第21話
家に着くと、ツグミはとりあえずリビングのソファーにかすみさんを座らせ、キッチンへ向かった。
「雨も座ってな」
自分ちのリビングなのに手持ちぶさたに立ち尽くす私に、お湯を沸かしながらツグミが言う。
かすみさんはソファーの左端で膝を抱え、その膝におでこをつけて顔を伏せるようにして小さく座っている。
右側は空いてるからそこに座ることも出来るけど、悩んだ結果、私はそのすぐ下の床に腰を下ろした。
さっき一度平常に戻ったように見えたかすみさんは、今度はひどく落ち込んだように元気をなくしていて、私はなんとなく話しかけることが出来ないまま足元で静かにしていた。
「ソファーに座ればいいじゃん。床冷たいんだから」
しばらくしてティーカップを両手にツグミが私たちのところに来ると、その声に反応してかすみさんは伏せていた顔を上げた。
「あっ…ごめんね、雨ちゃん…私、邪魔だった…?」
「いえ…そうゆうわけじゃ…」
かすみさんがさらに左に寄ってしまったので、私は気にさせないようにとその右隣に座った。
私が完全に座るのを待ってから、ツグミが目の前のローテーブルに二つのミルクティーを置く。
「熱いから気をつけて」
「…ありがとう、ツグちゃん…」
「……ありがと」
私もかすみさんに続いてお礼を言った。
二人しか座れないソファーを離れ、ツグミはキッチンから持って来たもう一つのミルクティーをダイニングテーブルの上に置き、一人そこに座ってカップに口をつけた。
誰からも口を開こうとしない空気に耐えられなくなり、私は気になっていたことを言葉にした。
「あの子大丈夫だったかな……」
その時、
「……うっ………うっ……っ……」
かすみさんがまた泣き始めてしまった。あきらかに今の私の発言のせいだ。
ツグミはすぐに立ち上がりまた私たちのところまで来ると、
「雨、かすみ、少しベッドに寝かせてあげよう」
と言った。
私にはかすみさんが今どうしてほしいのかも何をしたらいけないのかも何も分からないのに、ツグミにはすべてが分かっている気がした。
私の返事を待たずにツグミはかすみさんに声をかけ、泣いたままのかすみさんに手を貸して立ち上がらせた。
二人に続いて立ち上がった私にツグミは部屋の扉を開けるように頼んだ。私はそれに従いゆっくりと歩く二人を自分の部屋へ入れた。
かすみさんをベッドに横たわらせると、
「雨は側にいてあげな。手を握ってあげてたらそのうち落ち着くよ」
と私にだけに聞こえるよう小声で言い残して部屋を出ていった。
ツグミにはそう言われたけどそんな勇気はなく、腕で顔を覆うかすみさんを、私はただ側で見守るだけだった。
どれくらい経ったか時間の感覚がなくなっていた。窓からの光が西陽がかって来た頃、ようやくかすみさんの呼吸が安定してきた。
「……少しは落ち着きましたか?」
それでもまだ天井の一点を見つめて何かを考えていそうなかすみさんに話しかけてみると、
「……うん…だいぶ…。ごめんね、びっくりさせちゃたね…」
「……いえ……びっくりっていうよりすごく心配しました……でも私、かすみさんの力になれることなんにも出来なくて…ごめんなさい」
「謝らないで!雨ちゃんが謝ることなんてないんだから…。雨ちゃんも衝撃強かったはずなのに私こそごめんね…でも、今もこうしてずっと付き添ってくれてて嬉しかった」
私は気を使ってそう言ってくれたかすみさんに、下手な微笑みで返した。
「………あの時、ツグミがいて良かった。私じゃ、あの後どうしたらいいか分からなかったし…、かすみさんも私とツグミじゃ安心感が違うだろうし……」
「雨ちゃん……」
「別に嫌味で言ってるんじゃないんです。年の功じゃないけど、ああゆう時って、年下って頼りないんだろうなって思って…」
すごく素直にそう思えた。
「雨ちゃん、手貸して」
寝たままの体勢で、かすみさんは私に手を伸ばした。
そっとその指先に触れると、かすみさんは熱いくらいの手でゆっくりと私の手を握ってくれた。
「本当はね、まだ少し心臓がドキドキしてるの…。 だから少しこうしててもいいかな?手を繋いでくれてたら、きっとそのうち落ち着くから……」
「…はい」
ツグミの言っていた通りのことをかすみさんは言った。
そのままそんなに経たずに、かすみさんは静かに寝息を立て始めた。その姿を見ているうちにいつのまにか私もベッドの縁に寄りかかって寝てしまった。
小一時間ほどしてどちらからともなく目を覚ますと、「もう落ち着いた」とかすみさんは帰り支度を始めた。
今日は泊まってった方がいいと私もツグミも言ったけど、「ご迷惑だし、もう本当に大丈夫だから…」と、いつもの笑顔で断ると、完全に暗くなりきる前にかすみさんは帰って行った。
かすみさんを駅まで見送り、帰って来てしばらくすると、家のチャイムが鳴った。すぐに玄関へ向かうツグミの足音がして、扉の開く音と閉まる音がした後、私の部屋にツグミが来た。
「雨、夜ご飯来たから食べな」
「来たって?」
「頼んだの。お母さんたち遅いって連絡あったから」
「……」
「うどんだから早く。伸びちゃう」
普通出前を頼むなら何が食べたいか相手に聞くものだけど、今回ばっかりはツグミの意図が分かった。
