2話【2】:流石にそれはどうでしょう?


「ゴウ~」

「ゴウ様ぁ~」


 レイとロニアさんから解放されたかと思うと、今度は店員とはまた違う女性たちが入室してきた。語尾にハートマークでも付いているのかと思うほどに甘ったるい声で体にべたべた触れてくる彼女たちは、俺の機嫌取りのために呼ばれているらしい。異世界であっても接待の手段はそう変わらないのだろうか。様々な女性にちやほやされる環境は本来であれば心が躍ってもいいような場面ではあるが、どうやら俺はそこまでハーレムに興味がなかったらしい。複数の香水が混じり合い異臭と化している中で、ロマンはロマンのままにしておくことも大事なのだなと、ぼんやりと思った。


「……レイ、助けてくれ……」

「あはは、ゴウはこういうの苦手だった?」


 そろそろ身動きがとれないくらいに周囲に女性が集まってきている。マンガなどで見る胸や足に自然と体が触れる展開はマンガだからこそ良いものなのだなと思ってしまう。ここまで強引に引っ付かれると女性恐怖症になってしまいそうだ。

 マイペースに食事をしているレイに助けを求めると、彼は女性たちに対して「邪魔だよ」と、冷たい視線を向けた。彼女たちはレイ――というよりはレイの瞳が怖いのか、怯んだ様子で俺から離れてくれた。


「ありがとう」

「どういたしまして。……疲れたなら帰るかい?」

「え、いやでも……」


 ロニアさんの様子を見る。彼女は店員や知り合いだろう女性たちと楽しく談笑しているようだ。賑やかな空気に水を差してしまう気がして、帰ってもいいものか迷ってしまう。そんな俺の心境に気付いたのか、レイは「ロニアの目的は済んでるし良いんじゃない? そもそも、本来ここで会う予定もなかったしね」と言うと、俺の言葉も聞かずにロニアさんに帰ることを告げた。


「はいはい、さっさと帰んな。……ゴウ、突然すまなかったね」

「い、いや……ご飯、ごちそうさまです」

「本当にアンタは可愛いね。それに比べて……そこの紛い物は礼も言えないようだね?」

「あはは、お金持ってるわりにはケチだね。ロニア」


 ロニアさんは律儀なのか、わざわざ店の入り口まで見送りに出てくれた。あまり酒に強くはないのか、褐色の肌が赤くなっている。酒が入る前はキリっとした瞳で美人な印象だったが、今は酔いが回っているのだろう、瞳はとろんとしていて可愛らしい印象を受ける。そんな状態でもレイとのやり取りは変わらないようで、やはりこの二人、実は仲が良いのではと感じてしまう。


「じゃ、ロニア。約束は守ってね」

「アンタに言われなくても分かってるよ。……またね、ゴウ」

「はい、また……!」


 ひらひらと手を振るロニアさんに手を振り返して、レイとともに店を離れる。「当初の予定通り町の散策はするのかな?」とレイに聞かれ、首を縦に振る。食べ過ぎたのもあって、歩きたい気分だった。


「このタイミングを逃したら、当分カテドラルには帰ってくることはできないからね。ゴウの気が済むまで散策しようか」


 現在南側にいることから、まずは店を回ることになった。旅に出る前に装備品や道具の調達を済ませたいとレイが言うのと、俺自身がファンタジーな世界にあるそういう店に興味があることもあって、最初に向かったのは武器防具の店だった。

 カテドラルでは需要がないのか、店は俺たち以外には誰もいない。体つきががっしりとした店主らしき男性は気だるげに「いっらしゃい」と一言だけ発すると、新聞と思わしき紙に意識を向けたようだった。自由な行動に驚きつつも、下手に商品を勧められるよりはずっとマシだと思い、無駄に広い店内を見て回ることにした。


(どうせなら、俺も何か武器が欲しいな)


