第4話 死神


「死にたくなかったのか?」

 男の人がそう言い変えた。


「さっき、スーツでしたよね」

 私の問いに、男は顔をしかめる。


「そうだが……それがどうした」


「今は、黒色の着流しだから。早着替え、どうやってやったのかなって思って」

「着替えたわけではない。幽体の意識が切り替わっただけだ」

「その説明、よくわからないです」


「おまえ、ゆとりだろう」

「どちらかというとさとりです」

「どっちでもいい」


「あなたが言い始めたんでしょう。大体そうやって世代ひとからげにして人のことばかにするのやめたようがいいですよ」

「そういうところだ。そうやってズケズケと目上の者に物を言うところが気に喰わぬ」


「だれかれ構わず言うわけじゃないですよ」


 脇沢みたいに、一切人の話を聞かずに怒鳴ってくるような相手には何も言わない。

 この人は、物を言いやすい雰囲気を持っている。


「てゆうか、なんであなたが目上なんですか? 年齢そんなにかわらないでしょ」

「吾輩はきさまよりはるかに年上である。幽体の見た目が変わらぬだけだ」


「幽体ってなんです?」

「魂の力の一つだ。生きている間は、幽体が肉体の動きや思考を操っている。死ねば肉体を失い、幽体が生きていたときに使っていた身体のようになる」


「なんだか、脱皮みたいですね」

「それは、的を射ているような、違うような……」

 と、男は首を捻り考え込んでしまった。


 きっとこの人は生真面目だ。

「それから、」


 ビシッと男は思い出したように、自分の着ている着物の襟をつかんで私に示した。


「この色は黒ではない。射干玉色だ」

「ぬばたま?」


「そうだ。色名は正しく使え。少しの色の違いが、夢の違いになる。ぶどうを食べたかったのに、巨峰が出てきたら最悪だろう?」


「サイアクというほどでもない気がしますけど……」

 でも、それはちょっと残念かもしれない。ぶどうと巨峰は、大きさも味も違うから。


「死にたいわけじゃなかった」

 ただ、生きることの意味が、わからなくなっていただけ。


 男は急に答えた私に少し戸惑いながら、「わかった」と頷く。

「きさまは、死んでいない。矢羽あめ」


 なぜ私の名前を知っているの。

 そう尋ねる間もなく、男は自分の名を名乗った。


「吾輩は黑鴑葵。頼んではいないが、身を挺して吾輩を助けようとした、きさまの小さな親切大きなお世話には敬意を払おう」


 黑鴑はそう言うと、私の顔の両側に手を伸ばしてくる。その両腕には、左右三つずつ色とりどりの珠でできた数珠をしていた。黑鴑が、私の耳元でパチンと指を鳴らした。


 ジンッと一瞬耳たぶが熱くなる。

「似合うぞ」


 黑鴑がニッと笑った。尊大で感じの悪い男だが、そんな表情をするとどこか少年のようでなんだか憎めない。


「なんですか?」

 耳たぶに手を触れてみる。すると、着けていたピアスの形が変わっていた。


「ピアス、くれるんですか?」

 というより、今の一瞬でどうやって付け替えたのだろう。


角ばった、ボタン型のピアスだ。つるつるとした感触は、ガラスかプラスチックのようだが、何か少し違う気もした。


「ああ、やる。その代わり、決して外すな」

「決して?」


「そうだ。運動中も、睡眠中も、入浴中も、片時も外すことは許さぬ」

 ――やっぱり尊大な男だ。


「そんな窮屈な束縛のあるピアスなんていらないですよ」

 私がピアスを外そうとしたときだった。


 周囲に冷たい風が吹いた。いや、凍えるような、と言ったほうが正しいかもしれない。


「厄介な奴が来たな」

 黑鴑が呟く。


 一瞬の冷風が通り過ぎると共に、私は見知らぬ場所に立っていた。

 一面草原。向こうにはキラキラと輝くようなきれいな川が流れている。空は群青色で、雲はない。


「どうも、お待たせいたしました」

 突然、目の前に黑鴑とは別の男が現れた。


 全身黒服の着物。たぶん、これは黒でいいと思う。透き通るような白い肌に切れ長の目。血のように赤い瞳に、背には死神が持っているような大きな鎌……。


「死神っ!?」

 思わず後ずさる。そんな怯える私を見て、「ああ、すみません」と、死神らしからぬ煌めくような白い歯を見せてその死神は笑った。


「ちょっとスケジュールが押していて、狩り場から直行したものですから」

 そう言い終わらぬうちに死神の姿がタキシード姿に変わり、紳士的に名刺を差し出してきた。


「この時代、この姿のほうが馴染みがありますよね。私、死神のサクマと申します。お迎えにあがりました」


「いや、あまりタキシードに蝶ネクタイの人と触れ合う機会はありませんが……」

 おずおずと、私がその名刺に手を伸ばすと、黑鴑がその手をつかんだ。


 ぐいっと私とサクマの間に身体を差し込んでくる。

「必要ない。こいつはまだ死んでいない」


 初対面なのに、もうこいつ呼ばわりですか、と私は呆れる。黑鴑は絶対社会不適合者だ。


「黑鴑さん。私が貴方を視界に入れないように努力していたことに気が付きませんでしたか?」


 サクマは微笑みながら、黑鴑を睨むという器用なことをした。


「おまえの表情筋はどうなっている。吾輩とて、願わくばきさまの顔など拝みたくない」

「私は真面目に仕事をしているだけです。予定表にこの娘の名が――」

「あるのか?」


 黑鴑は意味深な笑みを浮かべる。


 サクマはいぶかしがりながらも、胸ポケットから黒い手帳を取り出して開く。

その瞬間、黑鴑が柏手を一つ打った。


 サクマは手帳に目を落としたまま一瞬動きを止める。

「あれ?」

 サクマは慌てたように、手帳の頁をめくる。


 それを見て、黑鴑は勝ち誇ったように言った。

「どうだ。なかったであろう。今死んだのは俺だ、佐久間」


「黑鴑葵。享年二十七歳。たしかにあなたの名前が載っていますね」

「また事務方のミスじゃないのか?」

「まあ、自死を繰り返す魂をリストに載せてしまうミスはよくあることですね。それでは、」


 サクマはパタリと手帳を閉じて胸ポケットに戻す。と、同時にさっきの和服姿となるやいなや大鎌を振り翳し黑鴑に襲いかかった。



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