10代から20代の時に書いた詩(9)

天川裕司

10代から20代の時に書いた詩(9)

かの有名なデビッド・ボウイとのツーショットさ。(笑)


3回お願いして、撮って貰ったんだよ。思い出さ。(笑)でもあの日は暑かったなぁ。飲んだコーラの本数、なんと5本。とにかく暑かった。(まぁ服装も服装だけどね)。それにしても嬉しかった。デビッドも優しかったしね。(笑)


〝ただの風邪なのに注射針を腕に落とす、悪戯好きなドクターさ。〟

〝痛いよ先生(笑)〟


ほっとけば治るんじゃないの?先生


しょーがねーだよ

こーしときゃ治る


この時期が早く過ぎ去るのなら、早く過ぎてほしい。

でも、本質の僕は過ぎてほしくない、と願う。


この世間と、人間と悪魔と、神様に対する、俺のせめてもの反抗さ。

〝死んでやる。…〟こんな事でしか、生きる証明を表せないのか。悪の世代だ。


〝こんなに書かない〟か。…

(日本の子供)


日本は滅びるべきだ。(美談)


この世間(世界)は悪が政権を握っているのだ。それ故、この世は試練だ。誰かが歌で語った〝仕組まれた自由…〟と言うのはまさにそのものだ。他人の僕が、その歌を知る以前から自由は決して続かない、と感じていたのだから。何故、そう感じるのか。それはこの世が、悪の政権だからである。現にそういう場面を何度も見ている。弱者が滅び、強者が生きる。利用してその場を手にした者が優位に立つ。どうしてもそうなっている。そしてこの場合、弱者が正義で、強者が悪者だ。人間の性質とは、道徳上での悪い刺激を欲しがるように出来ている。一時(いっとき)、素直になった男・女も、〝仕組まれた自由〟の故に束の間でその自由を責め、また悪い刺激を欲しがる。それも試練なのか。貧富の差が沢山ある。この世には快楽と、苦痛とがある。人はそのどちらを選ぶか、それだけの事である。僕はこの上なく、人間を憎んだ。今のこの世間に生きて苛立ったからだ。プロが威張り、アマが妬む。引退した人が、そのどちらをも忘れようと努める。この世を引退するという事は、世捨て人などという甘いものじゃない。死ぬ事。その勇気は、この世へのやり切れなさにあり、そのやり切れなさを積んでいくストレスが尚、日々重なる。命と欲望、その2つが同居した事は物言えぬ程に恨めしい。これ以上語っても、生きている限り無駄な事。――――――これが20年間生きた個人の本心。嘘はない。


両親へ、死んでも関係ないのさ。クリスチャンはこの世以外でも新しい世界があるって。夢があるじゃないか。そうだろ、この世間は詰らないものさ。クリスチャンは正義の側なのに、この世間は知っての通り悪の世界。仕組まれた正義は、悪のもの。犠牲になるものは、死亡。正義はそれだ。集団で動き易いものは、多数決になる。一人、一人が馬鹿になり、一番馬鹿のレベルに合せるのだ。一人では集団に勝つのは難しい。稀な事。それ程、一人は弱い。世間は大衆、個人は一人。大衆は流行を色にする。人間とは、神、悪に関係なく無様なものだ。この世では無様なものだ。だから、この世以外の世界へ身分を持って行こう。父さん、母さん、そこででも会えるのさ。もう、一言、一場面で悲しむのはやめよう。


人の心の痛みが分からない友達は、カスだ。死んだ方がいいのさ。(笑)


俺はな、この流行を血みどろにして〝クズ〟と呼んでやるぜ。(笑)


俺の友達には、口先だけの奴が多く、流行に縋り付いて人の心の痛みを自ら気遣える奴は居ない。(笑)、ははは、悲しいものさ。


男は表面、内面、女に愛される為に成り下がる不細工だ。今の時代、俺の生きて行く時代じゃないのさ。俺はそんな不細工じゃない。だから、女は無いものと考える。そして、潔く死に去ってやるぜ。ざまあ見やがれ、無様な人間よ。友達を捨てる覚悟くらいこの世間見てれば出来ちまう。そう、始めから、俺の生きて行く人生(みち)に女など存在しなかったのだ。そう男も。やってやるぜ、俺の、俺だけの目指す渋い生き様を。最初から最後まで、俺は一人なのさ。その方が俺らしく、生きて行ける。女は節穴、男も節穴。世代(ソドム)が待っている。その先の滅びはあるのか、ないのか、それさえも詰らない疑問さ。俺はハイエナじゃなく、狼だ。


