4話:どっちかって言うと不都合だよ!?


 少し歩くと、狩り人や冒険者用が休憩するための小屋に辿り着く。寝泊りができるように作られているからか、近くには水場もある。更にその近くにはドラム缶に似た鉄製の釜が置かれていて、恐らく綺麗好きの誰かが設置したのだろうことが推測できた。


「さ、ゴウ」

「ん?」

「まずは湯浴みしようか」


 にこにこと笑顔を浮かべるレイに、悲しきかな、彼の考えを完全に理解してしまう。確かに、短時間で強い魔物たちを効率良く倒すのであれば俺の力は必要だろう。分かっている。だが。


「嫌だからな!?」


 流石にまだ体を許すつもりはない。

 レイとの関係が深まり、この世界にも愛着が湧いてくれば、もしかしたら割り切れる日が来る可能性はある。しかし、それはまだ遠い未来の可能性であって、今の俺には妥協して上裸で抱き合うくらいが限界である。


「でも、そうは言ってられない状況だろう? 大丈夫、最後まではしないから」

「そっ、そういう問題じゃない! 多少慣れたとはいえ、まだ上半身裸で抱き合って眠るのですら冷静になると抵抗あるんだぞ!?」

「分かってるよ。ゴウが頑張ってくれているのは。でもね、おばさんが動き出した以上被害は広がっていく。それもすごい勢いでね。俺はこれでも勇者だからね、人々を救うためなら……多少は無理を通させてもらうよ」


 レイの瞳は真剣だった。ぐっと握られた手にも力が込められていて、少しだけ痛みを感じる。それだけミウィちゃんは危険な魔人であるということなのかもしれない。けれど、どうにも腑に落ちない。本当にそれだけなのだろうか。


「なんで、そこまでしようと思えるんだよ……お前、あんな扱いされてきたのに……」


 表立って突っかかられることはそう多くはなかったのかもしれない。それでも、言葉の端々にはレイへの嫌悪や恐怖は確かにあった。たった数日しかカテドラルに滞在していない俺にですら分かるぐらいだ。そんな感情を直接向けられていた本人であれば、もっと明確に理解できているはず。なんなら、先に進んでも向けられるものは変わらないかもと言っていたのもレイ自身である。悪魔だの成り損ないだの散々言われてなお、何故。


「俺はさ、性格があまり良くないんだよね」

「うん? それは知ってるけど……?」

「あはは、だからかな。俺はね、そういう人たちが可哀想で、同時に可愛くて仕方がないんだよね」

「うん???」


 何を言っているんだろうか、こいつは。

 俺の質問に対する答えになっているようでなっていない気がする。

 自然と首が傾いたのが分かった。当然目の前にいるレイにも分かっただろう。彼は苦笑すると「みんなね、被害者だから」と補足になっているのか分からない言葉を付け足した。


「被害者?」

「そう、被害者。詳しくは話せないけれど、この世界はね、たった一人のために滅亡の道を進んでいるんだ。多分、俺だけが知っているんだ。そう思うとね、責めるべきものは一つしかないんだよね」

「レイ……お前……」

「だからね、ゴウ。何度も言うけれど、俺に力を貸してほしい。君がいなければ俺は勇者でいられないのだから」


 寂しそうに笑うレイをやはり俺は拒めない。必要とされていなければ、俺の存在は揺らいでしまう。それはきっとこの世界でも同じで。だから、レイが俺を必要としてくれるのであれば、俺は。


「……最後まではしねぇからな」

「ふふ、分かっているよ。戦闘に響いたらお互い困るからね」


 ***


 レイの力を増幅する作業を終え、少しの休憩を取る。

 精神的に疲弊した俺に気を遣ってか、レイが簡単な軽食を作ってくれた。卵とベーコンがサンドされたパンはとても美味しい。淹れられたばかりのコーヒーの温かさも、俺の心を落ち着かせてくれる。異世界というから食品の保存などについてはあまり期待していなかったのだが、魔道具のおかげで食材は新鮮なまま持ち運べるのが嬉しいところだ。量が増えても、青い猫のポケットよろしくマジックバッグという便利すぎるアイテムがあるので問題ない。水回りに関しては多少不便だが、こちらもストックしておけばいいだけの話なのでなんとかなる。なんて便利な力なんだろうか、魔法というのは。


