第8話

 ゴルフ場は、ひどい有様だった。


 パンフレットやインターネット上で見た写真と比べるまでもない。月の出ていない闇のなかでもはっきりとわかるほど大きな穴がそこには開いていた。


 あるいはクレーターだろうか。半球状に、芝やら土やら川やらが削りとられ、海からの水と川からの水が、混然一体となって、滝のようにしたたり落ちている。


「爆発物……いやそれにしても」


「すっごい威力だねえ」


 散歩でもするかのような呑気さで、一夏いちかはクレーターを下りていこうとする。もちろん、俺の腕は命綱みたいにぎゅっと抱きしめたまま。


「ちょ、おい!」


「静かに。見つかったらどうするんですか」


「それはこっちのセリフだっ」


 あたりを見回してみる。18番ホールという看板が転がっていた。だとすると、あの明るい方は1番ホールだろうか。


 人工的な光と、発動機の唸り声がこっちにまで届いている。そこには人の姿があったが、こっちにはたぶんいないんじゃないだろうか。パッと見そんな気がする。


「とにかく手を離してくれ、降りづらい」


「しょうがないなあ」


 そう言うと、一夏は渋々といった調子で手を離してくれた。なんで偉そうにしているのかわからない。


 自由になった両手を使って、クレーターの内部へと降りていく。


「ホントに神様の仕業なのか……」


「と、報告書にはあるからねえ」


「テロリストが散布した幻覚剤のせいとか」


「島民が光と音を見てるんだから、その可能性は低いよ」


「だからって神様ってのもな」


 にわかには信じがたいというか、なんというか。


「神様はいるよ」


 そう言った一夏は、キッと前方を見つめている。その先には、闇が広がっていて、なにがなんだかわからない。


「……どうしてそう思うんだ」


「そりゃあ見たことがありますから」


 俺はなんていえばわからなかった。聞いた方がいいのか、それとも、触れない方がいいのか。


 結局、俺は、もくもくと手を動かすことにした。喋ってたら、見回っているやつらに見つかるかもしれない。


 数十分はかけて、ようやくクレーターの底にたどりついた。


 ゴロゴロとした岩が転がっているかと思えば、水たまりもあり、年代物の柱のようなものさえも見つかった。


いそくさいな」


「海が近いから……いや、そもそもここはむかし海だったとか」


「埋め立ててつくったってことか? このゴルフ場を?」


「たぶん。ま、こういうのもあるみたいだし」


 言いながら一夏が拾いあげたのは、木の板。泥まみれになったその棒状の物体には、ワカメみたいな海藻もひっついている。よく見てみると、赤茶けた金属が見えた。


「これ、釘か……?」


「船に使ってたやつじゃないかな」


「だからこんなにサビてんのか。っていうか、なんでゴルフ場の下に」


「放置されてた漁村をそのまま埋め立てたのかもね」


 だとすると、と言葉を区切った一夏は、第一ホールとは反対側の――海の方を向いた。


 海は静かだ。この前の騒動なんて最初からなかったことのように、いでいる。


 その海の方角へと、一夏は歩いていく。


 地面はぐしゃぐしゃのべしゃべしゃ。泥と砂と海水ととにかくいろいろなものが混ざって、沼のようになっている。


 そんな中を、一夏は器用に歩いていく。足取り軽く。


 まるで、神にでも誘われているかのように。


「――――」


 俺は慌てて追いかける。そうでもしないと、置いていかれそうだった。


 すこしして、一夏が立ちどまる。隣に立ったとき、隠れていた月が、タイミングよく、顔をのぞかせた。


 影に覆われていたクレーターがサッと明るくなっていく。


 目の前には、水たまりがあった。水たまりといっても、広い。公園の池くらいの大きさはあった。


 月が浮かぶほど平らな水面からは、にょっきりと石柱が伸びている。


 一本の石柱と、それに支えられた横の石柱。


「これは」