聞けば、私はいらないと言うと思ったんだろう。だから勝手に頼んでから私に伝えたんだ。しかもうどんだったらとっておくのも難しい。食べ物を粗末に出来ない私の性分も、ツグミは計算づくだと思った。
リビングに行くと丼ぶりが二つ、向かい合って置かれていた。その器に見覚えがある。
「あ、“
「雨は手前のね」
鳳飯店は家から徒歩10分くらいのところに古くからあるお店で、小学生くらいの頃までは共働きの両親が特に遅い時なんかにたまにこうして出前をとってツグミと食べた。
最後に食べてから、少なくとも五年は経っていると思う。
「私の何にしたの?」
聞きながら指示された方のイスに座り、丼ぶりを覗き込んだ。
「カレーうどんだよ」
ツグミの返事を聞く直前に正解を知った。
「ツグミは?」
「天ぷらうどん」
「ツグミのがレベル高くない?」
「じゃあ交換する?」
「……いい」
鳳飯店で出前を頼む時、私は必ずカレーうどんだった。
「……おいしい」
久しぶりの味に感動すら覚えた。
「たまにはいいよね」
食べ終わるとツグミはすぐに二つの丼ぶりを洗い、立ったまま冷たいお茶を飲みながら、お腹がいっぱいで動かない私に話しかけてきた。
「あの子、見た目ほどの怪我じゃなかったみたいだよ」
「なんで知ってるの?」
「さっき外出た時、近所のおばさん達がまだ路上で話してたから聞いた」
「情報網すご……でも、良かった」
「今度会った時かすみにも伝えてあげたらいいよ、気になってるだろうから」
「……そうだね。…でもまた思い出してパニックになっちゃったりしないかな」
「大丈夫だよ、今日のは、目の前で見ちゃったから刺激が強すぎただけだと思うから」
「……かすみさん、なんかトラウマでもあるのかな…」
「………前に、目の前で車と自転車の交通事故を見たことがあるって言ってた。多分小学校低学年の時かな」
「……そうなんだ」
「自転車の子、その事故で亡くなっちゃったんだって。知り合いではなかったけど、近所の駄菓子屋ではよく見てた子らしくて、すごくショックだったって話してた。今日はああゆう場面に遭遇して、その時のことがフラッシュバックしちゃったんじゃないかな」
「……そんなこと、聞いたことなかった…」
「私もたまたまだけどね。なんで免許取らないのか聞いた時、その理由として教えられただけで」
「……そっか」
ツグミはグラスに残った小さくなった氷ごとお茶を飲み、ゴリゴリと噛み砕きながら
「お風呂入ってくる」
と言ってリビングを出ていった。
私も部屋に戻ろうと立ち上がった瞬間、テーブルに置かれたままのツグミのスマホが鳴った。
しばらく放置していたけど、なかなか鳴り止まない大きな音が気になり、ふと画面を見た。
その画面には『桐山 かすみ』と表示されていた。
心臓が急激な早さで脈を打ち始める。
良くないことだと知りながら、スマホを手に取ってその電話に出た。
「………」
「ツグちゃん…!?」
「………」
「……出てくれないかと思った…」
「……なに?」
「あの……電話なんかしてごめんね…」
電話先のかすみさんは私の声をツグミと勘違いしたようだった。
私は訂正せずに聞いていた。
「今日のこと、お礼言いたかったの。ちゃんと言えなかったから…。色々と迷惑かけてごめんね。それから、ありがとう……それだけだから……じゃあ……」
私はほっとした。
無言のまま、電話が切れるのを待っていると
「………やっぱりだめだよ……ツグちゃん……私、やっぱりツグちゃんが忘れられない……」
震える声でかすみさんはそう言った。
「ツグちゃん、もう本当にだめなのかな……?もう私たち、絶対に二度と戻れないの……?こんなに好きなのに………お願い、なんか言って……」
「……雨のことは?」
ツグミのふりのまま、私は強くスマホを握りしめて聞いた。
「雨ちゃんはすごくいい子だよ、すごく優しくて…私のこと、すごく好きでいてくれてるの分かる。……だけど違うの…、雨ちゃんのことは大好きだけど……恋じゃない……」
力が抜けて、スマホを落としそうになった。
かすみさんの声は悲痛過ぎて、聞いているこっちの耳が痛いくらいだった。
私は口を開けば泣き声になってしまいそうで、それ以上何も言えなかった。
「……ごめんね、私、なに言ってるんだろう……いけないことしてるよね……雨ちゃんを傷つけるようなこと…。今のは忘れていいから………おやすみ、ツグちゃん……」
そこで唐突に電話は切れた。
「雨?」
背中からツグミに声をかけられ、焦りつつも自分の体をそ死角にしてスマホをテーブルの上に置いた。
「どしたの?呆然として。大丈夫?」
「大丈夫……ツグミこそどしたの?」
「忘れものした」
私は一度置いたスマホをまた手に取りツグミに渡した。
「ありがと」
「……私、もう寝るね…」
「あー、うん。おやすみ」
「……おやすみ」
ツグミは何も気づいてない様子だった。
私は自分の部屋に戻り、さっきまでかすみさんが横たわっていたベッドに顔をうずめ、声を殺して泣いた。
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