第6話 そんな大人にはなりたくない
そこそこの大学から奇跡的に入れた大企業。家族も喜んでくれた。辞めればガッカリされてしまう。
それに仕事自体は好きだし、良いお客さんもいる。そんな応援してくれている人の期待は裏切れない。
それに、辞めるのは逃げだ。逃げは、負けだ。負けは恥だ。
「ねえ、聞いてんの? おまえマジで無能。死んだほうがいいんじゃないの?」
それまで雑音だった上司の言葉に、こめかみがヒクリと動いた。
クソだ。こいつは、人間のクズだ。でも、抵抗しても無駄。社畜なんてそんなもんだ。
もう、疲れた。もうこいつと顔を合わせるのもいやだ。
「おい、クズ聞いてんのか!?」
脇沢が私に向かってそう怒鳴った時だった。
「クズはきさまだろうが」
その声とともに、一匹の白い獣が私の側をすり抜けていったかと思うと、脇沢の頭からかじりついた。
「へえあっ!?」
あまりの出来事に言葉にならない悲鳴をあげ、私はその場にへたりこんだ。幸い、オフィスチェアーが下にあって私を受け止める。
獣は満足そうに咀嚼している。もう脇沢の姿はない。
その身体は狼に似ているが、鼻は像に近いだろうか。でも、像よりは短い。四つ足の見たこともない獣は、私の方を向き、笑んで会釈をした。
「おい、ナツメ。良夢まで間違って喰うなよ。浸食されたのはこの部分だけだからな」
いつの間にか黒鴑が現れていて、私の隣に立った。
「ぎょいぎょい~」
言うなり、白い獣は白い服を着た金髪サラサラヘアーの子どもに姿を変えた。
「ど、どうなってるんですか」
私が黑鴑に問うと、あいかわらずのぶっきらぼう。
「黙れ」
「だっ!?」
いきなり来て黙れとは、この横暴さは脇沢といい勝負だ。
「あのね、上司が目の前で変な獣に喰われたってのに、黙っていられるわけないでしょ!?」
脇沢と違うのは、なぜか黑鴑には素直に物が言えること。
「別にきさまにとってはいなくても困らん上司だろうが。むしろ、消えてくれたほうが良かったのではないのか?」
「それは――」否定できない。
「でも、なにも殺さなくても」
「人聞き悪いことを言うな。死神でもあるまいし、吾輩は人の命は獲らぬ」
「じゃあ、今のは」
「ちょっと黙っておれ。夢魔の居場所がわからん」
「夢魔?」
黑鴑はあたりを注意深く見回している。何かを探しているようだ。
「夢魔も知らんのか。無知は恥だぞ」
私がムッとしていると、金髪の子どもがニコニコと近づいてきて教えてくれた。
「夢魔は悪夢を産み出す魔物ですよ。良い夢も、夢魔が悪い夢に変えちゃうんですよ。ぼくは獏のナツメ。悪夢を食べるのが仕事なんです。そうすると、ほらね」
子どもは手のひらを私に見せてきた。その真ん中に淡い金色の光。一瞬光って、消える。その後に残る、金色の透明な珠。
「夢の欠片だよ。黑鴑はこの欠片で箱夢を造る職人さん」
「あーえーーーーっと、」私は必死で思考回路に血を巡らす。
「じゃあ、ここは夢の中なの?」
そういえば、脇沢が頭から獣に喰われてしまったのに誰も何も騒がない。
「そうだよ。夢魔があめの夢を悪夢に変えちゃったんだよ」
「おい、おまえら。ちょっと静かに――」
黑鴑が振り向き、そう言いかけたときだった。
黑鴑の背後に黒い影が突如伸び上がる。
「小癪な!」
黑鴑は振り向きざまその黒い影を一刀両断にした。
黒い影はその場に霧のようになって消え去る。
その途端、辺りが、日が差したように明るくなった。
「さあ、好きに生きよ」
黑鴑がそう言った瞬間だった。
私はオフィスにいたはずが、露天風呂に立っていた。深い森に囲まれて、マイナスイオンたっぷりの癒し空間。
え、露天風呂――ということは?
黑鴑が顔を赤くして、慌ててこちらに背を向けた。
「そんな卑猥なものを見せるな! 吾輩は高尚な箱夢師だぞ!?」
私は自分が裸でいることに気が付いて、慌てて湯に沈んだ。
「あ~いい湯ですね~」
隣ですっぽんぽんのナツメが呑気に泳いでいる。
「なんでいきなり温泉なんだ。きさまの思考回路はどうなっている!?」
「こっちが聞きたいんですけど! 一体、なにがどうなってるんですか!」
「今この辺りはおまえの意思に支配されているんだよ。だから、ここはおまえが望んだ場所だ」
「ああ、だから温泉」
「いや、だからそれがわからん! 今の今まで会社で仕事をしていたんだろうが。普通、望むのなら仕事で良い成果を出すとか、上司に褒められるとかじゃないのか」
「そんなの、どっちもどうでもいいです」
「どうでもいい? ならばなぜ会社に行った。好きなことだけすれば良いと言っただろう?」
「惰性、というか、習慣というか。大体、好きなことだけするなんて、無理でしょう」
「――何故、無理だと思う」
「そりゃ、大人ですもん。働かなきゃ食べていけないし。嫌な人とも付き合っていかなきゃいけない。色々我慢するのが大人ですよ」
「そんな大人にはなりたくないな」
「誰しもがそう思って、でも、そういう大人になるんですよ」
「知っている。だから、吾輩は箱夢を創っている。そんな大人の常識クソくらえ」
その言い方が面白くて、私は少し笑った。だが、私はすぐに笑うのをやめた。
黑鴑が刀を納め、おもむろに着物を脱ぎだしたのだ。
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