 旅に出るのだ。護身用に武器くらいは持っておきたい。昨日の不思議な小瓶もあるとはいえ、それだけでは不便だし、なにより今度のことを考えると下手でも武器は使えたほうがいいような気がする。とはいえ、適当に手に取ってみた剣は意外にも重たい。短剣は軽いが、どう考えても素人が使えるとは思えない。あまりにもリーチが短すぎる。鞭も手にしてみるが、こちらも想像よりも重量がある。振り回すことを考えると、もしかしたら剣よりも扱いが難しいかもしれない。


「ゴウは何をしているのかな」

「いや、俺も念の為武器が欲しいなって。でも、どれも使えなさそうだなと」

「弓は触ってみた?」

「いや、まだだけど……弓は一番難しそうじゃないか?」

「ふふ、そうだよね。でも、とりあえず試してみたら?」


 ここは的もあるしね。

 レイからショートボウを受け取ると、そのまま店内の端にある体験室に連れていかれる。体験室には剣の切れ味などを試すための藁人形や、弓との相性を確認するための的などが設置されていた。レイに言われるままに弓を構えて的からやや離れた場所に立つ。


「……っ……!」


 矢をセットして、的に照準を合わせる。合わせているつもりだった。弓自体はそう重さがあるわけでもなく、矢を引く力も想像よりはずっと少ない。それでも、俺の体幹が良くないのか、真っ直ぐ構えているはずの弓と矢はゆらゆらと揺れている。レイは「うーん、これは弓も厳しいかな?」と言いつつも、一先ず放ってみるように俺に促す。


「変な場所に飛んでいっても知らないからなっ……いけっ!」


 弓を引いて、矢を放つ。

 俺の手から放たれた矢は半円を描くように、しかし的よりも大分手前で落下するような動きを見せた。


「……んっ!?」

「……えっ!?」


 だが、落下していたはずの矢が突然上昇しふらふらとした動きで的に刺さるではないか。どう見ても不思議な力が働いているとしか思えない光景に、俺もレイも目を丸くして顔を見合わせた。


「えっ、重力無視してね!?」

「これは予想外だなぁ……ペルーアの力かな?」

「え? でも、俺に与えられたのは『触れ合ったヒトの力を増幅させる』ってものだけだったはず……」

「そうなんだけど……もしくは盃の力かな。ロニアは魔力が高くてね。あれでいて結構優秀な魔法使いなんだ」


 あの時に使った不思議な酒は、酒を用意した者の力を共に盃を交わしたものに少し分け与えるという。そもそも、先程の説明にあった女神様の力はレイ曰くおまけで、メインはホストの力の譲渡なのだとか。


「この世界ではね、魔法は『魔痕』と呼ばれる痣を持った人間しか普通は使えないんだけど……どういう理屈か、魔力の高い人間と盃を交わすと、魔痕を持たない人間でも少しだけ魔法を使えるようになるんだよね」


 ――だから、ゴウも無意識のうちに矢に魔力を込めたんじゃない?

 レイはそう言う。だが、言っている自分自身でも腑に落ちないようで、困ったように笑っている。


「もう一回、矢を放ってみて?」

「まぁ、いいけど……」


 結果は、同じだった。

 次は先程よりもやや距離を取ったのにも関わらず、落下しつつあった矢は急上昇して的の中心に刺さる。あまりにもおかしな光景に気味の悪さを感じる。


「……もしかして」

「うん?」

「適当に矢を射っても当たるんじゃない?」


 何かを考えていたレイが意味の分からないことを言い出す。

 思わず「馬鹿じゃねぇの?」と声が出た。レイは笑いながらも、「でも、そうとしか考えられないよね」と言う。試行回数がたったの二回しかないとはいえ、その二回とも不可思議なことが起こっている。この世界でも重力という概念はあるようなので、一度落下の態勢に入ったものが再上昇するには魔法の力を使う以外はない。だからこそ、レイは先程ロニアさんと盃を交わしたことも加味して、俺には想像よりも強力な魔法で補助がなされているのではと考えたようだ。