どう言い方を変えたからとて、現実は同じ。確かに誰の所為でもない。だがその現実に苛つくのは事実。この周りが俺を住みにくくさせる。あいつとのチューニング・ポイントが良ければ、違うあいつがチューニング・ポイントをずらしやがる。絶対に幸せだけにはさせないこの俺の周り。今まで幾千のチューニング・ポイントのずれを味わって来た。何の為に生まれて来たのか、解らなくなる。好い加減この人間世間の繰り返しが飽きて来た。あの人みたいな、何の見返りも無く愛してくれる人ばかりなら、生まれて来た事を後悔しなかったろう。でも今、俺は生まれて、この人間界という極詰らない世界で生きている。その現実を否定する訳にはいかない。それでももう嫌だ。この繰り返す空しさと怒りと哀しさは嫌だ。やめたい。こんな詰らない繰り返しを何故、何度も何度も馬鹿らしく繰り返して行くのか。


平和は束の間でしかないのか。平和ボケは幾度と続いているのに。

この平和は、僕の胃をキリキリ痛ませる。そして、世紀末まで続くだろう。


僕の横に誰が来ても、もう同じ事。ただ親孝行だけはしたいと思う。両親が生きている間、悲しませないようにチンピラにも人殺しにもならなかった。ある意味、僕の人生が本当に始まるのは、両親が死んでからだ。裏切る者も、目の前からなくなり、解放感が味わえる。これは悪い事、でも本当の事なのだ。それ程、臆病なのか、親孝行なだけか。〝生き・死に〟を人の最大の起点とするなら、狂人、悪者が前に立ちはだかり、命を狙いに来た時の身を守ろうとその狂人を殺せば、殺したその人が犯人になり、その悪者を正当防衛で殺したら、殺した方が生き残って、無関係の人に裁かれる。結局、目立たぬよう、びくびくしながら普通の人は過ごすしかない。終わりの無い平安は、教会にも無い。もしも僕の信じる神様が正しければ、その神様本人(自体)に、平安はある。この世で求めること自体可笑しな事なのだ。この世で永遠なんてものは無い。皆、年老いて、サビてなくなる。どこでも人間は、自分が強者の側であれば弱者を虐める。それはどこへ行っても、いつまでも永遠になくならない。だから、その暴力に打ち勝てるのは、暴力しかない。自分の身を守る為だ。皆、対等な筈。その為に人を殺しても仕方ない。それが生き残る事でもある。詰らない遣り取りだ。この年になってまだ、そんな事を言ってるのか。まず哲学人の僕と君とでは話が合わないさ。(笑)幼稚に思えて仕方ない。――――もう眠りたい気分だ。さぁ、何歳で死のうか。―――


