2話【1】:流石にそれはどうでしょう?


 目を覚ますと、窓の外はすっかりと明るくなっていた。それどころか、太陽は空の真ん中をとうに過ぎている。屋敷に戻ってきた時間は定かではないが、それでもかなりの時間眠っていたようだ。


「喉、渇いたな……」


 喉の渇きを感じて、一階に下りることにする。階段を下っていると、鍛錬を終えたらしいレイの姿が目に入った。どうやら、俺とは違って早くに目が覚めたらしい。


「ゴウ、起きたのかい」

「ああ。レイは早いな? 怪我は?」

「言っただろう、頑丈だって。もう治ってるよ」

「は!?」


 そんなはずがない。

 慌ててレイに駆け寄って無理やり服をめくる。「大胆だね?」と驚いている言葉は無視して、傷の確認をしてみるが、本人の言うように確かに傷の多くは治っているようだった。


「な、なんで……?」

「昔から傷の治りは早いんだ」


 傷の治りが早いというレベルではない。

 長く鋭い爪は間違いなくレイを深く引っ掻く――というよりは、切り裂いていて、たくさんの血が流れていた。それだけではない。体高数メートルの巨体に何度も体当たりをされていたのだから、骨だって折れていてもおかしくはないのだ。それなのに、レイの体には少しの青痣があるだけだった。

 どう考えてもおかしい。じっとレイの体を見つめていると、ふと昨日の女神様の言葉を思い出した。確か、女神様は異世界の人間は脆いのかと驚いていたはずだ。まさか、ワルドアナザァの人間は傷の治りのスピードがみんな早いのだろうか。


「そこまでは分からないけど……この世界の中でも俺はかなり特異な体質をしているんじゃないかな?」

「声に出てた……?」

「ふふ、しっかりとね。まぁ、そんなわけだから俺の体のことは心配しなくても大丈夫だよ」


 なんとなく、レイが敬遠されてしまう理由が分かってしまうような気もする。

 俺からしたら特に意味はないとはいえ、この世界では魔族の証ともいえる赤い瞳を持っていることや、今語られた特異な体質などが一般の人々からしたら恐怖を感じてしまうのではないだろうか。


「ところで、ゴウはどこに行くのかな」

「喉が渇いたんだよ。あと、腹も減ってきたかな」

「なら、町を散策がてら外で食事にしない?」


 レイから魅力的な誘いを持ちかけられるが、こいつは出歩いても大丈夫なのだろうか。ロニアさんを始めとした町の人々の視線を思い出すと、素直に頷くのは難しい。そんな俺の心境を察したのか「俺のことは気にしないで。日常だしね」とレイは笑う。ああいったことに慣れているのもどうかとは思うが、レイに対する心配よりも好奇心が勝ってしまって、首を縦に振ってしまった。


「では、俺は着替えてくるよ。少しだけ待っていて」


 レイが着替えにいっている間に、俺もキッチンに行って喉を潤すことにした。水道がないことは不便だが、飲み水を保存するための樽が置いてあるのは助かるなと思う。喉が渇くたびに井戸から水を汲むのは非常に面倒だ。

 玄関ホールに戻ると、王子様のような服装をしたレイの姿があった。何故目立つ格好をしているのかを問えば「女神の客人を案内するわけだからね。格好は大事だよ」と返ってくる。客を案内するのにラフな服装をしていれば陰口の材料になるのだそうだ。とはいえ、普段から華美な格好をしていても何かしら言われるそうなので、結局のところ勇者の末裔でありながらその称号に相応しくないレイに対して一言物申したい人間が多いのだろう。


