甘えてくる年上教官に養ってもらうのはやり過ぎですか? アフター

神里大和@書籍発売中

アフター

「ミヤさん、ほら、あれ、見えてきましたよ」

「ええ、もうじき着くわね」


 見渡す限りの大海原。

 かもめが飛び交う海上。

 風が吹けば潮の香りが舞い立つこの場所は――客船の甲板、である。


 結婚式を行なってから今日で二週間。

 スケジュールを調整してまとまった休みを取った俺とミヤさんは現在、いわゆる新婚旅行にやってきていた。

 エステルド帝国を離れ、ルカローナ諸島と呼ばれる南の島国地帯でのバカンスだ。

 帝国はまだ少し肌寒さを残しているが、ルカローナ諸島は年中夏場の熱帯である。

 俺とミヤさんは薄着に身を包み、甲板から見える大地を指差していた。


「今日から一週間、あの島で過ごせるのよね。はあ、楽しみだわ」


 ミヤさんがうっとりと呟く。

 ルカローナ諸島に連なる幾つもの島の中には、アナラカ島というリゾート地としての機能に特化している島がある。

 アナラカ島は大衆向けというよりは上流階級向けのリゾート地だ。客層は落ち着きのある年配の方々が多いと聞く。

 ゆえに、その場でなら無駄に名が知れている俺とミヤさんであろうとゆっくり出来るだろうと考えて、新婚旅行の目的地はアナラカ島にと決めたのだった。


「手すりから身を乗り出すのは結構ですけど、あまりはしゃいで海に落ちないでくださいよ?」


 ミヤさんは先ほどからウキウキの笑顔で危なっかしい身の乗り出し方をしている。

 まだ目的地に到着していない新婚旅行を今の段階から楽しんでくれているのは嬉しいし、はしゃいでいるその姿は可愛らしいと思うが、浮かれ過ぎて災難に見舞われたらシャレにならない。


「平気だってば。私がそんなに鈍臭くないのはテアくんが一番よく知っているでしょう?」

「さあ、どうですかね」

「あ、何よぅ。私が鈍臭いって言いたいのかしら?」

「いやいや、そんなまさか」

「むぅ、苦笑しながら言われても説得力がないわ」


 ぷい、と顔をあさっての方向に向けるミヤさん。


「怒りました?」

「そうね、ちょっと怒ってるかもしれないわ」

「どうしたら機嫌を直してくれますか?」


 俺はさして慌ててはいなかった。

 ミヤさんが〝お決まりの流れ〟に誘導しようとしているのだと理解したからだ。


「私の機嫌を直したいの?」

「せっかくの新婚旅行ですからね」

「じゃあ……キスして?」


 少し照れた感じの瞳が向けられた。

 甲板では現在、他にも若干名の旅行客たちが潮風を浴びているものの――

 周りの視線が俺たちに集まっていないことを確認したのち、俺はミヤさんとそっと唇を重ね合わせた。

 場所が場所だけにキスの時間はつかの間だったが、唇を離したのちに俺たちは満足な吐息を互いに漏らしていた。


「これで許してもらえますか?」

「ええ、しょうがないから許してあげるわ」


 ミヤさんはどこか勝ち誇ったように笑っていた。

 そもそも怒ってなくて、案の定この流れに持って行きたかっただけなんだろう。

 もはや数え切れないほどこんなことをしている程度には、俺とミヤさんは結ばれた事実に対して浮かれていた。

 客観的に見たらうざったらしいのろけでしかないだろうが、一応誰にも見られないタイミングでしかやってないから許して欲しい。


「ふぅ、それにしても本当にいい天気ね」


 ミヤさんが手をかざして青空を見上げ始める。

 雲ひとつない快晴だった。

 俺たちの来訪を歓迎するかのような天気だが、そんな天気よりもまぶしいのがミヤさんという存在に他ならない。

 赤い髪を後ろでまとめず、ロングヘアのままにしているその姿は、公の場では見られないリラックススタイルだ。

 ノースリーブの白いワンピースをゆったりと着こなしているので自慢のボディラインはナリを潜めている感じだが、それでもなお俺の目を惹き付けてやまない魅力だけがそこには宿されている。


 まだ今ひとつ実感が湧かないところもあるが、ミヤさんはこんな俺の伴侶になってくれたわけで。

 俺にはもったいないとさえ思ってしまうものの、当然ながら手放すつもりなんて微塵もなかった。


「もうじき着くと言っても、ここから三〇分ぐらいはまだ船に揺られたままよね。ねえテアくん、客室に戻って涼んじゃう?」

「そうしますか」


 日に当たり過ぎてミヤさんの美肌を傷付けてしまうのは望むところではない。

 俺たちは到着までの残りわずかな時間を客室で過ごすことにした。


   ◇


 平和になった世界で、俺は忌み子のサポートを生業にしている。

 悪魔が消えても忌み子は当たり前だが残っている。

 帝国での差別はすでに解消されているが、他国では実のところ未だに差別が残っていたりするのだ。

 そういった差別の只中にある忌み子たちを救うために普段は時間を費やしている。


 一方でミヤさんは、教職者の立場に復帰している。

 葬撃士を育てる必要はもうないと言えるが、他国とは何があるか分からない。

 軍備の増強は引き続き必要不可欠であり、ミヤさんは現在、帝都士官学校の教官をやっているのだった。


 しかし今は――そういった諸々を忘れるための時間だ。


「ふぅ、ようやく陸地を歩けるわね」


 ――およそ三〇分後。

 俺たちを乗せた客船はついにリゾート地のアナラカ島へと到着した。

 停泊した客船から降りて、ほぼ一日ぶりの地面を踏み締める。


「やっぱり地面は落ち着きますね。船が漂流したらどうしようとか心配しなくていいですから」

「そうね。まあ漂流したところで、私たちは文字通り飛べるわけだけど」


 明るく言いながら、ミヤさんは荷物を担ぎ直した。


「さてと、じゃあまずは宿にチェックインしましょうか」

「はい」


 港のすぐそばに佇むリゾートホテルが、今日からのバカンスにおける俺たちの拠点だった。

 エントランスのカウンターで手続きを済ませ、部屋の鍵を受け取る。

 俺たちの部屋はホテルの敷地内に存在する独立したコテージだ。

 部屋の等級としては最上級スイートに相当するらしい。


「あら、素敵なところね」


 コテージに足を踏み入れた瞬間、ミヤさんが上機嫌に呟いた。

 それほど大きなコテージではないが、内装は綺麗に仕立てられ、木の香りが安らぎをもたらしてくれる。

 窓のすぐ向こうにはビーチが確認出来る。

 泳ぎたくなったらすぐに飛び出していける環境だ。

 生活に必要な家具や用品も備え付けてあるし、二人で一週間過ごすには充分な空間だろう。


「さてと、じゃあ荷物置いたらどうする? 見て回りたいところは色々あるけど」


 ミヤさんが今日の予定を尋ねてきた。

 ここ行きたい、これ見たい、といった感じに漠然とした目的地を定めてはいるが、どういうルートで何からどう見て回るのか、についてはまったく決めていない俺たちである。

 下手にスケジューリングしてその通りに動くと予定調和感が出て楽しくないから、その場での気分やライブ感を大事にしよう、というテーマのもと、この新婚旅行に臨んでいるのだ。


