第20話
「実際の大学を見たから今日はやる気もひとしおじゃない?」
「そうですね!今日ははかどりそうです!」
大学見学の後、私とかすみさんはそのまま私の家に向かっていた。今日は家庭教師の日だった。
午前中に大学見学に行き、昼過ぎにはもう地元の駅に戻ってきた私たちは、駅から20分ほどの家までの道を並んで歩きながら、ぎこちない会話でなんとか沈黙を避けていた。
閑散とした住宅街に入り、ここを右に曲れば家のある通りに出るという最後の角の手前に差しかかった時、進行方向からちょうど鉢合わすかたちで人が現れた。
「ツグちゃん!」
私よりも真っ先に呼んだかすみさんは、偶然の出会いに心なしか嬉しそうに見えた。ツグミは私たち二人の顔を順番に見てから、話しかけてきたかすみさんの方に聞いた。
「土曜の朝からお散歩デート?」
答えずらそうなかすみさんの代わりに、私が返事を返す。
「大学に見学に行ってた。ツグミの知り合いにいっぱい会ったよ」
「雨、うちの大学受けるの?」
「行きたいって思ってる。でも、ツグミの真似じゃないから」
「別に真似だなんて思ってないよ」
ケンカでもなんでもないけど、あまりいい空気とは言えない。
「ツグちゃんはこれから学校?」
その空気を変えるように穏やかな口調でかすみさんが聞いた。
「そう、午後から講義。じゃ、時間あんまりないから」
ツグミは別れの挨拶もろくにしないで去って行った。かすみさんは染みついた癖のようにツグミの姿を目で追い、視界の範囲を越えそうになると、首で振り返ってまでまだ名残惜しそうにしていた。
リンリンリンリンリンリン……
そんなかすみさんの真横スレスレを、後ろから来た中学生らしき少年の自転車が過剰な鈴の音を鳴らして走り抜けて行った。かすみさんは思わず肩をすくめて固まった。
「大丈夫ですか?!」
「……うん、ちょっとびっくりしただけ……」
「歩道なのにあんなスピード出して!ほんと中学生男子ってゆうのはろくでもないなぁ……」
ぼやきながら歩き出し、ついさっきツグミが現れた目の前の角を曲がったその瞬間だった……
キィーーーーーッ!!!!
ドォーンッ!!!!!!
ガシャン…ガシャガシャ…ガガガ……………ガンッ!!!
目の前のコンクリートの地面の上、さっきの自転車の少年が、まるで巨大な怪物に投げ飛ばされたように滑りこんできた。
少年は仰向けの状態で苦しそうに目をつぶったまま顔を歪めている。強く体を打ちつけて言葉が出せないのか、声にならない声と呼吸で痛みに悶えていた。
カランカランカランカラン……と高い金属音に反応して左の斜め後ろを振り返ると、10メートルほど離れた民家の鉄柵の前に無残にひしゃげた自転車が横たわり、操縦者を失ったまま、まだタイヤを回し続けていた。
すぐに少年に視線を戻す。呼吸が数秒前よりも荒い。
「どっ、どうしよう……」
顔を上げた正面には、少年をふっ飛ばした正体であろうシルバーの乗用車が、エンジンを切らないで停まっていた。運転席に目をやる。70代くらいのおじいさんが目を見開いて固まり、何が起きたかまだ理解出来ていないのか、降りてくる様子もない。
もう一度少年に視線を戻す。一瞬柄かと思った赤い模様が二の腕辺りからゆっくりと大きくなり、白いシャツを赤へ染め広げていた。
どこからか出血してるんだ……
「救急車呼ばなきゃ……!」
小刻みに震える手でバッグからスマホを取り出そうとしたその時、
「いっ……いやぁーー!!!!」
左に立っていたかすみさんが突然奇声をあげてその場に崩れ落ちた。
「かすみさんっ!!」
自分で自分を抱きしめるようにして縮こまり、体中を震わせている。前に回り込み目を合わせようとしたけど、どこを見てるのか分からない顔で人形のようにそのまま動かない。
「かすみさん?!どうしたんですか?!大丈夫ですか!?」
かすみさんは何も反応してくれない。少年の顔は苦しさにさらに歪んでいく……
私は今何をしたらいいのか分からなくなった。
……とにかく、まずは救急車……
その時、後ろから走り込んでくる足音が聞こえた。
「雨!!」
角を曲がって最初に目に飛び込んで来た私を、ツグミが恐い顔で呼んだ。
「二人とも怪我は!?」
ツグミを見てわけの分からない涙が溢れてきた。
「……だ、大丈夫……でも……かすみさんと……この子が……」
ツグミは辺りを見回し一瞬で全てを理解した。すぐに119番へ通報し、電話を耳に当てながらしゃがみこんで、かすみさんに話しかける。
「かすみ?かすみ!」
人通りのなかった通りに、両脇の家々からちらちらと人が出てきた。
「もしもし?車と自転車の事故です!」
繋がった電話にツグミはハキハキした口調で報告した。
「流血してる負傷者がいます。すぐに救急車お願いします!住所は……」
きっとこんな場面に遭遇したことなんてないはずなのに、慣れた手順で対応するツグミを、私は横につっ立って見ていることしか出来なかった。
端的な通報を追えるとツグミは一回立ち上がって集まってきた近所の人たちに近寄り、簡単な説明をして少年のことを頼んだ。
スマホをポッケに入れながら戻ってきたツグミは私にまた聞く。
「大丈夫?」
「……うん」
返事をした私はかすみさんへと視線を落とした。
「驚いて気が動転しちゃったんだよ」
何も聞いてないのに、ツグミは質問の答えのように私に言った。そしてまたしゃがみ込むと、まだ人形のままのかすみさんの肩を、今度は両手で掴んだ。
「かすみ?大丈夫?」
かすみさんの様子がまた別の感じでおかしい。ちゃんと呼吸が出来ないのか、肩を上下に大きく動かして引きつけを起こしたよう苦しそうにしている。
「かすみ、焦らなくていいから、ゆっくり息を吐いてごらん。……大丈夫、落ち着いて」
普段よりももっとゆっくりした口調で話しかけながら、硬直したかすみさんの腕をそっとほどき、ツグミはその両手を繋いだ。
ずっと動かなかったかすみさんの視線が目の前のツグミに向く。呼吸が穏やかになり始め、魂が戻ってきたようにやっとその顔に表情が見えはじめた。
「……ぅう…う……ぅうわぁあ〜ん!!」
かすみさんは突然大声で泣き出した。そして、すぐ側に私がいることをすっかり忘れてしまっているようにツグミにきつく抱きついた。
ツグミは一瞬ためらったような仕草を見せた後、子どもをなだめるように一定のリズムで背中をたたき、かすみさんを落ち着かせていた。
「………ツグちゃん……講義……遅刻しちゃう……」
「そんなこと言ってる場合じゃないから。立てる?」
「うん……」
「雨、行こう」
「うん……」
そこでようやく私を思い出したのか、かすみさんは立ち上がりながら私の方をバッと振り返った。
「あ、雨ちゃん……迷惑かけてごめんね……」
「何も迷惑なことなんてないですよ。あ、私が荷物持つから。ツグミがかすみさんを支えてあげて」
私は、足元がおぼついていないかすみさんのバッグを地面から拾って持つと、ツグミからもバッグを奪うように受け取った。
「……分かった」
ツグミは私に言われた通り、かすみさんの肩を抱き支えながら家まで連れて帰った。
私はそんな二人の後ろ姿を見つめながらその後をついていった。
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