「お前も大変だな……」

「あはは、そうでもないよ。……さて、行こうか」

「お姫様じゃないんだから、そういうエスコートはいらないって」


 レイが玄関の扉を開ける。

 高い壁に囲まれているせいで、敷地内からは町の様子は見えそうにない。


「そわそわしているね」

「ずっと気になってたんだよな」


 昨日はイマイチ状況が呑み込めないことが多く、町を眺めるだけの余裕はなかったが今日は違う。ゆっくりと町を散策できるのだ。落ち着かないのも仕方がない。

 屋敷の門を抜けると、周囲にも同じような建物が並んでいた。貴族たちの住居が固まっている場所のようだ。レイが北を指すのでそちらに視線を向ければ、大きな城が見える。城の上部には女神様の像のようなものも見える。「カテドラルは少し変わっていてね。城と教会が同じ場所にあるんだ」と、レイが説明をしてくれる。カテドラル国は女神信仰の強い国であるため、王族はどちらかというと神官の役割に近いという。普段は王族としての役目を果たしつつ、必要があれば女神様の意思の代弁を行うのだそうだ。


「なんか、すごいな?」

「あはは、気持ち悪いよね」

「お、お前!?」


 堂々と意見を述べるレイにこちらがひやりとしてしまう。他の人間に聞かれていたら、間違いなく不敬だと言われてしまうような発言だろう。あまり王族だの信仰だのに詳しくない俺ですら、そのくらいは分かる。だが、昨日からレイは時々女神様に対して毒を含んだ発言をしている。勇者という立場があるのに大丈夫なのだろうか。


「大丈夫だよ。ペルーアは心優しい女神様だからね」


 レイは笑っているが、その目はどこか冷たい。声音だって、微塵もそうは思っていないことが分かるようなものだった。もしかしなくてもレイは女神様のことが嫌いなのだろう。ここまで堂々としていると触れるのが逆に怖い気もして理由を聞く気分にはなれなかった。


「ふぅん。……なぁ、先に飯にしようぜ」

「そうだね。店は南の方にあるはずだよ、行こう」


 城は北に、その周囲に高級住宅街、東は普通の住宅街や職人街、西に農場、南に店などがあるらしい。高級住宅街の近くには富裕層向けの店も多いため、レイはあまり南の方へ行くことはないという。町から出るときも西門や東門があるため、わざわざ一番遠い南門までは行く必要もないようだ。昨晩の記憶を思い返せば、そこまで住宅は存在していなかったように思う。つまり、昨日は西門経由で森に出たということになる。


「夜に通ったのは西門?」

「そうだよ。ちなみに、あの森はバオムといってね。とても良い狩場なんだよ。採れる木材の質も良い」

「へぇ……」


 バオムの森をそのまま西に抜けていくとイィナカ村という小さな村が、北西に抜けるとナト町という港町があるらしい。イィナカ村はまだ無事であるようだが、ナト町はかなりギリギリの戦いを強いられているという。なんでも、サンクチュア大陸の上にあるトーレフ大陸との距離が近いため、飛行できる魔族が容赦なく町に侵入してくるようだ。カテドラルからの食糧支援などのおかげで耐えられているが、聖玉の効果が悪い方に作用してしまっているようで苦戦を強いられているそうだ。


「弱い魔物が自動的に弾かれてしまうからね。結果的に強い魔族とばかり戦闘することになってしまっているんだ」


 聖玉は便利なものだと思っていたが、そういうデメリットもあるとは思わなかった。結界が魔族を弱体化させるとはいえ、何度も相反する力に対応していれば聖玉自体が脆くなる。そうして結界が崩壊した隙に大群が押し寄せてくれば、雑魚と強敵を同時に相手にしなければならなくなり、ますます町は疲弊していく。カテドラルからも騎士や冒険者が派遣されているが、それだけでは魔族を撤退させるだけの決定打にはならないのだそうだ。


「呑気に飯食っても良いのかな……」

「あはは、これに関してはペルーア待ちだからね。彼女がより強力な聖玉を用意するまでは、俺たちはカテドラルにいるしかないよ」

「昨日貰った皮の袋? みたいなのは違うのか」

「ああ、あれね。あれはゴウへのプレゼントだよ」


 謎の袋には、ワルドアナザァの通貨や衣装などが入っていたらしい。「本当はそのまま渡してあげたいところなんだけど……」と言いながら、レイは目の前から走ってきた子どもに、あろうことか足を引っ掛ける。