「そもそもミヤさん、船旅で疲れてません? 旅行は一週間ありますし、一日目はゆったりと過ごしてもいいのかなって思ってたりするんですけど」

「あぁ確かにね。船ではしっかりと眠れなかったから」

「眠いですか?」

「眠くはないけど、ちょっと動かずにジッとしてたい気分かも。そういえば寝室はどんな感じかしら」


 荷物を床に置きながら、ミヤさんが寝室の扉を開けて中を覗く。

 俺も一緒になって確認してみると、その場は質素ながら清潔感あふれる内装だった。

 寝床としてダブルベッドが置かれていて、これなら二人揃ってゆったりと横たわることが出来そうだった。


「ちょっと横になります?」

「せっかくだし砂浜で風を浴びながら休みたいわね。パラソルとビーチチェアも自由に使っていいみたいだし」

「じゃあ水着に着替えますか?」

「そうね、泳ぐかは分からないけど一応ね」


 こうして本日の大雑把な過ごし方――ビーチでくつろぐ――が決まったところで、俺たちは着替えを開始した。

 水着は持参している。

 ミヤさんが寝室で着替え始めた一方で、俺はリビングで着替える。

 脱いで履くだけの俺が先に着替え終わるのは自明の理だった。


「先に行ってますね」

「あ、待って待って」


 寝室のドアを少しだけ開けて、ミヤさんが顔を覗かせてきた。


「なんですか?」

「あのね、その……日焼け止めを塗ってもらえるかしら? パラソルを設置するつもりだけど、念のためにね」

「あぁ……なるほど」


 若干恥じらいの表情でお願いしてきたミヤさんを見て、俺も照れ臭くなる。

 日焼け止めを塗るのは前にもやっているが、しかし慣れるようなことではない。

 キスくらいはためらいなくやれるようになった俺たちだが、実はそれ以上のことはまだやっていないという状況であるため、体の触れ合いは緊張してしまうのだった。

 先日サラさんと会った際に「えっちはしたの?」と尋ねられて「してない」と答えたら、おもいっきり呆れられたのを今もまだ鮮明に思い出せてしまう。

 性交渉に興味がないわけじゃないが、どうすればいいのか全然分からないからお互いに踏み切れていないというか……。

 まあ今はそれよりも、日焼け止めだよな。


「えっと……寝室で塗るんですか? 汚れませんかね?」

「ベタつくモノでもないし、大丈夫だと思うの」


 そんなわけで、寝室で日焼け止めを塗ることになった。


   ◇ ここで2話にチェンジ


「じゃあ……お願いね?」


 日焼け止めを塗ることになった俺。

 寝室のダブルベッドにミヤさんがうつ伏せに横たわっている。

 すでに水着に着替えた状態なので、当然ながらその姿は扇情的だった。


 今回のミヤさんは黒いビキニを身に着けている。

 白い肌とのコントラストが目にまぶしい。

 何より、この状態で一番目に毒なのはお尻だろうか。

 きゅっとくびれた腰元から綺麗な曲線を描いてぷっくらと膨らんでいるその臀部は、触れずとも分かるぷるんとした柔らかさを誇っている。

 言うなれば高級なプリンのような、ミヤさん自身が少しみじろいだ程度のことでぷるぷると揺れ続けるけしらかん部位だった。

 思わず見とれていると、ミヤさんが恥じらうような表情で尋ねてくる。


「テアくんは……私の体に興味があるのよね?」

「そりゃ……」


 ないと言えるはずもない。

 その魅惑の体を抱いてみたいと思う気持ちは確かに俺の中にあるのだ。


「良かった……なんとも思われてなかったら悲しいものね」


 そう語るミヤさんの表情は本当に安堵しているようだった。

 そんな感情を抱かせてしまったこと自体はあまり褒められたことではないのかもしれない。

 精神面はともあれ、肉体な面で未だに愛し合ったことがない俺とミヤさん。

 俺がミヤさんの体に、遠慮とか色々あって、直接的な興味を示せずにいるから、ミヤさんを不安にさせているんだろう。

 それはきっとダメなことだと思う。

 もっときちんとあなたは魅力的なのだと伝えた方がいいのだろうし、なんなら早いところ抱いてあげるべきなのだろうが、俺にはそこへの持っていき方が分からない。

 悪魔と戦うことだけにかまけてきた人生だから。

 好きな人をどう取り扱えばいいのかが分からない。

 そう思っていると――


「ごめんね、テアくん」

「……え?」

「今、テアくんが考えていることってなんとなく分かるの……多分だけど、あのことで悩んでるんだろうなって」


 ミヤさんは気遣うように言葉を続ける。


「本当なら、年上の私が色々とリードして誘ってあげるべきなんでしょうけど……いかんせん、そういう経験がないから何もしてあげられなくて。はあ、ダメよね私」

「そんな、別にミヤさんが自分を責める必要は……」

「ううん、私がもっとしっかりとしなきゃダメなのよ。お姉さんなんだもの」


 何か意を決したようにそう呟くと、ミヤさんはなぜかビキニを脱ぎ始めた。

 膝立ちになってまずは上から外して、それから腰元のヒモをしゅるりと引っ張り、下さえも外してしまう。


「み、ミヤさん何を……!」


 俺の視点からだと後ろ姿に過ぎないものの、ミヤさんはまごうことなき裸になっていた。ビキニに覆われていたハリのあるお尻が、今はナマの状態ではっきりと見えている。

 ミヤさんは裸のまま今一度うつ伏せになると、恥じらいの瞳を俺に向けてきた。


「あ、あのね……まずはテアくんに私の裸を見慣れてもらおうかと思って」

「…………」


 大胆過ぎる策に俺は言葉を失っていた。


「あ、あとね、私自身、そういう行為の時のためにテアくんから裸を見られるのに慣れておこうかなあ、と思ってね……。見苦しいかもしれないけど」

「み、見苦しいだなんて、そんな……」


 見苦しいどころか、むしろ目の保養にしかなっていない。

 もちろん毒でもあるのだが、こんな毒になら冒されても構わなかった。

 ――裸のミヤさん。

 それは下手な芸術品よりもよっぽど均整の取れた美麗さを誇っている。

 完璧なボディラインには目を惹かれざるを得ない。

 葬撃士を引退し、教官職に専念するようになってから数ヶ月が過ぎているが、ミヤさんの肉体がだらしなくなるようなことにはなっていなかった。

 最高クラスのスタイルは維持されている。

 なんなら、現役時に比べて筋肉が多少落ちた分だけ、女性としての魅力は今の方が強いのかもしれない。

 より丸みを帯びたとでもいえばいいのだろうか。

 

 そんな裸体に目を奪われ、俺は視線を逸らせないし、逸らすべきではないと思った。

 いずれ来たる営みに備えてミヤさんは裸を見られることに慣れようとしているのだし、俺自身もそうした扇情的な姿を見慣れておくべきなのは確かにその通りだった。

 シミひとつない背中に、もっちりと膨れたお尻。

 当然ながらお尻は何にも覆われることなく綺麗にすべてが晒されている。

 足がぴったりと閉じられているからまじまじと見てもとりあえずは平気だが、ミヤさんが少しでもみじろいで足を開くようなことがあれば……。


「ね、ねえテアくん……早速日焼け止めを塗り始めてもらえるかしら?」

「わ、分かりました」


 ひとまず、今の本題はそれである。

 深呼吸を一旦挟む。

 それから日焼け止めのチューブを手に持って、俺はミヤさんに近付いた。

 ミヤさんはダブルベッドの中心に横たわっているので、俺もダブルベッドに乗っかって、ミヤさんのそばで膝立ちとなる。


「じゃあ教か……じゃなくて、ミヤさん、早速日焼け止めを塗りますからね?」

「ふふ、もし名前で呼ぶことにまだ慣れないのなら、別に教官でもいいのよ? テアくんは私のこと、ずっとそう呼んできたのだしね」

「いえ、そこはきちんとけじめをつけるべき部分だと思いますので」

「もぅ、真面目なんだから」


 おかしそうに笑って、ミヤさんは「じゃあお願いね」と顔を枕にうずめ始めた。

 裸のままじゃリラックス出来ないのではとも思ったが、そうでもないらしい。

 恥じらいはあるのだろうけど気を抜いて、ひとまずは落ち着いているようだった。

 そんなミヤさんのおかげで、俺も心をあまりざわつかせないまま、日焼け止めを塗る作業に取りかかることが出来た。


「んっ……」


 早速まずは背中へと塗らせてもらっていると、ミヤさんが時折悶えるような声を漏らし始めていた。

 それに何も思わない方が難しくて、落ち着いていたはずの心はあっという間にざわざわと色めき立ってくる。

 えろ過ぎる……。

 なんでこの人はこんなにも色気があるのだろうか。

 俺が日焼け止めを塗り広げるたびに体がぴくぴくと震えている。

 気分良さげな吐息も続く。

 もしかすると日焼け止めを塗られている現状が、ミヤさんにとってはマッサージになっているのかもしれない。

 意図したことではなかったが、心地良くなってもらえているなら、それはそれで嬉しい限りだった。


   ※ミヤ視点


 窓から入り込む波の音だけが環境音として響いてくる中で、私は今、テアくんに日焼け止めを塗ってもらっている。

 彼に裸を晒し、塗ってもらっている。

 恥ずかしい気持ちはあるけれど、大好きな彼のためならどうってことない。


 ――いややっぱりどうってことある!

 恥ずかしいっ、恥ずかしいわ……!

 テアくんに変な気遣いをさせたくないからちょっとクールぶっているけれど、本当はめちゃくちゃ恥ずかしいの!


 しかもテアくんったらテクニシャン……。

 鍛え続けてきたくせにゴツゴツ感なんて微塵もない、やたらと繊細で綺麗な指先で、私の背中に日焼け止めを塗り広げてくる。

 それがマッサージのようで気持ちいい。

 あまりにも快感過ぎて時折声が漏れてしまうけれど、それでも結構我慢している方だったりする。

 妙な声が出たら恥ずかしいから、枕に顔を押し付けて我慢している。


 テアくんの手が、少しずつ背中から離れていく。

 それは日焼け止めをする作業が終わったということではない。


「ミヤさん、その……次はお尻の方にいきますね?」


 わざわざきちんと声をかけてくれてから、テアくんは言葉通りにお尻や太ももにも日焼け止めを塗り始めてくれた。

 粗雑な男の人だったら、きっと声なんて掛けないまま好き勝手に塗ってくると思う。

 私がテアくんのことを好きになったのは、こういうちょっとした部分に気遣いが行き届いているからだ。

 もちろんそれが好きなすべてではなくて、本当にほんの一部に過ぎないけれど。

 

「あの、ミヤさん……足、開かないように注意してくださいね?」


 テアくんがふとそんなことを言ってきた。

 私は少しからかう感じで言葉を返してみる。


「ふふ。今の私が足を開いたら、テアくんに色々と見えちゃうもんね?」

「そ、そうですよ。だから絶対に固く閉じておいてください、絶対にです」

「まったく……紳士ね、テアくんは」


 紳士にもほどがある。

 彼はよく出来た人間だ。

 過酷な運命を背負って生まれ、決して楽ではない差別の世を生き抜いてきた。

 ほんの少し歯車が狂っていれば世界を恨み、世界を敵と見なして行動していたとしてもおかしくないような出自だというのに、そんな捻くれ方はしないまま真っ直ぐに、本当に素晴らしい精神の持ち主に育ってくれた。

 

 そんな彼に好かれ、生涯の伴侶となれたことを、私は誇りに思う。


 それと同時に、現状を歯がゆく思う。

 私たちはまだ、体を重ね合っていない。

 せっかく夫婦となったのに、関係性はさほど変わっていない。

 それもこれもすべては、私がリードしきれていないから。

 九歳も年下の男の子を好きになって結婚した以上、私が姐さん女房として引っ張らなきゃダメよね。

 経験ないから色々と不安はあるけれど、もうそんなことも言っていられない。

 ……早くテアくんとの赤ちゃんも欲しいし。

 だから、私は新婚旅行におけるひとつの目標をたった今決めた。

 そして気付けば、それを口に出していた。


「ねえテアくん、この旅行中に必ず、その……えっち、しましょうね?」

「えっ」


 いきなりのことだからか、テアくんは驚いて手を止めていた。

 けれど、テアくんの中にも決心というか、そういう覚悟があったみたいで、直後にはこんな言葉を返してくれた。


「……はい、もちろんです。分からないことだらけですけど……早くきちんと、ミヤさんを俺のモノにしたいので」

「テアくん……」

「で、でも今はまず、日焼け止めを塗ってビーチで休みましょう!」

「ふふ……」


 結局そういう風に話題を逸らしちゃうのがテアくんらしくて笑ってしまった。

 でもいいの。

 テアくんはそれでいい。

 私も今すぐしたいってことではないから。

 新婚旅行は一週間の予定だから、その間に結ばれればそれでいい。

 きちんと旅行も楽しみつつ、そのどこかでテアくんに体を捧げられればそれでいい。

 そう考えながら、私は改めて気持ちをリラックスさせた。


「じゃあ日焼け止めをしっかりと塗ってちょうだいね? そしたらパラソルとチェアを持ってビーチに繰り出すわよ」

「はい」


 そうして私は日焼け止めを塗られ続け――

 やがてそれが終わると、テアくんと一緒にビーチへと足を向けていた。


3


「ふぅ、気分がいいわね」


 パラソルが織り成す日陰のもと、ビーチチェアに体を預けながらミヤさんがそう言った。

 帝都ではなかなかお目にかかれないヤシの木が所々に生えている砂浜で、俺たちは潮風を浴びながらゆっくりとしていた。

 特に何をするでもなく、俺もミヤさんと一緒になってビーチチェアに座っている。

 貸し切りのビーチではないので他の観光客も普通に居るが、そこは上流階級が御用達にしているアナラカ島であるがゆえに、騒がしい若者が居るということもなく、どこまでものんびりとした雰囲気が漂っている。

 帝都の大通りなどを歩いていると、皆生き急いでいるかのように早足で、どこか切迫した空気を感じたりもするものだが、ここにはそんな慌ただしさがなくて、まるで通常の時間軸からは切り離された空間であるように思えてくる。

 とにかく、穏やかなのだった。


「喉渇きませんか?」


 そんな中で俺が尋ねると、ミヤさんは「そうね」とサングラスを上げて頷いた。

 

「この辺りにジュースの屋台はあったかしら?」

「そこの街道沿いにあったと思います。買ってきますね」

「待って。それなら私も――」

「ミヤさんは休んでていいですよ。荷物を盗られないように見ててもらう必要もありますし」

「それもそうね。じゃあお願いするわ。味はなんでもいいから」

「了解です」


 俺はジュースの屋台に向かった。

 するとその途中――


「ねえねえそこのカッコいい青年、ちょ~っとお姉さんの相手をしてくださらない?」


 と、背後から妙な声をかけられてしまった。

 女性からの声掛け。

 いわゆる逆ナンという奴か……?

