№3 第二王子の師匠
「……お待ちください!」
そんなマリアローゼを呼び止める声がかかった。泣いている状態でひどくばつが悪いが、こっそりと涙をぬぐって振り返る。
そこには、短い銀髪にアメジストの瞳の偉丈夫が立っていた。身の丈はマリアローゼと同じくらいか、引き絞られたからだつきも少し似ている。
「失礼、リベリオネルの婚約者……いえ、元・婚約者のマリアローゼ嬢ですか」
「……は、はい……そうですが……」
おそるおそる答えると、男は凛々しい顔つきを一気に破顔させ、
「よかった!……ああ、いえ、申し遅れました。私はエディオネルといいます。この国の第二王位継承者……リベリオネルの弟、と言った方がわかりやすいですか?」
柔和に笑うエディオネルは、そう冗談めかして言った。
あのリベリオネルに弟がいるということは知っていたが、まさかこんなに似ていない弟だったとは……
失礼のない程度にまじまじと見詰めていると、エディオネルはにこにこしながら、
「実は私、プロボクシングをしておりまして」
「……ボクシング……」
ますますあのリベリオネルとは似ても似つかない。たしかに、この体躯はなにか格闘技をやっているもののそれだ。過不足なく、全身が鍛えられている。マリアローゼほどではないにしろ。
「ボクシングとわたくしに何の関係が……?」
さっぱりわからない。
マリアローゼが問いかけると、エディオネルは居住まいを正してまっすぐに向き合った。
「先ほどのパンチ、お見事でした。腰の振り、コンパクトな振りかぶり、なにより圧倒的な初速からのインパクト……!」
「み、見ておられたのですか!?」
「もちろんです!」
急激に恥ずかしくなってきて、マリアローゼは激しく狼狽した。
そんなマリアローゼの手を取り、エディオネルはどこまでもまっすぐに紫色の視線を注ぎながら、熱のこもった言葉を告げた。
「私は、あなたのこぶしに魅了されてしまいました……お願いします!! 弟子にしてください!!」
「…………は?」
でし。
先生に師事して学ぶもののことだ。
エディオネルは、マリアローゼを先生にしてボクシングの技を磨きたいらしい。
……兄の元婚約者相手に、正気の沙汰ではない。
「……あの、今なんと?」
「弟子にしてください、と!!」
びっくりするような大声で頼み込まれて、ついでに手をぎゅっと握られた。男性との接触に慣れていないマリアローゼはそれだけであわあわしてしまう。
弟子にしてくれと言われた。
自分がエディオネルの師匠になるということだ。
そんな青天の霹靂とも呼べる出来事に大混乱したマリアローゼは、それでも必死に言葉を探した。
「あ、あの、わたくし、そんな弟子を取るような達人ではございません……!」
「いえ! あなたは私が見込んだ通りの武芸の才をお持ちのはずだ!」
エディオネルはどこまでも譲らなかった。やさしそうに見えて、実は頑固なところがあるらしい。
ようやく手を離してくれたと思ったら、エディオネルは深々と頭を下げて頼み込んできた。
「お願いします! なにを教えろとは言いません、せめてスパーリング相手になってください!!」
ここまでされれば、断る方がヤボというものだ。ようやく落ち着いてきたマリアローゼは、おずおずと答えた。
「……それくらいでしたら……」
「ありがとうございます、師匠!!」
相変わらずの大声で礼を言い、エディオネルは顔を上げてさわやかに笑った。
「あ、あの、師匠はやめてください……」
「気にしないでください!」
強引に押し切られてしまった。そんなエディオネルが、す、と右手を差し出す。さすがのマリアローゼも、握手ごときで恥じらうようなうぶな乙女ではなかった。
がっしりとそのごつい手をごつい手で握り、握手を交わす。
「これからよろしくお願いします!」
「……はい!」
かくして、婚約破棄された『近距離パワー型令嬢』は、第二王子のスパーリング相手となったのだった。
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