「は!? なにしてんの!?」

「ゴウ。子どもだからって油断してはいけないよ。……こういう風に悪いことを覚えている子も多いからね」


 レイが少年を立たせると、子どもの懐からは様々な革袋が落ちてきた。どうやらスリのようだ。レイによって悪行をバラされた子どもは顔を真っ赤にして暴れているが、腕を掴んでいるレイの力から逃れることはできないようで周囲の冷たい視線に晒されていた。「放せ! この悪魔!」と子どもが叫ぶ。お金を盗まれた人々は自分のものを手に取ると、そそくさとその場を去っていく。レイに礼も言わずに。思わず顔をしかめる俺に、しかしレイは慣れているのか気にした様子はない。


「さて、どうしようかな?」


 子どもの手を放せば、またすぐに同じことをすることは目に見えているのだろう。レイは子どもの処遇をどうするべきか悩んでいる様子だった。周囲はちらちらとこちらを見てはいるものの、直接関わり合いにはなりたくないようで誰も声を掛けてくる気配はない。俺が誰かに声を掛けるべきなのだろうが、誰に声を掛けていいのかも分からずに右往左往することしかできなかった。すると――。


「ドニー! レイには関わるなって言っただろう!」


 昨日の緋色髪の女性――ロニアさんが現れる。

 ロニアさんは怒り心頭といった表情でドニーと呼ばれた少年を睨みつけている。震えた声で謝る子どもの姿は少しだけ可哀想だ。なんて思っていたら、本心ではなさそうな声で「そんなに強く怒ったら可哀想じゃないかな」という声がする。なんで火に油を注ぐようなことをするんだ、こいつは。


「余計なお世話だよ!」

「あはは、そう言うなら躾はしっかりしてほしいものだけど?」

「アンタに言われるまでもないよ。……客人、ウチの子が失礼したね。詫びとして飯でも奢らせておくれ」

「えっ……いや、俺は……」

「ほら、ゴウ。行くよ」


 レイに背中を押されて歩き出す。

 迷惑を被ったのは俺ではなくレイであり、また善良……かまでは分からないが一般市民の皆様である。なんの被害も受けていない俺に謝罪をするより、もっと別に謝るところがあるような気もする。だが、俺以外は気にする様子がない。周囲からは下手に関わりたくはないというような雰囲気があるから、逆にこれが正解なのかもしれないが。


「もうしないって!」

「嘘をつくんじゃないよ! アンタ、これで何回目だい!?」


 ロニアさんはドニーを叱りながら歩いている。

 聞こえてくる内容から、ドニーはスリの常習犯のようだ。少年はところどころ破けている服を着ていて、貧しい生活をしているのは一目瞭然だった。だからといって、スリが許されるわけではない。そのことをロニアさんは分かっているのだろう。厳しい口調ではあるが、彼女がこの少年のことを大切に思っているからこそだということは説教の内容から理解できる。「アンタ、そんなこと続けてたら身内からも信用を失くすよ」というロニアさんの言葉に、しかし、ドニーは必死に反論していた。空腹に苦しむ兄弟のためにはお金がいるのだと、そして、それが良くないお金であることは自分だけが知っていればいい、おれは兄弟のためならなんだって――と。


「……なぁ、カテドラルって結構貧富の差がある感じか?」


 こっそりとレイに問い掛けると、首肯が返ってくる。レイはそのまま俺の体を自分の方へ寄せると、ロニアさんたちには聞こえないような声でカテドラルの実情を語り始めた。


「そもそもね、カテドラル自体がそう豊かな国ではないんだよ」


 カテドラルはこれといって特色のある国ではない。国特有の何かがあるわけでもなく、近くに鉱山などがあるわけでもない。農業向きの豊沃ほうよくな大地だけはあるが、それでもサンクチュアが大きな大陸ではないため、農産物の輸出だけでは国益はそう多くはならないという。