 上流階級が集うアナラカ島でそれに出くわすとは思わなかったが、まあいずれにせよ丁重にお断りをするだけだなと考えて、俺は背後を振り返り――


「……え?」


 間の抜けた声を出してしまった。

 それにはもちろん理由がある。

 逆ナンしてきた女性に見覚えがあったからだ。

 というか見覚えしかなかった。


「えっと、何をしているんですか――……サラさん」

「よっすよっす、どうよ驚いたかな?」


 にひひ、といたずらめいた笑顔を浮かべてそこに佇んでいたのは、何を隠そうミヤさんの実姉であり俺にとっては義姉となったサラーシャ・サミュエルその人であった。

 妹と同じような黒いビキニにパレオを巻いた姿で、サラさんは花の挿さったジュースを優雅にストローで啜っていた。


「いや……割と真面目に何してるんですか? どうしてここに……?」


 戸惑いは消えない。

 サラさんがここに来る予定なんて聞いちゃいないのだから。


「何って、妹夫婦の新婚旅行がどんなもんか見に来ただけだよ。サプライズでね」

「……サプライズにもほどがありますよ」

「やっぱり迷惑だった?」

「いえ、俺は別に平気ですけど……」


 ミヤさんがどんな反応を見せるかが分からない。


「まあミヤなら許してくれるんじゃないかな?」

「……楽観的ですね」

「だってほら、ミヤは勝者なわけじゃん。余裕あると思ってね」

「勝者?」

「テアくんと結婚出来た勝ち組ってことだよ。私に奪われることなく結婚までこぎ着けたんだし、おおらかな心でこのサプライズを受け入れてくれるんじゃないかな~」

「まあ……怒らないとは思いますけどね」


 ミヤさんとサラさんは別に不仲ではない。

 それどころか仲良し姉妹。

 こんなサプライズ程度なら、ミヤさんも問題なく受け入れるのではなかろうか。


「にしても、サラさんはどうやってアナラカ島まで来たんですか?」


 このタイミングでの遭遇となると、前乗りしていたか、あるいは……。


「ん? 普通に同じ船に乗ってたよ。バレないように過ごしてたけど」

「なるほど……気付けませんでした」

「いやあ、でもいいところだね、この島っ。日々の疲れが癒やされていくようでさ」

「そういえば、お仕事の調子はどうですか?」


 サラさんは引き続き鍛冶職人としての日々を過ごしている。

 サラさんの需要は減っていない。

 悪魔が居なくなっても、帝国の軍備は縮小されていないからだ。

 むしろ悪魔が居なくなったことによって、これまで悪魔対策に費やされていた軍事資金がすべて対他国向けの軍備に投入されるようになっているのが帝国の現状だ。

 サラさんは鍛冶専門というわけでもないので、大型兵器の開発などに手を貸したりもしているようだった。


「今はこの通りお休みにしてるけど、仕事の調子は悪くないよ。悪魔の脅威がなくなってから、悪魔の研究者たちがこぞって科学の発展に傾向し始めててね、もうすごいんだよ。武器も兵器も世代が一気に進もうとしてるの。空飛ぶ乗り物とか、小国のひとつやふたつなら一瞬で吹き飛ばせそうな爆弾も作れそうなんだってさ。それは他国も同じ状況らしいから、明るい話とは言い切れないんだけどね」

「今ある平和は、近い将来終わるんですかね」

「むしろ終わらせないために各国が大型の武装を行なうんじゃないかな? 攻め込んできたらタダじゃ済まさないぞ、って牽制し合うんでしょ。抑止力だよ抑止力。ま、新婚旅行でするような話じゃないね、こんなの」


 サラさんはちゅー、とジュースを啜ったのちに改めて俺を見た。


「で、テアくんはミヤと離れて今何してるの?」

「あぁえっと、サラさんが今啜っているようなジュースを買いに行こうとしてました」

「じゃあ買った屋台まで案内したげるよ。こっちこっち!」


 サラさんに先導されて、俺はジュースの屋台にたどり着いた。

 二人分を無事に購入したあとは、サラさんと一緒にミヤさんのもとまで戻り始める。


「ねえテアくん、そういえばミヤとはもうえっち出来た?」

「な、なんですかいきなり……」

「はあ、その反応はまだかぁ……。昨夜の船内でヤったかと思ったけどもなぁ」

「……ほっといてくださいよ」

「でもさぁ、夫婦生活ではやっぱりそういうことも大切なわけよね。独身の私が言えた義理じゃないかもしれないけど、そういうのを疎かにしてるとちょっとずつ不仲になっていくんじゃないかな」

