第4話

 遠くの方からのどかな呼び声が響いてきたのは、俺の服がびっちゃびちゃになってしまったあとのこと。


 ふりかえれば、おばあちゃんが坂を下ってきているところであった。


「島の人間かな」


「だろうな。……っていうか、なんで濡れてないんだよ」


 隣の一夏は、足元しか濡れていない。絶対おかしいだろ。


「これがマジックです」


「言ってろ勝手に」


 本当なのになあ、という一夏は、水のかけあいには飽きたようで、おばあちゃんの方へと歩いていく。


 おばあちゃんは杖を突き、駐車場横のベンチに腰かけてふうと息をついていた。


「こんにちは」


「こんにちは。あんたがたはどこから……?」


「島の外から釣りをしに」


「ああ、釣りかい。どうだったかね」


「いやーまだ釣ってないんですよ」


 一夏が頭をかきながら言う。


「海って久しぶりで、はしゃいじゃって」


 おばあちゃんは、一夏を見、俺をガン見した。たぶん、豪雨に打たれたんかってくらいずぶぬれだったからに違いない。


「そ、そのようじゃの」


「なんで、まだ釣果はゼロです。ボウズです」


「そうか……しかし、今日はやっても釣れるかどうか」


「なにかあったんですか?」


「や、大したことではないのかもしれないが、ゴルフ場の方で、崩落騒ぎがあったそうでの」


「崩落?」


「んだ。ゴルフ場が海に飲まれてしまったとかなんとか」


「そうなんですか」


「もとから地盤がゆるくてねえ。むかしはうちのばあちゃんがお供え物をあげに行ってたんだ。そんときはあんな風にゴルフ場にはなってなくて、歩きにくくてしょうがなかった」


 俺と一夏は顔を見合わせた。


 下調べしたところによれば、ゴルフ場は近年になってできたものらしい。だが、そこに、お供えをするような場所があるのは、たった今はじめて聞いた。


「お供え物……神社か何かが?」


「さあ、ずいぶん昔のことだから、よく覚えとらんとさねえ。花とか水とかを上げていたのは間違いないのだけれど」


「その神様の名前って、ご存じだったりします?」


「オオワタサマっちゅう名前だよ。それはもうおやさしい神様だと聞いておる」


「あ、もしかして、島の中央にある大渡おおわた神社でまつられている神様って」


 背負ったリュックから器用に地図を取りだした一夏が、広げた地図の中央をトントン指さす。そんな様子を見ていたおばあちゃんは目をぱちくりさせて。


「そうじゃが、都会の人なのによく知ってるのう」


「こういう神秘的なこと、好きなんです」






 それから、なぜか釣りをすることになった。


 2人しておだやかな海に向き直り、竿さおを投げたが1匹も釣れなかった。


「おばあちゃんの言うとおりだったかあ」


「というか、なんで釣りをしてるんだ……?」


「言っちゃったんだし、してないとおかしいでしょ。ほら、引いてるよ」


 リールを巻いてみる。釣れたのはモズクだった。


「いやそれモズクじゃなくてただの海藻でしょー!」


「…………」


 きゃっきゃっとわらいながら、一夏は釣りを楽しんでいた。


 俺はといえば、よく熱されたフライパンみたいな砂浜に座っているのが、苦痛で苦痛でしょうがなかった。


 きっかり2時間後。


「お腹すいちゃったし、そろそろやめよっか」


 と一夏が言った。


 そのころには俺は、釣竿を置きっぱなしにして、海水浴場を見て回っていた。


 おだやかな海水浴場だ。ゴルフ場での騒動がなければ、オフシーズンでも人の姿はあったろう。

 なにより眺めがいい。ここで砂浜を駆ける少年少女を撮るだけでも、映えそうだ。


 ゴルフ場の方角を見てみると、マリンブルーが濁っているのがぼんやりと見えた。豪雨のあとの濁流みたいだった。


 それを一夏に伝えると、


「海が汚いから釣れなかったのかあ」


 自分の腕のせいじゃなくてよかったあ、と安堵の息をもらしていた。


 でも、俺にはわかる。


 この先輩、めちゃくちゃ不器用だ。そのせいで魚が釣れなかったんだ。


 何度も何度も釣り糸をからませては、俺に助けを求めに来たから間違いない。


 なんてことを考えてたら、釣竿やらなんやらをリュックに詰めこんでいた一夏が、


「ごはん食べる?」


 と聞いてきた。


「え、食べられるんなら……一夏がつくったの?」


「これでもわたし、料理できるんだけどな」


「悪いがさっきの見てたらとてもそうは思えないんだが」


「ひどーい。食べてくれないの?」


 迫ってくる一夏の手には、花柄のお弁当箱。彼女の目は妙にすわっていて、口を開けないと、その口をこじ開けてでも中味をぶちこんでやる、というような迫力があった。


 ようするに、脅されていた。


「わかったよ……」


 脅しに負けた俺は、イヤイヤお弁当箱を受け取る。プラスチックのケースは、幕の内弁当サイズなのに、びっくりするくらい軽い。


「これほんとに入ってる?」


「開けてみてからのお楽しみ」


 といってニコニコ笑ってやがる。


 俺はそっとお弁当箱を開ける。もしかしたら、何かが飛んでくるかもしれない。あるいは、年をとってしまうガスがいきなり噴きだしてくるかも。


 だがなにも起きなかった。


 開いたふたをシールドのようにしていた俺は、ちいさく咳をする。びくびくしていたのがバカみたいじゃないか。


 しょうがないので、何も感じてません風をよそおってお弁当の中味を見た。


 中には固形食糧こけいしょくりょうがぎっしり詰まっていた。


「好きでしょ、こういうの」


 満面の笑みを浮かべていた一夏を、このときばかりは、本気でぶん殴ろうかと思ってしまった。

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