第16話

 



「寒い……」


 薄暗い蔵に閉じ込められてから、どれだけ時が経っただろう。

 恐らく二、三時間ぐらいだろうが、体感だと数日のような気もする。時間の感覚が正常ではなかった。


 蔵の中は寒くて、身体が冷えてしょうがない。

 いや、身体よりも先に心が冷えていった。これからの未来を考えると、絶望で押し潰されてしまいそうだ。


 誰か助けて欲しい。

 誰でもいいからこの暗闇から助け出して欲しいと願った。


 そんな時だった。

 キイイイイ――と、甲高い音が聞こえて扉が開かれる。


 誰かが助けに来てくれたのだと希望を抱くも、その人物を目にして再び絶望する。


「大丈夫かや、ナナ」


「……」


 扉を開いたのは、ナナを蔵の中に閉じ込めたヌシ様だった。

 ヌシ様は倒れて丸まっているナナに近付くと、無遠慮に彼女の頭を撫でる。


「すまんのぉ、ナナ。儂だってナナをこんな所に閉じ込めたくはないのじゃが、悪い子には罰を与えんといかんのじゃ」


「……」


「さぁ、ここから出よう」


 蔵に閉じ込めた張本人が何を言っているんだと文句の一つや二つでも言いたかったが、ここから出られるのならどうでもよかった。


 ヌシ様と一緒に蔵の中から出ると、ヌシ様は満面の笑顔を浮かべてナナに告げてくる。


「朗報じゃ、もうすぐ指輪が儂等のもとに戻ってくる。そしたらすぐにでも結婚しよう」


「っ!?」


 ナナにとっては全然朗報なんかじゃない。最低最悪の悲報だった。


 ああ……本当にもうお終いなのか。

 自分はこの化物と結婚し、身体を嬲られ、死ぬまで一生ここで暮らさなければならないのだろうか。


(ひどいよ……ひどすぎるよ)


 そんなのは嫌だ。

 大学にも通いたいし、流行りのオシャレな服を着たいし、海外にも行きたいし、素敵な彼氏を作って楽しいデートもしたい。


 まだまだやりたい事が沢山あるのに、何もできずにこんな所に居なきゃならないのか。


 そんなのはあんまりじゃないか。


「おお、来たようじゃぞ。はよせい、儂とナナの結婚が待っておる!」


「……」


 終わった――何もかも。

 ナナが人生を諦めるかのように瞼を閉じた――その時。



「その結婚、ちょっと待ったぁぁああああああああああああああ!!」




 雄々しい叫び声が聞こえてくる。

 その声を聞いて、絶望に染まっていたナナの瞳に光が宿った。


 ああ、私はこの声を知っている。この二日間で何度も聞いた声だ。


 でも、そんな筈がない。

 彼は重傷で、こんな所に駆けつけられるはずがない。

 ましてや、一日二日会っただけのナナを助けようとするはずがないんだ。


 希望を持つだけ無駄なんだ。

 でも……それでも……。


 ナナは顔を上げて、声の方を見た。



「っ……」



 彼がいた。


 ナナが買ってあげたスーツをビシッとカッコよく着ている彼が。


 津積比呂おじさんがそこにいた。


 そして津積比呂ヒーローは、高らかにこう言うのだ。


「助けに来たぜ、ナナ!」


「おじさん!」






        第16話 

     I   WAS   HERO






 メイドに案内してもらったのは、西園寺家の自宅だった。

 そらもう豪邸だったぜ。めちゃくちゃ羨ましいけど、こんな広いところに一人で住むのは寂しいよなってナナに同情しちまった。


 ナナのパパさんが「何をやっている!」って怒鳴り散らしてきたんだど、一々説明すんのも面倒臭ぇから首トンで眠らせてやったよ。


 首トンってわかる? バトル漫画でよく使われている、首に手刀を叩きこんで気絶させるやつな。


 あれに憧れて、小学生の時にめっちゃ練習したんだから。使ったのはパパさんが初めてだったんだけど……。大丈夫かな、死んでないよね?