「俺たちはちょっとずつ進んでいくつもりなので……」

「で、ちゃんと進んでるの?」

「……進んでる、はずです」

「ふぅん。じゃあそういうのに慣れるために何かしてるの?」

「一応、さっき裸のミヤさんに日焼け止めを塗ってあげました」

「ほうほう。あんなところやこんなところにも塗り塗りしてあげたのかね?」

「い、いや、サラさんが思っているような部位には何も塗ってませんから」

「なんだよもぉー。そこで攻めっ気を出してさ、そのまま流れでヤっちゃえば良かったのに!」

「それが出来れば苦労しないんですよ……」


 口で言うのは簡単だろうが、実践するとなると難しいのだ。


「じゃあさテアくん、こういうのはどうかな?」

「……なんですか?」

「あのね、まず私とえっちしようよ。練習がてらにさ」

「――ぶっ! な、何言ってるんですか!」


 軽く啜ったジュースを吹き出してしまった。

 サラさんはニヤついていた。


「私は結構本気で言ってるんだけどね」

「だ、ダメですよそんなの! 出来るわけがないです!」

「浮気になるから?」

「そ、そうです!」

「くふふ、真面目だねえテアくんは。ま、そういうところがいいんだけどさ」


 言いつつ、サラさんが俺の腕に緩く抱きついてきた。

 ビキニ越しの胸が押し付けられ、心臓が高鳴ってしまう。


「ちょ、ちょっとサラさん……っ」


 ジュースを両手で持っているため、抵抗らしい抵抗は出来ない。

 そんな俺の弱みにつけ込んで、サラさんは抱きつきを深めてくる。


「ごめんねテアくん……ちょっとの間だけ、こうさせてもらえるかな」

「ど、どうしてですか?」

「……叶わなかった恋を忘れるため、かな」

「サラさん……」

「――なんてね。冗談だよ冗談」

「え」

「テアくんへの想いはね、全部が全部とは言わないけどもう吹っ切れてるし。今は仕事に生きる女だよ。でもね、今だけは、ちょっとだけでいいから、ここで落ち着かせて?」

「……――分かりました」


 ここで何をどうしてあげるのが正解かなんて分からない。

 だが、サラさんに片腕を貸してあげるくらいのことは、きっとミヤさんも許してくれると思う。

 だから今だけは、サラさんの密着を黙って受け入れることにした。


「……ありがとうね、テアくん」

「いえ、サラさんにはお世話になったので、特別です」

「またそういうこと言っちゃう……。天性のタラシだね、君は」


 そう言って苦笑するサラさんと一緒に、俺は少しゆっくりめにミヤさんのもとを目指した。


4 合流


「あ――えぇっ!? なんで姉さんが一緒に居るの!?」


 サラさんと一緒にミヤさんのもとまで戻ったところ、案の定そんな反応が返ってきた。

 俺たちからすれば本来ここに居るはずのないサラさんは、くつくつとミヤさんの反応を面白がっている。


「にひひ、サプライズってヤツだよ」

「ど、どんなサプライズよ! 来るだなんて聞いてないし」

「そりゃ事前に言ったらサプライズにならないからね」

「だからって普通、新婚旅行にアポなしで乱入してくる?」

「まあまあ。別に邪魔しに来たわけじゃないし」

「……ほんと?」

「あったりまえよっ。ミヤにとって有用であろうモノをプレゼントとして持ってきてあげたんだから」

「有用であろうモノ?」

「そうだよ~。あとで渡したげる」


 サラさんは何やら手土産を持ってきたらしい。

 手ぶらでも良かったとは思うものの、新婚旅行へのサプライズ乱入が多少常識外れだという自覚があるのかもしれない。


「別に気を使わなくても良かったのに。変な邪魔さえしないなら、日中に活動を共にするくらい全然大丈夫だから」

「そう? でもせっかく持ってきたんだし、受け取ってよ」

「何を持ってきたの?」

「それはナイショ。受け取ってからのお楽しみ♪」


 サラさんがぱちんとウィンクをした一方で、俺は買ってきたジュースをミヤさんに手渡した。


「ミヤさん、これどうぞ。甘くて美味しいですよ」

「うん、ありがとね」


 受け取ったトロピカルジュースを、ミヤさんは早速ちゅー、とストローで吸い上げ始める。

 直後には目を見開いて、ジュースの美味しさに驚くような表情を浮かべたのは予想通りで、それから夢中になって飲み始めたのも予想通りだった。

 ミヤさんはわりかし甘いモノに目がない人なのだ。

 お菓子であれ飲み物であれ、塩気より甘味を優先するのがミヤさんである。

 ブラックコーヒーが大嫌いで、コーヒーには必ずミルクと砂糖をふんだんに入れるという微笑ましい光景をこれまでも毎朝確認してきている。


「で、二人は今のところ泳いでるわけではないっぽいね」

「ええ、ゆったりと潮風を浴びているだけよ。船旅での疲弊を癒やすためにね」

「そういえば私も疲れてるなぁ。隣で横になってもいい?」

「別にいいわよ。お好きにどうぞ」

「じゃあ俺、サラさんの分の椅子も持ってきますね」

「あ、別にいいのに。砂で寝るから」

「ダメですよ。追加でパラソルも持ってくるので、少し待っててください」


 俺はコテージに戻って、ビーチチェアとパラソルを担ぎ上げた。

 砂浜に戻ったあとはそれらを設置して、サラさんの休息スペースを作り上げる。


「どうぞ。これで気分良く休めると思います」

「どうもねテアくん。それともうひとつだけお願いしてもいいかな?」

「なんですか?」

「私に一応、日焼け止めを塗ってもらえないかな~、とね」

「――それはダメよ!」


 ミヤさんが聞き捨てならんとばかりに口を挟んできた。


「ダメ?」

「当たり前でしょっ。テアくんは私の夫なんだから、幾ら姉さんとはいえ女性の体に触れさせるわけにはいかないわ」

「あらまあ、独占欲マシマシだねえ」

「いいでしょ別にっ。とにかく! テアくんにそんなことはさせられないから。日焼け止めなら代わりに私が塗ってあげるわ」

「そう? じゃあミヤでいっかな」


 そんな感じに妥協したサラさんなのだった。


「で、姉さん、どこで塗るの?」

「この場でいいんじゃない? ミヤみたいに全裸で塗られるつもりはないしね」

「なっ……。ど、どうしてそのことを知っているの?」

「テアくんに教えてもらったから」

「ちょ、ちょっとテアくんっ。そういうのは夫婦の秘め事にしといてちょうだい! 恥ずかしいでしょ!」

「ご、ごめんなさい……」


 と叱られる場面がありつつ、それからミヤさんによるサラさんのコーティング作業が始まった。

 サラさんがビーチチェアにうつ伏せで横たわっている。

 そんなサラさんをマッサージするかのように、ミヤさんが日焼け止めを塗っていた。


「ふふ。姉さんったら、少し脇腹にお肉がついてきたんじゃないの?」

「は? そんなことないし」

「そうかしら? ちょっとこの辺りがぷにぷにだけど」


 そう言ってサラさんの脇腹をつまむミヤさん。

 サラさんはそれにイヤそうな反応を見せたが、正直その程度の脂肪なら誰にでもあるようなモノだから気にする必要はないだろう。

 サラさんも相変わらずスタイルがいい。

 胸の大きさがミヤさんに多少劣っているものの、それだけというか。

 なんならお尻のハリはサラさんの方が良さそうに思える。


「あ、テアくんが私のお尻に見とれてるねこれは。いやらしい~」


 視線がバレてしまったのか、サラさんが急にそんなことを言い出したので俺は焦る。


「み、見とれてはいません……」

「ほうほう、見てたこと自体は否定しないわけだね? にひひ、自分の奥さんじゃなくてそのお義姉さんを見ちゃうだなんて、テアくんはイケナイ子だねえ?」

「……ちょっとテアくん?」


 マズい……ミヤさんがジトッとした眼差しになっている。


「ねえテアくん、あなたは私よりも姉さんを優先して見ちゃうような人だったの?」

「ご、誤解です!」

「しかもお尻を夢中で?」

「だから誤解ですってば!」

「でも見ていたのは事実なのよね? ふん……そんなに姉さんのお尻がいいなら、姉さんのお尻をずっと眺めていればいいんじゃないかしら?」


 あぁ、お怒りになってしまった……。


「まあまあミヤ。テアくんもまだ若い男の子だし仕方ないって」


 ありがたいことに、サラさんが助け船を出してくれた。


「姐さん女房なんだからそこは寛容に行こうよ」

「むぅ……」

「それにねミヤ、こういう時はむしろ自分をアピールするチャンスだと思ってテアくんにお尻をぐいっと突き出してみたらどうかな? 私の方が魅力的でしょ、ってね」

「こ、こう?」


 サラさんに言われるがまま、お尻を俺に向かってフリフリさせてくるミヤさん。

 くびれた腰元から続くその魅惑の曲線を眺めていると、やっぱりミヤさんのお尻の方が素晴らしいのだと再認識させられた。


「やっぱり自分の奥さんが一番ですね」

「でしょう? もちろんテアくんだって一番よ?」


 そう言って機嫌を取り戻したミヤさんをよそに、サラさんが面白くなさそうに頬を膨らませていた。


「二人には仲良くして欲しいけども、いざのろけを見せられると参っちゃうよね」

「だったら姉さん、帰ったらどうかしら?」

「ごめんごめん。大人しくしとくからそんなこと言わないでよぉ~」

「じゃあはいっ、日焼け止めを改めて塗っていくわよ」

「はいは~い」


 そんなやり取りを見ていると、ミヤさんの方が姉に思えてくる。

 きっと二人は子供の頃からこんな感じで生きてきたのだろう。

 そうした仲睦まじい光景を眺めつつ、俺はビーチでの癒やしを堪能し続けた。



 ほぼビーチで過ごしていた初日の、その夜。

 俺とミヤさんは引き続きサラさんも交えて、市街地のレストランで夕食を食べていた。

 アナラカ島にあるレストランなので上流階級向けではあるものの、その中でも比較的軽めの、大衆的な食事処だ。

 ドレスコードなんて当然ないので、俺たちは普通に熱帯のリゾート地にふさわしい薄着で食事をいただいている。


「そういえば姉さんが私のために持ってきたプレゼントってなんなの?」


 白いワンピース姿に戻っているミヤさんが、ふと思い出したように呟いた。

 上はビキニのまま下にジーンズを履いているワイルドスタイルのサラさんは、ハーブソテーに仕立てられたチキンを切り分けつつ応じる。


「気になる?」

「そりゃ当然よ」

「まあでも、この場で渡すようなモンじゃないしね。食後の別れ際にでも渡すから」


 そうして食事は何事もなく続けられ、やがてデザートまで食べ終えると俺たちは外に出た。

 すっかり日が暮れたアナラカ島は、それでもなおどこからか打楽器の音色が聞こえてきたりして賑やかだった。

 そんな中をホテルまで戻っていく。

 サラさんも同じホテルに泊っているようだった。

 俺たちと違って普通の客室のようだが。


「じゃあミヤ、これがプレゼントね?」


 一旦自身の部屋に向かったサラさんが、包装紙にくるまれた何かを持ってホテルのエントランスまで戻ってきた。


「中身はなんなの?」

「それは開けてのお楽しみ」

「ここで開けてもいい?」

「ん~、公の場で開けるのはちょっとやめた方がいいかも」


 ……一体何を手渡したんだ?


「変なモノだったら承知しないからね?」

「変なモノじゃないことは保証するってば。おおっぴらにするべきモノではないってだけであってね」

「ふぅん……ま、ありがたくいただいておくわ。どうもね、姉さん」


 ミヤさんは手中のプレゼントに視線を落としつつ、ひとまずお礼を言っていた。


「姉さんはこのあとどうするの? 私たちのコテージに来る?」

「いやいや、夜は夫婦の時間を楽しんで欲しいからパスかな」

「そう? 別に遠慮しなくていいのに」

「遠慮じゃなくて、ほんとにただ二人で過ごして欲しいってだけだよ」


 そんな気遣いに感謝したい気分だった。


「そういえば姉さんはいつまで滞在する予定なの?」

「明日の午前中の船で帰るつもりだけど」

「え? 早いのね」

「まあそんなに休みが取れたわけでもないからね」


 あーイヤだ、と嘆くように言いながら、サラさんは俺たちに背を向けていた。


「それじゃ、また明日会えるかは分からないけど、ひとまずまたねってことで」

「ちゃんと見送りに行くわよ」

「そ? ありがと――あ、そうそう」


 ふと思い出したように体をひるがえすと、サラさんはミヤさんのもとに駆け寄って耳元で何事かを囁き始める。

 何を言われているのかは知らないが、ミヤさんの顔がみるみるうちに赤くなっていることだけは理解出来た。


「ね、姉さん……っ!」

「ま、頑張んなさいね」


 ミヤさんの肩をポンと叩いて、サラさんはエントランスの端にある階段を上っていくのだった。


「何を言われたんですか?」

「な、なんでもないわっ。妊娠しやすい体位とかそんなことを教えられたわけではないからね!?」

「…………」


 語るに落ちていたが、俺が上手く取り扱える話題でもないのでひとまずはスルーしておくことを決めた。

 それから俺たちはコテージに帰った。


「それ、開けないんですか?」


 椅子に座ってひと息つく中で、サラさんからミヤさんに贈られたプレゼントが気になってしまう。ミヤさんにとって有用なモノ、とのことだったので、俺にはあまり関係のない代物ではあるのだろうが。


