第3話 宮原十蔵2

「十蔵ッ! 貴様、なぜ遅れた。また夜の山に放り置かれたいか」


「…お前を殺しに来た」


「何だと?」



家から持ち出してきた包丁を取り出す。

向けられた切っ先に祖父は鼻で笑った。



「下らん。その程度の小物でオレを殺せると本気で思ってるのか?」


「俺なりにどうやったらお前をぶっ飛ばせるか考えた結果だよ」


「オレを殺せたとしてどうする。捕まるぞ?」


「俺は未成年だし、お前は完全に悪だ。何とかなるかもしれないだろ」


「ならばやってみろ」



俺は覚悟を決めてきている。

手の震えはない。

大丈夫だ…


祖父の巨躯は一撃でも当たれば骨は砕かれ再起不能にさせられる。

その上子供の俺はリーチが小さい。

技術も腕力も何もかも下だ。

この刃物を突き立てるにはどうすればいい。


俺は手を前に突き出し、床に足をつけながら祖父ににじり寄った。



「くだらん。貴様の体躯でカウンター狙いなど愚の骨頂だわ」


「…わからないだろ」


「相手に何をするか悟らせている時点でお前の負けよ」



額に汗が流れる。

今まで散々打ちのめされてきた情景が思い起こされる。

一寸先には訳も分からないまま床に額を付けているいつもの自分の姿があるのではないか。

そしてその時はきた。



───ゴギ

鈍い音がした。

腕がひしゃげている。


やはり見えなかった。

あまりに早すぎる蹴り。

手から落ちた包丁を片方の手で取ろうとする。



「遅いわッ!」



返し刀のように腕を砕いた足を勢いを殺さず空へ放り投げ俺の肩へ叩き落とした。



「あがっ……!」



だらんと下がった両手でろくに受身を取れず地に伏した。


…手も足も出なかった。

こんなもの技術でどうこうできる次元じゃない。



「全治二ヶ月といったところか。だがこれは貴様が生み出した罰だ。治療期間だからといって休むことは許さんぞ」



本当に老体なのだろうか。

この男には刃物はおろか銃弾ですら効かないような気がした。

そんな相手にどうやって俺は勝てばいいんだろう。


倒すと決めた覚悟が崩れそうになった。

情けなさと悔しさで涙が溢れた。



「道場で泣くな! 泣くとは弱き証拠だ。汗とは強き証拠だ。道場を弱者の汚水で汚すんじゃない」


「お前を殺したいッ……殺したくて仕方がないのに、俺の力じゃ何も……」


「自惚れるな。嘆くな。今のお前のそれは全て弱者の心の有り様よ」



その通りだと思った。

今の俺は弱すぎる。

だがこの男より強くなるにはどうすればいいんだ。



「しかし、十蔵お前から初めて野心を感じた。それは強者に必須のもの」



祖父は腰を下ろした。

いつもと様子が違う。



「大方六蔵たちから何か聞かされて触発されたんだろう。どう聞かされた?」


「お前のせいで父さんも母さんもしたくもない結婚させられて、お前の都合のいいように俺も父さんたちのことも使っているんだろ」


「ふん、さすがに童の頭よ」


「どういう意味だ」


「恐怖による支配も昔なら有り得たかもしれんな。だが今の世界の支配権は膂力ではなく権力よ。したくない結婚といったが確かに相手をセッティングしたのはオレだが奴らは喜んで契りを交わしておったわ」


「は? …いや、けどそんな」


「あやつらもオレと同類ってことよ。被害者ぶりおって。弱者の極みではないか」


「じゃ、じゃあ母さんが俺を連れて逃げ出そうとしていたのは」



祖父はため息をついて、そんなこともしようとしていたのかと呆れた様子だった。



「少なくとも十蔵、お前のためではない。お前にはまだ理解できない自己矛盾の話よ」



祖父と母親の言葉、どっちを信じるか。

…俺はなぜか祖父の言葉を信じてしまった。

ずっと引っかかっていたものがあった。

それが何だったか祖父の言葉と理解できるからだ。

父も母もまた優生思想、しかし我が子を可愛がる気持ちが新たに生まれ相反するようにその二つを抱えてしまっていた。

だからボロボロになっても、泣きじゃくっても褒めてはくれるけど決して道場を辞めさせてはくれなかったのだ。



「俺、本当に一人なんだな」


「味方だの仲間だのくだらん。信じられるものはこの身と自身の持つ知識、技術だけよ」


「あんたよくそんなんで今まで生きてこれたな」


「生きるとは金だ。金なら腐るほどあるからな」


「はは……」



不思議と辛さはなかった。

中途半端に期待していた愛情とやらをきっぱりと諦めることができたからだろうか。



「俺は一人で生きていく力が欲しい」


「弱い。弱すぎる野心だ。だが、今までのお前よりは強くなれる心の有り様だ」



親も祖父のことも何一つ解決してはいないが、きっと解決できるものでもないのだろう。

俺はそうして一つ踏ん切りを得たのだった。


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