第1話

 報告書を読みおえて、うんとひと伸びする。


 ベンチから立ちあがり、手すりへ近づけば、前方に島が見えた。アレが報告書にあった大平島おおひらじまだ。


 俺が乗る、このフェリーが向かっている場所でもある。


 読みおわった報告書を海へと投げすてれば、吹雪のように舞って消えた。


 背後で音がした。


「あー! りつくんっ」


 振り返れば、こっちを指さす女性のすがた。その顔には見覚えがある。というか見覚えしかない。


 その女性は、タッタッタとまっすぐ駆けよってくるなり、抱きついてきた。


「やっとみつけた。探したんだよ……?」


「ちゃんと甲板に行くって言ったろ」


「聞いてないよっ」


「そりゃあんだけぐっすり寝てたらな」


「ひどいっ。どうして起こしてくれないの」


 よよよと女性は泣く。いや、泣きまねだ。その頬には、一滴のなみだも流れてはいない。


「……どうしてもなにも、俺たちは仕事で来ている」


「仕事っていうなら、わたしと恋仲なのも仕事だよね?」


「…………」


 何も言えかえせなかった。なおも抱きついてくる女性を押しのけようとする手も、止まってしまった。


 ……そうだ。俺とこの女性――千秋一夏せんしゅういちかは、カップルという体で、眼前に広がる大平島へとやってきた。


 先日発生した事件が、本当におさまったのかを確かめるために。






 大平島は、N県北部に位置する大きな島である。


 島といっても、本土からそれほど離れているわけじゃない。むしろ目と鼻の先だ。渦潮うずしおがなければ泳いで渡れそうだと思えるほどに近い。


 それなのに橋はなく、小さなフェリーが朝夕2回、遠くの港から出ているばかり。交通の便はめちゃくちゃ悪かった。


「なんで橋がかかってないんだろうな?」


「さあね、それも事件に関係があったりして」


 一夏が耳元でそうささやいてくる。今の俺たちはただのカップル。どでかい騒動があったのを知り、駆けつけたミーハーな観光客だ。石を投げつけたくなるほどアツアツのふりをしなけりゃならない。


「なんでこんな面倒なことを……」


「しっ。もっと楽しそうにして」


 たゆんとした感触が腕に伝わってくる。一夏を見れば、とろけるような顔をしていて、いかにもバカップルだ。


 また、ため息が出てきそうになって、俺はあわてて飲みこんだ。


 胸が押しつけられているのはどうでもいいが、今は潜入捜査中であることには違いない。俺はぎこちない笑みをかえした。


 どうかするんじゃないかってくらい抱きついてきている一夏は、どこからどう見たって、潜入捜査官には見えない。カンカン帽にふりっふりのワンピース、サンダルまで履いちゃってまあ。


 まあ、俺だって似たようなかっこうなんだけど。


「それより離れてくれ」


「なんでー?」


「暑っ苦しい」


「わたしは苦しくないよ」


「それに、まわりのやつらから殺気を感じるんだよ」


 遠巻きにこっちを見てきている男女(カップルを除く)の視線は、呪ってきてるんじゃないかってくらい鋭かった。

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