「夢遊・現実」

どれもこれも、どいつもこいつも、今の流行に染まっちまって面白くないさ。(笑)けったくそ悪い女の為の幼稚な流行が、男も世界も映画もドラマも、感動も、呑みこむ。おばさんでさえ、その勢いに乗ろうとする程さ。何を考えても、どこへ行っても、その流行に行き着く。深く落ち込んだ後、何がその身を救うか、と言えばその流行なのさ。あんなに憎んだ筈の幼稚な流行なのに、その流行に縋り付こうとするなんて…。そう思い直し、男・女、人間への偏見を更に増加させる。困ったものさ。人の人生とは、男・女の共存に幸福がある、となってるのだから。俺には無理だ。女を、自分の人生を懸けて憎んだのだから。それがせめてもの、神様と人間と悪魔に対しての、反発だったのさ。至上の幸福は死んだ後だ。それが俺の正義だったのだ。世間がこうなっていては仕様が無い。一人で生き抜く他無いんだから。タレントは流行に合う服装と、色で異性の気を、歌手は少し違った同じような個性で、異性の気を、俳優は演技と現実の差を大きくして、自分の器を大きく見せ、異性の気を、漫画かは面白いもの、ずば抜けた感動もの、流行に合ったもの、それらを自分の下にすべて並べた後で、異性の気を、詩人は、見慣れぬ詩を詠み、見慣れぬ風景を自分から見せて異性の気を、漫才師は面白いところ、他よりもっと、今までよりももっとこの先よりももっと、面白い(上ネタ・下ネタ)を、常人に威張って見せて異性の気を、エリートは密かに頭の良いところを見せて異性の気を、善人は密かに見られている事を知りながら態と優しいところを見せて異性の気を、これから死のうとしている哲学者は…?死を思って初めて、この世間からの美しく(優しく)汚い(冷たい)手から逃れられる。俺が20年間で悟った生論(せいろん)はこんな所だ。思わず笑っちまった。一度病気で死にかけた赤ん坊の頃に、両親と親戚の必死の看病で繋いだこの命が、こんな世代の馬鹿らしさと幼稚さを見る為に生きていたなんて。どんなに心機一転、無理に変えても、やりきれなさの存在は消える事はない。事実として、この世間に居るのだから。プライベイトをどう使うか、そこなのさ。悪い事が出来ない奴は悪い事が出来る奴に、何も策をしていない無防備な為にやられる。警察は公の前では優しい言葉を掛けるが、日常は他人の事まで面倒見切れないヤクザ絡みの常人だ。弱者はいつまで経っても弱者なのだ。その弱者がやっとの思いで、そこからの突破口を見付け、飛び出す事が出来たその次は、警察の(法の)裁きが待っている。その執行まで、やはり弱者は臆病に震え、弱り果てる。そして死ぬ。結局、この世で裏・表の無い幸福など無いのだ。美しい幸福の裏には必ず、薄汚い不幸がある。共存の協力の裏にも利己主義が燃えている。欲望がある以上、人はこの世で善人には決して成れない。弱者が心から願うのは、殺す事。訳の分らない他人を殺してその不安を消すのだ。殺して居なくすれば何も言われる事はない。従い、弱者に共存は無い。何故生まれて来たか、はもうやめよう。でも、もうそろそろ親孝行も十分できた筈だ。病気の時に死ぬ勇気が欲しい。いや、とにもかくにも、辛いものさ(笑)。


「♠聖母(おんな)in this century💛」

女は卑怯者。調子いい時だけ善人ヅラしやがる、女特有の〝仔猫ちゃんフェイス〟さ。泣きそうなお顔をして恰も初めてバージン落とすような夢芝居。大したものさ。今のこの女に向けた流行を上手く使って対象の男に我儘と見え透いた優しさを投げ掛ける。〝ほっ…〟と溜息吐くそのお女(ひと)は、夜のバイトで大忙し。それを受けて立つのは、しっかり飼い馴らされたドーベルマン(男)。金とアレに物を言わせて、勢い良く自分を高めていく。永遠に続く、臭い恋のシーソーゲームは、この時代の定番。好い加減、心底飽きた俺は死を選んだ。それしかこのどうしようもなく臭い時代・世代から逃れるすべ(すべ)は無い。またしょうもない時代になっていきそうだ。どんどん下らなく、臭い世界になっておくれ。そう祈り続けよう。早くソドムとゴモラの世界が今のこの世界に復活するように。俺はそれが大嫌いだ。これほど欲望を憎んだのに神様はまだ俺からその欲望を取ろうとしない。それならば仕方ない、と、…仕方の無い事なのさ。冷めた顔でこの世を見りゃ、本当にシラケる。俺の目に映った世界はシラケて、ここまで生きて来たのに、死を選ばせた。どうしても生きる価値を見出せない世の中さ。ウジ虫のニッポン主義よ。〝女〟はそれ以下だ。


「正義」

嘘に聞える、冗談言ってやる。ナチス・ドイツの拷問で、〝女〟は全員死ねばいい、その飼い犬(男)も。(笑)

(皆、聞こうとしない)


