第5話 抑圧と解放
『欲がわからないか。欲とは人生を豊かにしてくれるものだ。大なり小なり人は欲を持っている。全くない人というのはいない。七つの大罪に当てはめれば強い欲は身を滅ぼし忌避される対象だが、歴史上の成功者は結末はどうあれ皆その欲深さで時代を作ってきたというのが事実としてある。逆に言えば欲深いことは成功者に必須のもの。ただコントロール出来なければ自分の首に鎌をかけることにもなる凶器でもある。七つの大罪で言及されていることはこういうことだと思ってる。あくまで僕の見解だけどね。気になるなら歴史を学ぶと何かわかるもかもしれないよ』
春野くんに言われたことを反芻しながら俺は帰路を歩いていた。
彼の話はとてもタメになった。
不便を愛すること。
あれこそ好きこそものの上手なれというやつのだろう。
明日は彼の言う通り歴史上の人物について学ぶためまた図書館へ訪れよう。
今日はもう稽古の時間が来てしまった。
□□□
「お」
翌日の朝、偶然にも春野くんと学校で顔を合わせた。
「あー…」
俺は辺りを見渡して誰も見ていないことを確認してから彼に声をかけた。
「学校では声をかけない方がいいよな」
「あ、いや、僕は…」
「いいよ大丈夫。君は何も悪くない。それじゃ」
俺は悪目立ちをしている。
春野くんがどういう立ち位置なのか関係なしに俺と仲良くしているところを知人に見られるのは良い結果を生まないだろう。
□□□
放課後図書館にて。
「ごめんね宮原くん。今朝は」
「いや、これは自分で招いたことだ。だから謝らないで欲しい」
本当のことだ。
嫌われている自覚はあるのに周囲と距離を置いたまま改善しようとしていないせいだから春野くんに非はない。
「宮原くん昨日のことだけど」
「ん?」
「僕は誤解していたかもしれない。あれから色々考えたんだけど宮原くん、君は欲がわからないんじゃなくて欲を殺してしまっているんじゃないか?」
「欲を殺す?」
「うん。その……言いづらいことだけど抑圧された環境で育った人によくある傾向なんだ。この気持ちを言葉にしたら相手の気に触る。そうやって感情の取捨選択が始まる」
「ふむ」
心当たりがないわけではなかった。
時折自分の心情と行動に整合性が見受けられないことを感じることがあった。
「そのせいで幸か不幸か、君は今七つの美徳を持ち合わせてしまっている」
「七つの美徳って大罪と対を為すものだったか」
「そう。人として宮原くんは非常にできた人間だけれど七つの美徳は欲から程遠いものだ。お坊さんの境地みたいなものだね」
さすがにそこまででは無いと思うがなるほど。
「そうなると殺された感情がもし解放された場合、俺は欲を取り戻せるということか」
「その可能性はあると思う。けど気をつけて欲しい。抑圧された心というのは得てして爆発的な反動力を内包してるからもしかしたら人として大事なものを失うことになるかもしれない」
「君がそう言うならきっとそうなんだろうな。よく考えるよ。ちなみにその抑圧というのはどうやったら解けるかわかる?」
「リハビリじゃないけど、欲をわざと解放してあげたり抑えきれないほどの感情を思い起こせればあるいは──て、どうしたの?」
「いや春野くんと出会ってまだほんの少しだけど色々気付かされることが多いなと思って。俺の世界が狭いせいもあるのだろうが。何か礼がしたいんだが…」
「そんないいよ。あ、でも…」
「遠慮しないでいい。正当な対価だから」
「……じゃあ、僕の妹の遊び相手になってくれないかな? 実は僕あまり友達がいなくて、こうして本を読んでいるのもあの子のためでもあったりするんだ」
「妹も友達が少ないのか?」
「違うんだ。その…」
苦虫を噛み潰したような表情だった。
「歩けないんだ」
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