「は~、最高~」

「ふふ、それは良かった。……食べながらだけど、今後について話そうか」

「だな。……どのくらい持ちそう?」

「相手次第では夜明けまで持ちそうな感じはあるかな。だから、ちょっと無理しようかと」


 嫌な予感がする。

 何をするつもりだろうかとレイの様子を見ていれば、彼はマジックバッグの中から笛を取り出した。「はい、これ。魔呼びの笛だよ」と、手渡された笛を観察してみる。変わったところはない、一見ただの笛だが、これを吹くことで魔物を呼び寄せることができるらしい。


「で、これをどうしろと……?」

「ゴウに吹いてほしいんだよね。……先に説明しておくね。ゴウには不思議な力が働いているだろう? ついでに運も良い。ペルーアの加護が無効になる相手でも、今のところ大きな怪我はないくらいにはね。だから、そんな運の良いゴウが笛を吹けば標的も寄ってくるかなって」

「バカか?」


 酷い作戦を聞いた。いや、これは作戦とも呼べないだろう。こんな完全運任せのものが作戦であってなるものか。もし仮に、笛の音に魔物が寄ってきたとしても、だ。標的である魔物のうち一体でも現れてくれたら良いほうで、まったく関係のない魔物が寄ってくる可能性の方が高いに決まっている。更に、どれだけの数の魔物が寄ってくるかも分からない。無駄に体力を消耗することになる可能性だってある。俺に気付けたことをレイが気付けないはずがない。何故こんな馬鹿な作戦を思い付いてしまったのだろうか。


「そもそもね? 俺たち、標的の姿すら分からないじゃない?」

「……あ。い、いや、でも多分見たら分かるんじゃ……?」

「俺もそうは思うけど、バオムの森って結構広いんだよね。そう考えると、ここを拠点にしつつ笛で魔物を呼んだほうが早いかなって」


 そう言われるとそんな気がしてこなくもない。だが、すぐにそれは吹き飛ぶ。「最悪、移動しながら笛吹いてもらうけどね。遅くても明日の日暮れまでにはナトには着きたいところだし」という発言によって。寝ずにぶっ通しで行動するにしても猶予は一日とちょっとくらいしかない。そんな限られた時間で、広いバオムの森の中から結界の要となっている魔物を四体探し出し、かつ倒さなければならない。


「じ、地獄のタイムアタックじゃん……」

「あはは、まぁ一日くらい寝なくてもなんとかなるんじゃない?」

「いや、無理だろ……」

「俺の予想では一体くらいは現れると思うんだよね。とりあえずさ、昼のうちに試すだけ試してみない?」


 試してみない?

 レイはそう問いかけつつも、俺が首を縦に振るまでは説得というより言いくるめを続けるだろうと、すぐに分かった。だから、比較的安全な昼のうちに試して無駄であると分かってもらわなければ。そう考えて、大人しく首を縦に振る。


「ありがとう。ここを片付けたら、早速試してみようか」


 ***


 風が木々を揺らしている。

 ざわざわとした音は木々のものか、それとも俺の心音か。

 魔呼びの笛を持つ手が微かに震えている。俺は特別運が良いわけではないし、レイの予想通りになるとは到底思えない。だが、どちらにしても魔物が寄ってくることは確定している。笛の音は戦闘開始のゴングに等しい。どれだけの数が来るかも分からないのだ。自然と体が震えてしまうのは仕方がないことだろう。


「大丈夫だよ。今の俺はかなり調子が良いしね」

「……いざとなったら盾になれよ」

「ふふ、任せてよ」


 剣を構えたレイの姿を確認して、笛を口に咥える。再度レイと瞳を交わし、お互いに頷き合う。鼻から深く吸った息を全て吐き切るかのように、笛に息を吹き込めば、キィイイイィイイという甲高い音が森に響き渡る。それは森だけではなく、俺の脳内にも酷く反響していて、まっすぐ立つことが難しくなってしまった。


「……ぅぐ、気持ちわりぃ……」

「……ゴウは少し休んでおくといいよ」


 ふらふらと体が揺れているのが分かる。なんとか足を動かして木にもたれかかる。いざという時に回避ができるように、気合を入れて立ち姿勢を維持することにした。

 不思議なことにレイはなんともないようで、早くも呼び寄せられてきた魔物たちに剣を向けている。チカチカと点滅する視界の中でなんとか魔物たちの姿を捕らえれば、どの魔物もそう苦戦するようなものではないことは分かった。スライム状のものや動く切り株などといった魔物が相手なら、レイはサポート無しの状態でも勝てる。いてもいなくてもそう変わるわけではないが、このくらいなら俺は休んでいても問題はなさそうだ。