「今開けてみるわ」


 ミヤさんが包装紙を丁寧に剥がしていく。

 ややあってミヤさんには中身が見え始めたらしい。


「え」


 そしてミヤさんはキョトンとした反応を見せたのちに、それがなんであるかを改めて理解したかのように頬を赤くし、包装紙を閉じ直していく。

 なんだろう、この反応は……。


「ね、姉さんめぇ……!」

「中身はなんだったんですか?」

「な、ナイショよナイショ! こんなのダメよ! 姉さんったらバカじゃないの! いきなりこんなの、着れるわけが……」


 怒っている、というよりは困惑の中に恥ずかしさが混じっている感じだった。

 着れるわけが、という発言からすると、どうやら中身は衣服らしいが……。


「と、とにかくこれは一旦忘れるわ」

「は、はあ……」

「それよりテアくん、お風呂に入りましょうよ。肌がベタついているし」


 ビーチでゆったりと過ごしたあとは特にシャワーすら浴びることなく夕飯に出かけたので、俺たちは少し潮の匂いがするしベタついてもいた。

 このコテージのお風呂は露天の天然温泉なので沸かす必要なんてなくて、いつでも入れるらしい。

 俺とミヤさんは一緒に脱衣所へと向かった。

 肌と肌を重ね合わせることはまだ出来ていない俺たちだが、お風呂に関しては結婚してから毎日一緒に入っている。

 でもすべてをさらけ出して、というわけではなく、タオルを律儀に巻いてのことではある。タオルという防具が一枚あるかないかの違いが、俺たちにはかなり大きいのだった。

 だから今回もお互いにタオルを巻いた状態で、露天風呂に足を踏み入れていた。

 髪をまとめ上げてうなじを晒しているミヤさんが目の前に居る。

 タオルを巻いていてもなおなまめかしいボディラインが目に毒で、しかし魅力的でもあった。


「お湯が白いのね」


 ミヤさんの言う通り、湯船は乳白色のお湯でいっぱいだった。

 肌によさそうな感じだ。

 実際、美白成分だかなんだかの効能があるという風にパンフレットには書かれていた気がする。


「でも温泉を堪能する前に、まずは体を洗わないとね」

「ですね」


 相手が体を洗っている時は普段、お互いに目を背けるようにしている。

 ここでもその暗黙の了解が適用されるのかと思いきや――


「ねえテアくん……今日は洗いっこしてみない?」

「え?」

「……だってほら、慣れていかないと……ね?」


 ミヤさんが恥じらいの表情で呟く。

 慣れていかないと、というのは相手の裸に、ということだろう。

 まだ夫婦としての愛を深め切れていない俺たちは、この旅行中にきちんと肌を重ねられるように頑張ろう、と約束したわけで。

 だから当然ながら、お風呂程度で肌を隠している場合ではない、ということになるのだが、やはり恥ずかしい気持ちはあるのだ。

 しかし恥ずかしさに負けていてはどうにもならない。

 恥ずかしさを踏み越えた先にこそ、俺たちは進まなければならないのだから。


「わ、分かりました」


 だから俺は意を決した。


「……――洗いっこ、やらせていただきます」


 こうして、魅惑の時間が訪れることになった。


6


 コテージの露天風呂にて。

 お互いの体を洗い合うことになった俺とミヤさんは、浴場の端にある洗い場に移動していた。

 すでにお互い、タオルは取り払っている。

 ミヤさんは恥ずかしそうに身を縮こませているが、それで何かが隠せているわけでもなく、色々と見えてしまっていた。

 豊満な胸はもちろん、その桜色の先端や大事な部分まで。

 見ているし、見られている。

 裸なのは俺も同じなのだから。


「えっと……じゃ、じゃあまずは、かけ湯をしましょうね?」


 ミヤさんがどもりながら蛇口をひねってお湯を出す。

 そんな様子を見るに、やはり動揺があるらしい。

 それは俺も同じだ。

 いやミヤさん以上に平常心が消え去っていると思う。

 情けないことに、初の実戦に臨む新兵であるかのように、俺はジッと突っ立つことしか出来ていない。

 何をすればいいのか分からない。

 戸惑いと恥ずかしさだけが脳内を支配する一方で、ミヤさんが桶に溜まったお湯を俺にかけ始めてくれていた。


「テアくん……すごく緊張してる?」

「……そりゃしてますよ」

「私もしてるわ……でも頑張ってる。だからテアくんも頑張ろ?」


 自分の方が年上で、お姉さんだからと、恐らくミヤさんは気丈に振る舞うことを意識しているのだろう。

 さすがだなと思う。

 俺はこのままじゃダメだ。

 それは分かっている。

 でも裸のミヤさんをまともに見れない。

 この場が暗いならまだしも、バッチリと明かりが点いている。

 ミヤさんは自分にもお湯をかけていた。

 ただでさえみずみずしいミヤさんの肌が、濡れたことによって光沢を増していく。

 胸の先端から水滴がしたたる様子を思わず見つめてしまい、俺はハッとしたのちに慌てて目線を逸らしたものの――


「だ、ダメよテアくん……目を逸らしちゃダメ」


 ミヤさんからそんな注意をされてしまった。


「これは裸に慣れるためにやってることなんだもの……こらえなきゃ、ね?」

「理解はしています。しかし……」

「いいから、見て? 逸らさずに見てくれていいから。ね? テアくんにならどれだけ見られても平気だって、何度も言っているでしょう?」


 恥じらいつつも、ミヤさんは堂々としていた。


「テアくんはね、私を大事にし過ぎ。もっと粗雑に扱ってくれていいのに」

「そ、粗雑はさすがに……」


 けれど、大事にし過ぎというのはその通りなのかもしれない。

 憧れの存在だったが、今は結婚し、妻なのだ。

 対等な存在になれたはずなのに、俺はいつまでもミヤさんを上に見てしまっている。

 もう神聖視する必要はないのだと理解するべきなんだろう。

 もう欲望をぶつけたって構わないのだと理解するべきなんだろう。

 俺とミヤさんはそういう関係性になれたのだから、遠慮なんていらないはずで――


「少し……吹っ切れたかもしれません」


 大事にし過ぎても良くないというのは現状が証明している。

 だから意識を切り替える。

 恥じらいをこらえ、意識的に堂々としているミヤさんに倣って、俺はどうにか視線を正面に戻した。

 改めて、ミヤさんの裸体が目に入る。

 ぷっくりと膨れた乳房。

 なまめかしいくびれ。

 引き締まりつつも柔らかそうな太もも。

 無駄な毛が一本足りとも存在せず、穢れとは無縁な美白の肢体は、とても言葉では言い表せないくらいに綺麗で、蠱惑的だった。

 俺に活力をみなぎらせる魅力の塊。

 血流が速まり、体が熱くなっていくのを感じる。


「さすがテアくん、前進したわね」


 目を逸らさなくなった俺を見て、ミヤさんが嬉しそうに笑っていた。


「それじゃ、洗いっこを始めましょうか」

「はい」


 俺たちはタオルにボディーソープを垂らして泡立て始める。

 それからお互い、相手の体に泡まみれのタオルを這わせていく。

 大好きな人とより深く繋がるために、相手の裸体に慣れようとしている俺たち。

 俺はミヤさんの肩の辺りからその裸体を磨きにかかる。

 そして肩から二の腕へ、前腕部もきちんと洗ってあげたあとは、少し戻って腋を重点的に洗ってみる。


「あは……く、くすぐったいわ……」


 こそばゆそうに体をよじらせ始めたミヤさんは、お返しとばかりに俺の腋をいきなり責めてきた。


「うお……っ」

「ふふ、どうかしら? くすぐったいでしょう?」

「な、なんの……」


 確かにこそばゆいが、それを顔には出さず、俺は負けじと責め手を変えた。

 腋をくすぐってくるミヤさんに対抗して、そのふくよかな双丘をタオルで優しく包むようにこすっていく。


「あら、テアくんったら大胆……」

「多少、吹っ切れましたからね」

「んっ……」


 悩ましい吐息が響く中、俺は手を休めない。あまりにも心地の良い弾力に心を奪われながら、そのたわわな膨らみを泡まみれにしていく。

 ミヤさんもされるがままとはならず、負けじと俺の胸部を洗ってくれる。

 俺がミヤさんの腹部を洗い始めればそれに追随してきて、太ももを洗い始めればやはりそれにも追随してくる。

 いつしか俺たちは無言で、夢中になって相手の体をタオルでこすっていた。

 相手のすべてを綺麗にしてあげたくて。

 恥ずかしさとか、羞恥とか、そんな感情はどうでもよくて。

 むさぼるように、というのは言い過ぎだが、それでも決して弱くはない好奇心を伴わせて、俺はミヤさんのすべてを洗っていた。

 デリケートな箇所はじかに指を這わせた。

 俺も同じようにやられて、感情を昂ぶらせるなという方が難しい状態になっていた。

 気が付けばどちらからともなくキスをして、相手の体を抱擁していた。

 まだ泡を流していないぬめりけのある体同士を密着させる。

 色々とこすれ合う中で、ミヤさんが上気した顔を俺に向けて言った。


「……ここで、シちゃう? 私たちの初めて……」

「ミヤさんがここでいいなら、俺は別に……」

「でも……ここだと体を痛めちゃうわよね……下が固いから……」


 浴場なので、床がやわいはずもない。

 大理石なので尚更だ。

 俺たちは結局、泡を流してから大人しく湯船に浸かり、お風呂を上がってもなお興奮が冷めていなかったらその時はベッドで……、ということになったのだが――


「……寝てしまわれたか」


 湯船に浸かっている途中、ミヤさんが俺の隣で寝息を立て始めたのが分かった。

 すーすーと気持ち良さそうに、俺の肩に頭を載せて眠っている。

 恐らくは疲れていたんだと思う。

 よく眠れなかった船旅のあと、体をそんなに動かさなかったとはいえビーチでずっと過ごしていたし、そのあとは腹を満たした上でこうしてお風呂で安らいでいるわけで、そりゃ眠気にいざなわれない方がおかしいと言えるだろう。


「ま、いいか……」


 これで今夜ミヤさんとの仲を深めることは出来なくなってしまったが、別に構わない。

 無理に叩き起こしてまでやりたいとは思わないし、俺にも眠気が湧いてきた。

 今宵はとりあえず、ミヤさんをベッドに運んだら俺自身もそのまま就寝でいいだろう。


 そう考えつつ、俺はミヤさんの裸体に手を回し、お姫様抱っこで持ち上げながら、お風呂から上がることにした。


7


 ――翌朝。


「テアくん……ごめんなさい」


 ホテルの食堂でビュッフェ形式の朝食を摂りながら、俺はミヤさんに謝られていた。

 その謝罪は、昨夜いい雰囲気になれたにもかかわらず、ミヤさんがお風呂場で熟睡してしまった影響で結局何も成し得なかったことに対してのモノだった。

 俺は気にしていないが、ミヤさんは気にしている様子だ。


「大丈夫ですよ。また機会はあるでしょうし」

「本当にごめんなさい……」


 謝罪マシンと化しているミヤさんをよそに、一緒のテーブルで朝食を共にしているサラさんはげらげらと笑っていた。


「何やってんだか。ま、ミヤらしいっちゃらしいんだけどさ」

「ふんだ……眠かったんだもの」

「でもテアくんの言う通り、また機会はあるでしょうよ。ミヤたちはもうしばらく滞在するんだしね」


 と言ったのち、サラさんは「あ」と何かに思い至ったかのように動きを一瞬止めた。


「ってことはさ、私のプレゼントはまだ使われてないってことだよね?」

「そのプレゼントに関して言わせて欲しいんだけど、何あれ? あんなのプレゼントしてくるって姉さん頭おかしいんじゃないの?」

「えぇー。あれは必需品でしょうが」


 ミヤさんとサラさんが例のプレゼントに関して言い争いをしているが、俺は結局まだプレゼントの正体を確認していない。

 ミヤさんの反応を見ていると、中身は知らない方がいいのかもしれないが……。

 

 その後、朝食の時間はその幕を閉じて、サラさんが本土行きの客船に乗る時間がやってきたために、俺とミヤさんは停泊所まで移動して見送りを行なった。


「じゃあねミヤ、テアくんっ、しっかりやんなさいよ! もちろん何をやるのかは言わずとも分かってるよね!?」


 出立した客船の甲板からそんなことを叫ばれて、若干気恥ずかしい思いに包まれたのは言うまでもなかった。


「さてと……姉さんが居なくなったし、ここからは改めて二人きりね」


 サラさんが居なくなって良かったと言わんばかりの態度だが、本心では少し寂しがっていそうな表情だった。

 サラさんは太陽みたいな人だから、居るだけでその場が明るくなるんだよな。

 だからサラさんが帰ってしまった今、大事な何かがすっぽりと抜け落ちたような虚無感があるのは確かだった。

 まあ切り替えていこう。


「今日は何をして過ごしますか?」

「そうねえ……あ、そういえば遺跡があるのよねこの島」


 肩に提げたトートバッグからアナラカ島のパンフレットを取り出して、ミヤさんがそう言った。


「観光名所なんですって。遺跡の周辺には出店も結構あるんだとか」

「じゃあ行ってみます?」

「ええ、行ってみましょう」


 そんなわけで、俺たちはホテル周辺の街道で空馬車を拾って乗り込んだ。


「お客さん、どこまで行かれます?」


 御者が小窓を開けて尋ねてきた。


「遺跡までお願いします」

「遺跡ですかい? お子さん連れなら動物園とかの方が良さそうですけど、遺跡でよろしいです?」

「……お子さん?」


 はて、この御者は何を言っているんだろうか、と思っていた次の瞬間――


「――大丈夫だよっ。サナは遺跡を楽しめるオトナだからね!」

「はは、そいつは結構。でしたら遺跡まで運ばせていただきましょう」


 御者が小窓を閉めて、馬車を動かし始める。

 そんな中で俺とミヤさんは――いつの間にか出現していた第三者に目を奪われ、唖然としていた。


「お前、いつの間に……」

「にゅふんっ、わしはいつだってテアの傍におるんじゃよなあ、これが」


 そうやってせせら笑う小柄な少女が対面に座っていた。

 少女と言っても、それは外見年齢が若いというだけであって、本来の年齢は軽く数百歳を超えている。

 俺が知る限りの、現存する最後の悪魔。

 つまりはそう――サタナキアが知らぬ間に同行していたのだった。


「あ、あなたなんでここに……?」

「なぜじゃと? それは当然、お主らが上手くやっとるかどうかを見に来たに決まっておろうが」

「いつから居たんだ? まさかずっと尾行を?」

「いいや、この島に到着したのはついさっきじゃよ。馴れ馴れしい年増とあまり会いたくなかったのでな、時間をずらして来たんじゃ」


 馴れ馴れしい年増というのはサラさんのことだろう。

 サタナキアはサラさんを苦手としている。

 会えばいつだって「サナちゃん可愛いねえ」とわしゃわしゃされて引っ付かれるのがどうにもイヤなのだそうな。


「で、上手くやっとるんか?」

「……上手くやっている、の定義はなんなのよ」

「わざわざ聞かずとも分かるじゃろ。子作りしたかどうかに決まっとる」

「こ、子作りって……! あなたねっ、幾らなんでも直球過ぎでしょ!」

「はあ、その様子じゃとまだのようじゃな。いい加減、孫の顔を見せるという気概を示してもらわんと困るんじゃが」

「い、言っとくけど私とテアくんはまだ結婚して二週間程度だからねっ?」

「呆れて物も言えんな……よいか? まともな新婚夫婦なら初日でずこばこやるんじゃよ。最近なら婚前交渉も珍しくなかろうに、お主らは結婚して二週間経っても致していないってどういうことなんじゃ?」


 サタナキアの言葉が俺たちにグサグサと突き刺さる……。

 返す言葉もないとはこのことだろう。


「ミヤよ、お主の方が大人なんじゃからテアをしっかりとリードせないかんじゃろ」

「わ、分かってるわよ……」

「まったく、その歳で処女じゃからグダグダになっとるんじゃよ。もっと色々と経験を重ねてくれば良かったものを。そのスタイルであれば言い寄ってくる男もぎょうさんおったろうに」

