15.報いと救い

「さて、長居をしたいのは山々だが、先も言ったように用事を抜け出していてな。早急に戻らねばならないんだ……あとのことは頼めるかい?」

「えぇ、問題ありません」

「じゃあクロウ、お別れの口づけを」

「しません」


 クロウはシッシッと手を振ってアレクセイを追い払うようにする。

 名残惜しそうに何度か振り向きながらアレクセイは去っていった。


「じゃあ帰りましょうか」とのクロウの言葉に、マルタはヴェルナーの手を取りクロウに追従する。

 ペチュニアはギュッとスカートの裾を掴んでいたがやがてとぼとぼとクロウ達とは別の方へ歩き始めた。

 クロウはチラと振り返りその後ろ姿を見送った。


 ▽ ▽


「惨め……ですわね」


 ペチュニアは1人肩を落として歩いていた。

 今日のことはお咎め無しとはなったが、アレクセイに与えた印象は最悪だろう。

 ほんの僅かな優越感を得ようとして何もかもを失った。

 最早、皇妃になるなど夢のまた夢……まともな嫁ぎ先があるかすら怪しいかもしれない。


 今日の企みは家の者には伝えていないとはいえ、こんな夜道をたった1人で歩いていることが惨めさに拍車をかけた。

 もう何のために生きていけばいいかも分からなかった。


「いたぞ!」


 不意に背後からそんな声が聞こえた。

 目を向ければ、手駒にしていた男達がいた。

 アレクセイにやられたのだろう、何人かは顔に青アザを作っている。

 彼らはペチュニアに追い付くと激しい剣幕で詰め寄ってくる。


「おい、ペチュニア! あんたのせいで散々だ!」

「そうだ! アレクセイ殿下にバレたんだぞ! 俺たちはもうお仕舞いだ!」


 ペチュニアは言葉遣いを指摘する気力もなく、男達に対し投げ遣りに言葉を返した。


「よかったですわね。アレクセイ殿下のご厚意で今夜のことは無かったことにしていただけますわ……それと、もう貴殿方あなたがたのことを呼び出すのもこれで最後ですわ。今までご苦労様」