 ただ、やはりというか、レイの考え通りにはならなかったらしい。俺が笛の音に耐性がなかったという予想外もあった。つまり、標的の討伐は実質レイ一人で行うことになってしまう。本当に地獄のタイムアタックを行う羽目になってしまったようだ。


「……あーはは……マジか……」


 そう考えていたのだが。

 雑魚に分類される魔物たちを確実に仕留めていたレイだが、突然困ったかのような声を発したかと思うと、後方へとジャンプする。俺のもとまで戻ってきたレイの表情はやや引き攣っていて、額には汗もうっすらと滲んでいる。


「どう……っ……なんだ!?」


 レイに事情を尋ねようと口を開くのとほぼ同時に、ナニカの咆哮が地面を震動させた。厄介なことに咆哮は一つではなく、金切り声のようなものや低い獣のようなものなど種類の違うものが四方から聞こえてきている。それに交じって、素早く風を切る音や大地を踏みしめる力強い音も聞こえる。これは、まさか。思わず、レイを凝視する。


「あはは、やっぱりゴウは運が良いみたい。俺たちにとって最高に都合の良い展開になったね?」

「いや、これはむしろ不都合だろうがよぉ!!!」


 俺の叫びが合図となったのか、各方向から標的と思わしき魔物が四体とも姿を現した。

 北側から現れたものは、黒色の岩を背負った亀のような、それでいて二足歩行というなんとも奇妙な姿をしている。四肢はどれもが太く力強い印象を受ける。あれで殴られたり踏みつけられたりしたらひとたまりもなさそうだ。反対の南側から現れたのは、小さな朱色の鳥のような姿をしていた。羽根だけは発達しているようで、本体のサイズ感に似合わない大きさをしている。よく見ると羽根はナイフのような形状をしていて、突き刺さったら痛みは凄まじいものになるかもしれない。だが、一番の問題はすばしっこさだろう。勢いよく俺たちを通り過ぎていったスピードを見るに、簡単には補足できなさそうだ。もっとも、頭は弱いようで、最大速度で木にぶつかったせいで俺に観察されることになっているが。東側からは巨大な青緑色の蛇が、西側からはこれまた巨大な灰色の虎が現れた。だが、こちらの二体は大きさ以外に特徴という特徴はない。外見だけであれば、普通の魔物にしか見えない。

 ただ、現れた四体はみな胸元に青色の魔法陣のようなものが描かれていることから、ミウィちゃんが言っていた結界の要なのは間違いないだろう。


「ど、どうするんだよ!?」

「それはもう……倒すしかないじゃない? せっかく四体集まってくれたわけだし、今日の日暮れまでに倒せるかな?」

「それはもうバカのタイムアタックだろ!!! ……ああ、くそ! 俺もやるしかないじゃん。これはよぉ!!!」


 幸いなことに、あまり頭の良くない鳥の魔物のおかげで包囲されることは免れた。だが、問題はここからだ。スピードタイプが一体、パワータイプが一体、バランスタイプが一体と中々厄介な組み合わせである。蛇に関しては、見ただけでは判断できないというのも面倒なポイントだ。

 俺は謎のチートで攻撃こそ必中だが威力はゴミ――多分ゲームなら十ダメージ程度くらいしか与えられない――なので、隙を作るくらいしかできない。そうなると、レイの負担がかなり大きくなってしまう。「大丈夫かよ?」と聞けば、「今の感じなら?」と少しだけ不安になる答えが返ってくる。


「ゴウがあの赤いのを狙ってくれるなら、いけるんじゃないかな? 流石に素早すぎるからね、俺の攻撃は躱されそう」

「それはいいけど、お前の負担が……っ!? あぶねぇ!?」

「まぁ、待ってはくれないよねぇ。……大丈夫だよ、俺は頑丈だしね」


 呑気に作戦会議をしている余裕はなかったらしい。

 真っ先に攻撃を仕掛けてきたのは意外にも蛇の魔物だった。蛇は、予想外の攻撃――口から光線を吐き出してきた。反射的に左右に避けた俺とレイが合流しないように、虎の魔物が中央に位置取る。……戦闘開始だ。


(とりあえず、レイの言うように鳥から仕留めるしかない……!)