ぎゃあああああああ


「The people」

人間なんて、神のミス・テイクだ。聖書通りの世界がこの世のどこにある。僕はこの世から去り、あなたの創った人間の美しさだけを知りたい。…もしそれが出来たならば人間を嫌いにならずに済んだだろうに。



「ある男から…」

女とは、面倒臭い生き物だ。


僕はやがて、他から見えなくなった。


同(おん)なじこと繰り返して何が新しい流行だ。同なじような歌ばかり流行って何が〝新しい〟だ。人間は新しくない。生来古いものだ。もう楽しむな、反吐が出る。哲学・議論を競争するマヌケども。つくづくマヌケに見えるよお前ら。人間を殺してやりたい。


〝この時間が早く過ぎてほしい〟と、早く過ぎて老いて行くのはごめんだ。


臆病者。


俺はこの世間へ出るのは真っ平御免さ。表裏のタコばっかりの、こんな世間。それは臆病、弱い奴、という事に取られてしまうんだろう。でも違う。誰でもあるだろう。始めは何の気なしにゲームをやっていて、飽きて、それが面白くなくなったらゲームセンターから去る、というのは。詰りそういう事さ。ただ生きて行く奴と同じように行き道を決めただけさ。こんな世間、クソッくらえだ!


〝今日は、励ましに来たんだからね〟か。(笑)

〝それが友達〟とも言ってたっけ。


自殺か。自殺すればこのワカラナイ苦痛、苦悩から逃れられるんだよな。


「気遣い知らずの人間」

アルバイトでの事。とある女子高生と一緒にその時間帯レジに入っていた。そいつは、てんで喋らず、俺が話し掛けても一言も口を開かず。いつか聞いた〝何の為の口やねん…(女)〟の一言を思い出す。まったくその通りだ。そして俺がウォークインから出て来て、レジの引継ぎをしてくれてたそいつに一言、〝ありがとう〟と言ったところ、そいつは何も言わず、口を開かず。よくそんな態度が取れるな、と感心していた俺。こんなのと何故に一緒に居なきゃならねーのかと、バイトのシフトに文句たらたら。結局そいつと金輪際、喋りたくも顔見たくもなくなった俺は、〝馬鹿な女だ…〟とその真実を言う。この嫌な雰囲気の種を撒いているのが自分なのに気付かないなんて。もう少し他人(ひと)の気持ちも分かってあげようね、ようこちゃん。そしてその場を去った。


「タコ」

あそこも、ここも、タコばっかりでね、同なじような男と女がずらり。気取り方から喋り方から無視の仕方から、みんな一緒。好い加減、そんな奴等に気付かう事の無駄を知った僕は、その嫌な世間体の王道を歩く。皆同じさ、表裏あるタコばっかりだ。そりゃ殺したくもなる。人殺しの気分が分かるってものさ。そんな世間体に一言、ほざいてから死んでやる。〝全員だ、全員。皆自ら他人(ひと)を気遣いまくれ。胃に穴が開く程。そう、弱者を気遣いまくれ。そして、その胃の痛さに耐えられなくなったら旅に出るか、死ね。今の世代は、その過程なくして旅・旅・旅、と、旅に出る奴が多過ぎる。そんなタコ坊主ばっかり居やがるから、弱者は、いつまで経っても上に上がれないのさ。全員だ全員、強者、いきり立った奴等の全員。胃に穴が開くまで弱者、いや人間(ひと)を気遣え。そんなブスっとしたツラばかりしてるから弱者は、その臆病から狂人に成っちまうんだ。それくらい理解しろ、このタコ世間どもが…〟。


「思いやり」

気遣いは無駄なのか。弱者に気遣った後、強者に気遣った。その強者の態度は弱者と違った。その態度に僕は苛立ちを覚え、〝弱者のように礼の一つくらい言えないのか〟と告げたところ、強者は僕の首を絞めに掛かった。僕は手に持っていたナイフでその強者の喉と両目を刺した。強者は、のたうち回って荒れ狂い、発狂して死んだ。そして僕は我に返り、初めにした強者への気遣いの事を思い出す。ただ僕は、〝礼〟が欲しかっただけなのに。それさえも、モラルが崩れたのか。目の前に転がる故・強者の死体を見直してから、さっきの気遣いは無駄だったと感じる。