「ここからヌシ様の神域に入られます」


「おう、サンキューな」


「どうかナナ様を、よろしくお願いします」


「任せろ」


 頭を下げて頼んでくるメイドの肩をポンと叩いて、俺は豪邸の中にあった小さな祠の前に立つ。深呼吸を一つして、祠の中に手を入れた。

 その瞬間、視界が暗転して全く違う場所に飛ばされる。


「うぇ、酔った」


 飛ばされた場所は庭園みたいなところだった。

 ふ~ん、ここが神域って呼ばれているところか。結構悪くないじゃん。


 とか呑気に思っていたら、ナナを連れたガキが俺に声をかけてくる。


「はよせい、儂とナナの結婚が待っておる!」


 な~にが結婚だ、気持ち悪いこと言いやがって。

 お前なんかと誰が結婚するかっての。


「その結婚、ちょっと待ったぁぁああああああああああああああ!!」


 そう叫ぶと、どうやら来たのが俺だって気付いたらしい。

 死んだような顔を浮かべて俯いていたナナへ歩みながら、俺はこう言った。


「助けに来たぜ、ナナ!」


「おじさん!」


 うん、まだ大丈夫みたいだな。

 顔が少し腫れているのが気になるが、服もあの時のまんまだし、エロ同人誌みたいなことはされていないようだ。


 つ~かあのガキ、よくも乙女の顔を殴りやがったな。許せん!


 えっ? 俺はいいんだよ。だってメイドさんから殺しにきたんだし、あれは正当防衛のための男女平等パンチだからな。


「おじさん! うっ」


「これナナ、勝手に動くでない」


 ナナが俺の方に駆け寄ってこようとしたが、縄で縛られるみたいに動かなくなっちまった。あのガキが何かしたんだろう。


「貴様が何故ここにいる、答えろ」


「察しろよクソガキ。テメエをぶっ殺してナナを助ける為に決まってんじゃねぇか」


「ほほう、助けるか。儂に手も足も出ず見逃してもらったのをもう忘れたか? 貴様程度が儂に敵うとでも思っておるのか」


「んなもんやってみなきゃわかんねーだろうが」


「そうか……なら今度こそ貴様の息を止めてやる。ナナの目の前でなぁ!」


「ぐふっ!?」


 前回戦った時のように、いきなりぶん殴られるような衝撃が襲い掛かってくる。俺は防御の構えを取って、できるだけ攻撃に耐えた。


「あんなに息巻いておいて防御しかできんとは笑えるの」


「おじさん!」


「ふん、それにしても頑丈な奴じゃのぉ。普通の人間ならとっくに死んでもおかしくないんじゃが」


「自慢じゃねぇが、俺のしぶとさはゴキブリ並みだぜ」


 異世界に勇者召喚されて、チートも与えられなかった俺が一番初めに何をしたかわかるか?


 死なないための修行だよ。

 ウザいハゲ教官のもと、どんな攻撃にも耐えられるようにって身体を鍛え抜いたんだ。それも二年間、泥水に塗れ、身体は腫れあがり、痛くて夜も眠れない中で毎日な!