「それは……あまりにも俺に都合が良すぎない?」

「そうでもないんじゃない? 威力は不足しているように見えるしね。ただ、その分矢が必中なのかなとも思うけど……」

「いや、それでも必中ってズルくね? 威力なんて、俺が頑張れば上がるよな?」

「上がるよねぇ。まぁ、この先のことを考えると使えるものは使いなよ」


 レイは楽しそうに「魔法も必中だったら面白いよね」と言いながら、店主に弓を購入する旨を伝えにいった。


(魔法まで必中だったらチートすぎるだろ……)


 それは、あまりにも俺にとって都合が良すぎはしないだろうか。

 威力で調整が入っていると仮定しても、力に関しては鍛錬次第では強化可能ということを考えれば、必中はかなりのチート能力である。しかも、ロニアさんのおかげで魔法も使えるようになっているらしい。少しだけとは聞いたが、使えるのと使えないのとでは結構な差があるように思う。もっとも、まだ使い方を教えてもらえてない以上、今の俺に魔法を使うことはできない。そのため、魔法まで必中であるかを確認するのはもう少し先になりそうではあるが。


「さて、レイの武器も買えたし次の場所に行こうか」

「防具も欲しいんですけど」

「それはペルーアが用意してくれているから大丈夫だよ」


 ――さ、行こう。

 何故か女性のように手を引かれ、店を出ることになった。店を出たあとも手は離されることはなく、成人した男性二人が手を繋いで歩いているという光景を周囲に晒すことになってしまった。


「なんか機嫌が良いな?」

「ふふ、ゴウと出会えたからね。俺の目的は君のおかげで達成できる、そう考えると自然とご機嫌になってしまうのも仕方ないよね」

(……?)


 この違和感はなんだろう。

 レイは最初から俺のことを必要としてくれていた。もちろん、今だって。だが、昨日とはまた違う熱量を感じるような気がする。どう違うのかまでは分からない。それでも、ただ感覚的に、昨日よりもずっとレイが俺のことを必要としているのだということだけは理解できた。


(……気にするだけ無駄か)


 俺だって、俺の心を一番に考えている。

 レイが俺を必要としてくれる――それは俺の心の安寧に繋がっている。だからこそ、俺は彼に協力すると決めたのだ。レイが何を考えていようとも、彼が俺を必要としてくれている間はただそれで良い。そもそも、冷静に考えればレイが俺を必要とするのは勇者としての使命を果たせるから以外にあるはずもない。そのことを考えると、レイよりも俺のほうがずっと性質が悪いだろう。俺はただ必要とされているから、それだけで行動している。きっと、レイよりも俺を必要としてくれる人が現れれば……。


「ゴウ?」


 思考に集中してしまっていた俺を不思議そうに見つめるレイに「なんでもない」と返事をして、彼の手を引っ張った。自分の浅ましさに蓋をするように、ご機嫌なレイと共に、こちらもご機嫌な振りをして町の散策を再開する。

 いざ散策を再開してみれば、統一感のある町の風景やのどかな田畑、ガラス越しに見える職人たちの作業光景など、そのどれもが新鮮で心躍るものだった。あっちにふらふら、こっちにふらふら。好奇心のままに動き回った。俺のことはすでに多くの人の耳に入っているのか、あちこちで声を掛けられた。子供たちが無邪気によってくれば一緒に遊んだ。義兄妹たちと遊んだときのことを思い出して、ほんの少しホームシックになってしまったのはここだけの話だ。

 ただ、それは複雑な気持ちにすぐに塗りつぶされてしまった。町の人々の多くは優しく声を掛けてくれるだけでなく、なにかしら俺にプレゼントをしてくれた。「頑張りなよ!」とか「期待しているよ!」とか、そのような言葉と一緒に。もっとも、それは俺に対してだけだった。