 俺の身体能力では近接戦闘なんて不可能だ。だが、敵は蛇を除いては近接寄りに見える。あまり格好良くはないが、とにかく補足されないように逃げつつ鳥の体力を確実に削っていくしかない。とどめまで刺せるだろうか。分からない。


「……いけっ!」


 それでも攻撃するしかない。

 死にたいわけではないのだから。

 弓を引き絞って矢を放つ。鍛錬の成果か、思っていたより威力があるような気がする。命中率は謎チートがなければどう考えても当たるような軌道ではないが、今回は逆にそれが良かったのかもしれない。対象よりも遥かに上を飛んだ矢は急降下して魔物の体に突き刺さる。


「―――ギョォ!」

「うわ、鳴き声気持ち悪いな!? ……って、なんでこっちに来るんだよ!?」


 よし、と拳を握る間もなく、虎の魔物がこちらへと向かってくる。鳥ほどではないが、次いでスピードが速いのだろう。とても俺では対応できそうにない速さで鋭い爪が振り下ろされる。「ゴウ! ……邪魔だなぁ、どきなよ!」と魔物を蹴り飛ばすレイの姿が視界の端に映る。多分黒い色だったから、亀の方だろう。自分の数倍はある魔物を蹴り飛ばす勇者様、凄すぎるな。そんなことを思いつつ、後退りをする。長い爪がまともに食い込んだら、ダメージはかなりのものになってしまう。少しでも傷は浅い方が良いはず。本当は弓を引いて動きを止めるべきなのだろうが、俺の技量ではそこまでは無理だ。


「……っ、え……っ、ぐあっ……!?」

「ゴウ!!!」


 だが、虎の爪は俺の目の前から消えた。いや、多分逆だ。俺が、虎の前から消えたのだと思う。勢いよく何かが突進してきたことで、木に激突する。折れたんじゃないか、これ。そう思うような痛みが体に走る。だが、その痛みが吹き飛ぶような出来事が起こった。


「――ギョォオオオオ!!!」


 何故か、鳥の気持ち悪い悲鳴が響き渡ったのだ。

 衝撃でちかちかする目をなんとか開いて現状把握に努める。目の前には何故か虎の爪の餌食になっている鳥の姿があった。本当に何故。


「ゴウ! 大丈夫かい?」

「なんとかな」

「ゴウ、悪いけど援護を頼めるかな」


 ――今なら、鳥と虎をまとめて仕留めることができるかもしれない。

 レイはそう言って、聖剣に魔力を込めた。剣はバリバリと電気の音を走らせている。それが確認できると、自然と弓を構えていた。俺は、一瞬だけ隙を作ることができればいい。狙うのは、今鳥から爪を引き抜こうとしている虎の方だ。


「……っ……当たれぇっ!!!」


 虎の額目掛けて矢を放つ。今回はチートが発動しなかったのか、矢は虎の額ではなく瞳に突き刺さってしまう。これは痛い。虎は咆哮にも似た悲鳴を上げる。それに反応したのか、亀は大きな足で大地を震動させ、蛇は再度口から光線を放ってくる。だが、幸運なことに、二体の動きが噛み合うことはなかった。光線だけであれば直撃を免れなかっただろうが、大地の揺れにバランスを崩したことによって光線は俺に当たることなく木々だけを焼き払った。

 レイはそんな中でもバランスを崩すことなく、鳥と虎を纏めて葬るために動き出す。帯電した聖剣を片手に駈け出したレイは勇者ではなく悪魔のようだった。虎の顔面の高さまで飛び上がると、瞳に刺さってしまった矢を更に蹴り深く刺した。そして、その勢いのまま背後に回ると雷を帯びた聖剣で切りかかる。


(ひ、ひでぇ……!)