俺には女なんて要らない。友達も要らない。両親さえ居てくれればいいんだ。そして、これでは結局生きていけない事も解っている。これも、この憎しみ溢れる世間への反発なのか。その憎しみは尽きる事を知らない。


「人形」

寡黙になり下がり、黙ってこちらを睨んで来る男と女。俺はその人形達が何故そこに居るのかが解らず、とても殺したい気分になって来る。そのくせ、優しい言葉を一言でも掛けられたなら、顔が緩む俺。どちらにしても詰らない事だ。


僕にラブストーリーは無い。僕には表情が無い。人を愛せない。人を愛する事を憎んだ僕は、心に決めた。生まれて来た。せめて両親を愛そう、と。愛するという事は、ある人には犠牲なり。


やっと気付いた。俺は人間恐怖症だったんだ。


正直に生きたら、こうなった。そう、臆病にも正直だったんだ。


早く寝ればいいのに、明日眠たいのが分かっていながら夜更かしする。


頭の後ろの出来物、治らないもの。欲望と似ている、と言った。あれは本当さ。また忘れた頃にやって来る。掻きたいが儘に搔いて、この疥癬を酷くする。どうしても病気、怪我をすると死を恐れ、悪化を恐れ、守りに入る。その時の自分は臆病に耐えられない。両親の優しさに何とか応えたい、と、健康を維持していきたい自分が浮き出て来る。俺が治ろうとすれば治らせまい、とする僕が居る。本当は、どこかで治ってほしくない自分が居るのだ。この自分の体がぼろぼろに朽ち果てて行く姿を一人で見たいのだ。その恐怖に臆病を克服する為に対面したいのだ。本当の気持ち、正直を言う。この頭の後ろの出来物、治ってほしくない。お願いだ、もっと酷く悪化してくれ。もっと膿が出て、頭全体にまで広がってほしい。お願いだ。そうやって髪が抜け落ち、皮膚が爛れ、ケロイドになって行く自分を見せてくれ。その時の僕は、臆病を克服してるかな。


〝くそ、勝手に治りやがって…。〟へへっ、僕は臆病なんだ。又ぶり返してやる。今に見てろ、すぐさ。きっとこの傷を復活させてやる。へへへ…見てやがれ。この僕の髪が全部抜け落ちる姿を。


「悪化」

あんな薬なんて付けるんじゃなかった。放(ほ)っとけば良かったんだ。そうすればもっと広がったのに。もっと掻き毟り続ければ良かったんだ。


これがこれから起こる現実さ。きっと起こる。


「9月6日の晩…思った」


誰も知らない寒い所へ、一人で行きたい。空には低い雲が落ちて、日頃の独り言をみんな消し去って、欲望を露わにして。僕の欲望は人並み以上だという事を知って、何を言っても色褪せてしまう。馬鹿らしく思える日頃をみんな誰も知らない深雪の中に埋めたい。この世に落ち着ける場所は無いんだ、と分かって、この世を憎み、この世に居る時分を憎んだ。生きてる限り、どうしようもない事は分かっている。何度も何度も同じ歌を聴き続ける程、僕は出来た人間(ひと)じゃないってことで。両親に本当に申し訳なく思う。自分に子供が居ない分、余計にそう思う。女を愛せる性分じゃないからいつも強がりと言葉だけ。思いっきりのナンパ野郎だ。そのクセして、女の前では震える。憎んでしまうのだ。生まれたくはなかった。初めからこうなる、と分かってて、何故生まれた時に〝おめでとう〟なんて…。


「I don’t worry death」

〝マザー・テレサが心臓発作で死去…〟僕が生きてるこの時間での事。ただ僕は生きてる。でも仕組まれた自由(幸福)の中で生きてるのだ。何をしてもいいわけじゃない。直接、他人(ひと)の害になるような事をしては生きていけない。例えば金持ち力持ちが困るような事は。そしてランクの上の方の知識先生には絶対服従。嫌な顔をするからだ。腐りきったような場所に生まれて、今さら何が〝些細な幸福〟か。(笑)〝死〟を恐れたくはないものだね、そうしたら何でも出来るのに。多勢いなきゃ何も出来ないような弱虫にはなりたくないさ、と意気がる。どこまで意気がっても結局同じ事、何も今の憂鬱は今に始まった事じゃない。もうずっと以前(まえ)からの事。いいじゃない、どいつとも対等でこの心と躰を制してるのは僕だって事。上等に生きてやる。結局〝死〟を恐れたくない。―――――――