 勇者の末裔であるレイに対しては、誰も応援の言葉を掛けることはなかった。それどころか、「ようやく出ていってくれるんだね」とか「いつになったら旅に出るんだい」とか、直接的間接的問わず、レイに早く出ていってほしかったのだということが分かるような言葉ばかりが掛けられていた。それに笑って対応するレイの姿が目の当たりにするとなんとも言えない感情が渦巻いている。なのに、当の本人はずっと上機嫌のままであった。


「……疲れてないか?」

「あはは、いつものことだよ。期待している振りをして、遠回しに異物なものを排除しようとするのはさ」

「何度も聞いているけど……それもそれでどうなんだよ」

「ゴウこそ慣れた方が良いんじゃないかな? 俺と一緒にいれば、どこに行っても同じだよ。むしろ、カテドラルはマシかもね。ここの人々はペルーアの意向には基本的に逆らわないしね」


 女神様のお膝元故に、彼女の意向に反することを堂々とは出来ない人が多いという。女神様がレイを勇者として扱う以上は皆内心はともかく表面上はそれに倣うしかない。中には信仰心がそこまで強くない人もいそうだが、不思議なことにカテドラルの人々は誰も女神様に対して直接異を唱えることはないのだそうだ。


「怖いよね。洗脳でもしているのかなって思っちゃう」

「いや、そうならお前はそんなこと言えなくない?」

「あはは、俺がそうじゃないからって他がそうではないとは言えないよ」


 レイは本当に楽しそうに笑う。

 いったい何がそれほどまでに楽しいのかは分からないが、気に病んでいる様子がないのが救いなのかもしれない。むしろ、壊れてしまっている可能性もあるが今の俺にはそこまでの判断はできそうになかった。


 ***


 無事に屋敷に帰宅すると、思っていたよりも疲労が溜まっていたらしい。

 動きやすい服装に着替えるために一度部屋に戻ったはずだったが、気付けば眠っていたようで、窓から見える空には星が浮かんでいた。丁寧にベッドで眠っていたことから、恐らく途中でレイが様子を見に来てくれたのだと思う。


「……風呂、入りてぇな……」


 動き回ったからか、体がべたついている。

 今から水を汲んで湯を沸かすのは少しだけ手間だったが、眠っていたこともあって体力は回復していた。「よし」と、頬を軽く叩いて気合を入れる。


「……えっ……?」

「……えっ……ゴウ!?」

「すみません!?」


 木桶を取るために風呂場を開けると、そこには裸の女性がいた。反射的に扉を閉めようとするも、女性によって中に引き込まれる。


「待って、ゴウ」


 聞き覚えのある声に、見覚えのある緋色の髪。

 雰囲気がかなり変わっているが、もしかしなくてもこの女性はロニアさんだろう。昼間には猫のようなややつりぎみだった目はどうやらメイクだったようで、メイクが落ちている今は柔らかな楕円のアーモンドの形をしている。髪も纏めていたものを下ろしているからか、快活で姉御肌な雰囲気はどこへやら。御淑やかなお嬢様というような雰囲気を醸し出していた。


「な、なんでここに……!? いや、その前に俺出ますので……!?」

「だ、だから待ってって」


 妙齢の女性の肌を直視するのはどう考えてもよろしくない。ラッキースケベは実際に遭遇すると喜びより戸惑いが勝つのだなという、間違いなく知らなくて良かったことを現実逃避のように考えつつ、再度風呂場からの脱出を試みる。しかし、やはりロニアさんに引き留められてしまった。あちらは裸で、こちらは着衣。逆ならまだしも、かなり気まずい。


「ねぇ、ゴウ。アンタ……ううん、あなたの前なら演技なんてしなくてもいいわよね」

「え、演技!?」

「しっ、あの性悪が来たら困るのよ」


 昼間とは打って変わって様子の違うロニアさんは、俺の手を引いて浴槽まで移動する。「体が冷えるからお湯に入りながら説明するわね」と湯船に浸かるが、俺が逃げないようにするためか、手は掴んだままだ。