「まずは一体、だね!」

「グォオオオ!!!!」


 虎が最期の咆哮が響き渡る。

 痛みに悶えて両手を上げた拍子に、爪に突き刺さっていた鳥がそのまま宙に浮く。レイはその隙も見逃すことはなく、「続けて行こうかな!」と悪役のような顔で再度飛び上がる。そして、「ギョォ!?」と痛みと驚きの混じった声を上げた。まさか顔面を踏み台にされるとは思ってもいなかったのだろう。もしかしたら、今の悲鳴は「俺を踏み台にした!?」というニュアンスだったのかもしれない。

 踏み台にされた鳥は何故か黒く焦げているが、まだ辛うじて息はあるらしい。しかし、レイは鳥にとどめを刺すのは後回しにしたようで、踏みつけた勢いを生かして黒い亀の背にある岩の塊へと移動する。だが、そのタイミングで巨大な蛇が亀もろともレイを倒そうと再び口を開ける。「おっと……」と、驚いているのかいないのかイマイチ判断の付かない声ではあるが、光線をまともに喰らえば流石のレイでもダメージは大きいだろう。


「させるかよ!」


 蛇に向けて複数の矢を放つ。

 ダメージのせいか、上手く弓を引けない。そんな状態でも当たるのだから、謎チートも役に立つ。威力はやはり足りそうにないが、複数の矢が刺されば数分くらいの時間稼ぎにはなる。全く苦戦している様子のない、今のレイであればこの隙に巨大亀にとどめを刺せるはずだ。


「――シャァアアア!!!」


 複数の矢が刺されば、当然蛇はターゲットを俺に移す。お得意の光線攻撃がくるかと思っていたが、予想外に蛇は非常に素早い動きで俺目掛けて向かってくる。「やべぇ!!」急いで回避行動をしようとするも、蛇の方が遥かに速かった。


「……ぐっ! くそ……はなせ……!」


 巨体が体に巻き付いてくる。

 強い力でギリギリと締め上げられる。

 痛みに細めた視界の中で、レイが巨大な亀に確実にダメージを与えている姿が見えた。何度も何度も聖剣で切り付けている――というよりは、叩きつけているのだろうか?――が、亀は見た目通り頑丈でしぶといようで、致命傷とはならなさそうだ。


「……っ、ぐ……ぁ……」

「ゴウ! ……ああ、もうしぶといな!」


 数メートルはあるほどの巨体であるのに、えらく体は柔らかいらしい。きっちりと隙間なく締め付けられた体では抵抗などできそうもない。せめて魔法が使えれば、倒すまではいかなくとも脱出くらいはできたかもしれないのに。


(待てよ……?)


 もしかしたら、いけるかもしれない。

 このタイミングであれば、魔法の発動も可能になるのではないだろうか。

 まさか、そんな都合の良いことが。そんな気持ちは当然ある。けれど、姿も位置も不明な魔物を笛でまとめて呼び寄せるという都合の良い展開は実際に起こった。本当に都合が良いのかは別にしても。ならば、魔法に関しても起こり得るのではないだろうか。どの道、このままでは絞め殺されてしまうのであれば足掻いてみる価値はある。


(思い出せ思い出せ思い出せ……!)


 魔法はイメージの力も大切だと魔導書には書いてあった。そして、イメージを補助するものが詠唱であるとも。ロニアさんのおかげで魔力は体に宿っている。つまり、足りないのはイメージ力だけのはずだ。全てを燃やしつくすような真っ赤な炎を連想させる言葉は魔導書の中にあったはずだ。思い出せ、思い出せ、思い出せ。赤、揺らめき、焦土、烈火。違う。足りない。巨大な蛇を燃やし尽くすにはどれも。


(……紅、業炎、灰塵……これだっ……)


 呼吸が苦しい。

 息が持つだろうか。

 それでも、何もしないまま死ねない。


「……揺らめく紅よ……その姿を業炎と化え……我に仇成す全てを、灰塵と……化せっ……!」


 息絶え絶えで、なんとか記憶の底から引き摺りだした詠唱を紡ぐ。どこか少し記憶と違うような気もしたが、今は些事でしかない。


「――エクスプロージョン・イグニシア……!」


 その魔法が冠する名を唱えた時、体が熱くなるのを感じた。それと同時に「それはダメだって!」と焦るレイの声が耳に届く。けれど、レイがどういう表情をしているのかを見ることは叶わなかった。


(あ、死んだわ、これ)


 何故か。俺と巨大な蛇の体を深紅の炎が包み込んだからだ。辛うじて残った視界に映るのは、猛々しい炎が容赦なく降り注いでくる光景だった。ドゴッという嫌な音を伴った炎が俺のすぐ下――蛇の腹部に直撃する。その衝撃で拘束からは逃れられるも、辺りはどころか俺自身もすでに火に包まれていた。せっかく、このタイミングで魔法を発動させるというご都合展開を成し遂げたというのに、よりにもよって思い出せた魔法が上級の超高火力のものだったなんて肝心なところで運が悪すぎる。今日だけでご都合展開と不都合展開が起こりすぎではないだろうか。