これも必要な経験さ。―――何に?―――それが解らなくなった時は哀しいね。


哲学は本来、人を励ますものではない。


もう奇麗な心には戻れない。確かにこの世を生きるにはそっちの方が楽かもね。


男なんてなんで存在したんだろう。女なんて、なんで存在したんだろう。

俺が女でも可笑しくはなかったんだ。


「文学・哲学・人生」

長い文章かかって、何度も何度も書き間違えて。やっと一つのストーリーを書いたんだ。こんなに長い時間書き直して、一つのストーリーとは。僕のストーリーとは、一寸した事で壊れてしまう。電気が少し暗くなったくらいでぼろぼろ崩れてしまう程。こんなに長い間かかっても何ら大した事を書いてない。その時の個人の有様を書いただけ。誰でも書ける代物だ。それが唯、この〝僕〟の場合というだけで。


恐怖に覿面した時、人は宗教関係なく何かに縋る。心の頼り処となる何かが目に見えるものか見えないものか、その違いが又人を惑わす。でも恐怖に怯える時、とにかくそこから逃げたい一心で何にでも飛び付く。本来宗教は関係ないのだ。人は自分で一人で怖ければ何にでも縋り付く。日常信じているものがプロテスタントの神でも、恐怖に出逢った時、真実はカトリックの神だ、とのきっかけがあれば、そっちに飛び付く。結局口にはどんな言葉を出していても、最後まで人は好い加減なものだ。


死人は好い加減なものなのか。死ななきゃ解らない。


「大した煩い」

死ぬ時に思うだろうなぁ。日頃なんて詰らない事で思い悩んでたのか、と。でも今だから言う、それがその時の精一杯だったんだ、と。その詰らない思いも、大した事なんだと。


「Mr…」

喋りなよ、可哀想な君。環境が君を喋らせないんだね。周りが白けてしまう事を気にして、君は途中までを語り掛けてやめてしまう。面白いくらいに可哀想だよ、君。


結局、生きるのさ。自ら死ねないんだ。決して向き合わない自殺者と僕は、永遠に背中合わせかい?(笑)


「暴力≦優しさ」

この世を優しさだけじゃ渡って行けない。打ち勝つのは暴力さ。優しさは生きて行くのにストレスを溜まらせる。でもいざ、となった時にお前はどちらを出す。自分が殺(や)られる、といった時。大抵は力さ。人は目に見えて強い暴力に頼る。いざとなった時優しい奴は、絶えず死と隣合せさ。優しくていいのは女だけだ。女は喧嘩出来る程の腕力も無い。ただ口が立つだけ。そういうもの。男は殺(や)られる心配がある。この世を一人で渡って行こうとする、例えば俺みたいなんてのは優しさは禁物さ。両親が生きている以上、とにかく目に見えて生きる、と決めた俺には死と隣合せはする事もない。しようとするだけ無駄な事。〝あーあ、女に生まれて来たら良かったのに。そしたら、暴力じゃなくて、「優しさ」っつー何もしないでもいいような受け身に完全に回れたのに〟。男に生まれた今日、仕方の無い事さ。絶えず気を張らなきゃ、会社のお偉いさんの〝表面お人好し〟に抑え込まれちまう。精神的に抑えようとして来やがるから大変なもんだ。これを手っ取り早く撥ね退(の)けるのはやっぱり、一発殴るなんての暴力が必要だろう。そんな〝優しさ〟なんて解らないようなカスに、思いやりを見せるだけ無駄な事さ。誰でも思いやった分、その報酬を望むもの。〝この人は変わる〟とかね。それに気付かない阿呆には全く無駄な事なのさ。女は調子のいい今日(流行)の優しさを見せ付けて来る。〝馬鹿らしい〟俺は一言、言ってそんな愚図な〝優しさ〟を蹴散らしたのさ。それで優しく生きられる。


