第5話 妄想と現実の間で




 

 ついに限界になったのか、目線をそらしてしまった彼女の目を逃さないようにわざと覗きこむ。



 一瞬だけ目が合うと、またすぐさま彼女は恥ずかしそうに顔を背けた。



 その仕草に、私のブレーキは完全に壊れてしまった。



 自覚したことのない乱暴な気持ちが湧き上がってくる。今すぐ彼女が欲しい……




 触れていた左手の手首を掴み、そのままこっちへ引き寄せるように強引に引っ張る。すると、小さな彼女の体はいとも簡単にバランスを崩した。



「うわっ……」



 ぎこちないリアクションで驚く彼女をそのまま流れるように胸の中へと納め、そこから離さないように体に腕を回し至近距離で見下ろす。



「あっ……あの………」


「なあに?」


「こんなにくっついちゃったら、服が汚れちゃいます……私のユニフォーム、そんなに綺麗じゃないですから……」



 言い終わりに彼女は狭い空間から私の顔を見上げた。



 すぐ目の前に彼女の唇がある。そこから私を牽制けんせいするような言葉を口にするわりに、その表情は私と同じで何かを欲しているように見えた。



 あぁ……そうだ……やっぱりこれは現実じゃないんだ。私の妄想の中なんだ。じゃなかったら、彼女が私の家の中にいるはずがない。こんな顔をするはずがない。それなら、私は彼女に何をしても許される。今の彼女は、私のだから……




 私は彼女の言葉には何も答えず、少し油断した一瞬の隙を盗んで、そのやわらかそうな唇にキスをした。紅茶の温度で温かくなっていた唇は想像よりもずっとやわらかくて、その気持ちよさに止まらなくなった。



「んっ……」



 彼女が少し苦しそうに声を漏らす。悲痛にゆがんでいく表情がたまらなく可愛い。もっと苦しんで欲しくて、舌を入れてもっといじめた。



 息苦しそうな彼女は、必死に私を受け入れるその合間になんとか息継ぎのチャンスを試みようとしている。私はそれ許して深い呼吸を見届けると、またすぐに求めて彼女の頬に両手を添えた。


    

 再び唇が触れる直前だった。

 彼女は私の肩に手を置くと、そむけるように顔を下に向けて、キスを交わした。



 ズキリと胸が痛む。一瞬にして火がつき、夢中になって燃え上がった熱がすーっと静かに冷めてゆく……



「やっぱり!こんな綺麗なお洋服が汚れちゃいました……!ごめんなさい!私、弁償しますから!」



 彼女は服の汚れを恰好かっこうのいい訳にして、力の抜けた私の腕の中から上手に逃れた。




 彼女の不可解な行動に、妄想か現実か分からなくなる。




 妄想の彼女なら私を受け入れてくれる。現実の彼女はそうじゃない。だけど、今目の前の彼女が現実なら、あんなことをされてどうして怒らないの……?部屋を飛び出してもいいはずなのに、何も文句を言わず、今もまだソファーの反対側に座っている。




 その答えは出ないまま、心とは裏腹に可哀想なくらい今も躍動しているこの体を放置した彼女を、ただ恨めしく見つめていた。



 そんな私の様子を伺うように、彼女もちらりとこっちを見てくる。無理やりシャッターを下ろしたのは彼女の方なのに、その目は確実に「まだ足りない」と私に語りかけていた。

 くすぶった火が再燃を始める。

 




 妄想か現実かなんてもうどうでもいい……





 私は下を向き自分のシャツを見た。確かにちょうど左胸のあたりの白地がうっすらと灰色に変色していた。



「汚れてなんかないよ?どこが汚れてるの?」



 解っていながら彼女を問いつめた。



「その……そこです……」



 彼女は距離を保ったまま私の左胸を指差した。それでも私は白を切る。



「全然分からない。どこ?」


「……ここ……です……」



 私が更にあおると、彼女は指先を恐る恐る近づけた。



 その指先のわずか数cm先にある私の左胸は、触れられてもいないのになぜかもうすでに気持ちよくなっていた。妄想の中の彼女が何度も与えてくれた快感を、この体は思い出していた。それにともなって、さっきのキスの余韻が甦り、もう一度体温を急激に上昇させたせいで息が上がる。



