十八 セルジュ
薬で管理された眠りは穏やかだが、あまり夢を見ることがない。セルジュにはそれが、少し残念に思えた。妻や、母や父、幼い弟。会えなくなった人たちに、夢の中なら会うことができたから。
しかし今、暁の青の中で、かつて失った人がこちらを見ている。いつまでも美しい弟——もういい大人のくせに、困惑した瞳がまるで子供のようだ。
「アーシュラの話は、本当だったな」
いつか、彼女が手紙に書いて寄越した、姿の見えなくなったエリンを呼び戻す方法。いたずら心で試してみたら見事成功してしまった。嬉しいような、可笑しいような、愉快な気持ちになる。
「兄上……」
ばつの悪そうなエリンに、セルジュは語りかけた。
「行かないでくれ。少し、話そう」
エリンはしばらく思案している様子だったが、やがてセルジュの側に戻り、絨毯に膝をつく。
これまでも何度か驚かされてきたが、彼はいつも本当に静かに行動する。物音を立てない、というだけではなくて、エリンが動いても、空気が揺れないような、不思議な感じ。
「……申し訳ありません。その、窓が開いていて、冷えるかと思い……」
しかし、弁明は予想通りで、なんだか可笑しい。
「いや、すまない、私こそ。そなたをおびき寄せたのは私の方なのだよ」
言いながら、セルジュは喉を鳴らして笑った。
「昔、アーシュラの手紙に書いてあったのを思い出したのだ。エリンを呼びたいときは、窓を開けておけばいいと……冗談だと思っていたのだがな、まさか、本当だとは」
セルジュは嬉しそうに言って、身を起こそうとして少し咳き込む。エリンは躊躇なく手を伸ばすと、ごく自然に兄の背を支えた。
「誰か呼んで参りましょうか?」
「いい、問題はない。良い気分だ」
そういえばこの弟は、病人の世話には慣れているんだったと、改めて亡き友を思う。エリンを置いていくとき、アーシュラが何を思ったのか、今は想像ができる。
だけど——これはエゴだ。残される者に刻まれる悲しみを知っているから、口にするのはやめておこう。
「ああ……もう朝か……」
いつの間にか、柔らかな朝日が、二人の間に届いていた。
セルジュは、すぐ側にある、弟の横顔を見つめた。
生まれたばかりの彼をはじめて見たとき、これまで見たどの赤ん坊よりも可愛いと思った。大人しくて、暖かく、小さく、清らかで、輝いて見えた。誰よりも幸せになる価値のある存在だと、子供ながらに確信した。
望まれて生まれてきた子だったのに。
「……なぁ、エリン」
「はい」
心に残る痛みをつなぎ合わせても、失った時は戻らない。小さなエリンは知らないだろう。自分と、父と、そして、母のことを。
「ありがとう。来てくれて」
残していく者への深い感謝が、石のような身体を暖かく包み、残された時をより優しく、名残惜しいものへと変えている。
今はわかる。この淵に立ってはじめて知ることがある。失ってばかりの人生だと思っていたのに——世界は、きっと、あらかじめ完璧だった。
残す悔いはない。そして、この先を生きる者にはたぶんまだ伝わらない。
だから、願わずにはいられないのだ。
「私がいなくなっても、忘れないでほしい。ここもまた、そなたの家なのだよ」
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