第4話 理性の崩壊




 ピンポーン……






 今日もまたチャイムが鳴る。






 朝のみだらな行為へ逃避しながらも、彼女に会える為の手筈てはずは怠らなかった。



 チカンにどんなにいやらしく触られても、触れることの出来ない彼女を見る方が私の体は反応した。



 結局、苦しくても会うことを続ける以外の道は考えられなかった……。





 インターホンの画面に映る彼女に指先でそっと触れた後、玄関の扉を開ける。



「今日はちょっと遅かったね。忙しかった?」


「遅くなってすみません!今日は夜指定の荷物がいつもより多くて……」



「全然いいの!私はどれだけ遅くなっても全然構わないから。ただ、三ツ矢さんが大変そうで可哀想で……」



 いつもは大体20時頃に来るのに、今日は21時を過ぎていた。



 でも私は本当に全く気にしていなかった。来てくれれば構わない。彼女に会えればそれでいい。



 女が恋愛対象じゃない彼女には通用しないと分かっていながら、思わせ振りな言い方で話しかけ、服もわざわざ露出の高いものを着て出迎え、少しでもドキドキしてくれないかと期待する。



「ありがとうございます。でも、もう今日は中谷さんのお荷物で終わりですから!」


「……うちで最後なの?」


「はい」


「……あの……じゃあ……良かったら上がって、ちょっとお茶でも飲んでいかないかな……?」


「えっ?……」



 彼女が戸惑って言葉を詰まらせた。宅配便の人に上がってけなんて、そんなの絶対おかしいって思うに決まってる。私はなんてことを言っちゃったんだろう……



「あっ、ごめんなさい!疲れただろうから少し休憩していったらどうかなって思っちゃって!」



 すぐに我に返り、つい口にしてしまった願望の言葉を、正常な人間の言葉へと無理やり修正しようとした。すると、



「本当に……いいんですか……?」



 今日の荷物をぎゅっと抱えたまま、申し訳なさそうな上目遣いで反応を伺うように彼女は言った。



「も、もちろん!上がって、上がって!」



 意外な返事に舞い上がりながら、私は彼女の気が変わらないうちにと、焦って招き入れた。



「……じゃあ少しだけ……すみません、お邪魔します……」



 私が差し出したまだ誰も使っていない来客用の新品のスリッパを履き、彼女が私の後ろからついてきて、リビングの中へと入る。



 スリッパは少しサイズが大きかったようで、パカパカと音を鳴らしながら歩く彼女がたまらなく愛おしかった。



「あっそうだ、中谷さん!こちら……」


「やだ!ずっと持たせてた!ごめんね!」



 まだ受け取っていなかった荷物の受け渡しを、リビングに入ってすぐの場所でした。



 彼女は荷物のダンボールの上に受領書を置き、自分のボールペンを渡してくれた。そのまま、彼女の持つテーブル代わりの荷物の上でサインをする。



 いつもの玄関でのやり取りだともう少し距離があるから、こんなに近づいたことはない。それだけでもドキドキするのに、彼女の背景にはリビングのソファーがある……。



 合成映像みたいな非日常な奇跡に、ボールペンを持つ手が震える。すると、突然彼女がクスッと小さく笑った。



「ど、どうしたの?」



 私の震える手に気づいたんだろうか……?書き終わって顔を上げると、すぐ目の前に彼女の顔があって、その瞬間、体全部が心臓になったみたいに全身で鼓動を感じた。



「ごめんなさい!なんかこの状況、不思議だなって思っちゃって」



 そんなふうに可愛く笑われると、理性が壊れそうになるからやめて欲しい……



「ほ、ほんとだよね!今お茶入れるからそこのソファーに座って!紅茶でいいかな?」



 私は危険を感じ、自分自身を落ち着かせるためにも出来るだけ早く紅茶を入れようと荷物を受け取りキッチンへ向かった。



「はい!ありがとうございます!」



 彼女は私に言われた通り、申し訳なさそうにちょこんとソファーの右端に座った。




 信じられない……




 彼女が私の家の中にいる……




 私が彼女を想いながら自分の体を触るあのソファーに、何も知らずに座っている……




 キッチンで紅茶の用意をしながら、私は横目で彼女のことを舐め回すように見ていた。



 彼女はそんな私の視線には全く気づかず、失礼に当たらない最小限の動きでキョロキョロと辺りを見回している。



 その姿がまるで小動物みたいに可愛くて、今すぐにでもソファーに押し倒してキスしたくなった。



 突然のあり得ない出来事に、本気で毎晩の妄想と現実の境がつかなくなり始めているのをなんとかこらえていた。




 紅茶が入り、彼女の元へ運ぶ。



「熱いから気を付けてね」



 上品さを演出しながら、跳ね上がる心拍数を隠して私は彼女の左隣に座った。



「図々しく上がらせてもらって本当にすみません……」


「気にしないで!いつもお世話になってるんだから!それに、私一人暮らしでいつも部屋に一人だから、こうして話し相手になってくれるの、すごく嬉しいの」


「私なんかで良ければいつでも話し相手になりますから!」



 それは、またこんなふうに誘ってもいいってこと……?早くも次の機会の確約まで欲しがってしまったけど、喉の奥でそれを止めた。



「ありがとう」


「実は私も普段あんまり人とお話する機会なくて……。だから、こうして中谷さんから誘って頂けて、私もすごく嬉しいです!」



 そう言ってもらえただけでも泣きそうなくらいに嬉しかったけど、墓穴を掘らないように一生懸命平然を装って会話を続けた。



「えっ、でも、配達してたら毎日沢山の人と話すでしょ?」


「話すって言っても、ほとんど『サインお願いします!』と『ありがとうございました!』のやり取りくらいですから。一人、毎回必ず栄養ドリンクをくれる優しいおばあちゃんがいて、その人はちょっとお話してくれますけど、それ以外は車の中でほぼ独り言って感じです」