「鳥居だね。足、一本なくなっちゃってるけど」


「ここに神社はあった」


「そして、神様も。だとすると、本当に神様を呼びだしたのかもしれないね」


 一夏は言って、水たまりへと足を踏み出す。


 ちゃぷん。


 音ともに、波紋が水面を駆けていく。


 一夏は、一歩また一歩、奥へと歩いていく。そのたびに、くるぶしが、足首が、膝が、透明な水の中に沈んでいった。


「おいっ」


「律くんはそっちにいて。何か起きたら教えてね」


「何か起きるみたいな言い方だな」


「そんな、神様が怒るかもしれないだなって思ってないよ」


 ワンピースが水面に浮かび、水を吸って沈む。


 一夏のからだはもはや胸のあたりまで海水に飲みこまれていた。それでもなお、彼女は先へと進もうとしている。


 まるで、入水でもするかのように。


 あるいは、そこにおわします神のもとへと誘われているかのように。


「くそっ」


 俺は、水の中へと足を踏み入れる。


 神経に触るような冷たさが、足から全身を走った。夏前だっていうのに、滅茶苦茶つめたい。熱が奪われていく。感覚さえも。


 水をかき分けて、進む。


 一夏の口が水に飲まれそうになったところで、追いついた。


 水中の手をつかむ。熱を感じない、ふやけた手のひらをぎゅっと握りしめて、これでもかと引き寄せる。


 一夏と目が合う。その瞳は、別にぼうっとしていなければ、操られている感じもしない。洗脳だってされていなくて、いつも通りに見える。


 だから、ちょっと驚いた。拍子抜けしたといってもよかった。


「な、なにやってんだ!」


「なにって調査だよ。この先に神社があることは間違いなくて」


「それを早くいえよっ。俺はてっきり――」


 続く言葉を、俺は飲みこんだ。


 言えない。死ぬんじゃないか、と思ってしまっただなんて。


 一夏は、不思議そうに首をかしげて、


「てっきり?」


「…………なんでもねえ」


「えー気になるなあ」


 鈴をころがしたような意地悪な声がやってくる。わかってて言ってるだろ、コイツ……!


 黙秘を続ける俺に、一夏が絡みついてくる。その顔には、ネコのようないたずらっぽい笑みが浮かんでいた。


「そ、そんなことより! ほら、先へ行くぞ」






 俺たちは立ち泳ぎの要領で、先へ進んでいく。


「あれ」


 声とともに一夏が指さす方を見れば、水中に沈んだ建物があった。遠くから見えなかったのは、つぶれたようになっていたかららしい。


 一階建ての質素しっそなつくりで、建物のわきには、転がった鈴と賽銭箱さいせんばこと、びついた金属製の板があった。


 金属板には、大渡おおわた、とあった。


「ここが……」


「だね。神社だ」


「つーことは、神様はずっとグリーンの下にあったってことかよ」


「そして、怒りをたくわえていた。その怒りを海の民というテロリスト集団は利用しようとしていた――」


 その怒りは、何らかの要因――テロリストの死亡――によって、めちゃくちゃとなり、最終的にはゴルフ場にクレーターができた。


「それが、この事件の真相ってわけか」


「たぶん。なにしろ、その神様を見たわけじゃないからねー」


「中入って確認するか?」


「そんな罰当たりなこと、できないよ」


「調子がいいな。山ん上ではしたくせに」


「そりゃあしましたけども、あれは荒れてたし、神様がいないってわかってたからで――」


 不意に世界が明るくなった。


 刺すような白色光は、人工的な光。それがスポットライトであることにすぐ気がついた。それから、多くの人間が俺たちを見下ろしていることにも。


 その手に握られたライフルの銃口が、俺たちをぴたりと捉えていることも。


「……神様なんかより、よっぽど人間の方が怖いな」


「まったくです」


 俺と一夏は、そろって手を上げた。

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