残酷に歪んでいる世界、良いことなんて一つもない惨たらしい世界

綿木絹

前編 生まれたことを後悔する世界

第1話 ギロチンの音

「私たちは皆、罪を背負っています。あなたも私も。そして神に許しを乞う為に、私たちは日々、神の教えを聞き、己を研鑽するのです。だが、あなたは過ちを犯しました。それはあなたが悪魔に取り憑かれているからです。だからこそ、こうやって救われるのです。さぁ、神に祈りなさい。煉獄は間違いないでしょう。でも、どうか地獄にだけは落とさないでくださいと……。最後に神に慈悲を乞うのです。」


 教誨師きょうかいし、そう呼んでよいのかは分からないが、死を前に犯罪者に懺悔を促しているので、それに近い種類の人間。

 そんな男の声が、右の方から聞こえる。

 そしてすぐに別の男の声が聞こえてきた。


「お助けください、お助けください。私には妻も子供もいるんです。こんなの何かの間違いなんだ!私は真っ当に働いて、真っ当に仕事をして————


 ドンッ


 その瞬間、金属が何かに擦れる音と、漬物石を床に落としてしまったような鈍い音がした。



「私たちは皆、罪を背負っています。あなたも私も。そして神に許しを乞う為に、私たちは日々、神の教えを聞き、己を研鑽するのです。だが、あなたは過ちを犯しました。それはあなたが悪魔に取り憑かれているからです。だからこそ、こうやって救われるのです。さぁ、神に祈りなさい。煉獄は間違いないでしょう。でも、どうか地獄にだけは落とさないでくださいと……。最後に神に慈悲を乞うのです。」


 また、教誨師の男の声が聞こえる。


「ぼぼぼぼ、僕はちゃんと見張っていたんです。でも、見落としがあったのかも知れません。どうか……神様……。僕に救いを————


 ドンッ


 また、金属が何かに擦れる音と、漬物石を床に落としてしまったような鈍い音がした。



「私たちは皆、罪を背負っています。あなたも私も。そして神に許しを乞う為に、私たちは日々、神の教えを聞き、己を研鑽するのです。だが、あなたは過ちを犯しました。それはあなたが悪魔に取り憑かれているからです。だからこそ、こうやって救われるのです。ですが、同じ聖職者として、言います。あなたが救われることはないでしょう。ですが、権利として、最後に神に慈悲を乞いなさい。」


 また、教誨師の男の声。

 でも、今回は少しニュアンスが違っているらしい。

 そこで彼は考えた。


 聖職者? 神父様? それとも学校の先生?とにかく、これは?



「ワシは関係ないとずっと言っているだろう。なぁ、レーベン。お前とワシの仲じゃないか。そもそもワシにはなんの関係もない。全部、全部こいつが悪いんじゃろ!恩を仇で返しおって、地獄の底で待っているから————


 ドンッ


 また、金属が何かに擦れる音と、漬物石を床に落としてしまったような鈍い音がした。



  今の声、どこかで聞いたような?……まぁ、いい。俺には関係ない……から。



 真っ暗とは言い難い、少しだけ地面が見える視界。

 正確には雑に編んだ袋を頭から覆い被され、首の自由を奪われた状況——勿論、ずっと袋を被っているので、彼自身が自分の状況を理解できるとは思えないが。


 ——そんな中、大歓声とともに教誨師の靴の先が、リネン製の袋越しに少しだけ見えた。


 パチパチパチパチ


「待ってましたー!」


 拍手喝采、さらには黄色い声に男の雄叫び。

 まるでスーパースターになった気分だった。


 えっと、これは誰の……こと?俺の近くにさっきから懺悔しろって言っていた人がいるの?何が起きてるの? なんで大歓声が起きるの!?そんなに僕は……やってはいけないことをやったの?


 声が出せない。

 皆、何かを言っていた気がするが、その時、この猿轡は外してもらったのだろうか。

 勿論、言いたいことは決まっている。


 とにかく僕は無実だ。多分……だけど。一体何があったのか、僕には全然分からなくて。罪とするならば、あの出来事


 コホン


 すぐ側で教誨師の咳払いが聞こえた。

 その小さな咳払いで静まり返る大歓声。

 そして、静かになった後、彼は雄弁に話を始めた。


「私たちは皆、罪を背負っています。あなたも私も。そして神に許しを乞う為に、私たちは日々、神の教えを聞き、己を研鑽するのです。だが、あなたは過ちを犯しました。それはあなたが悪魔に取り憑かれているからです。いえ、この者こそ悪魔と言って良いでしょう。だから今日ここにお集まりの皆様に悪魔の顔を知って頂きたい。」


 ガバッ


 そして、少年の頭から亜麻製の袋が強引に剥がされた。

 彼の言葉通りなら、極悪人の誰かの顔が晒されていて、 その誰かとはやはりボイル少年のことだった。


 痛いって…


 強引に剥がされたせいで、顎周りや耳のあたりが擦過傷のように痛む。

 今から殺される少年と見物人との間にはそれなりの距離もあるし、柵もある。

 結構離れているのに、柵の向こうから息を呑む音が聞こえた。


「え…、嘘」

「まだ子供じゃないか‼」

「ここ、こんな子供が…」


 どよめき、そして驚嘆と戸惑いの声、嗚咽までもが聞こえる。


 …え?俺…、…が悪魔?悪魔って…、何?