「あたしがカテドラル王家の人間であることは、もう知っているわね」

「はい」

「レイが勇者の、たった一人の末裔であることも、知ってる?」

「はい、聞きました」


 ――なら、話は早いわね。

 ロニアさんは続けて語る。レイが勇者としては力不足であること――あまりにも弱すぎて、城の兵士にも負けてしまうほどだという――や、それ故に血を絶やさないようにするために誰かが彼の子を見に宿さなければならないこと、そして、その役目がカテドラルの姫である自身の役目であることを。


(あ、これ聞いたら駄目なやつじゃ……?)


 そう考えているのは俺だけなのか、ロニアさんは更に続ける。

 理屈は分かる、と。国の、ひいては世界の人々のためには誰かがやらねばならないことは嫌と言うほど分かっている。それでも、悪魔の瞳を持った性格の悪い、好きでもない――むしろ、大が付くほど嫌いな男に抱かれることを素直に受け入れるのは難しかった。


「だから、あたしはアタシを演じることにした。お姫様のローニャステラではなく、気の強い姉のようなロニアを。あたしではアタシで抱かれることで、少しでもあたしの心を守りたかったの」


 ここまで説明されれば、ロニアさんが何故レイの屋敷にいるのかは察しがついてしまう。多分、先程までそういう行為があったのだろうということも。そして、彼女にとってその行為は心身ともに疲弊するものなのだ。けれど、弱っているからといって、さして親しくもない俺に話す内容でもないような気はする。


「ねぇ、ゴウ……あたし、あなたには感謝しているの」


 立ち上がったロニアさんにつられて、俺も立ち上がる。すると、彼女は浴槽から出てきたかと思うと、俺に裸の体を押し付けてくる。豊満な胸を滴る水滴が服を濡らしていく。


「ちょっ……待ってください。これは良くないのでは……」

「ううん、もういいの。いいのよ。あなたのおかげで解放されるんだもの、あたしの勝ちなの」

「どういう……?」

「何年もね、続いていたの。でも、あたしは必死に抵抗した。せめて子どもが生らないように。そして、明日レイはあなたとともに旅に出る。長い、長い旅に。だから、あたしの勝ち。生きて帰ってきても、死んで帰ってこなくても、あたしの役目は終わるのよ」


 そう言いながら、ロニアさんは何故か俺の服を脱がそうとしてくる。やんわりと抵抗すると、「お風呂に入りにきたんでしょう? せっかくなら一緒に入りましょう」と想像よりもずっと強い力で服を引っ張ってくる。この精神状態はあまり良くないのではないだろうか。


「ちょ、ちょ、ちょ……」

「ずっとあいつ以外の誰かに抱かれてみたかった。でも、もしも生まれた子が聖剣に反応しない子だったら苦労するのは目に見えていたから……耐えてきたの。でも、でもね。もうそれもおしまい。だから、最初はゴウ、あなたがいい。あたしを救ってくれた、あなたが」

「いやいやいやいや! 気持ちは嬉しいですけど、流石に風呂が長いとレイが見に来ますって……!」


 そうじゃないだろ!

 混乱状態の口から出た言葉に、反射的に脳内で突っ込む。レイが見に来るとか来ないとかの問題ではない。ロニアさんのような美しい人に求められるのは素直に嬉しいが、多分この状態で一線を超えるのはまずい。というか、この世界の避妊方法なんかも知らない状態でお姫様と事に及ぶなどできるはずもない。妊娠させてしまったときが怖すぎる。


「大丈夫、普段もお風呂を借りたら顔も見せずに帰ってるもの。いちいち様子なんて見に来ないわ」

(ほらな!?)