 正直俺が最も死を感じた時は、修行パートだったぜ。

 お蔭で二年後にはタフな身体の出来上がりだ。あの魔王が余りのしつこさにドン引きするぐらいだったからな。


「いくら頑丈とはいえ、それでどうやって儂に勝つつもりだ?」


「どーだかな。とりあえずこの見えない攻撃のからくりは見破ったぜ」


「なに?」


「多分透明な玉みたいなのを操ってんだろ。それも一つじゃねぇ、二つか三つは使ってるよな」


「っ!?」


 俺が答えると、ガキはあからさまに動揺した。

 へへ、どうやらビンゴのようだな。


 俺がただ何もせず攻撃を喰らってたと思ってんのか。

 元々前回の戦いで、仕組みはなんとなく理解してたんだよ。その予測を確かなものとする為に、敢えて防御して衝撃の形や位置を正確に測っていたんだ。


「よく儂の攻撃を見破ったの、褒めてやろう。貴様の言う通り、儂はこの三つの玉……玉天ぎょくてんによって貴様を攻撃していた」


「やっぱりな」


 種明かしをするように、透明だった玉が可視化される。

 ガキの頭の上でサッカーボールぐらいの玉がくるくると回っていた。


「じゃが、見破ったからとて何になる。見えない攻撃を防ぐ方法なぞないわ」


「そう思うんならやってみろよ」


「よかろう、貴様が死ぬまで叩きのめしてやる」



 ――来る。



 俺は瞼を閉じて、感覚を最大限まで研ぎ澄ませる。

 攻撃の気配を察知し、背後に裏拳を放った。


 直後、パンッと甲高い音が鳴り響いて玉が破裂する。さらにもう一つ、二つを蹴りと肘打ちで叩き割ってやった。


「ば、馬鹿な……何故儂の玉天の位置が分かるのじゃ!?」


「テメエとは戦ってきた場数が違うんだよ。こんなもん正体が分かれば屁でもねぇさ」


 見えない攻撃をしてくる敵なんか異世界ではゴロゴロいたぜ。

 自分が透明になったり、暗闇に紛れたり、カメレオンみたいに風景に擬態する奴とかな。


 そういう時は感覚を研ぎ澄まし、音や気配を頼りに打ち破ってきた。

 もしテメエの攻撃が空気を操るとかだったらもっと厄介だったが、これはそういう類のものじゃねぇしな。

 異世界で修羅場を潜ってきた俺にとっちゃイージーよ。


「さぁて、今度はこっちの番だぜ」


「ひっ!?」


 ダッと地面を蹴りつけるように駆けつけ、一瞬で間合いを詰める。しかし俺が放った拳は、見えない壁のような物に阻まれた。



「は……はは! 貴様如きの攻撃では、儂の絶対防御結界を破ることはできん!!」


「教えておいてやるよ、クソガキ。絶対防御って言葉ワードはな、破られちまうのがフラグなんだよぉ!!」



 ドドドドドドドドドッ!!

