第10話
結局、家庭教師を辞める辞めないの答えが出せないまま、私とかすみさんは表面上だけあの日以前の二人に戻った。
会えなくなるくらいなら、叶わない想いを留めておく方がマシ。
またかすみさんが離れていこうとしないように、私はそれからかすみさんに何か行動を起こすような真似はやめた。
以前のように真剣に勉強に取り組み、関係のない話は一切しなくなった。
悔しいけど、かすみさんがツグミと付き合っている限りは、かすみさんに会うことが出来る。
私はそれでもいいからかすみさんに会いたかった。
かすみさんは変わらず週に二日家庭教師として家を訪ねながら、それ以外にも定期的にツグミの元へやって来た。
私はツグミに会いに来る時のかすみさんには、もう挨拶することをやめた。
二週間ほどが経ったある日。廊下を歩いていると、ツグミの部屋から珍しく言い争う声が聞こえてきた。
何を話しているのかまではよく聞こえなかったけど、二人の会話の中には「雨」という言葉が入っていた。
猛暑続きのこの毎日の中で、しかも感情的な状況で、天気の「雨」を表すとは考えづらかった。
「ツグちゃんは、私を好きだったことなんて今まで一度もないでしょ!」
かすみさんのその言葉を最後に突然静まり返り、言い争いは終わった。
それからまた数週間が経った。
まだまだあると余裕に思っていた夏休みはあっけなく終わり、気だるい学校生活が始まっていた。
私の唯一の楽しみは、秋になっても変わらず、週に二回の家庭教師の時間だった。
かすみさんは私の家庭教師は続けてくれていたけど、いつからかツグミに会いには来なくなった。
二人の間で何かがあったことは間違いなかった。でも私は約束した通り、
そうゆうことをかすみさんに聞いたりはしなかった。
ある日、かすみさんが指定した数学の問題を解いていると、部屋の扉越しに誰かが訪問してきた声が聞こえた。
「お邪魔しまぁーす!」
聞いたことのない声だった。
「わぁ!ツグミちゃんち広ーい!」
「百々花、声大きいって」
「そっか!勉強の邪魔になっちゃうもんね…」
「てゆうか、私がうるさいから。もう少し静かに喋ってよ」
「わかったってばー」
「ほら、それもうるさいよ」
廊下から聞こえる二人の会話はごく普通の内容なのに、なんとなく親密そうに感じた。
それはかすみさんの耳にも確実に届いていた。
そっと隣を見ると、かすみさんは参考書を手にしながら唇の端を噛んでいた。
私は気まずさから敢えて、
「誰か来たみたいですね…」
と、かすみさんに話しかけた。でも、何も返事はない。余計なことを言ってしまった…と後悔した瞬間、ようやくかすみさんは口を開いた。
「……あの子、私が知ってる子……」
「そうなんですか?大学の?」
「ツグちゃんが好きな子……」
私はペンを持つ手を止めた。
「……ひどい!今日はかすみさんが来る日だって知ってるくせに!」
「仕方ないよ、いつ誰を家に呼ぶかなんてツグちゃんの勝手だし…」
「そんなことないですよ!かすみさんはツグミの彼女なんだから!こんなの絶対ツグミが間違ってる!」
「…雨ちゃんは本当に優しいね。私のためにそんなに怒ってくれてありがとう…」
「………かすみさん…」
「でもね、もういいの」
「どうしてですか!」
「……少し前にね、ツグちゃんから別れようって言われたんだ……だからもう関係ないの。私はもうツグちゃんの彼女じゃないから……」
「えっ……」
私は数週間前の二人の言い争いを思い出した。
「さ、ツグちゃんのことはもう気にしないで、勉強の続きしよっか!」
かすみさんは必死に自分を奮い立たせているようだった。
「………じゃあかすみさん、今は誰のものでもないんだ…」
私は数式に視線を落としたまま、独り言のように言った。
「雨ちゃん!ほら、勉強!」
アクセルを踏み込もうとする私の気持ちを、かすみさんはさりげなく抑えようとする。
でも、ずっと我慢を強いられてきた私を止めるにはそんなものでは足りなかった。
隣のかすみさんに体を向けると、私は参考書を持つその手を握った。
「かすみさん……、私じゃだめですか……?」
恐る恐る目を見つめる。
かすみさんは困った顔をしていた。
でもその表情には、少し迷いがあるような気がした。
「今はまだツグミを好きなままでもいいですから。私がツグミのこと忘れさせますから」
どうか「いいよ」と言って欲しい。私はかすみさんの目の奥を見つめた。
「………雨ちゃんが、ツグちゃんの妹じゃなかったら……ごめんね、雨ちゃん…」
かすみさんは握った私の手をそっと外して謝った。
またツグミだ……。
ツグミがまた私の邪魔をする……
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