 だが、カテドラルには唯一の強みがあった。女神様が姿を現すという、他のどこにもない強みが。信仰心の強い人々は女神様を一目見ようとカテドラルを訪れる。一時期は巡礼客で賑わい、様々な店が立ち並んだ。信仰心の強い他国の貴族などは城の付近に別荘を構えた。そういう富裕層から金銭を多めにいただくことで国は成長してきたという。

 しかし、魔王の復活により魔族が増え、とてもではないが巡礼の旅どころではなくなった。すると、これまで巡礼客で賑わっていた多くの店は経営が成り立たなくなり、貧民が増えてしまった。にも関わらず、カテドラルの人口は増えた。自国では身の安全を確保できないと判断した人々がカテドラルに逃げてきたからである。人口が増えたことで食料の需要と供給のバランスは崩れ、貧しい暮らしを余儀なくされた人々は食料を入手することが難しくなってしまったのだそうだ。


「……幸い、建物は多くあるからね。雨風凌ぐ場所には困らないようだけど、それは救いにはならないんだよね」

「しかもポンコツ勇者は良い家に住んでるしな」

「そういうこと」


 話を聞くと、レイがきつく当たられてしまう理由も少しだけ理解できてしまう。希望となるべき勇者は勇者には相応しくなく、それなのに豊かな暮らしをしている――実際レイは贅沢しているわけではないが、共に生活しないと分からないことだろう――のだから、何かしら言いたくなってしまうのも分からなくはない。理不尽であることに変わりはないが、俺の言葉に本人は笑っているので甘んじて受け入れているのだろう。


「……これ、本当にご馳走になっていいやつ?」

「あはは、大丈夫だよ。ロニアはあれでも良い育ちをしているんだよ」

「……なんか言ったかい、レイ?」

「おっと」


 何が「おっと」だ。聞こえるように言ったくせに。

 ロニアさんもそのことを分かっているようで、わざとらしい大きな溜息を吐くと「ったく、説教の気分じゃなくなっちまったね」と、ドニーを解放した。


「今度見つけたらタダじゃおかないからね!」

「……っ、知るか! ロニアのバーカっ!」

「ドニー!!!」


 ぎゅっと唇を噛みしめ、ドニーは走り去っていった。「ロニアの言うことは彼も理解しているんじゃない?」と、これまた思っていても黙っていてほしかった台詞を言うレイにはらはらしたが、意外にもロニアさんは「だと良いけどね」と寂しそうな表情をするだけだった。


「客人の前で失礼ばかりですまないね」

「え、ああ……いや……なんか、大変ですね?」

「ゴウ、そんな気を遣わなくていいんだよ。……ほら、ロニア。早く店に案内して」

「お前……」


 思わず脇腹を殴る。

 共に過ごした時間はまだ短いが、こいつがわざとロニアさんを逆撫でするような発言をしていることは分かる。物腰の穏やかさや美しい顔立ちで誤魔化されているだけで、中々の性格の悪さだ。


「コイツは昔からこんなさ。……まったく腹立たしい」

「君はいつも予想通りで面白いよね」

「アンタは勇者でもないのに図々しいけどね」

「……?」


 昨日同様二人の会話はどこかとげとげしさがある。なのに、少し変わった空気感もあるように思う。それは付き合いの長さ故なのか、それとも別の何かがあるのかまでは分からない。

 なんとなく隣に並ぶことに抵抗を覚えて、ゆっくりと歩くスピードを下げる。はぐれないように背後から付いていくと、一際人通りの多い路地に出た。露店の商人の声や呼び込みの声、行き交う人々の声で活気付いているそこは、しかし、手入れされた建物の中に放置されたのだろう建物も混在していて僅かに哀愁を感じさせた。


「こっちだよ」


 ロニアさんに案内された場所は路地に面している建物の中でも一番大きな店だった。店内も想像通り広く、多くの客で賑わっている。店員と思わしき少女がロニアさんの姿に気付くと、こちらへとやってくる。彼女はレイの姿を見て少し複雑そうな顔をしたが、ロニアさんの「客人の対応だよ」という声にすぐに表情を切り替えた。そして、少女の案内で個室に通されると、何故か俺が一番奥に通された。


