第5話
「お
「そっちが渡してきたんだろーが」
「まさかそんなに怒るとは思わなくて。ごめんね」
振り返った
無視しないでよっていう声が聞こえたけれど、無視するに決まってるだろ。
ぼそぼそした食感は慣れ親しんだもので、味もそっけもなかったが、こころなしか落ち着いてきた気がする。あたりをみる余裕も出てきた。
今俺たちは、山道を歩いていた。道といっても、踏みかためられただけの素朴な道が伸びているばかり。
何メートルごとかわからないが、設置された朽ちかけの看板には『
「それよか、まだつかないのか……?」
「神社っていうくらいだから、けっこう高いところにあるんじゃないの?」
「つーと、確か
「396」
「よく覚えてんな」
「
ひょいひょいと先を歩く一夏のすがたに疲れはまったく見えない。運動が苦手というわけでもないらしい。
「律くんはさあ」
「なんだ」
「前職自衛隊なんだっけ」
その、いつかくるだろうと覚悟していた質問がやってきた瞬間に、ムシのさざめきや木々のこすれ合う音さえも、この世から消えたかのように感じられた。
一瞬ののちに、音が戻ってくる。
先を歩く一夏の様子にかわりはない。
「……報告書、読んでるんだろ」
「そりゃあまあ。でも、
「語るようなことはない。すくなくとも俺が知っていることは、全部報告書にまとめたつもりだ」
「よほどのことをしたんですねえ」
「…………」
「今度こそ冗談ですってば。私もにたようなことしでかしてますから」
似たようなことってなんだよ。
そう思ったけれども、質問できなかった。俺だってどうしてこんなことをする羽目になったのか話したくないのと同じように、一夏だって同じにちがいないのだから。
「あ、見えてきましたよっ!!」
……そうであってほしい。
歓声を上げる一夏のむこうには、今にも崩れそうなほど古い木造建築があった。
おそらく、この建物が
「ひどいな」
「高齢化が進んでるらしいですからねえ」
一夏が、建物へ近づいていく。
小さな本殿の前には、木造の階段が備え付けられていた。一夏がのぼっていくたび、ギシギシ鳴った。
「ばちあたりだぞ」
「相手さんが何かしていたとしたら、そっちの方がばちあたりでしょ」
「なにかってなんだよ」
返事はなかった。
一夏は本殿正面の扉にてをかけた。木製のそれは、拒絶するかのようにひっかかりながらも、やがて動いた。
中は、暗い。しかし、建物のの隙間から明かりがさしこめているのだろう、ぼんやりとだが、様子はうかがえた。
一夏に追いついた俺は、中をのぞき込む。
「見事なほどになにもないな」
「ほこりとカビくらいだね」
「神社とかに詳しいわけじゃないんだが、中ってこんなもんなのか……?」
本堂は文字どおりがらんどう。あるのはよどんだ空気と、ホコリと、年季の入った木目くらいのもの。
俺の言葉に、一夏は首を振った。
「場所によってはそうだけど、普通はなにかあるね」
「じゃあ普通じゃないってことか」
一夏が、ポケットからスマホを取りだして、かざす。放たれた青白い人工的な光が、闇を払っていく。
「うん、やっぱりないね」
「なにが」
「御神体とかだよ。となると、誰かに持ち去られたか、あるいはここは家みたいなものだった……?」
「家って、誰のだよ」
俺がいえば、一夏は信じられない、とでも言わんばかりに目をまるくさせ、
「そりゃあ地上までわざわざお越しになられた神様の」
とため息交じりに言った。なにをそんなこともわからないのかと、首を振っている。ちょっとムカつく。
「ここはホテルかなんかか」
「というよりかは、応接室だよ。いや
「神様はいないようだが」
「いてもらったら怖いよ。怒ってるかもしれないっていうのに」
報告書のことが頭をよぎった。
あれを書いたやつは、現れたのは神様だとかなんとか言ってたっけ……。
あたりがシンと静まりかえっているかのように感じられて、かなり不気味だ。木の陰から、神様が殺意の目線を投げかけてきているような、そんな錯覚さえした。
