第5話 死ぬくらいなら、夢を見よ
黑鴑は即座にどこから出したのか刀で器用に避ける。
「何のつもりだ」
黑鴑とサクマが睨みあう。
「仕事ですよ。いい加減フラフラしてないで落ち着いてもらえませんかね。私があなたのことでどれだけ上からせっつかれていると思っているんですか」
「だからと言って強制送還か」
「成仏を拒むのなら致し方ありません。彼岸へ死人をお送り差し上げるのも私死神の仕事」
「強制送還は悪霊だけに使うことが許された術ではなかったか」
「おや、あなたは悪霊じゃなかったですかね。そのジャラジャラ数珠のように付けた夢の欠片がないとここで生きられないのでは?」
「うるさいぞ。我輩は善良な亡霊だ。きさまの悪事はお社が見ているぞ」
黑鴑がそう言うと、サクマはスッと鎌を引いた。
「亡霊のまま役目を持っている者などあなたの他にいませんよ。まったく、こんな状態を許しておくお社さまの考えがまるでわかりませんよ」
「お社さまとて万能ではあるまい。それに、なにか不都合があるのか? あやかしも亡霊も神も、人が名付けしものであって、本質はさして変わらぬだろう。みな、幽体、霊体だ」
黑鴑も、刀を納める。
「この幽現界においてはね、そうかもしれません。でも、変わらぬということはありませんよ。亡霊であるうちは、あなたはこうして何度でもここに戻る。そしてそのたび、傷つく」
黑鴑がサクマを鋭く睨んだ。
「何もかも忘れたやつが、俺に踏み込むな」
黑鴑が柏手を一つ。
すると辺りの景色がまた変わり、私たちはビルの立ち並ぶ街中に立っていた。どうやら、銀座のようだ。
「ほら、予定が立て込んでいるんだろう。さっさと失せろ」
黑鴑が犬猫を追い払うように「しっしっ」とサクマに手を振る。
「言われなくとも去りますよ。矢羽あめさん、この度は人違いをして申し訳ありませんでした。間違って命を獲らなくてよかったです。それでは、私はこれで」
サクマはそう言うとその場から跡形もなく消えた。
目の前で人が突然現れたり、消えたり。辺りの景色が急に変わったり。こんなこと、とても現実だと思えない。
「私、本当に死んでないんですか?」
私は安堵の息を漏らしている黑鴑に詰め寄った。
「死んでいない。ただし、きさまは冥界との行き来ができる身体になった」
「冥界――って、なんですか?」
「まあ、ひらたく言うとあの世だ。少々死人やあやかしの類が視えるようにはなるが、今までと同じように好きに生きればいい」
「今までと同じように、ですか――」
胃の辺りに黒い塊ができる。その塊はズナツメと重くて、私を身動きできなくさせてしまう。
死にたかったわけじゃない。そう答えたのは、嘘じゃない。
死にたくて、死ぬわけじゃない。
でも、死が頭をよぎるくらいには追い詰められていたと思う。
今までと同じような生活は、苦しいだけだ。もう、あの会社には、戻りたくない。
「おい」
気づくと、黑鴑が私の顔の前で手を振っていた。
「吾輩は好きに生きろと言ったんだぞ」
「好きに?」
「そうだ」
黑鴑は頷き、自信たっぷりに笑った。
「死ぬくらいなら、夢をみよ」
夢を――。
「おまえの夢は、吾輩が保証する」
黑鴑はそう言い残すと私に背を向け歩き出し、やがて姿を消してしまった。
追いかけていって色々聞きたい。でも、聞きたいことがありすぎて、何から聞けばいいかわからない。
呆然と立ち尽くしていると、私はふと視線を感じた。
振り返ると、ダークスーツに耳を包んだ中年の男性が、こちらをニヤついた顔で眺めている。
だがその男も不意に消える。
当たり前のように。
なんだか、不思議な世界に入り込んでしまったような、そんな気がした。
□ □ □
「俺はベターな結果は求めてないんだよ。ベストを出せ、それ以外は成果じゃない」
脇沢がバンッと音を立てて机を叩いた。
脇沢は営業部部長。私の直属の上司。今目の前で青筋立てて怒鳴っている。
「大体おまえやる気あんのか? まともに成果も出してねえのに残業申請してんじゃねえぞ。みんなおまえより優秀なのに、おまえより頑張ってるんだぞ? 三流大出のおちこぼれのおまえは人の十倍努力しなきゃなんないんじゃねえのか?」
胃がキリキリと痛む。
毎月のノルマはギリギリだけどこなしている。
朝は誰より早く会社に来ているし、帰りはお客さんのところに寄って終電を逃すことだってある。ほとんど寝ないで毎日会社に来ているし、仕事のための勉強もしている。
落ちこぼれの自覚はあるから、努力は、人一倍しているつもりだ。
でも、反論はしない。
こういうときは、口答えしないで言いたいことを言わせておくのが一番早く終わる。
上司の脇沢は他人の話を一切受け容れない。上司にはいい顔する癖に、部下のことは自分が評価を得るための駒としか思っていない。
新人は入ってもすぐに辞める。
正義感が強くてこの上司とぶつかる者もあったが、無駄だ。脇沢とは議論にもならない。結局その新人もすぐに辞めた。
辞めれるひとはいい。私は、この会社にしがみつくしかない。
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