「え?」


 案内された個室は、貴賓室のような場所でなんだか居心地が悪い。よりにもよって、一つだけある玉座のような椅子に座らされたのだから、それは尚更だった。


「レイ、席変わってくれ」

「あはは、今回はゴウがもてなしを受ける側だから大人しく座っておいてね」


 半ば無理やり座らされると、レイとロニアさんもそれぞれの椅子に掛ける。そして、複数の女性店員が部屋の中に入ってくると、豪奢な装飾の施された樽が運ばれてきた。それを見たレイは少しだけ目を丸くすると、「覚悟を決めたんだ?」と意味深な言葉をロニアさんに投げかける。


「これ以上ワガママを言える立場じゃないからね。……客人、酒は……まだ飲める年齢ではなさそうだね?」


 ロニアさんは盃を片手に、俺の顔をまじまじと見つめている。どうやら、酒が飲める年齢か否かを確認していたらしい。こちらへと手渡されようとしていた盃は、しかし、途中でロニアさんの手元へと戻ってしまった。


「いや、飲めますけど……? もしかして、ワルドアナザァでは二十歳は成人扱いじゃない……?」

「んっ!?」

「二十歳ィ!?」


 二十代半ばだろう二人からすれば、中身が伴っていないこともあって俺は幼く見えるのかもしれない。だが、これでも一応成人済みである。もしかしたらワルドアナザァでは成人年齢ではないのかもしれないとも思ったが、二人の反応を見るにそういうわけではなさそうだ。


「……俺たちとそう変わらないんだね?」

「え? マジで……?」

「アタシもレイも二十二だよ」

「えっ!?」

「驚きたいのはこっちさね」


 レイもロニアさんもそんなに年が変わらないことに開いた口が塞がらない。異世界人だからこんなに大人びているのか、それとも俺が幼すぎるだけなのか。あまり考えたくはない。


「ま、まぁ、酒が飲めるんならいいさ」


 改めて盃を手渡される。

 俺も、レイも、ロニアさんも。みんな同じ盃を手にしていた。店員によって三人の盃に酒が注がれると、ロニアさんが神妙な顔付きで盃を掲げる。


「異界よりの客人、ゴウよ。貴殿の来訪を心より歓迎する。我、ローニャステラ・イ・カテドラルは貴殿の力となることをここに誓う。……どうか、ワルドアナザァを救うために力になってほしい」


 ロニアさんの盃がこちらに向けられる。これはどう対応するのは正解なのだろうか。困惑していると、ロニアさんはレイにも同じように盃を向けてやや口早に「勇者レイ。我、ローニャステラ・イ・カテドラルは貴殿の力となることをここに誓う。ワルドアナザァを救ってくれ」と告げた。


「レイ・レブ・ユーシ。確かに拝命致します。……ほら、ゴウも」

「え? あ、ああ! ……御都號ごつごう、確かに拝命致します……?」


 レイが盃を少しだけ持ち上げる仕草をしている。そして、俺にも同じことをするように促す。訳も分からないまま、レイの真似をしてみせた。座ったままで良かったのだろうか。なんだか、そわそわしてしまう。少しの間が長く感じる。


「盃を共に」


 ロニアさんの声を合図に、レイが盃に口を付ける。ちらりと視線が向けられたことから、また同じことをしろということだろう。盃を口に付け、そのまま飲み干す。酒の甘く芳醇な香りが口内に広がる。あまり度数は強そうな感じはしないが、不思議と一杯だけで体が熱くなってくる。


「ゴウ、説明もなしにすまなかったね。ロニアがせっかちなばっかりに」

「うるさいよ。勢いでしかやれないんだからね、こんなもの」

「結局これってなに……?」

「あはは、だよね。……ロニア、ほら説明」


 レイに促されたロニアさんが今の儀式めいたものについて説明をしてくれる。これは、過去に勇者が旅に出る際に行った儀式がもとになっているらしい。女神様の力が混じった不思議な酒を誓いとともに飲み干す。すると、盃を交わした者たちの間に女神様の力が宿るという。