「それはそうだけど……イヤだったんだもの」

「何がじゃ?」

「だ、だからテアくん以外に初めてを捧げるのが……」

「重過ぎじゃろ」

「だ、黙らっしゃい!」


 ……サタナキアの登場で場の空気が乱れ始めているが、それはそうと……。


「サタナキア、お前も今日の観光に同行するつもりなのか?」

「ん? いや、わしは贈り物を手渡したあとは帝都までとんぼ返りする予定じゃよ。今日は休みじゃが、明日は普通に学校じゃからな」


 サタナキアは現在、人間の少女に扮して学校に通い始めている。

 人の世を生きる上での見識を広げるために、だそうだ。

 良いことだと思っているので、その辺りは自由にさせている。

 それより――


「贈り物?」

「これじゃよ」


 サタナキアが衣服のポケットから小瓶を取り出した。

 中には紫色の液体が入っている。


「何よそれ」

「わしが調合した媚薬じゃ」

「しれっと何言ってんのよ!」

「ルミナとかいう研究者に科学面からの微調整を頼んだのでな、効果は抜群じゃぞ」


 ルミナさんもしれっと何を協力しているのか……。


「とりあえず、これをお主らに渡すのがわしの目的じゃ。受け取ってくれ」

「い、いらないわよ!」

「いいから受け取るんじゃ。持っておれば興味が湧いてきて使いたくなるじゃろうし」


 そんなことを言いながら、ミヤさんのトートバッグに小瓶を入れてしまうサタナキア。


「うむ、これで目的は成し遂げたわい。それじゃあわしは帰るでな。仲良うやるんじゃぞ?」


 そうしてサタナキアは姿を透明化させ、翼を広げたかと思えば、窓を開けて飛び立っていくのだった。


「な、なんなのよもぅ……」


 嵐のようにやってきて嵐のように去っていったサタナキア。

 再び俺たち二人だけとなった馬車の中には、ミヤさんの嘆きが木霊していた。


8 


 遺跡巡りを終わらせた頃には、太陽がすっかり水平線の彼方に沈みかかっていた。

 コテージまで帰ってきた俺とミヤさんは、コテージの小さな庭でホテル側が用意してくれた高級な肉などを焼いてそれを夕飯としていただいた。

 その後は砂浜に出て、散歩したり星空を眺めたりしている。


「この標識ってなんですかね?」


 サルみたいな動物が荷物を持ち上げようとしている絵に、赤いバツ印が記された標識が、一定間隔でビーチには存在していた。


「確か、リスザルだったか何かが置き引きをしたり、人の手からモノを盗ったりすることがあるらしいのよね。その注意喚起を促す標識だとかなんとか」

「なるほど」

「ねえテアくん、ところでこの媚薬ってどういう効き目なのかしらね」


 納得した俺の隣では、ミヤさんが媚薬の小瓶をふと取り出していた。

 夜空に掲げながら、その中身を軽く振って眺めている。


「まあ媚薬ですから、その気にさせる興奮剤みたいなモノかと……。というか、気になってるんですか?」

「す、少しだけね」


 少しだけと言いつつ、滅茶苦茶気になっていそうな表情だった。


「これを使えば……すんなりとえっち出来ると思う?」

「わ、分かりませんよそんなの……」

「そ、そうよね……」


 ミヤさんは引き続き媚薬を眺めていた。

 よほど気になっているらしい。

 だから直後にはこんなことを言ってきた。


「ね、ねえテアくん……これ、使ってみる?」

「え」

「だ、だってせっかくサタナキアが持ってきてくれたわけだし……ルミナも関わってるみたいだし……」

「だからこそ使うべきではないような気が……」


 大元の原液をサタナキアが調合し、ルミナさんが微調整を加えた結果がそれだというなら、どう考えてもその媚薬はヤバい代物でしかないと思う。


「でも興味が湧かない?」

「まあありますけど……」

「じゃあ試しにちょっとだけ飲んでみない? 前に進むきっかけになるかもしれないし」


 前に進むきっかけ。

 夫婦として、愛し合う者同士、肌と肌を重ね合わせるためのトリガー。

 その媚薬がそれになってくれる可能性は、確かに大いにあるのだろう。

 でも大丈夫なんだろうか。

 安全性もそうだが、そういった代物に頼って愛を深め合うのは何か違う気がする。

 しかしそうも言っていられないところもあるような気がするし……。


「じゃあ……ちょっとだけなら……」

「そ、そう? なら決まりね」


 そんなわけで、俺たちはコテージに戻って媚薬を試してみようとしたのだが――


「――あっ!?」


 コテージに戻る途中でのことだった。

 黒い影がシュバッと飛びかかってきて、ミヤさんの手中から媚薬の小瓶を奪い取ったのが分かった。

 ――一匹のリスザルだった。


「ちょ、ちょっと返しなさいよ!」


 注意喚起の標識通りモノを盗りに来たリスザルにミヤさんがそう告げるも、リスザルは当然ながらそんな言葉を意に介すはずもなく、あざ笑うような鳴き声と共に立ち去ろうとしていく。


「くっ! ――テアくん追うわよ!」

「えっ!?」


 ミヤさんが砂浜を駆け始めたので、俺は慌てて追随していく。


「――待ちなさいよ!」


 リスザルを追いかけるミヤさんは完全に本気モードだった。

 葬撃士を引退してもなおその体のバネは衰えていない。

 砂に足を取られたりはしないし、リスザルがヤシの木を登り始めればミヤさんもその幹を駆け上がっていく。

 リスザルは盗みを仕掛ける相手を間違えてしまったな……。

 一般人が相手であれば、リスザルはもうとっくに相手を撒いているはずだろう。

 しかし今宵の相手はミヤさんだ。

 天使の加護により身体能力が極まっているのだから、いかに野生の動物と言えども逃げ切ることは容易ではない。

 ゆえに――


「とりゃあ!」


 ミヤさんは直後に、ヤシの木からダイブしようとしたリスザルの尻尾を掴んでいた。

 無理な体勢で掴んだ影響かそのままリスザルと一緒に落下してしまうが、受け身を取って無傷だった。


「さてと、返してもらうわよ」


 そう言って手中に確保したリスザルを睨み付けるミヤさんだったが――


「あれ? 小瓶がない」


 リスザルは小瓶を持っていなかった。

 どうやら落下の衝撃でどこかに無くしてしまったらしい。


「な、なんてことなの……テアくん、探して探してっ」

「は、はあ……」


 リスザルを逃がしたミヤさんと一緒に俺は小瓶を探し始める。

 すると五分ほどが経過した頃――


「ミヤさん、あれじゃないですか?」


 俺はヤシの木の上に光り輝く何かがあることに気付いた。

 恐らくは月明かりを照り返す小瓶だろう。

 リスザルはヤシの木の上に小瓶を落としていたらしい。


「あぁ、あんなところにあったのね。待ってて。今落としてあげるっ」


 ミヤさんがヤシの木をゆさゆさと揺らし始める。

 些細なバランスであの位置をキープしていたようで、小瓶はそうやって揺らしただけ簡単に落ち始めてくれた。

 ところが――

 そのタイミングでビーチに突風が吹き荒れ、大した重量のない小瓶が舗装された歩道の方に流れていき、最終的にはその固い路面に落ちて砕け散ってしまった。


「あぁ!」


 ミヤさんがショックを受けたように声を上げた一方で、媚薬が路面にシミを広げていく。

 そして、その場を通りかかった散歩中の二匹の犬が、その媚薬を舐めてしまった途端にはっはっはっと息を荒げて凄まじい勢いで交尾を始めてしまい飼い主が混迷を極めるという光景を目の当たりにした俺は――


「……多分、あれは飲まなくて正解だったと思います」

「そ、そうね……」


 薬のたぐいは動物実験も大事だという話はよく耳にする。

 犬に対してあんなにもおぞましい効き目を発揮するのであれば、恐らくは人間に対してもかなりの効き目を発揮するのは間違いない。

 きっと、酩酊の更に酷い状態に陥って、性交渉をするだけの存在に成り下がってしまうのは確実だろう。

 そこにはやはり愛などなくて、所詮は媚薬に頼った交わりに過ぎないはずで。

 だから、これで良かったのだと思う。

 いや、あの犬たちには申し訳ない限りだが、案の定サタナキアとルミナさんが共同開発した媚薬はろくでもないモノだったわけで――

 