「ねぇ……もっと分かりやすく教えて?」



 尋問のようにしつこく繰り返す私のに、彼女は差し出した指を納められないまま固まっていた。



 もう我慢出来ずしびれを切らした私は、彼女を見つめたまま前のめりになり、その指先をわざと自分の胸に当てさせた。



「あっ!」



 思わずあげた彼女のその声と同時に、私の体もビクンと反応した。

 彼女は胸に沈みこんだ指を慌てて引っ込めると、私を見て驚いたような顔をした。私にはその理由が分かっていた。



 それは私が指を胸に当てさせたからじゃない。指に当たった胸に、下着がまとわれていなかったからだ。



 彼女が来る時はいつもそうしていた。決して触れられることはないと分かっていても、玄関でのわずかな彼女との時間、彼女と私の間に出来るだけ障害物を残したくなかった。




「そっか……やっと分かった。ここが汚れてたんだ……」




 瞬きも出来ずに息を飲んでいる彼女から一時いっときも視線を外さないまま、私はシャツのボタンを上から一つ一つ外していった。



 三つ目のボタンを外した時、彼女の視線は私の目からゆっくりと下へ下りていった。



 その様子を見届けながら四つ目のボタンを外した私は、後ろに重心を置いたままの彼女に半ば覆いかぶさるようにして、シャツを開いて中を見せた。



「ここでしょ?汚れてるのって……」



 その可愛らしい口元にそっと左の胸を添えてみた。彼女は目を見開いたまま動けないでいた。



「ねぇ……弁償なんていいから、あなたが綺麗にして?」



 今すぐ彼女の舌が欲しくてたまらなくなり、わずかに開いている上唇と下唇の隙間に、自分から入れようとする。



 すると、数秒間人形のように固まっていた彼女がゆっくりとその口を開いた。



 嬉しくてたまらず、更に誘導しようとした次の瞬間、予想も出来ないほどの力で彼女は私の体を引き寄せた。



 小さな彼女の太ももの上に股がるように座らされると、私の背中と腰に彼女の両腕が回された。



 まるで私には自由が許されないと体に教えられているように、鎖のような固さで固定されている。



 それなのに、腰に置かれた彼女の手からはなぜか安らぎを感じていた。



 次の瞬間、その可愛らしい顔からは想像できないほどのいやらしい舌使いで、彼女は私の胸を意地悪くもてあそび始めた。



 その様子を見下ろしながら、私は彼女の頭を愛おしく抱きしめ、髪を撫で、声に出してよろこびを漏らした。



 まだまだ彼女を欲する気持ちが我慢出来ずに、次は右側のシャツをめくり右胸を見せてみせる。



 すると、私が望んだ通りに彼女の舌は右へと移動して、さっきとは違う動きで私を更に感じさせた。



「……綺麗な人って体も綺麗なんですね……」



 ずっと黙っていた彼女が突然そう呟いた。あんなに無垢で可愛らしかった声が、邪心にまみれた淫靡いんびな響きになって私の中の核に届くと、胸は痺れて体は泣いた。



 彼女がにらむように私をじっと見て、自分の舌の動きを見せつけるように下から上へと私の胸を舐め上げている。



 やっぱりこれは妄想だとようやく答えが出た。妄想の中の彼女は私の理想の彼女。こんなふうに私の欲しいままに全てを与えてくれる……。

 現実の彼女は決してこんなことはしてくれない。そもそも女に興味がない彼女に、こんなことが出来るはずもない。



 ごまかせない悲しみを抱えながらも、我が儘な欲望はどんどん加速していった。



「ねぇ、お願い……こっちもして……」



 我慢出来ずに腰に巻かれた彼女の右手を剥がし、その手を握って欲しいところへ導こうとした瞬間、



 バッ!



 彼女は私の手を振りほどき、突然私は彼女の上からソファーへ降ろされた。



 彼女のあまりの引き具合に私は混乱した。



「ど…どうしたの……?」


「……こんなことして、申し訳ありません……中谷さん……」



 

 そう呼ばれて、急激に引き戻された。



 これは現実……?



 そんなはずない……




「私……帰ります……」



 彼女はソファーから立ち上がり、逃げるように玄関へと向かった。



「待って!!ごめんなさい!!私っ……」



 まだ理解し切れていないまま、彼女の背中を必死に追いかけた。



 彼女は私の話など聞く気もないように、一度も立ち止まらずに靴を履き扉を開けた。



「待って!り……三ツ矢さん!」



 目を合わせずに浅い会釈だけをして、彼女は玄関から出て行った。


















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