没小説① 異世界転生アンチテーゼ的な。

696首

第1話

 悪夢だった。


 昨日までの日常が、一瞬で崩れることを知った。


 どきに入ろうかとしていた、黄金色こがねいろの小麦畑は見る影もなく。ただ炎が広がる触媒しょくばいとなっている。

 田舎ながらもにぎやかに並んでいた幾つもの木造建築の家は、その殆どが根元から倒壊し、整えられていた中央通りは瓦礫がれきに埋もれている。


 先程まで聞こえていた悲鳴や怒号すら聞こえなくなり、毎朝挨拶を交わしていた声で放たれる断末魔だんまつまを、剣戟けんげきと足音が上書きしていく。


 1人、また1人と、親しかった村人の命が失われていく。


「うあぁぁ゛ぁ゛ぁ゛。あぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」


 ファンゼの背中と、クレーの奇跡に守られながら、何をすることもできず、ただ現実を見て嗚咽をあげることしかできない。


 やがて、目の前で一人奮闘ふんとうしていた父の元に、二人の男女が現れる。

 僕の目から見ても、周囲とは明らかに違うと分かる二人。

 父の命の危機に気づきながらも、気休めの警告を発することも出来ない。


 しかし、父も二人の脅威きょういに気づいたようで、今まで多くの敵に向けていた攻撃の標的を二人に集中させる。


 父の周りにいくつもの矢が現れる。炎の矢。氷の矢。光の矢。闇の矢。

 父の周りに浮いていたそれらの矢は、父の意思に応じて、弓を引かれたように二人の男女の元へと疾く走る。


 父が持つ、父だけが持つ固有スキル〈ほしちるいのりのナイアラ〉。


 しかし、二人の男女は迫り来る大量の矢に対して、何の行動も見せない。


 反応が出来なかったのか、という甘い考えはすぐに捨てさせられる。


 飛んでいった高火力の矢は果たして、二人にダメージを与えることはなかった。


 女の方に飛んでいった矢は、女の身体に届くも、そのまますり抜けて、女の背後の地面に突き刺さる。

 まるで女が実体のない幽霊かのように。


 男の方に飛んでいった矢は、まるで見えない壁に阻まれるように、男の目の前で宙に浮いたまま静止した。


「んなっ…!!」


 理解の外側で自らの攻撃を止められた父が驚きに目を見張る。


 しかし、男の方はまるでそれがも当前といった風に溜息を吐くと、瞬間、男の目の前で止められていた幾つもの矢が恐ろしい速さで逆行し、父の身体へと刺さった。


「うぐぁぁっ…」


 自らの祈りに、流星に身を焼かれた父が苦悶の声を上げる。


 それを見た相手の女の方は一歩、また一歩と父親に近づいていく。

 少しずつ無くなっていく女と父の距離が、あるで自分たちの世界を表しているようで。暖かな生活など、もうとっくに浸食されたというのに。


 やがて、女に間合いに入られると、父は持っていた剣を振るうが、やはり女には実体がないようで、全ての剣戟が女の身体をすり抜ける。


「ひぃっ…」


 対応できない怪物に迫られた父は及び腰になるも、一歩も引くことはない。いや、出来ない。

 後ろに僕がいるからだ。


 それを見た女は軽く目を開くと、右手を前に伸ばす。

 実体の無い右手が、動くことのできない父の身体にぬるりと入り込んでいく。


 女は実体がないのだから、父から危害を加えられないだけでなく、父に危害を加えることも出来ないはずだ。そう思えればどれだけ良かったか。


「あぁぁっ…」


 猛烈もうれつに嫌な予感がしたのは、女の手が入り込んだ場所は、父の心臓がある場所と重なっていたからだろう。


「ごめんね」


 女は殺し合いをしているとは思えないほどに優しく語りかけ、――


 女の手が動いた。


 まるでそこにある『ナニか』を握りつぶすように。


「ぐはぁっ…」


 すると父親はせきみ、大量の血を口から吐く。

 その血すらやはり、父の前にいる女に当たることは無く、女の身体をすり抜けて地面にビチャッと音を立てて飛び散った。


 女が父の胸から手を引き抜くと、父は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。


 父が如何いかなる手段を持ってしても、傷つけるどころか汚すことの出来なかった女の、引き抜かれた右手だけが唯一、父の血で濡れていた。


 そこからは早かった。


 一人で奮闘していた僕の父という支えを失った村は、あっとう間に崩壊した。


 父を殺した二人の男女を含め、圧倒的な力を持つ奴らを前に、村人は抵抗すら出来ずに蹂躙じゅうりんされていき。


 ――そして、全員殺された。


 知っている声が聞こえなくなった村で、僕はただ一人、水を失った水車のように動きを止めて立ち尽くしていた。


 僕の周りでは奴らが動き回って生存者がいないか探している。


 ふと、一人の女性と目が合った。気がした。

 短く切りそろえた黒い髪と、鋭い吊り目が冷たさを感じさせる女性だ。


 女性がいぶかしげにこちらをじっと見つめていると、その隣に別の男が現れた。

 オールバックに整えられた髪の毛は、多少茶色がかっているがやはり黒。筋肉に覆われた身体が異彩を放っている。


「ここにいたのか……何をしているんだ?そんなところをじっと見て」

「いや、誰かいるように感じてな」

「?。虫でも感知したんじゃねぇの?」

「そう…かな。それで?私に何か用?」

「あぁ。アオが読んでたぜ。村の入り口の方で。行ってやれ」

「あぁ分かった」


 二人は短くやり取りすると、ふっと女性の姿がその場から消えた。


 男の方はこちらをちらりと眺めてから踵を返して去って行った。




 ◇




 僕は一人、村の中央に立っていた。

 大量の瓦礫と見知った顔の遺体だけが転がった村には音一つ聞こえない。

 この村を完全に殲滅したことを確認した奴らは速やかに帰って行った。


 唯一残った焦げ臭い匂いが、僕の瞳に先ほどまでの悪夢を鮮明に映し出す。

 目の前で繰り返される蹂躙に煮られて、憎悪とどうしようもない怒りが心の底からふつふつと湧き出てくる。


 許せない。


 許せない。許せない。


 こんな理不尽がまかり通ってしまう世の中が。


 許せない。


 守られるだけで何をすることも出来なかった無力な自分が。


 許せない。


 そして何よりも、僕の愛した家族を、村の人々を、蹂躙していった――






 ――が。




 狂おしい程の怒りの激情に一通り身を任せ、心の表層に仕舞ったは、決意を胸にして、歩き出した。


 忘れないようにあたりの光景をしっかりと目に焼き付けながら。






 プロローグ 完

                     一章へ続く

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