「俺たちは、何にも頼らず頑張りましょうよ」

「そうね」


 頼るにしてもその場のムードとか、その程度に留めておきたい。

 そう考えつつ、今宵はとりあえずコテージまで戻ることにした。


 その後、また裸でお風呂を共にしたりしたものの、今日も今日とてそこからの一歩を踏み出せることはなかった。


9


 目が覚めると、朝だった。

 リゾート地で過ごす三日目の朝。

 木目の天井が見える中で、俺は寝ぼけた目元をこすったのちに、同じダブルベッドでまだ眠っているミヤさんの体を軽く抱き締めた。

 肝心なことは依然として出来ていないものの、だからこそこういったスキンシップは大切にしていきたかった。

 ところが――


「……ん?」


 何かがおかしいことに俺は気付いた。

 俺が現在腕を回して抱き締めているミヤさんの体が、少し小柄に感じられた。

 俺に背を向けて横たわっているミヤさんは、しかも赤い髪ではなかった。

 いの一番に気付くべきポイントだろうに、寝起きの頭は正常な思考を奪うらしい。

 そう、つまりそこに眠っているのはミヤさんではなかった。

 雪原を思わせるその銀髪には見覚えがあった。

 本来ここに居るはずのないそいつは、直後にくるりと体を回転させてこちらを向く。

 相変わらず感情に乏しい顔を、しかしわずかに赤くした状態でそいつはこう言った。


「起きたそばからえっちをしたがるだなんて、テアは性欲旺盛」

「おい……」

「しかし別に構わない。わたしの蜜壺はお出迎えの準備万端だから」


 ぐっ、と無表情にサムズアップをしたそいつから、俺はとりあえず脱兎の如く離れた。


「なんでお前が居るんだ……」


 戸惑いつつ問いかける。

 問いかけたそいつはもちろん――何を隠そうエルザである。

 一緒のベッドに寝ていた挙げ句、衣服を何も身に着けていない全裸の状態で、エルザは体をゆっくりと起こし始める。


「なんで居るか? それは当然ながらテアとミヤの新婚旅行を邪魔しに来たに決まっている」

「……正直でよろしい」


 呆れるしかないが、エルザはこういう奴だから仕方がない。

 それよりミヤさんはどこだ、と思いつつ耳を澄ましてみると、露天風呂の方から音が聞こえてくるのが分かった。

 ミヤさんは先に起きて朝風呂に入っているようだ。

 エルザは恐らくその隙に侵入してきたんだろうな……。


「それはそうとテア、早くえっちしよ?」

「いいから服を着ろ」

「イヤ。もっと見て欲しい」

「足を広げるな!」


 自らの秘所を見せびらかすような動作をし始めたので、俺は慌てて目を逸らした。


「見ていいのに」

「いい加減にしろよお前……」

「ミヤとわたし、どっちの方がよりピンク?」

「知るか!」


 逆セクハラも成立するということを是非とも理解して欲しいところだった。


「……それより、いつこの島に来たんだよ?」

「朝一の船で来た」

「一人でか?」

「わたしはそのつもりだったけど」

「けど、なんだよ」

「わたしにとっての邪魔者も一緒」

「お前にとっての邪魔者?」


 と聞いて思い浮かぶのは一人しか居なくて――

 その時だった。

 コテージの玄関をノックする音が聞こえてきた。

 もしかして、と思いながら玄関に移動してドアを開けてみると――


「あ、テア。急に押しかけてごめんねっ」


 そこに佇んでいたのは案の定――小柄な忌み子の少女・シャローネだった。


「やっぱりお前だったか」

「その反応……ひょっとしてあの痴女がもうここに居たりするの?」

「ああ、居るぞ」

「あぁもうっ、何やってんのあのバカ!」


 ちんまい肩をぷんすかと怒らせて、シャローネは目付きをキッと鋭く細めていた。


「あのバカったらテアたちの新婚旅行を邪魔しに行くって急に言い出してさ、あたしはその邪魔を邪魔するためにこうやって付いてきたんだけど、ちょっと遅かったか……」

「……ご苦労様だな」


 わざわざエルザを咎めるためだけにここまでやってくる辺り、シャローネもシャローネで行動力が凄まじい。

 エルザにしてもシャローネにしても、暇ではないはずなんだがな。

 二人とも葬撃士は引退しているが、シャローネは孤児院の近くで農場をやり始めていて、エルザは実家のパン屋を手伝い始めている。

 まあシャローネの場合は子供たちに仕事を託すことが可能だし、エルザも両親がバリバリにお店に出ているから、暇を作れないこともないか。


「とりあえず上がったらどうだ?」

「いや、エルザを回収してすぐにおいとまするわよ。新婚旅行を邪魔しちゃ悪いし」

「気にしなくていい。サラさんが来たりサタナキアが来たりもしたんだ。今更お前たちが来ても『またか』程度にしか思わない」


 何より、賑やかなのはいいことだと思う。

 シャローネとエルザであれば、ミヤさんも受け入れてくれるだろうし。


「じゃあ……ちょっとお邪魔していこうかな」

「ああ、どうぞ」


 シャローネを招き入れつつ、エルザのもとに戻る。

 エルザはひとまず衣服を着用してくれていた。

 そしてシャローネにムッとした目線を注ぎ始める。


「おチビめ、もうここを嗅ぎ付けてくるだなんて」

「あのね、あんたの行きそうなところなんてお見通しだから」


 恐らくは一緒の船で来て、そこから今までバラバラで行動していたのだろう。


「――あれ?」


 その時だった。


「え? なんでシャローネちゃんとエルザがここに居るの……?」


 朝風呂から上がってきたミヤさんが、バスローブ姿でうろたえていた。


「毎度のことながら知り合いが訪ねてきたってだけですよ」

「それが毎度のことになる新婚旅行ってなんなの……」


 いつになっても二人きりになれないじゃない、と言いたげな表情ではありつつも、直後には「まあいいか」とでも言うようにひと息ついていた。


 かくして。

 帝都からかけ離れたこのリゾート地で、いつものメンツが揃うことになった。


10


「テアとミヤはもう子作りしたの?」

「ちょ、ちょっとあんた幾らなんでも直接的過ぎでしょ!」


 ホテルの食堂にて。

 俺たちはひとつのテーブルを囲みながら朝食を摂り始めていた。

 そしたら情緒も何もあったもんじゃない質問がエルザの口から飛んできたので、俺とミヤさんは少し気恥ずかしくなる。


「ま、まだよ……」

「ミヤは生ぬるい。もしわたしがミヤの立場ならテアを寝室のベッドに縛り付けて旅行の間ずっとえっちに励んで子種の搾取を続けるのに」

「……お前な、今が朝だということを忘れるなよ?」


 すがすがしい快晴の朝である。

 しかも朝食中である。

 なぜド下ネタな会話が繰り広げられてしまうのか。


「大人しく朝食を食べ進めてくれ」

「言われずともそうする」


 そう言って実際に大人しく朝食を食べ始めてくれたエルザだが、わざとらしくソーセージを頬張ったまま口から出し入れしたり、ヨーグルトをこれ見よがしに口の周りに付けたりしていた……。

 こいつの中身は中等部の男子か何かか?


「あんたが孤児院の子だったらお尻叩きの刑に処してるところだわ」


 孤児院の子供たちを日々しっかりと育てているシャローネにしてみれば、こんなにも行儀が悪いエルザは頭痛の種だろうな。


「でもこの感じも懐かしくていいと思うの。最近はみんなで活動する機会もめっきりと減ってしまったものね」


 ミヤさんは穏やかに笑っていた。


「シャローネちゃんとエルザはどれくらい島に滞在するつもり?」

「あたしは今日だけの予定です」

「右に同じく」


 やはりゆったりと滞在する余裕はないらしい。アナラカ島はただでさえ遠いがゆえに、行き帰りの移動に時間が取られるのもネックなんだと思う。


「じゃあ今日はみんなで楽しめるところに行きましょうか」

「どこ? ラブホ?」

「違うわ。動物園」


 ミヤさんはそう言って野菜スティックをぽりっと噛みちぎっていた。

 なるほど、動物園か。

 昨日、馬車の御者が言っていた場所だろう。

 アナラカ島独自の生態系で育った生き物を保護・管理しているのがその動物園だという話だ。


「いいですね、動物園っ。あたし動物が大好きなので!」

「わたしも交尾を見るのが大好き」


 同じ大好きでもここまで意味が違うのはすごいな。


「まあなんにせよ、朝食を食べたら早速行ってみましょう。敷地が広大だそうだから、朝から出向いて丸一日かけて見回るのがやっとらしいわ」


 ミヤさんの言葉を信じるならば、今日は一日中動物園で過ごすことになりそうだった。


   ◇


 アナラカ島の動物園は、檻の中の動物たちを見回れるオーソドックスなエリアと、放し飼いにされた動物たちと同じエリアに入れるサファリゾーンとに分かれていた。

 動物園を訪れた俺たちはまず、オーソドックスな檻エリアを見て回っている。


「見てよテアっ、あそこにキリンが居るわ!」


 そう言ってキリンの檻に走り寄っていくシャローネ。

 キリンは帝国には生息しておらず、図鑑でしかお目にかかれない動物なので、珍しがって近くで見たい気持ちはよく分かる。


「のほほんとしてていいわよね、キリン」


 ミヤさんがそう呟く中で、エルザはぼそりとこんなことを言っていた。


「キリンはああ見えてムッツリ」

「なんですって?」

「キリンのオスは交尾をする時、メスのおしっこを舐める。これはおしっこに含まれる成分からメスがどれだけ発情しているのかを知るための行動」

「そ、そうなの?」

「そう。しかも結構荒々しい一面もある。オス同士で争って、片方がもう片方の長い首をへし折ってメスを略奪することもあったりする」

「へ、へえ……」


 無駄に妙な知識を持っているエルザだった。

 若干萎えた表情を浮かべ始めたミヤさんをよそに、俺たちは引き続き動物を見て回る。

 やがて触れ合いコーナーというモノが目に止まった。

 どうやらウサギなどの小動物と戯れることが出来るらしい。


「きゃーっ、ウサギ可愛いー!」


 シャローネがスタッフの女性からウサギを手渡され、撫で撫でし始めていた。

 ミヤさんも同じようにウサギを抱き始めた中で、エルザがぼそりとこんなことを言っていた。


「ウサギは乱交大好きなド変態。発情期になると手に負えなくなる」

「なあエルザ、お前はさっきからなんなんだ?」

「何が?」

「何がじゃなくて……。その無駄に生々しい動物の性知識を披露してるのはなんなんだよ」

「新婚旅行に水を差してる」

「それを堂々と言えるのが本当にすごいと思う」

「ねえテア、わたしを愛人にして?」

「新婚に向かって何言ってんだ?」

「なんでもするから」

「何されても愛人になんかしないから諦めてくれ」

「そうよそうよ。いい加減諦めも肝心だと思うのよね」


 口を挟んできたのはシャローネだった。


「あんたがテアのことを好きなのは知ってるけど、テアはもうミヤさんと結婚したんだからそろそろ大人しく手を引きなさいよ」

「おチビはもうすっぱり諦めたの?」

「諦めたというか、今の在り方で充分というか。あたしはほら、孤児院で忌み子たちの面倒を見ているし、今はテアも結構な頻度で手伝ってくれてるわけで。これってミヤさんには成し得ない別種の家族の在り方だと思うから、満足してるっていうか」


 シャローネは自身の中で折り合いをつけてくれている。

 想いに応えられず申し訳ないと今でも思っているが、そう考えてもらえているなら俺としても救われる部分ではあった。


「わたしには……そういうのがない」


 エルザがぽつりと、悲しげにそう言った。


「ミヤはテアと結婚出来たし、おチビは孤児院でテアと繋がれているのに、わたしにだけそういうのが何もない」


 珍しく表情を崩しながら、エルザは瞳を潤ませていた。


「みんな、ズルい。わたしもテアとの繋がりが欲しい……だから迫ってるだけなのに、どうして諦めろって言われなきゃいけないの?」

「エルザ……」


 その言葉を聞いてハッとした。

 もしかすると……エルザの俺に対するしつこいまでの誘惑は、そうやって俺にしつこく迫っていかないと、俺との繋がりが簡単に絶たれてしまうのではないかという恐れから来ている言動だったのではなかろうか。


 俺とミヤさんには、教官と教え子という繋がりがあった。

 俺とシャローネには、同じ忌み子という繋がりがあった。

 しかし俺とエルザには、特筆すべき繋がりは何もない。

 せいぜい同い年という共通点があるだけで、他に何かあるのかと言えば特にない。


 そうか……。

 エルザという、俺に憧れて葬撃士にまでなった少女の心理をここに来てようやく理解出来たことに、俺は申し訳なさを覚えていた。

 もっと早くに気付いてやるべきだった。

 ただひたすらに性的な誘いをかけてくるその態度が寂しさや不安の裏返しであることに、どうしてもっと早くに気付いてやれなかったのか。


「エルザ」


 少しうつむいて、唇をムッと噛んでいるエルザに呼びかけ、その顔を上げさせる。

 掛ける言葉がこれでいいのかは分からないが、俺はとにかく伝えた。


「俺とお前にだって繋がりはあるさ。こうして何年も付き合いがある時点で、俺とお前はそう簡単に絶たれるような関係性じゃない。変わらず仲良くやれるから安心しろ」

「……本当?」

「ああ、だから余計な心配はせずに、これからも遠慮なく遊びに来い。いいな?」


 こう告げるのが正しいかどうかは分からない。

 これでエルザが満足するのかは分からない。

 だが――


「うん……テア、ありがと」


 そう言って初めて満面の笑みを見せてくれたのだから、きっとこれが正しかったのだと思いたい。


11


 動物園で過ごす一日が終わって、俺たちは帰路に就いていた。

 しかしすぐにホテルには帰らず、帰路の途中にあったレストランで夕飯を食べて、それから改めて帰り道を歩いた。


 シャローネとエルザが泊まる宿は俺たちのホテルとは別の、少し値段が安い民宿のような場所だったので、彼女たちとは明日の見送りを約束しつつその場で別れ、俺とミヤさんは二人きりでコテージに帰り着いた。