 殴る。何度も殴る。殴って殴って殴ると、ピシッと罅が入るような音が聞こえた。さらに渾身の一打を放つと、ついに見えない壁が割れた。


「ほら、破れたぜ。今度はお前が殴られる番だ」


「や、やめ――」


「だっしゃぁぁあああああああ!!」


「ぶびゃあ!!」


 弓引いた拳を解き放つ。

 俺の拳はガキの頬を捉え、そのまま振り抜けばガキはびゅーんと遠くまでぶっ飛んでいった。


 ふん、ざまぁみやがれってんだ。


「おじさん!」


「ナナ……」


 ナナを縛っていた術が解けたんだろう。ナナは俺に向かって走ってきて、タックルするような勢いで抱き付いてきた。



「おじさん、おじさん、おじさん!」


「そう何度もおじさんって言わないでくれる。メンタルやられるから」


「何でよ、どうして来ちゃったのよ! 死んじゃうかもしれないのに! おじさんのバカ!」



 泣きそうな声音でそう問いかけてくるナナの頭にそっと手を置き、彼女を見下ろしながらこう答えた。



「俺はナナのボディーガードだかならな。お前がそう言ったんじゃねーか」


「……バカ。ねぇおじさん」


「なんだ」


「助けに来てくれてありがと。すっごく嬉しい」



 ああ、その言葉だけで十分だ。

 命を懸けるのに、それ以上は何もいらねぇよな。



「貴様ぁああ!! よくもやってくれたなぁあああ!! 儂にこんなことしてただで済むと思うなよ! 絶対に殺してやる!」


「あのさ~、今感動の場面なんだから空気読んでくれるかな~。お前はもうおいでじゃないのよ」


「許さん、許さんぞぉぉおおおお!!」


「話し聞いてねぇな」



 怨嗟の雄叫びを上げるガキの身体がぶくぶくと膨れ上がる。

 肉体が膨張していき、真っ黒で巨大な化物に変貌した。


 おいおい、化けの皮が剥がれてんぞ。

 つ~か本当に神様なの? どっちかっていうと妖怪のたぐいじゃねぇか。本当は騙してたんじゃねぇだろうな。


「ナナ、俺が渡した指輪、まだ持ってるか?」


「う、うん……」


「悪いな、それちょっと貸してくれ」


 化物になったガキに脅えているナナにそう頼むと、ポケットの中から取り出して渡してくれる。

 俺はその指輪を握りしめ、力を籠める。直後、眩いほどの閃光を放ち黄金の剣へと姿を変えた。


「えっ、その指輪って剣だったの?」


「ああ、俺の相棒だ」


 異世界で手に入れた、勇者の剣。

 苦楽を共にしたこの剣だけは、肌身離さず持っていたお蔭でこっちの世界にも持ってこれていた。


「グハハハハ! そんな剣一つで、真の姿になったワシに勝てると思っておるのか!」


「教えてやるよ、俺はこの剣を持つと勇気が100倍になるんだ」


 どっかのアンパン〇ンみたいにな。


「ほざけ! その剣ごと叩き潰してくれるわ!」


「ならこっちはみじん切りにしてやるよ」


 俺はその場から駆け出し、巨大な化物になったガキへと迫る。ガキは叩き下ろすように拳を放ってくるが、紙一重で躱してその腕を真っ二つに斬り落としてやった。



「ギャアアアアアアア!?!?」


「おいおいどうしたよ、俺を叩き潰すんじゃなかったのか?」


「何故ダぁああ……何故神であるワシがこんな人間如きにやられる!? 何なのだ……貴様はいったい何なのだ!?」


「何だかんだと言われたら、答えてあげるが世の情けってな。そんなに知りたきゃ教えてやるよ。俺は――」



 勇者の剣を肩に担ぎながら、俺はキメ顔でこう答えた。



「異世界を救った勇者だ」




 まぁ、元勇者だけどな。



「ユ……ユウシャ? なんだそれは……」


「さぁ、年貢の納め時だぜ、クソガキ。決着をつけてやるよ」



「死ね、死んでしまぇぇええええええええ!!」



「必殺のぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!」



 荒ぶるガキが俺に突っ込んでくる。

 俺は光輝く勇者の剣を構え、あらん限りの力を込めて振り抜いた。



一歩踏み出す勇気ファーストブレイブゥゥウウウウウウ!!!」



「ギャアアアアアアア――……」



 俺が放った金色の斬撃波が、ガキの巨体を丸ごと呑み込む。

 そしてガキは、耳障りな悲鳴を残してこの世から消滅した。


 ふん、最後はあっけなかったな。

 あっ因みに言うと今の必殺技は必殺技じゃないからね。そんなの俺にねぇし。

 技名だってノリと勢いで適当に考えたものだしな。


「終わっ……たの?」


「ああ、終わったよ。ナナを縛り付けるものは何もねぇ。お前はもう自由の身だ」


「自由……か。ありがとね、おじさん」


「おう」



 ――ゴゴゴゴゴゴゴ!!



「今度はなに!?」


「やっべ」


 突然地面が揺れ、空が割れる。

 恐らくガキをぶっ殺したせいで神域が崩壊しようとしてんだ。このままここに居たら巻き添えくらって出れなくなっちゃう!


「走るぞ、ナナ!」


「……うん!」


「こっちです!」


 ナナと一緒に走っていると、タイミング良くメイドが待ってくれていた。


 俺達はメイドと共に、崩壊していく神域から無事に脱出したのだった。

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