№8 いわおの揺らぎ
「……申し訳ありません、師匠……私の兄があのような無礼を働いて……とても許されることではありません、今すぐにでも追いかけて、殴り倒してやりたい……!」
悔しさを噛みしめるような顔で謝罪するエディオネルに、マリアローゼはまったく揺るがない笑顔を向けた。
「いけませんわ、殿下。この場はわたくしが我慢すればいいだけの話。わざわざ殿下がおちからを振るうことはありません」
「……しかし……!」
なおもいきり立つエディオネルを制するように、マリアローゼはこんこんと説いた。
「申し上げましたでしょう、ちからとはおそろしいものです。そうやすやすと振るってはなりません。感情豊かなところは、殿下の良いところでもあり、悪いところでもあります。どうか、ちからに振り回されることのなきよう」
「……師匠……!」
怒りの表情から一転、エディオネルはマリアローゼに尊敬のまなざしを向けた。そして、感嘆の言葉を紡ぐ。
「そばで聞いていた私ですらこのありさまなのに、当人の師匠はまったく揺らがない……! 素晴らしい精神力です! やはりあなたは私が見込んだ通りのお方だ!」
「よ、よしてください……! わたくしは、ただ……」
「いえ! 皆まで言わずともわかっています! あのリベリオネルを逆にやり込めるとは……さすがは師匠です!」
本当は深く傷ついているのにな、と平静を装いながら少しさみしい気持ちになる。が、マリアローゼは決してそれを顔には出さなかった。
強がりをわかってほしい、などという関係ではないからだ。
きらきらした眼差しを向けるエディオネルが、不意に思いついたように手を叩いた。
「そうだ! 気晴らしに街にでも繰り出しましょう!」
「……街?」
街、というと、王城の城下町のことだろう。普段王族が出向くところではない。特にリベリオネルについていたときは、王城の外になど出たことがなかった。
「昔から領民たちの村にはよく行きましたが、王都に来てからはまったく出たことがなくて……」
素直にそう告げると、エディオネルは苦笑し、
「兄はそうでしょうね。『下民などとは接したくない』と言って外に出たりはしないでしょう。けど、私は街に出るのが楽しみのひとつなのです。もちろん、身分は隠しますが」
なんとも『らしい』ことだった。マリアローゼを笑わせるためだろう、わざとリベリオネルの口マネなどして。
そのやさしさをうれしく思ったマリアローゼはくすくすと笑って、
「でしたら、参りましょうか。わたくし、城下町など初めてでして、どれほどのにぎわいか興味がございますわ」
「ならば、早速!」
はやるエディオネルは、マリアローゼの手を取ろうとした。
が、その寸前、マリアローゼはかばうように腕を引き、エディオネルから離れる。
「……どうされました?」
きょとんと尋ねるエディオネルから紅潮した顔を逸らして、マリアローゼは言葉少なに言い訳をした。
「……いえ、汗をかきましたので、湯あみをしてまいりますわ。それと、市民たちに悟られないような服に着替えてまいります」
「ああ、申し訳ない、そこまで気が回りませんでした! 私も汗を流して着替えてきましょう! 時間になりましたら、部屋にひとをやりますので!」
その説明で納得したらしいエディオネルは、さわやかに笑うと、そう言ってトレーニングルームを後にした。
ひとり残されたマリアローゼは、ばくばくと早鐘を打つ心臓を持て余していた。
おかしい。
なぜこんな過剰反応をしてしまうのか。
エディオネルと城下町に出かける……そんな光景を想像した瞬間、まぶしすぎて目を閉じたくなった。
こんなのまるで……普通の女の子が出かけるデートではないか。
いや、単に気晴らしに行くだけだ、あんなに素敵なエディオネルと……いや、素敵なのは素敵なのだが、それはこの際関係なくて……そもそも、私はエディオネルの師匠であって、それ以上でもそれ以下でも……しかし、これは紛れもないデート……いやいやいや、違う違う、これは普通の会食であって、デートなどでは……自分は師匠、師匠なのだから……
一部思考が言葉になっていたようで、ぶつくさとつぶやきながら、マリアローゼは悶々として湯あみへ向かうのだった。
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