 俺とミヤさんはこの日、疲れもあってかコテージに戻ったあとはすぐに爆睡し、結果としてロマンスめいたことは何も起こらずじまいだった。

 朝に目覚めてからは一応一緒にお風呂に入って、けれど朝からそういうことをするのは違うのかなと自制が働き、一緒にお風呂に入るだけに留まった。


 それから午前の船でこの島を発つシャローネとエルザの見送りを行なって、見送りが済んだあとは二人きりでの観光を楽しんだ。


「そういえばセイディさんが来そうで来ませんね」


 夕暮れの、オーシャンビューのカフェでくつろぎつつ、俺はふとそう言った。


「まあセイディは暇じゃないからね」

「今何してるんですか?」

「他国でまた諜報活動よ。そっちの道に残ってあれこれやってるみたい」

「そういうのが好きなんですかね。悪魔が居なくなっても軍属を選ぶだなんて」

「なんか、旦那さんと上手くやれてないから長期的に顔を合わせずに済む職業で居続けたいんですって」

「そんな理由で……」


 もっと他にやりようがある気もするが……。


「ま、セイディなら大丈夫よ。でも私たちはそうならないようにしなきゃね。顔を合わせたくない、と思うような関係には絶対なりたくないから」

「ならないですよ。ミヤさんの顔を見て思うのは、癒やされるという感情だけですから」

「あら、私もよ? ふふ」


 どこか無邪気に笑うミヤさんは可愛らしい。

 この笑顔を守り続けられる良き夫にならなければならない、とこの時強く思った。


 その後、コテージに戻って今宵はミヤさんの手料理で夕飯を済ませた。

 アナラカ島ならではの食材で作られた南国料理は美味だった。

 食材が良かったこともそうだが、ミヤさんの料理の腕前が今ではすっかり主婦の水準を大きく上回っている影響もあったと思う。

 卵すらまともに割れなかったあの頃と違って、地道な努力を続けた結果が今に繋がっている。

 炊事だけでなく家事も完璧に極めているので、これならきっと、子供が生まれたら良き母親になってくれるはずだろう。


「ねえテアくん、もう少ししたら花火が上がるらしいわよ?」

「花火ですか?」


 食後にのんびりとしていたら、ミヤさんが窓から海辺を注視し始めていた。


「今日はアナラカ島が生まれた日なんですって。数百年前の噴火がきっかけで誕生したこの島の生誕を祝って、毎年この日は盛大に花火が上がるんだとか」

「へえ」


 俺も窓辺に近付いた。

 ミヤさんの隣に並び立つ。

 花火が上がり始めたのはその直後からのことだった。


「わぁ、すごいわねっ」


 ミヤさんが顔をぱぁと輝かせる。瞳をきらきらにして、それはまるでおもちゃ屋のショーケースを眺める子供のようだった。

 静かに凪いだ海上の、恐らくは沖合の船から射出されているのであろうその花火は、星空を上書きせんとばかりにカラフルな火の花弁を轟音と共に開かせていた。

 もちろんその第一射で終わりではなく、花火は大輪を咲かせ続けている。

 綺麗、というひと言で片付けることを許さない派手さを伴わせて、今宵のアナラカ島は花火によって彩られていく。


「ねえテアくん」

「はい?」


 響き渡る轟音のさなか、ミヤさんが俺に瞳を向けてきた。


「ありがとうね」

「いきなりどうしたんですか? お礼なんて」

「だってこの素敵な空間は、テアくんと一緒じゃなきゃ味わえないことなんだもの。隣に居るのが他の誰でもないテアくんだからこそ、きっとこんなに楽しくて、嬉しくて、幸せなんだろうなって」

「ミヤさん……」


 この人は花火そのものではなく、俺と過ごしているこの時間この空間自体を幸せの象徴として噛み締めているらしい。

 俺はただここに居るだけで、何もしていないのに、そう思ってくれる人が居る。

 じんわりと、胸の奥が熱くなった。

 様々な苦難を乗り越えて、この人と一緒になれて良かった。

 こんな俺でも受け入れてくれる人が居て、本当に良かった。

 そう思ってわずかに涙ぐんでいると、ミヤさんが優しく頭を撫でてくれて、それから抱き締めてくれた。


「大丈夫だからね? 私は絶対にテアくんを見捨てたりしないから」

「俺だって、ミヤさんを一生守り続けます……」

「ありがとね。……でもテアくんは本当に、私なんかで良かったの?」


 ミヤさんはどこか後ろめたそうに呟いた。


「……私、九つも上よ? まだ若いテアくんには色んな選択肢があるはずで、同じ年代の子なんかは大学に通ったりして今も青春を謳歌してたりするのに、テアくんは私なんかに縛られて、それで良かった……?」

「愚問ですね」


 ミヤさんを抱き締め返しつつ、俺は毅然と告げた。


「どんな選択よりも、ミヤさんと一緒になれたことが一番に決まっています。後悔なんてありませんし、これから先も悔やむことはないでしょう。ミヤさんよりも優先すべき選択なんて、どこにも存在しませんから」

「テアくん……」

「だから、そんな感情を持たないでください。俺はミヤさんと一緒になれて本当に幸せですから」

「うん……ありがとね」


 炸裂する花火の輝きが明滅する室内で、俺たちは気が付くと唇を重ね合わせていた。

 すぐに離れることはなく、むしろより強く抱擁しながら、窓辺から少しずつ移動して寝室に足を運ぶ。

 そのまま自然な流れで、俺はミヤさんをダブルベッドに押し倒した。

 今ならきっと、夫婦としての仲を深めることが出来そうな気がして――

 しかし、そこで待ったをかけるようにミヤさんの手が伸ばされた。


「あ、あのねテアくん……」

「は、はい」

「さ、先にお風呂、入らせてもらえる……?」

「お、俺は別にこのままでも……」

「初めてはね……きちんとしたいから」

「そう、ですね……分かりました」


 水を差す言動だとは思わなかった。

 ミヤさんの言う通り、初めてだからこそ、俺だってきちんと清めたい思いはある。

 汗を洗い流し、清い体で、肌を重ね合わさられるならそれが一番だと思うから。


 依然として花火が続く中で、今宵は一緒には入らず、ミヤさんから先にお風呂に向かってもらった。

 一緒に入らないのは、静かに心の準備がしたい、というミヤさんの気持ちを言外に読み取ったからだ。

 俺としても、ざわつく心を一度落ち着かせたかった。

 ミヤさんに乱暴なことは少しでもしたくないから、昂ぶりつつも理性は残しておかなければならない。

 そんなことを考えているとやがて、ミヤさんがバスローブ姿で寝室に戻ってきた。

 入れ替わりでお風呂に向かった俺は、俺自身が次第に緊張してきたのがイヤでも理解出来た。

 やはりさっきの流れで合間なく肌を重ね合わせた方が上手くいったのではないかと思い始めてくるが、この緊張もいい思い出として記憶に残ればそれでいいかと開き直って、俺はお風呂を短く済ませた。

 真似するようにバスローブを身に着けて寝室に戻ると、俺はその瞬間に驚かされた。


「そ、その格好は……?」

「うぅ……やっぱり着なきゃ良かったかも……」


 恥じらうようにそう呟くミヤさんはバスローブを脱いでおり、かといって裸というわけでもなく、淫靡なネグリジェ姿になっていた。

 裸ではないと言ったものの、そのネグリジェが衣服のテイをなしているかと言えば怪しいところではある。

 なんせ内側をことごとく透けさせているため、裸も同然なのだ。

 豊満な乳房やその綺麗な先端部はもちろん、うぶ毛のひとつさえ見当たらないきめ細やかな美肌が惜しげもなく透けて見えている。

 ベッドにぺたんと座りながら顔を真っ赤にしているそんなミヤさんを見ていると気が変になりそうというか……。


「そ、そんなの肌着って持ってましたっけ?」

「こ、これはアレなの……先日姉さんがくれたヤツで……」

「あぁ……」


 サラさんが持ってきたプレゼントの中身が把握出来ていなかったが……なるほど、このネグリジェがそれだったのか。


「……すごいですね」


 そんな感想しか出てこない中で、ミヤさんがベッドの脇に立つ俺の手をぐいっと引っ張ってきた。


「て、テアくんも早く脱いで! テアくんばっかり隠してズルいっ!」

「わ、ちょっと……!」


 ミヤさんにバスローブを剥ぎ取られ、そのままベッドに引きずり込まれた。

 しっちゃかめっちゃかしつつ大の字に寝転がった俺の腹部に、ミヤさんがぺたりと跨がるように座ってくる。

 騒ぐような表情から一転、ミヤさんは労るような瞳で俺の胴体を指でなぞった。


「ねえテアくん……ここからの時間は私に任せてもらえる?」

「それは……」

「お互い初めてだけど、私の方が年上の……お姉さんなんだもの。だから……」


 リードさせて? と言葉にはなくとも目で力強く語られて、俺はどうするべきか迷いつつも、最終的には首を左右に振っていた。


「そうやって、気負うのはナシですよ……ミヤさんも甘えてくれていいんです」

「テアくん……」

「一緒に、ゆっくりと、進めましょうよ」

「うん……そうね」


 和やかに頷いたミヤさんと、俺は上体を起こして改めて抱き合った。

 ついばむようなキスもして――それから、フィナーレに向けて激しさを増していく花火の音に紛れて、控えめな嬌声がコテージの中に木霊し始めていた。


   ※ミヤ視点


 花火が終わってしばらくが経過した現在、私は幸せな感情に包まれていた。

 静かな夜の時間。

 同じベッドで横になり、すでに夢の世界に旅立っているテアくんの頭をそっと撫でてあげる。


「ありがとうね、テアくん。お疲れ様」


 先ほどまで、私はテアくんに抱かれていた。

 ハグの意ではなく、夫婦として深く繋がり合っていた。

 少し痛かったし、今もちょっと痛いけれど、ようやくテアくんのモノになれたという現実がとても嬉しくて、満たされた気分だけが延々と私の全身を駆け巡っている。


 行為の最中も、テアくんはテアくんだった。

 ずっと私を気遣ってくれて、恐らく自分の快楽は二の次にしていたはずで。

 それでも最後はきちんと果ててくれたから、私はテアくんを気持ち良く出来たんだと思う。


 私は自分のお腹を少し撫で回す。

 今ここにはテアくんの遺伝子が留まっている。

 どうなるかはまだ分からないけれど、テアくんとの赤ちゃんが授かれていたらいいなと思わずにはいられない。


 こんなに幸せな夜は初めてだった。

 テアくんは私にたくさんの幸せを与えてくれる。

 テアくんと一緒に居れば、きっとこれからもたくさんの幸せを味わうことが出来るんだと思う。

 そう考えると、これから先の人生がいっそう楽しみになってきた。


「ずっと一緒に居ましょうね、テアくん」


 眠る王子様にそう告げながら、私も今宵は就寝を選ぶことにした。

 お風呂には朝一で入ればいいかな。

 今はまだ、テアくんと初めて結ばれた証を体に残しておきたいから。


 エピローグ


 新婚旅行の日程を無事に消化し、俺たちは帝都に帰ることになった。

 客船で丸一日かけて本土へと戻り、そこから列車で数時間かけて帝都まで帰還した。


 約一〇日ぶりの我が家は酷く落ち着いた。

 アナラカ島の雰囲気も良かったが、やはり一番は自宅なのだと思い知る。

 家で一日ゆったり休んだあとは、普通の生活に戻った。

 そんな平穏がひと月ほど続いたある日のことだった。


「ねえテアくん、ちょっといい?」

「なんですか?」


 本日の仕事を終わらせて帰宅したところ、先に帰っていたミヤさんが機嫌良さそうに呼びかけてきたのだった。


「あのね、報告があるの」

「報告ですか?」

「ええ、悪い報告ではないから、変に身構えなくても大丈夫よ」


 ミヤさんの表情を見れば、そりゃ悪いことではないのだと分かる。

 それどころか、報告の内容が透けて見えるようだった。

 こんな前置きと共に告げられる報告なんてそう多くはないはずだ。

 だから俺は少し泣きそうだった。

 もし予想が合っていたら、俺の悲願にまた一歩近付いたということだから。


「……早速伝えてもらえますか?」

「もちろんよ」


 明るい表情で頷いて、ミヤさんはこう言った。


「――あのね、新しい命を授かったみたい」


 温かな家庭を夢見た俺の、本当のスタートはここからだ――。

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