 熱くて痛くて、なんなら感覚が消えてきた中で思う。都合が良いけど都合が悪い。運が良いのに運が悪い。思えば、俺も人生もそんなことばかりだったような気がしなくもない。嫌だな、このまま死にたくないな。だって、俺はまだ誰にも愛されていないのに。けれど、体は炎に包まれている。良いのか悪いのか、ゲームでいうところの魔法防御力が高いようで、体は動かないのに意識だけが残っている。


「ゴウ! ……っ、ここで使う予定なかったんだけどな!? ……清らかなる水の乙女よ、その身を分かちて彼の者の癒しとなれ――ヒールレイン! ……あと、お前はいい加減くたばりなよ!」


 視界はもう真っ暗だった。

 唯一残った聴覚からは理解できたのは、レイが魔法の詠唱したことと残った魔物に対して凄まじい威力の物理攻撃を与えたことだった。攻撃は複数回行われているようで、何度も何度も鈍い音が耳には届く。更にレイは攻撃しつつも何かを呟いているようで、はっきりとは聞こえないがひたすら口も動かしているようだ。

 今の自分が立っているのか、それともとっくに地面に倒れてしまっているのかも分からない状態で、耳だけが聞こえるというのも嫌なものだ。残った魔物は頑丈な亀だけのはずではあるが、何故か複数の魔物の悲鳴が聞こえてくる。体のどこかが切り捨てられる音や肉が抉られているような音とともに。レイの呻き声などは聞こえてこないことから、彼が一方的な攻撃を行っているのだろうと推測できる。だが、少しおかしい。俺の能力で力が増幅されているとはいえ、想像よりもずっと強くなっていないだろうか。レイは弱いと自分でも言っていたし、カテドラルの人々の評価も似たようなものではなかったか。いや、カテドラルの人々がレイに弱いと言っているところは直接聞いたことはあっただろうか。分からない。ただ彼等のレイへの嫌悪や畏怖は確かに。


(……なんだ……?)


 ――ぽつ、ぽつ。

 体に水滴が当たる感覚が戻ってくる。それをきっかけに徐々に指を、手を、腕を、足を動かせるようになってくる。目も開くことができそうだ。なんとか視界を開いて、いつの間にか地面に突っ伏していたらしい体を起こす。立ち上がることはできなそうだ。だが、どうやら立ち上がる必要はないらしい。


「ああ、良かった。無事だね」


 真っ赤な液体に身を染めたレイは少し困ったような笑顔でこちらを見つめている。マジックバッグから回復液を取り出すと、俺の体にゆっくりとかけていく。飲み薬タイプではなく、皮膚に浸透させるタイプなんだなぁと思いながら、レイの治療を受ける。


「……っあ、いっ……てぇ……!?」

「ああ、感覚が戻ってきたね。良かった」


 数本目の回復液を使用されたあたりから、痛覚が戻ってくる。あれだけの業炎に身を焼かれたのだ、当然火傷は残っているだろう。一度は死を覚悟したのだ。火傷で済んでいるだけマシなのかもしれない。……むしろ。


「なんでお前はほぼほぼ無傷なの?」


 レイの体は真っ赤に染まっているが、そのほとんどは魔物たちの体液のようだった。つまり、彼自身は大してダメージを喰らっていないということになる。確かにレイの体は頑丈だが、それを加味しても複数の強敵を相手にしてほぼ無傷というのは違和感しかない。それにレイは最後には魔法も使っていたはずだ。声だけしか聞こえていなかったとはいえ、あれは確かに詠唱だったように思う。鍛錬のときには使えなかった魔法を、俺と同様火事場の底力で使ったのだろうか。だが、それにしてはスムーズに詠唱をしていたような気もするが……。


「あと、なんで魔法を……?」

「あはは、それはゴウも使ってたじゃない。よりにもよって超級魔法をね」

「いや、あれは……」


 俺の運の良さという名のご都合展開を期待して、諦め半分で唱えてみたら都合よく魔法が発動しただけだと説明する。よりにもよって思い出せたのが非常に強力な魔法だったことはただの不運であるとも。


