第2話

 背後でぽーっと汽笛が響いた。俺たちを運んでくれた船が、港へと戻っていく。次の便は夕方六時。それを逃せば、明日の朝までこの島に閉じ込められることになる。


「で、どこ行く」


 フェリー乗り場前のちいさなロータリーでキョロキョロしていた一夏いちかは、


「観光だねっ」


「情報収集――」


 一夏がスタスタ近づいてきたかと思えば、俺の唇に指をあててきた。


「真面目なことはいいけれど、リラックスも大切だよ」


 黒い瞳が笑いかけてくる。


 一夏の指を払いのけると、笑っていた瞳が大きく見開かれた。


「もうっ。りつくんったら乱暴なんだから」


「悪かったな」


「悪いと思ってるなら、カップルらしくしてください」


「……善処する」


 いいでしょう、といって一夏の手が伸びてくる。その真白で細い手を、俺はそっと握る。


 なんでこんなことをしなくちゃいけないのか。その原因となった事件のことについて思いだしながら。






 ことの発端は、CIAからのタレコミだった。あなたがたの国に「海の民」というテロリストが潜伏せんぷくしているという報告が、内閣情報調査室CIROにあったらしい。


 それで調査したところ、大平島おおひらじまで怪しい動きがあるとわかり、防衛庁直属部隊――ようするに特殊部隊だ――が鎮圧に向かった。


 テロリストは射殺されたが、島の3分の1が吹き飛んだ。そのときのことは、報告書にまとめられている。さっき海に捨てたアレだ。


 幸いだったのは、吹き飛んだのはゴルフ場(とテロリスト)だけであり、犠牲者がなかったことだろう。


 現在、「海の民」については、調査中。


 事件は昨夜のうちに終わっていた。にもかかわらず俺たちが来る羽目になったのは、事件を調査してこいと言われたからだ。


 どうやら事件には、超常現象が絡んでいるらしい。


 報告書を読むかぎり、それは神様、ということになるだろうか。






 飼い主に引きずられるぽっちゃり犬のように、俺は一夏のなすがままになっていた。そのうちたどりついたのは、一軒の釣具店だ。


 一夏は、カランコロンと年季の入ったドアを開け、中に入っていく。


 入ってすぐに、なまぐささが鼻をついた。正面には釣り糸やらガン玉やら針やらが吊るされた棚。横には唸りを上げる冷凍庫。しものはった中には、凍ったオキアミとゴカイとソフトクリームとがぶち込まれていた。


 そんなのを見ていると、棚の奥で物音がする。


「どちらさま……」


 年老いた男性の声。俺が返事するよりも先に、


「こんにちはっ」


 一夏の元気な声が、せまい店内によく響く。


 奥から現れたのは、おじいちゃんだ。しわくちゃの目をぱちくりさせて、


「おや、見慣れない顔だが」


「島の外から来たんです。釣り、しようと思ってるんですけど、いい感じのところってありませんかね」


 まくしたてるように一夏が言う。おじいちゃんは、ふんふんと何度か頷いてから、考えるように目を閉じた。


「おいっ」


 俺がわき腹を突けば、くりくりっとした目がこっちを向いた。


「ちゃんと二人分持ってきてるから安心してよ」


「リュックから突き出してる棒は釣竿だったのか。じゃなくてだな、釣りするなんて聞いてないぞ」


「当たり前じゃん、言ってないもん」


「…………」


 ムカついたが何も言わなかった。おじいちゃんが目を開いたからだ。


「そうだなあ、あっちの方は砂浜がある。こっちには岩場があるが、満潮の時は沈むから気を付けたほうがいい」


「なるほどなるほど……ほらっ」


「ん、なんだよ」


「メモしてメモ」


 なんで俺が……。


 そう思いつつも、頼まれた以上はやらないわけにはいかない。一夏は、俺の恋人という〈役〉以前に、先輩である。


 ポケットから手帳を取り出し、メモする。


 書いたところで、顔を上げれば、おじいちゃんが僕のことをほがらかな顔して見つめていた。


「仲がよろしくてうらやましいの」


「別にそういうわけじゃ――」


「でしょうでしょう! 律くんとは婚約もしてるんですよー」


 俺の言葉に被せるようにして、一夏が言った。突き出した薬指には、きらりと輝くプラチナ。それを見て、おじいちゃんが笑う。一夏も笑っていたが、俺は笑えなかった。


 なんでこんなやつと婚約しなくちゃならないのか。たとえ、だとしてもそんなのノーサンキューだ。


 俺の口に手を当て、無理くり口角を上げようとしてくる一夏を押しのけながら、


「ゴルフ場の方はどうなんですか」


 と聞けば、おじいちゃんの眉がさがる。


「ああ、あっちはよい釣り場だったんだが……」


「なにかあったんですか」


「いやね、昨日の夜、空が明るくなったと思ったら、すごい揺れがあったんだよ。それからテレビとか警察とかがたくさん来て」


「あ、来るとき見たよ。『謎の爆発か!』だよね?」


「ゴルフ場はおろか、地形が変わるほどだったらしく、今は立ち入り禁止になっておる」


「なるほど……それは残念」


「じゃが、逆側にもいいものはある」


「なになにどんなのがあるのっ」


 一夏は地図を取りだし、おじいちゃんといっしょにその地図に目を落とす。


 その輪の中に、俺は入れる気がしなくて、店の外へ。


 というか、ヒトに取り入るのがうますぎるんだよ、一夏は。


 そっと扉を押し開け、しずかに閉める。


 ねっとりした浜風が吹く通りに、ヒトの姿はない。夏ともなれば、観光客の一人くらいはいそうなものだが、釣り人さえいなかった。


「あのじいちゃんが言ってたとおりか……」


 ゴルフ場のある方を見る。ここ大平島の地理は地図がなくてもわかる。くる前に、頭に叩き込んできた。


 じゃあなんで一夏が地図を持っていたかといえば、見ず知らずのカップルを装うため。はじめて来たのに地図を持ってなかったら、あやしいじゃないか、とは一夏のことば。


「『旅行中、謎の爆発に立ち合わせた不運なカップル』――なんてむちゃくちゃな設定だ」


 カランコロン。


 振り返れば、一夏が店から出てきたところだった。頬をモチみたいにぷくーっとふくらませている。


「……あんな聞き方したらすっごく怪しいよ」


「気になったから聞いただけだ」


「それがいけないの。今の私たちはアベックなんだから」


「あべ……なんだって?」


「カップルのこと。それはともかく」


 はい、と手渡されたのは、クーラーボックス。ランドセルほどの大きさだったが、けっこう重たい。


「なんだこれ」


「釣り用のエサとかが入ってる」


「いや、それはいいんだが、なんで俺が持たなきゃいけないんだ?」


「重い荷物を持つのは、彼氏の役目でしょ」


 おねがいねーと肩をぽんぽんと叩いた一夏は、海岸の方角へと歩いていった。


 残された俺は、しばらく怒りに震えていたけれども、そうしているのもむなしくなって、クーラーボックスを持って一夏を追いかけることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る