№7 招かれざる客

 それから一週間ほど、マリアローゼはエディオネルのスパーリングに付き合った。


 何度もこぶしを交え、そして語り合った。


 そうするうちに、エディオネルのことをより深く知ることができた。


 やさしくて、真面目で、元気が良くて、まっすぐで、自分の芯を持っていて、でもガンコなところもあって、負けず嫌いで、なによりボクシングという競技とこの国のことをとても愛している。


 打ち解けるとたまにジョークなどでマリアローゼのことを笑わせたり、ユーモアがあり、聡明で学もあった。


 もちろん、マリアローゼのことも『師匠』としてとても大切にしてくれている。衣食住も守られており、快適な生活を保障してもらっている。


 おかげで、王宮での生活に変わりはなかった。


 ……いや、リベリオネルといっしょだったときと比べて、より一層張り合いが出てきた。


 ボクサーとしてのエディオネルの才覚はたしかなもので、マリアローゼの指導の元、めきめきとちからを伸ばしていった。マリアローゼが言ったことを的確に理解し、修正する。その繰り返しだ。


 エディオネルのボクシングのスタイルは、堅守速攻型のハードパンチャー。堅いガードで身を守った後の必殺の右フックが特徴だ。


 マリアローゼはその特性を最大限に活かすように、エディオネルに助言した。


 エディオネルは細かなところまで見ているマリアローゼに感嘆しては、『さすがです、師匠!』と笑って褒め称えるのだ。


 マリアローゼ自身も、トレーニングウェアで汗まみれになってこぶしを振るうことが楽しくなってきた。女を捨てた、と言われればうなずくしかないが、ひとりの人間として丁重に扱われることはこの上ないよろこびだった。


 ……そんなある日。


 いつものようにトレーニングルームでスパーリングをしていると、扉が開いて二度と見たくない顔がやって来た。


「毎日毎日、よくやるものだ」


 バカにしたような顔でにやつくリベリオネルの隣には、乙女のあこがれであるフリルたっぷりのドレスに身を包んだ小柄で長い黒髪が美しい少女が控えている。


 スパーリングの手を休めたエディオネルは、兄の登場を快く思っていないようだった。汗をぬぐいながら苦い顔でつぶやく。


「……リベリオネル」


「兄上と呼べと言っているだろう……よろこべ、今日は俺の新しい婚約者を紹介しようと思ってな」


 小柄な少女はいたずらに笑いながら、ドレスの裾をつまみ上げて膝を折った。


「アリアンナと申します、よろしくお願いしますわ……弟ぎみ」


 鈴の音のような声でそう言うアリアンナは、元・婚約者であるマリアローゼとはまるで違っていた。華奢なからだに美しい顔立ち、女らしいたたずまい。女の子ならこんな風に生まれたい、という理想を詰め込んだような、そんな少女だった。


 そんなアリアンナをわざわざマリアローゼに見せつけるように連れてきて、つくづく悪趣味な男だ。


「ああ、アリアンナ。そこにいるのが、俺の元・婚約者のマリアローゼだ。あいさつをしてやってくれ」


 さらに趣味の悪いことに、リベリオネルはアリアンナに向かって顎をしゃくって見せた。『行け』の合図だ。


 その期待に応えるようににんまり笑って、アリアンナはマリアローゼに会釈をした。


「お噂はかねがね。それにしても、大変ですわね。女の身でありながらこのような荒事……わたくしなら、殿方に任せっきりにしてしまいますわ。けれど、あなたほどのたくましい女性ならばお似合いね」


 出てきたのは見事な嫌味だ。どんな苦い顔を見せてくれるのか、と巣穴の中からうかがう小動物のように目をきらめかせている。


 しかし、この程度の挑発に乗るようなマリアローゼではない。表情ひとつ変えず、ただ静かにグラブを外す。


「……なにをしに来た?」


 エディオネルがまっすぐににらみつけると、リベリオネルはへらへらと笑い、


「だから言っているだろう。俺の新しい婚約者を紹介しに来た……というのは建前で、本音は物好きな弟と捨てた女のなれの果てを見物しに来たのさ」


 マリアローゼはいわおのごとく動じなかったが、代わりにエディオネルの顔色が変わった。それを認めて、リベリオネルはにやりと笑って、


「汗にまみれて、みじめなものだ。まあ、貴様のような『しこめ』にはお似合いだがな。貴様と婚約したのだって、単なる好奇心だ。ひと通りもてあそんだら捨ててやるつもりだったが、それが早まっただけのこと」


 長広舌を振るうリベリオネルに、エディオネルの顔が怒りで赤みを帯びていく。ふるふるとこぶしを震わせていると、リベリオネルはトドメの一言を放った。


「いいザマだな、マリアローゼ」


「……リベリオネル……!!」


「なんだ? 女まで『おさがり』では気に喰わないか?」


「……それ以上、口を開けば……!!」


 激高し、リングを降りようとしたエディオネルを、マリアローゼの太い腕が制した。はっとした顔で見つめるエディオネルにひとつうなずいて見せると、マリアローゼは堂々たる態度でリベリオネルに向かって告げる。


「殿下、わたくしは今、殿下のおそばにいるときよりも充実した日々を送っております。汗にまみれるのがわたくしの宿命だというのならば、よろこんで汗を流しましょう」


 その毅然とした態度に、リベリオネルとアリアンナがひるんだ様子を見せる。畳みかけるように、マリアローゼは余裕の微笑みを浮かて言った。


「わたくしは、ふしあわせではございません。むしろ、毎日が楽しゅうございます。そうだ、殿下もひとつ、弟ぎみと汗を流してみてはいかがですか? 殿下のことです、そこまでおっしゃるならば、きっと良い勝負になりますわね?」


「……くっ……!」


 無論、リベリオネルがボクシングでエディオネルに敵うはずがない。屈辱を与えるはずが逆にやり込められてしまい、リベリオネルは奥歯を噛んだ。


「……いい気になるなよ!? 貴様のような野蛮な女、野蛮な弟にくれてやる……! 行くぞ、アリアンナ!」


「はっ、はい、殿下!」


 そう言い残して、ふたりはすごすごとその場を退散していった。

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