 彼女の自虐エピソードに笑いながら、私は話に出てきたおばあちゃんにさえ嫉妬をしていた。



「でも、女の子なのに一人でほんとによく頑張ってるよね。重い荷物もあるでしょう?」


「そうですね、たまに。でもだいぶ鍛えられましたから!その分、女らしさは削られちゃってますけど……」


「そんなことないよ!三ツ矢さん、すごい可愛いもん……」


「いえいえいえいえ!」



 彼女は顔の前で両手をブンブンと振り、おこがましそうに私の言葉を否定した。



 誰が見ても絶対に可愛いのに、そんなこと数え切れないくらい言われてきたはずなのに、そうゆう謙虚な人間性も私の心を奪う。



「……私、この仕事は嫌いじゃないですけど、実際、女を捨てないと出来ない部分もあるから、悲しいところもあるんです。正直、中谷さんみたいにデスクに向かう仕事をしてる女性って、かっこよくてすごく憧れます!しかも中谷さんはさらにお綺麗だし……」


「……綺麗なんかじゃないよ」


「お綺麗ですよ!私、初めて中谷さんのお家に伺った時、本当にびっくりしました!すごく綺麗な人だなぁ…って思って。とても一般の人には思えなくて、もしかして芸能関係の人なのかな?とか本気で思いました!」



 誉められて気持ちよくなり、理性の壁がボロボロと崩れていくのが自分でもよく解った。



「私なんかいつもこんな格好だし、しょっちゅう色んなところに切り傷作ってるし、恥ずかしくなっちゃいます……」



 彼女はそう言うと、左手の甲にある赤で線を引いたような傷を右手の中指でなぞった。



 私はその指を息を飲むように見ていた。


 

「……ねぇ、三ツ矢さんて、下の名前『りん』だよね?」


「はい」


「友だちからはなんて呼ばれるの?」


「そのまま呼び捨てで『りん』て呼ばれます。子どもの頃は『りんちゃん』てちゃん付けで呼ばれてましたけど」


「りんちゃん……って、可愛いよね」



 私は偶然の会話の流れにまぎれ、現実の彼女を妄想でのいつもの呼び方で呼んだ。実際はそんなふうに呼べる仲じゃないけど、例え疑似体験でも胸は恐ろしいくらいに高鳴っていた。



「そうですか?『かこちゃん』の方が絶対可愛いですよ!」



 その時、予想していなかったまさかの出来事が起こってしまった……



 リアルな彼女の声でそう呼ばれ、体の中で波のように大きい脈が打った。



 私のことなんてなんとも思ってないくせに、彼女は何気ない一言で私の心をかき乱した。今も息が苦しい……。



 彼女はその罪の罰を受けなきゃいけない……




 そう思った。


 



 私が黙ったままでいると、彼女は私が不機嫌になったと勘違いしたように焦り始めた。



「あっ!すみません!お客様に不躾ぶしつけなことを言ってしまって……」


「……その傷、痛そうだね。……怪我しちゃったの?」

 


 かけられた言葉に対しては何も返さず、私は彼女の左手の甲の傷を見ながらそう聞いた。

 


「あっ……これは怪我ってほどじゃ……ちょっとダンボールの角にっちゃっただけです……」


「……ちょっと見せて?」



 私が手のひらを差し出すと、恥ずかしそうに彼女は左手を出した。



 初めて堂々と彼女の手に触れる。



「摩擦で皮が擦れちゃったんだ……こうゆうのが一番痛いよね……」



 そう言いながら始めは傷を確認するように触っていた。でもすぐに、私の手つきはだんだんといやらしくなっていった。



 彼女は少し不可解な面持ちだったけど、相手が一応お客様ということもあってか明らさまには拒否出来ない様子だった。



 そんな彼女の弱味につけこみ、私は彼女の指先を愛撫するかのように触れ続ける。




「ねぇ、もう一回呼んでみて……?」


「えっ……」


「さっき呼んでくれたでしょ?私の名前……」




 私の不可解な要望に彼女の顔はさらに曇り始める。だけど、それでもまだ私に愛でられる手を引っ込めたりはしない。困惑しながらも目をそらさずに我慢している。




「…………かこ……ちゃん」



 

 可愛い声を小さな唇から出して、彼女は私の目をまっすぐに見つめながら呼んでくれた。


 


 もうだめだった……




 その時、少しづつ崩れ出していた現実と妄想の境界が、私の中で完全に崩壊してしまった。


















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