(さっき感じた体の熱さはそれか……)


 ちなみに、女神様のお酒は一人で飲んでも効果はないという。理屈は不明だが、必ず複数人で行わないといけないようだ。「だから、言葉は大した意味を持たないんだけど、ないと格好つかないじゃない?」とレイは言う。それに「代々王家に伝わる内容になんてこと言うんだい!」と反論する。


「……?」


 そう言えば、ロニアさんはカテドラルと名乗っていなかったか。

 突然のことにフルネームを覚えることはできなかったが、ファミリーネームがこの国と同じものだったことは覚えている。


「どうしたんだい、ゴウ」

「な、なぁ……ロニアさんってもしかして……」

「ああ、うん。これでもお姫様なんだよ。これでも」

「本当に余計な一言が多いね、アンタは!」


 やはり、そうなのか。

 意外な事実に、冷や汗が流れ始める。王族相手に失礼はなかっただろうか。そう考えたが、レイがそれを知っていてなお無礼な態度を取っていることから、あまり心配はいらないような気がしてきた。


「みんなには隠してるんだ。黙っていてくれると助かるよ」

「あ、はい……」

「さて、ここからは堅苦しいのは無しだよ。……ゴウ、アンタは今からこの性悪男と長い旅にでなきゃならない。アタシに出来ることはそう多くはないが……出来る限り支援するよ。まずは……腹ごしらえだ。いっぱい食べておくれ」


 ロニアさんの空色を彷彿とさせる瞳が柔らかく弧を描く。穏やかな笑みを浮かべる彼女は、先程よりもずっと幼く見えて、なんだか可愛らしく思えた。ドキリと鳴る胸の音がレイに聞こえるはずはないのだが、何故かそのタイミングで「ロニアはおすすめできないな~」と隣から声がする。


「そういうのじゃないって! 単純に美人が笑ってたら見ちゃうだろ!」

「……ゴウ! アンタ、可愛いヤツだねぇ!」

「うわ……あまり人の趣味について言いたくはないけど……ゴウ、今までロクな女性と出会わなかったんだね?」

「……女性だけじゃなくて男性もかもな。俺、レイの顔も好きだし」

「ゴウ、やめときな。あんな性悪な男はさ」


 ロニアさんは俺を抱きしめて、レイから引き離す。レイはといえば、少し驚いたような顔をしていたが、すぐににっこりと笑顔を浮かべると「ゴウ。君は可愛いねぇ」とロニアさんと同じことを言って腕を引っ張ってきた。


「いてぇいてぇいてぇってぇ!」

「ロニア、ゴウが痛がっているよ。早く放しなよ」

「アンタが放せばいいじゃないか。……誰か、料理を運んできておくれ!」


 ロニアさんの声に、「かしこまりました」という声が遠くから聞こえてくる。すると、間もなく料理が次々とテーブルに運ばれてきた。豪勢な料理にテンションが上がる場面のはずなのだが、店員が入ってきてもなお、俺の奪い合いは続いているせいでイマイチ素直に喜べない。抵抗しようにも、レイはもちろんのこと、ロニアさんの力すら俺より強いようで、抜け出すことは厳しそうだった。


「ほら、ゴウ。お食べよ」

「ゴウ、そっちは無視していいからね。俺が食べさせてあげるよ」

「いや、俺一人で食えるんだけど……?」


 俺の声は無視されているのか、料理が左右から交互に運ばれてくる。面白いくらいに交互に運ばれてくるので、案外この二人は息が合うのではないかと思ってしまう。介護されているような複雑な気分ではあるものの、左右でニコニコしている二人の笑顔がそれはもう美しいものだったので、その対価だと思って運ばれてくる料理を大人しく受け入れることにしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る