「……神様なんて、んなバカな」
「神聖な神社でそんなこと言っちゃうんだ」
「べ、別にいいだろ。俺は信じてないってだけだ」
「信じたくないだけじゃないの?」
「なんとでもいえ。とにかく、俺は信じちゃいないから」
俺は神社や、一夏から顔を背ける。
いたたまれない沈黙。風が止み、木々がこすれる音すらしなくなった。
そのせいで、聞こえなくていい声――聴きたくないような絶叫が聞こえたような気がして、気が
「まあ、律くんの考えはともかく」
一夏は神社の扉を閉めて、こっちへ近づいてきた。
「こりゃあ神様について、ちょっとは調べないとダメかもねえ」
「オオワタサマだっけか」
「ここで信仰されてた神様なんだから、名前の1つでもどっかに書かれてないとおかしいんだけど……」
一夏は、額に手を当て、あたりをきょろきょろと見回しはじめる。
「解説とかないのか」
「島民だけに信仰されていたみたいだからねえ。これが八幡宮とか稲荷神社とかだったらわかりやすいんだけど」
「マイナーってことか」
「海の神ってことは確か。オオワタサマ、なんだから海神なんだろうしね」
「『海の民』が海の神ねえ」
奇妙な偶然だ。必然のように思えてならないほどに。
「だが、本当に神様の仕業なのか……?」
報告書には、別の隊員の証言も書かれていた。神様などおらず、つよい光――例えるならフラッシュバンのような焼ける光だけしか見えなかったそうだ。
その後、爆発があったことから、幻覚も爆発もすべて、テロリストの仕業なのではないかという推察がなされていた。
そんなことを思いだしながら言った俺に、一夏は肩をすくめる。
「さあね。それを調べるのもわたしたちの仕事でしょ」
一夏は、今にも倒れてしまいそうな鳥居のまわりをぐるぐる歩きはじめた。何かを探すように、下をじっと見つめながら。
「百円玉でも落としたか?」
「あったあった。律くん、ちょっときて」
手まねきする一夏は、地面をじっと見つめている。そこには、なにか大きなものが草むらに横たわっていた。
ぼうぼうの雑草をかき分ければ、それは石からできた棒状の物体だった。いくぶん、泥にまみれており、刻まれた文字は何と書かれているのか、よくわからない。
「なんだこれ」
「石碑だろうね。ちょっと律くん、起こしてほしいな」
「これを……?」
「うん」
「この
「か弱き乙女には絶対持てないこれを、だよ」
一夏を睨むが、当の本人はどこ吹く風で、うすく笑っている。
あらためて、草葉の陰に寝っころがっている石碑を見下ろす。四角くて太さはこぶし二つ分くらい。長さは、鳥居と比べるとちょっと小さいだろうか。
抱えてみると、つるんと滑りそうになったくらいで、案外簡単に持ち上げることができた。重さはたいしたことはないんだが、ムシが気になってしょうがない。
「まっすぐにして……そうそう」
「なんて書いてあんだ?」
「『海からきた神を
「なんだそれだけか」
「いやいやいや。これは重要な情報だよ、律くん」
一夏の指が、石碑の土にまみれた部分をなぞっていく。そのたびに、
……達筆すぎて、俺には読み取れなかったが。
「海からきたのに、どうしてここに神社はあるんだろうね?」
「それこそ、ホテルなんだろ」
「そういう考えもあるよ。でもそれなら、なおのこと海に近づけるべきじゃない? ホテルは駅に近い方がうれしいでしょ」
「この山からの景色が見たかったとか……」
「正直いってこんな小さな島だよ。神様が楽しみにするとは思えない」
「よくいうなあ」
俺が言えば、一夏はウィンクして。
「わたしは神様の御言葉を代弁しているだけなので」
「じゃあ、天使さん。神様はどうお考えなのでしょうか?」
「海の近くに――ゴルフ場の近くに神社を建ててくれ。そう言ったに違いないね」
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