「まぁ、ゴウは元々魔力高いしね。使えないほうがおかしくはあるんだけど……」


 レイはそこまで口にすると、突然黙り込んで思考に耽ってしまった。よりにもよって、俺が気になってしまうような情報だけを残して。

 俺の魔力が元来高いとはどういう意味だろう。俺の世界が魔法に馴染みのある世界であれば、そうであってもおかしくはない。けれど、そうではない。魔法なんて空想上のもののはずだ。

 また、この世界で魔法を使える人間には必ず『魔痕』と呼ばれる痣があると聞いたし、魔導書にどうも書いてあったのを記憶している。俺は異世界人だからそれには当てはまらない可能性もあるが、レイが魔法を使えるのであれば体のどこかに痣がなければおかしい。だが、レイの体にそれらしきものはなかったように思う。少なくとも上半身にはなかった。というか、そもそもロニアさんと盃を交わしたのは魔力を分けてもらうためだったのではないのだろうか?


「おい、レイ?」

「ああ、ごめんね。とりあえず、ゴウはあんまり魔法を使わない方がいいかもね。自分の身も滅ぼしかねないし」

「それはまぁ……今、身を以て体感したからな。ちゃんと使えるようになってからにするけどさ」

「……俺が魔法を使えることが気になる?」

「気になる」


 俺が魔法を自重することに不満はない。

 それよりも何故レイが魔法を使えることの方が気になってしまう。魔法の鍛錬初日にはあれだけ不発だったのに。実戦に強いタイプなのだろうか?


「ゴウには説明してなかったよね。ワルドアナザァにはさ、魔法って二つあるんだよ」


 攻撃や生活に使われる『魔法』と、生命に関することに使われる『聖魔法』と、ざっくりとしたカテゴリ分けがなされているのだとレイは言う。魔法は生まれながらの素質がなければ使えはしないが、聖魔法は少し違っているそうだ。聖魔法は女神様からの授かりもののようで、彼女に気に入られなければ使えるようにならないという。


「えぇ……それは……」

「酷いシステムだよねぇ」

「システムって……まぁ、否定できないけど」


 女神様の試練を受けたり受けなかったりして、彼女に気に入られた者だけが『聖痕』を授かる。もしくは『聖宝』を貰うらしい。「こういう感じの小さい石のことね」と、レイは鎧の下からネックレスを引っ張り出して見せた。白色にも黄色にも青色にも見える不思議な石だった。


「聖宝でも聖魔法は使えるんだけど、聖痕を与えられた人に比べると回復力が劣っちゃうんだよね。聖痕持ちがいれば、魔法による火傷なんてすぐに治せたんだけど……ごめんね?」

「いや、生きてるだけで十分だよ。ありがとな」


 レイは魔法が使えるのではなく、聖魔法が使える。ぶつぶつと聞こえていた詠唱は全て聖魔法を発動するためのものだったらしい。俺を死なせないために、敵を殴りながら詠唱を続けていたのだろう。


「レイ、本当にありがとう。足手まといで、ごめん」

「そんなことないよ。ゴウの矢のおかげで隙も出来たしね。なにより、ゴウの力がなければ攻撃は通らなかっただろうし」


 そう言うと、レイは俺を背負い歩き出す。一度小屋に戻って一晩過ごすことに決めたようだ。俺の体もそうだが、レイも一応ダメージを受けているらしい。見た目では全く分からないが。


「流石に疲れたし……赤い瞳を持ったやつが血まみれで現れたら町の人も驚くからね。おばさんの掌の上なのは腹立たしけれど、今から休んで早朝に出発すれば昼までには着くから」

「俺が役に立たないのは承知の上で言うけど、お前も無理するなよ」

「ふふ、ありがとう」


 小屋に戻ってくれば、安心感からか一気に力が抜けていく。「流石に重いなぁ」と、脱力してしまった俺に困惑するレイだったが、ベッドを整理するとそのままそこに寝かせてくれる。ずたぼろの汚れた体で寝るのに抵抗がないわけではないが、全身火傷状態で入る風呂は自殺行為に等しいだろう。いっとき風呂には入れなさそうだ。せめて、明日出発するまでに体だけでも拭くとしよう。今日はもう、疲れてしまった。


「おやすみ、ゴウ。……良い夢を」


 狭まっていく視界に映ったレイの表情は優しい声音とは違って歪んだ笑みを浮かべていた。なんだよ、その表情。そう声を出すよりも早く、俺の視界はレイの手によって塞がれ、そのまま意識を手放してしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る