 先程の自分の発言を恨む。咄嗟とっさに口から出た言葉がそう受け取られてしまうのは仕方がない。だが、実際はレイの様子云々は関係ないのだが、正直に話すわけにもいかないだろう。どうにかして、ロニアさんを思いとどまらせなければならない。


「せ、せっかく解放されるなら最初は好きな人がいいんじゃないですかね……?」

「そんな気持ち忘れちゃった。それに、接した時間は短いけれど……あたしはゴウのこと結構気に入ってるんだよ」

「ありがとうございます……じゃなくて!」

「それとも、あたしは魅力ない……?」


 ――あります! ありますけど!

 反射的に飛び出そうとした言葉をなんとか呑み込んで、小さく首を横に振るだけにとどめる。しかし、それだけでも彼女には十分だったのか、服を脱がすスピードが心なしか速くなったような気がした。


「嬉しい……ゴウもその気なんだよね……?」


 生理現象に、ロニアさんが嬉しそうな反応をする。

 なんとか服を死守しようと抵抗を試みるが、反応してしまったことで本格的にスイッチが入ってしまったのか、あっという間にトップスを剥がされてしまった。やばい、このままじゃ……かといって、力で抵抗しては彼女に怪我をさせてしまう可能性もある。だが、このまま行為をするのは絶対に良くない。ロニアさんのためにも。だって、彼女は俺でなくてもいい。たまたま俺がここにいたから、そして口実になる理由があったから。多分、それだけだ。だからこそ、俺はしっかりと拒否しなければならない。ロニアさんのためにも、俺自身のためにも。快楽はすぐに虚無になってしまうから。


「ちょ、ちょ、ちょ……ほんとに……やめま……っうお!?」

「……チッ」


 ――ガンッッッ!!!

 激しい音が背後から聞こえて、体が飛び跳ねる。それと同時に、目の前から舌打ちが聞こえてきた。彼女の目にキュッと力が入る。それだけで状況が分かってしまうのが、なんだか悔しい。


「やあ、ロニア。君だけ楽しそうだね、俺じゃ物足りなかったかな?」

「……ふん、自覚があったのかい?」

「義務でやってるだけだからね、そうなっても仕方ないかなって」


 背後から聞こえるレイの声に、ロニアさんは立ち上がる。先程までのロニアさん――もとい、ローニャステラ姫はもう心の奥底へと眠ってしまったようだ。逆撫でするようなことばかりを口にするレイに負けじと応戦する彼女に、とりあえず服を着るように促す。


「まったく、空気を読まない男だね」

「やだなあ、俺はめちゃくちゃ空気を読んだよ。ねぇ、ゴウ?」

「俺に振るな……頼むから」


 衣装に袖を通しながら文句を言うロニアさんと、全裸の彼女を前にしても様子の変わらないレイに、二人は本当にそういう仲なのだなと感じる。義務感で繋がっているとはいえ、やはり二人の間にしか存在しえない空気感の中で俺に会話を振ってくるレイはどうかしているとしかいえない。


「大丈夫かい、ゴウ。……アンタが無事に帰ってきたら、今度こそ抱いておくれよ?」


 ぐったりしている俺に、ロニアさんは気を遣う素振りを見せつつも、とんでもない発言をする。それを聞いていたレイは「諦め悪くない? ゴウはお役目もあるし俺に抱かれる運命だから諦めなよ」と余計なことを言う。


「抱かれないからな!?」

「あはは、状況次第で言いくるめて抱いちゃうかもよ」

「レイ、いくらゴウの力が必要だからって無理やりは許さないよ! ……ゴウ、無理やりされたら逃げてもいいんだからね?」

「ロニアが言わないでくれる?」


 二人は俺を抱くだの抱かれるだのという内容でまだ言い合いをしていた。見た目は平凡、中身も平凡な男を奪い合う展開はいったい誰得なのやら。ただ、レイもロニアさんも現状では俺しかいないのだということは分かる。二人とも複雑な立場が絡み合っていて、自分だけのためには動けないのだろう。だから、異世界人である俺だと都合が良いのだと想像がつく。しかし、ロニアさんの場合はレイへの対抗心のようなものが感じられるので、きちんとした出逢いさえあれば相手は俺でなくともいいことは分かる。


(逆になんでレイは俺に拘るんだ……?)