流行が不良を好めば不良にもなるし、大変だねアイドルも。〝不良らしく〟か(笑)。


人300倍の欲病、もう欲病だねこうなったら。(笑)いつしか危ない橋は一足でも渡らないとして来た僕は何も出来ない。生きてれば何でも出来るんだけど、何も出来ない。人を〝思いやる事〟を馬鹿にしてるような生き方になってるんだもの。


「不条理にも男に生まれて」

古風、誰も居ない舞台で舞を舞う、あの娘の姿だけは守ってやりたい。少しの間、おどけてみたいものだ。

―――(舞鶴にて)――


「蔦草」

独りきり、哀しさを誕生にぶつけていた。両親の哀しみと僕の哀しみはまた違う。しかし出処は同じ。存在理由など無くていいものを、人はそれを一人で闇雲に捜す。最近口下手な僕は、自ら墓穴を掘って自分が入る。もはやここに書く事すらも辛くなっている僕、どうしようもない。そんなマイナス思考をひたすら嫌がる自分と、そこから逃げられない自分が同居を続ける。このギターを弾いている時だって、親父は悲しんでいた。「僕」という人間は、以前自分が思っていた程大した奴じゃない。もう死にたいさ(笑)。


「北極」

いっそ、人の心の痛みが分からない馬鹿になりたい。何故に、これ程までに人が横に居る事を気遣わなくてはならないのか。何が自由なものか。そんなものは孤独の自由だ。一人きりで寂しくもがく時の自由だ。それが幸福だなんて。そんな事を思う時、病人の顔が僕の邪魔をする。僕の生涯は何の為のものか。他人(ひと)を気遣い過ぎてその上、一人きりでの自由を手にした時孤独を痛感し続ける為か。他の人と同じように時間は過ぎて行く。そんなものを壊したい。気忙しく目障りだ。自分も死んで、天国でこの続きをしてやりたいさ。そうすればこのままの続きがどう変わるか、神様にも分かる筈さ。…僕はもうこのように、口下手になり、心が荒んで、悪の側に縋り付こうとして居る。口では神様を欲しがり、している事は悪の行為を望む。これも人間の本質か。この周りの他人の暖かさに見放されるのはもう生きられない程の事か。昔、味わい抜いた学校の虐めというのに似ている。頼れるものを自分の中にどこかで捜して、結局、無い事を知る。暴力は最後に神様に咎められる。ここでも、神様を知らない人達は、その暴力を怖い事だとは思わない。それでこの世は全て上手く行くのだから。こんな辛い人生、どの気持ちの行き場所(どころ)も生き抜く限り、爆発を好む。臆病な精神には、拷問だ。〝強く生きる〟という事がどういう事か、結局自分がこの先生き易い生き方を〝強い生き方〟と、採る。友達一人と遊ぶ事でさえも臆病には拷問の時間の延長になるのだから、全く生きた心地は無い。僕の場合(人生)、初めから生きる心地など無かったのかも知れない。臆病とは僕みたいな者の為のものか。〝人を殺したいと言う思い〟は臆病な所から来る。生来、生まれた頃は知識不足を理由に周りから咎められ、成人後はその知識に苛まれ、その有様を見て、周りからその責任を理由に咎められている。いつになってもどこでも生きている限り苦しみは続く。そこでも又、〝仕組まれた幸福〟というものを感じる。誰でも感じるものか。だけどその他人(ひと)の事を認めたくない不条理な僕は、一生懸かってその不幸を背負い続ける。自分も人間な故に。普通に生きる事が、何故に刺激を欲しがる破目になるのか。〝欲〟に生きればいいのに、誰かが作った道徳(理性)の所為でその道を悪の道と思わせる。その所為で、その前の壁で、苦しみもがく。そこで有りもしない事を叫んでやがて死ぬのだ。この世ではどんなに美しい事をしても、悪行は笑い続ける。きっと無駄な事なのだ。(笑)