 ペチュニアは話も、関係も終わりとばかりに言い捨て、そのまま歩み去ろうとしたところで男の1人に肩を掴まれた。


「おい! 待てよ!」

「っ! 放しなさい!」


 咄嗟に振った手が男の頬を張った。

 頬を打たれ、僅かに呆けた顔を晒した男は数瞬後には怒りに目を血走らせペチュニアを突き飛ばした。


「ってぇな!」

「あぅっ!」


 地面に倒れたペチュニアを見下ろし逆上した男が叫ぶ。


「お咎め無し? そんなわけねぇだろうが! なめやがって……もう我慢ならねぇ。おい、抑えてろよ……こいつ滅茶苦茶にしてやる」

「っ! 貴方こんなことしてどうなるかわかって……」

「もうどうなろうが知らねぇつってんだよ!」


 他の男達もにじり寄ってきてペチュニアは手足を抑えつけられてしまった。


「とりあえずその綺麗な顔をボコボコにしてやるよ」


 血走った目の男が拳を振り上げる。

 そうして拳がペチュニアに振り下ろされる直前だった。


「はい、そこまで」


 ペチュニアの耳元でそんな声がした。

 気づけば地面に抑えつけられていたペチュニアは、誰かの腕に抱かれていた。


「クロウディア様……?」

「はい、ペチュニア様。少しだけお待ちくださいね」


 ペチュニアを窮地から救い出したのは勿論クロウだ。

 クロウは別れた後、ヴェルナーとマルタを先に帰してこっそり後をつけてきていたのだ。

 もっとも今の展開はクロウにとっても予想外ではあった。


「(様子を見て、まだ何か企むようなら枕元にでも立ってやろうと思ったけど……なんていうか、因果応報ではあるんだけど見過ごせないわよね)」


 ペチュニアを立たせて後ろに庇うとクロウは冷たい目を男達に向けた。


「助長させたのはペチュニア様かもしれないけれど貴方達はやり過ぎです……お咎め無しは貴方達には必要無いでしょう」


「命は取らないで差し上げますよ」

 そう言うやいなや、男達のすぐ傍まで転移したクロウはナイフを素早く振った。


 男達全員の片方の眼球だけをピンポイントでナイフが裂き、悲鳴を上げて男達は目を抑えうずくまった。

 そんな男達を見下ろし、クロウは酷薄な声音で告げる。


「聞こえてはいますね。もし貴方達が今日のことを言いふらしたり、また女性に手を出したりしたらもう片方の目も潰します……解ったなら失せなさい」


 ひぃひぃと逃げるように去っていく男達が見えなくなってから、クロウはペチュニアに声をかけた。


「ペチュニア様、少しは男に襲われる怖さが解りましたか? これに懲りたら……」


 そこまでクロウが言ったところで、ペチュニアはギュッとクロウに抱きついてきた。


「あの、ペチュニア様?」

「……怖……怖かったよぉおおお……うわぁあああああああん!」

「え、えぇ?」


 ペチュニアはクロウに顔を押し付け大声で泣き出してしまった。

 高飛車令嬢の幼い子供のような泣きっぷりに、さしものクロウも戸惑いを隠せなかった。


 ▽ ▽


「落ち着いた?」

「はい……お見苦しいところを」


 ペチュニアのペースに合わせクロウはかなりのんびりとした歩調でペチュニアの屋敷までの道を進んでいた。

 ペチュニアはクロウの後をしずしずとついて来ている

 結局ペチュニアが泣き終えた後、クロウはペチュニアを屋敷まで送っていくことにしたのだ。


「(あんな姿を見せられると放っておけないのよね。泣き虫の子を思い出すわ)」


 クロウの中ではペチュニアはすっかり泣き虫の妹分扱いになっており自然言葉遣いもフランクなものになる。


「あ、あの……」

「うん?」


 いくらか進んだところでペチュニアが意を決したようにクロウに話しかけてきた。

 軽く振り向きながらクロウは応じる。


「どうして……」

「やっぱり女性1人で夜道は危ないでしょう? 私みたいに戦う心得があればともかく」

「そうではなくて……クロウディア様はどうしてこんな、その、酷いことをした私を気にかけてくださるのですか?」

「酷いことって? あぁ、ヴェルナーをけしかけたこと? あんなの騙されたヴェルナーが悪いのよ」

「お茶会でも……黒胡椒を……」

「美味しかったわよ?」

「えぇっ?」

「嘘、実は飲んだフリしただけ」

「そうだったのですか? 私てっきり飲み干してしまったとばかり! あの時は本当に驚きましたのよ」


 思わずといったようにペチュニアはフフッと顔をほころばせた。

 それは本当に花が咲いたような可憐な笑顔。

 高飛車な無理やり造った笑みとは違う、ごく自然な微笑だ。


「そういう顔もできるのね」

「あ……申し訳ありません」

「怒ってるわけではないわ。本当に素敵な笑顔だと思ったの」


 ペチュニア本人としては残酷な仕打ちの積もりのようだが、お茶に入っていたのは黒胡椒だったし、マルタに聞いてみれば男達にも手を出すなといい含めていたらしい。

 一線を越えないというか根っこの部分が善良なのだろう。

 クロウならお茶に下剤を混ぜるくらいはする。


 この、根は優しい少女がどうして多くの女性に嫌がらせ染みたことをしていたのか。

 クロウは少し気になった。


「ねぇ、何で嫌がらせをしていたの? 私だけじゃなくてって意味だけど……」

「それは……」


 ペチュニアは逡巡していたがやがて「聞いて頂けますか?」と心に秘めた葛藤を語り始めた。












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