 それを考えると、レイが俺に拘る理由がかえって謎になってくる。が、何度思考に謎が浮かんできたところで今の俺に分かることはないし、そもそも気にしたところで仕方のないことのように思う。ぐるぐると渦を巻き始めた思考を物理的に洗い流したい。そもそも、当初の目的は風呂に入ることだったのに。


「あの……俺は風呂に入りたかったんだけど……?」

「可哀想に。ロニアに邪魔されちゃったねぇ」

「アンタが来なければ今頃アタシと一緒に入っていたんだよ。……ゴウ、アタシは帰るよ。この姿で会うのは最後になるかもしれないけれど……そう気負わなくていいからね」


 ロニアさんは俺を抱きしめると、優しく背中を叩いてそう言った。

 発言の内容の意味までは分からないが、彼女はどこか寂しそうで、つい抱きしめてしまった。小さな声で聞こえた感謝と「やっぱりゴウが良かったな」という言葉を最後に、ロニアさんの姿が目の前から消える。


「……えっ?」


 にゃぁん。

 小さく聞こえた鳴き声の方向を見れば、緋色の毛並みを持った猫が中庭へと駈け出す姿があった。猫は軽々と塀を越えると、そのまま夜の町へと去っていく。


「……え? え? えぇええええええ!?!?」

「あっはっは! 良いリアクションだね!」


 珍しい毛色だとは思っていたが、まさかロニアさんだったとは。

 驚きのあまり、時間帯も気にせず叫んでしまう。そんな俺の横で同じように大きな声で笑うレイの様子から、彼は全てを知っていたことを察する。レイは「普段のロニアと結びつける人間はそう多くはないとはいえ、夜中にお姫様がうろうろしていたら問題だからね。魔法で猫に変身しているんだよ」と、腹を抱えながらも説明してくれた。レイの発言や先程の様子から、ロニアさんとしての姿とローニャステラ姫としての姿とでは違うのだろうとは分かる。その二人が同一人物であると気付ける人間がそういないということも。だが、それはそれとしてお姫様が堂々と夜中に出歩くのは確かに好ましくはない。

 そこまで考えて、昨晩の出来事を思い出す。

 猫がロニアさんだったことを考えると、色々と納得できる部分はあるが、問題はそこではない。昨晩、レイは吹き飛ばされて怪我をした猫を放置しなかったか。そして、結果的に俺もそうなってしまったはずだ。顔からサッと血の気が引いていく。


「えっ、おまっ……お前! 昨日!?」

「あはは、ロニアは超稀少な回復薬を持っていたから大丈夫だよ」

「そっ、そういう問題じゃねぇえええええ!!!」


 けろっとした顔でのたまうレイの胸ぐらを掴んで、がくがくと揺らす。しかし、レイの表情は変わるどころか、いっそう笑みが深まっていく。これがマンガだったら、今のこいつの周りには「ユカイ、ユカイ」という擬音が付いていることだろう。


「お前! 昨日のあれこれを全部話せ! 話すまで寝かさねぇからな!?」


 レイを強引に押して部屋まで戻る。「寝かさないなんて……積極的だね」なんてふざけたことを抜かすレイに蹴りを入れながら。大してダメージが入っていない様子なのが腹立たしい。そして、そんな俺を見てなお「そんなに気にしなくてもいいのに」と楽観的なレイに再度蹴りを入れる。

 結局、昨晩の依頼は少女を見かねたロニアさんからのものであったことや、レイの力を信用していない彼女が勝手に付いてきたことなどを聞いているうちに眠りについてしまっていたらしい。目が覚めると、窓の外には清々しい青色が広がっていた。




「……あれ、結局俺風呂入ってなくないか?」

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