 そんなわけないじゃないか‼絶対に違う‼


 少年も同じく戸惑っていた。

 猿轡も外してくれたら、いくらでも弁明できるのに。

 俺は悪魔じゃないと、今も何のことか分からないと言えるのに。


 ぐぃ‼そんな中、教誨師は少年の髪の毛を強引に引っ張って、あちこちに顔を向けさせる。


 乱暴にひっぱるなよ!禿げるだろ‼首も痛いし、首の骨折れそうだし!そもそも、俺は何もやってない‼


 だが、少年の口からは「うー、うー」と呻き声か唸り声しか出ない。

 首元、腰、手足を固定されているから、引っ張っている奴がどんな顔かも分からない。

 その男が大衆に話をする。


「確かに。子供のような風貌の悪魔です。年齢もお伝えした筈ですが。…ですがご安心を。まだまだ子供、でも生物学的には大人ですよ。ですから、間違いなく——」


 教誨師の男は右へ左へと強引に彼の頭を引っ張り続ける。

 だから、強制的に今の状況が目に入ってくる。


 こんな…に…?人間がこんなにいた……のか?


 どれだけの民衆が集まっていたのかを見せつけられる。

 見せつけている男の顔は見えないのに、見物人はハッキリと見える。

 世の中にはこんなにも人間がいたのかと、そこで初めて知った。


「迷える人々よ。これが悪魔の顔です。しっかりと目に焼き付けなさい!絵の描けるものは、今すぐ絵を描きなさい。今回ばかりは神も許されることでしょう。そして、文字の読める者、かける者は、この瞬間を未来永劫に語り継ぎなさい!」


 教誨師の男は今までの淡々とした、抑揚のない喋り方を止めて、人々を掻き立てるような話し方に変わっていく。

 そして罪人を罵りながら、何度も何度も、右左右左と素顔を晒した男の顔を群衆に見せつけた。


 カンッ


 するとすぐ上の方で甲高い音がして、小石が少年の目の前に落ちた。


「見た目なんか関係ねぇ。地獄に落ちろ、悪魔‼」


 大観衆の中で、一人の男が突然そんなことを言った。

 ずっと大衆が叫んでいた言葉だ。そして確信させられた。


「悪魔め!俺たちの王を返せ!」

「子供に化けて、ずうずうしい。地獄に帰れ、悪魔‼」


 直接目を見て言われる。

 今までは麻袋で目も耳も覆われてて、はっきりとは分からなかった。

 でも流石に、自分に向けられていたのだと思い知らされる。


 だけど。だって、だって…


 王を返せって何? 一体、何のこと?王様って、英雄の王様のこと?王様に何かあった?


「市民の味方だった王を返せ!」

「アタシ達の平和を返せ‼」


 触発されたのか、次々に民衆が石を投げ始める。

 その何個かは少年ボイルの顔に当たるが、ほとんどは彼を拘束している何かに弾き返されている。


「皆さん。本来ならば、懺悔をする為の場。投石は辞めて頂きたいのですが……。やれやれ、コレが悪魔なのは間違いないのですから、仕方ありませんか。」


 教誨師の男の足元にも石が転がる。その前に鈍い音もしたから、彼も軽く被害を負っている様子。

 だが、民衆の投石や罵倒を止めることはせず、それが収まるのを見守っているらしい。

 石があたろうとも、少年の髪の毛はがっちりと掴んでいる。


 ガシャン…バシャ…

 

 そして、その石の一つがガンッと音を立てて、何かを壊したような音がした。

 さらにはバシャと液体か何かが地面にぶちまけられる音もした。


 …え?


 投げた石が何かに当たり、何かを破壊した。その何かとは桶のことだったらしい。

 液体と固形の何かの入れる為のモノだったらしい。


 嘘…


 少年の視界の端に桶から零れ出たモノが映る。

 真っ赤なペンキが入ったバケツをひっくり返してしまったような、どろっとした液体が地面に広がる。

 ただ、そんな液体よりも、彼の目を釘付けにしたのは、血まみれの人の頭のような何かが転がり落ちたことだった。

 しかも……


 ウィリアム……院長?


 頭のような何かではなく、顔も耳も鼻も髪も、そして目もちゃんとついている頭部がコロコロと群衆の前に転がった。


 間違えようがない顔。あんな表情は見たことないけど、ずっとお世話になっていた人。大切なお父さんだ。


「ひぃぃぃぃいい」

「きゃぁぁあああ」


 それを見た前列の人々からの悲鳴が聞こえた。

 けれど、少年にとってはそんな悲鳴よりも、自分がお世話になった人の目、何かを睨みつけていたような目が、頭に焼き付いて仕方なかった。

 だって、生首の眼球は殆ど白目。それは瞳の殆どが右側に、院長先生から見ると左側の限界まで移動していたから。


 院長先生がどうして…?どうして…そんな目で…俺を…睨んで…


 俺のせい…ってこと?俺は一体何を…


「皆さま。怒る気持ちは分かりますが、そろそろ本番に…」


 周囲の大人たちが動き出す。今から同じことが起きる。

 漸く取り戻せた視力は、生首を捉えている。だから、何が起きるか簡単に想像できる。


 院長先生の顔は睨んだままで止まっているから、もしかしたら痛くないのかもしれない。

 でも、高齢だった彼の顔の皺は、あんなにも深く刻まれていただろうか。


 俺のせい…。俺のせいで…、俺の、みんなとお父さんが…。だったら、俺が償わないと…。何もやってない…けど。


 そして、時はやってくる。王都の広場に集まった大衆にとって、待ちに待った瞬間が。


 ガタンッ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る