
少年の方はチラチラと少女の横顔を見ながらだったけれど。
「ボイルも真面目に男子の確認をしなさい」
「か、数えてるって。えと……バッカス、ベルガ、ビーグ、ボーズ、ジョン……」
そして彼は慌てて、もう一度男児の人数を数える。
すると…
「あ!今日もいらっしゃってるわね。えっと……、名前は存じ上げないけれど、あの方がいらしたということは、明日はご馳走かしら」
孤児院は教会施設の一画にある。
だからって、教会関係者しか来ないわけではない。
何度も言うが、ここは王領にある大教会で、孤児院も他領のそれと比べるととても恵まれている。
畑仕事だけでなく、文字の読み書きも教わっている。
数の数え方、計算の仕方も習っている。
リネンのランプカバーの修復方法だって教わっている。
ラミーのカーテンの洗い方だって習得している。
農奴の子供よりも多くを学んでいると言っても良い。
だから、この孤児院には目をかけてくれる大人たちが沢山いる。
しかも、遠目からでも分かるほどのお金持ちだ。
いや、お金持ちだからこそ、寄付をしてくれるのだろう。
それにあの
「…ボイル。やっぱり、あの方みたいな美しくて、魅力的な女性の方が好きなのかしら?」
アリスという少女が半眼で睨む。
それを察して、彼は顔を引き攣らせながら首を大きく横に振る。
とはいえ、この時の俺は今、大人の階段を駆け上がっていた。
「ち、違うから!新しい服とかあればいいなって……」
「ふーん。いつも同じ服しか着ていないボイルが服の心配?ま、いいけど?私はまだまだお子様だしね」
「だから違うって」
「へぇ。ほら、バッカスもベルガも情けない顔しちゃってるし。おかしなことじゃないわよ」
少女の言っていることは正しい。
いくら教育で貞操の大切さを知っているとはいえ、実際に大人の女性、しかも相当美しい女性なのだから、つい見惚れてしまう。
ただ、その時の俺の目はどちらかといえば、母性を求めるものだった。
孤児の自分とあの方では、どれほどの身分の差があるのか。それくらいは弁えているし。
「あぁいう人がお母さんだったらって思っただけだし。だって、俺はアリスが…」
すると少女はトンと彼の背中を押した。
「分かってる。でも、それは叶わないこと。…ね、あの方はなかなか来ないから、ボイルも甘えてきたら?ほらほら、バッカスもベルガも行ってるわよ」
「あ…‼…で、でも」
「いいのいいの。また、お団子を一緒に食べてくれたら…」
少年は少しだけ顔を引き攣らせ、少女は満面の笑みを浮かべた。
そして、少女はもう一度ドンと背中を押して、少年はドンと押されて、少年だけが美しい貴婦人の所へ走っていった。
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