もうすぐPM7時。嘘の約束の時間だ。


「才徳」

才徳者にも、君と同じような苦しみは続いているのだ。唯、人の生活を瞭然に分らせるのは、貧富の差だ。人にはそれぞれ欲望がある。その欲望は人のもので、どんな形でも執念深く自分の目の前にしがみ付く。自ずと才徳者には、自分の損徳が分かるものなのだ。


僕には他人の未知(心)まで思い切れなく、自分一人で精一杯。何故生まれて来たのか。いつまでも考える程だから。


〝生きていていいですか?〟とは、誰に尋ねるものか。誰が君を必要としているのか。君をこの世に降ろしたのは誰か。父か母か、神か、悪か。自分より以前の記憶の未知は、君に消せるのか。よく人は言う、〝仕方がない…〟と。君が必要としている人は誰か。人には誰も、永遠を創れる者は居ない。真っ白な紙に落したこの一滴の墨も、いずれ紙と一緒になくなる。ただ君の思い次第。そんな事は考えても意味の無い事。そこに付け込んで又、悪人が意地悪をしに来る。その程度のものである。頭のいい奴でも馬鹿な奴でも、その行為で他人の事を助けた者の行為の方が大きいのだ。生き続ける事は絶えず利得。死ぬ事は絶えず犠牲。それが幸福。


〝君の御主人様は誰だい?〟


辛い事、楽しい事の繰り返しでここまで生きて来た。楽しい事が終われば次は辛い事。その次はまた楽しい事。そんな繰り返しさえも嫌になって来た。辛い事ばかりの人には悪いけれど。それで昨日の夜、死んでみたんだ。そうすればその目の前の模様は、生前のとは想像を異するものだ。人が最大の不幸だと定めた死は、両者からそれほど遠くはないのだ。


これほど字を書き続けると、おかしくなりそうだ。本来こんな人間ではなかった筈なのに(笑)。―――

又、書き続け始める。


「一つの方向に向かう家族の幸福」

人生について話そうとした。そうすると、〝君はまだ若い〟と。語るのではないのに、思わず何も思えなくなる。この人生で僕は何をしたか。ただ弱い人、一人の為に、その人だけに解って貰えたらそれで幸福だ、と。何も恰好は要らない、神様の下へ行きたい。その時はこの世で泣いてた事も喜びに変わるように。両親と、神様と、イエス様と、神様が創られた本来の人間と。この人生から逃げたい時が、殆どだ。正直に生きると、自分が人間である事が嫌になり、この世の中をこの上なく呪って恨む。大物、小物が決められて、存在するこの世の中で僕の居場所は無い。居場所が無いように自分で願うのだから。もっと生きよう、と、生きてする事を考えると正直辛くなる。いつしかただ怠けてるだけの自分。そんなわがままが自分勝手にも、今は居ないマザー・テレサに会いたい、と本気で思う。マザーが生きてる間には会いには行かず、居なくなって、確かにこの世から消えてから〝会いたいんだ〟等と言う。今僕の目の前にはマザーではなくて、僕を産んでくれた母さんが居る。父さんが居る。〝子供に自分は必要ない〟なんて言わないで、恥ずかしがってばかり来た〝愛〟ってのを、父さんと母さんにどうしても言いたい。僕はこの世の中で、今まで何の見返りも無く愛してくれた父さんと母さんを愛している。それは永遠に変り様(よう)が無い。神様は拾えるものじゃない、それと同じ事。死んでも生きても、三人は生きるんだ。そして、僕一人の生きる意味は、母さんを通して降ろしてくれた神様だけが知る。様々な挫折が目の前に在る。そこでどう生きるか、は、ただ僕次第。そう、神様の手の中で、どう生きて行くかは、僕一人の問題なのだ。僕は父さんと母さんを愛している。その愛は神様に繋がる。そう、思うんだ。



「孤独」

それでも、他人、他人、他人、他人、か。それが又、墓穴を掘る。あいつ一人に喧嘩売ると、あそこに居る奴等連中全員が俺一人を狙う。そんな世の中さ。だから旅人ってのは仲間が居ない。だからいつも絶えず大勢の敵が居るんだ。


こんな人生も又、あるものなのさ。あってもいい。(97年9月8日)

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10代から20代の時に書いた詩(9) 天川裕司 @tenkawayuji

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